13 嘘吐きだらけの、阿呆だらけ


 保食うけもちが目指す中継地点まではおよそ四半刻ほどの時間がかかる。馬をかせたい気持ちはあるが、疲れさせても意味がない。自分は駈足かけあしで丁度単騎で中継地点に辿たどり着けるが、くぐいしゅうで行ったから、鳥が飛ぶのもすぐかも知れない。鵠からでも保食からでも、どちらでもいい、どちらかが辿り着き鳥を大本営と第二にそれぞれ放てれば良いのだ。重複ちょうふくすれば、それはそれで時間差の報告が発生した場合の意義ができる。


 ――本当に、悔いはないな。


 鵠の最後の問いかけに、保食は天をあおいで息を吐いた。

 ないと言えば嘘になる。思いを切り捨てるのは身を切る程に辛い。しかし誰しも皆何かを選び何かをあきらめて先へ進むのだ。自分一人が苦難の道を行くわけではない。そして、この道を選んだのはまぎれもなく自分自身だ。後悔に縛られては、今進むこの道の先に続く仲間や世界を選んだ自分自身に対する冒瀆ぼうとくとなろう。

 つまるところ、蓬莱ほうらいで白玉の継姫つぐひめごっこをして色恋の真似事にうつつを抜かして生きるより、この大地の果てまでをおおう歪められた支配を切り捨てる為に一兵卒としてける人生のほうが余程自分らしいと、そう思っただけだ。

 つまらなかったのだ。

 女の肉体に縛られ、女の皮を被せられ続け、生まれついての特性に支配されるだけの日々は、この手でも掴み取れるはずの物を保食から奪う。

 冗談じゃない。

 くぐい水泥すいどろ、あたしはお前達に守られたいわけじゃない。

 守られて満足で生きていけるように生まれ落ちていない。

 この世は何時でも不均衡で不平等で、正義のもぬけ蛇蝎だかつが被って民衆を支配しているような救いようのないものなのだ。

 嘘吐きだらけの、阿呆だらけ。

 ならば、迷いは桜の花弁のように散らしてしまえ。

 胸は晴れやかだった。一粒を減らした数珠はきっかりと彼女の腕に合う。ようやく寸法があったのだ。自分には、あの一粒は余分だったのだ。

 馬は行程を予定通り駆けた。

 目的の地点まであと半ばといったあたりから、あたりにはぽつぽつとふるい集落が現れだす。数年前まではここにも人が住んでいたため迂回うかいしなければならなかったが、七年前の水源汚染から、住みにくい地域に住む者ほど土地を手放し離れていった。ここもその一つだ。空の色が変わらないから、ここもまだじょう州の内のはずだが、統治の手が十分に及んでいるとは言いがたい。

 これが、はく皇をしいして得た国だと、誰もが知っている。姮娥こうがの民の大半が、過去の統治を実際に知っているのだ。自然、両皇帝は比較される事になる。これは実はかなり重大な事だ。

 簒奪の初期は戦を終わらせる向きに動いた事により如艶じょえんは民意を集め得た。本来神子みこであったという彼の出自もその後押しをしたろう。しかし今となってはどうだ。引き入れた異地の民や先朝遺臣の謀略で国は明らかに傾き始めている。しかも、遺臣達はかつての敵国と手を結んでいた。これは想定をはるかに超える異常事態と言えよう。

 いかに不死に近く、食わずとも死なず、子を成さずとも滅びない民であろうと、苦しみは等しい。以前隴欣ろうきんに聞かせた言葉通り、散華さんげとうで殺さない限り、飲食させずとも拷問を繰り返しても彼等の肉体は滅ばない。滅びる事ができない。これは、十二分に恐怖に値する。

 彼等月の民と五邑ごゆうの民は、相互に鏡の如く相手を映し出しているのだろう。そういった意味で、どちらがより苦しいか虐げられているか、といった議論は意味を為さないのだ。

 更に穿うがった言い方をするならば、白玉はくぎょくが失われその有用性を失った時、五邑ごゆうの民は月の民から憎悪の元に殲滅せんめつくわだてられるやも知れないが、死ねば終われるのだ。八咫やあたがかつて言った事が正しければ、あの青い大き星から運ばれたらしい我々は、異星でわずかに繫栄し、数代をた後に滅亡した。ただそれだけの話になる。

 それはきっと不幸ではない。不運だ。

 対して、死ぬ事も出来ず、永久に苦しめられ続ける月の民はどうだろうか。終われないという恐怖はどうだ。

 これはきっと、文字通りの阿鼻叫喚あびきょうかんだ。

 保食は五邑であるからか、後者は絶対に嫌だなと思う。そしてきっと互いに相手に対してそう思っているのだろう。そんなものなのだ。

 馬の歩みがさくさくと草を踏み出す。あたりの景色が少しずつ荒野から変わってゆく。周囲に雑木が増え、水の流れが聞こえる。身を隠せる場が増える。ようやくの思いで一息を吐いた。



 その時だった。



 びいんと、弦の張る音がした。途端全身が揺さぶられ、何が起きたのかを把握する前に馬が転倒し、保食もまた前方にその身を投げ出された。寸でのところで馬の背を蹴り巨体の下敷きになるのを避ける。が、着地の状態が悪く右足首を痛めた。

 慌てて馬の様子を見ると、バタバタとうごめきながら口から泡を吹いている。瞳孔の動きもおかしい。これは、くびをやったか。こんなところでこれはまずい、そう思った瞬間、自身のくびの後ろに熱い痛みが落ちた。瞬間息が止まる。下草の中に顔を突っ込む。両の腕が背の後ろに回され、がちりと固いもので拘束された。下肢もまた同じく足首を戒められる。かつ、重い物が上から身体を押し潰してきた。

 朦朧とした視界がゆっくりと戻ってくる。かすんでいたあたりの風景が再びはっきりとしてきたところで、目の前に一本の太い鋼鉄製の紐が張られている事に気付いた。そうか、これに馬が脚を獲られたのだ。下草に紛れて気付かなかった。迂闊うかつだった。自身の身を隠しやすいならば、それは敵にとっても同じ事なのに。

 ざく、ざく、と下草を踏む音が近付いてきた。馬だ。馬に乗った何者かが近付いてくる。瞼をきつく閉じてから、何とかくびをもたげて馬上の人物を視界に納めようと顔を上げた。


 ―――――保食は瞠目どうもくした。


 真っ先に目を引くのは、胸に届くはく髭鬚ししゅと、長い白髪。そして白く鋭い眼光。全身を竜文様にいろどられた赤い甲冑に包み、馬上から、じっと保食を見据える。

「――……璋璞しょうはく

 捕まった保食を見て、璋璞は静かに彼女を見下ろした。ふ、とわずかに笑う。――わらったのやも知れない。



「――お主がすこやかで、ほんとうに良かった」



 はっせられたその言葉は、とても静かで、とても冷ややかだった。

「よもや、仙山せんざん蓬莱ほうらいまでもが関わっていたとは、思いたくはなかったがな」

 保食は、ぎりぎりと歯噛はがみしながら、酷薄こくはく眼差まなざしで馬上から見下ろす璋璞をにらみ上げた。璋璞は下馬すると長靴ちょうかで下草を踏みながら歩み寄り、保食の前でひざまずいた。

「あんた――いつから気付いてた」

 保食の射殺しそうな視線を受け、璋璞は、ふ、と笑った。

「――お主の肉体は美しかったな」

「……何を」

「が、背筋は少々きたえ上げ過ぎだ」

 指摘に、保食は息を呑む。

「割れた腹筋は、病弱な乙女には似つかわしくないし、あそこまで発達した大腿の内転筋は騎乗する者しか持ちえない」

「この、爺……っ」

一分いちぶの隙もない上腕二頭筋と、長年の鍛錬でてのひらに刻み付けられた剣ダコが、付け焼刃の酌婦の真似事で消せようはずもなかろう」

 ぎり、と歯噛みした。あれは、愛撫に見せかけて兵としての質を計っていたのだ。

 ああ、本当に。

 この男は、なんて……。



「教えてやろう。大隊が向かっているのは、氷珀ひょうはくだ」



 すぅと保食は息を吸い込んだ。

「――何」

やしきにいた使いの男はお主の麾下きかだな。単騎で駆けているのを第二に向かわせた我が隊に捕らえさせた」

「つまり、あの密書は、あたしの行動を誘う為の罠だったって事か」

 鵠が捕らえられた。璋璞は確かにそう口にした。保食は全身を身動みじろぎさせたが、両手足を拘束された上に背後から男三人に押さえつけられている。

 ――常人では抜け出せようはずもない。

「蓬莱にも、隊を一部戻した」

 保食の形相が代わる。

「やめろ! 邑の者は関係ないだろうが‼」

「――なくはあるまいよ。それはこれより詮議する。お主が気に掛けるべきは、お主自身の処遇だろう」

 冷ややかな眼差しに、保食の背筋が凍る。

「保食。お主はこれより方丈ほうじょうへ運ぶ。貴重な『色変わり』なき健康な娘なのであれば、それが最善だからな。こうまであらがわれるのであれば、先んじて宮城に留め置くより他なかろう」

 璋璞は手を伸ばすと、ぐ、と保食のおとがいに指先をかけた。



「お主が黙って大人しく着いてくるのであれば、蓬莱にたい輿わだちを踏ませる事、今しばらく猶予ゆうよできるが?」


 憎たらしい。

 本当に、この男はなんて憎らしいのか。



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