12 出立
薄霧
出立の直前に
「
「――刻限は、
「さて、わたくしめには何とも。姫様の参拝はお時間がかかりますれば……」
「
「承りましてございます」
武人の背が乳白色の彼方へと消える。一度ゆっくり
そこには、障子を背に腕組みで立ち尽くす襦袢姿の
「お帰りになられましたよ」
「――ああ」
「昨夜の夢は、
「だろうね」
「さぁて、この
女が突如声色を変えた。つい、と指先で保食の胸の中央を突く。保食は厭そうな顔で手を払うと「やかましいわ」と口元を歪めた。
「ねえ保食、いざとなったらこれで右将軍に手籠めにされました、器にはなれません、これが証拠ですってできないの?」
「無理」
「どうしてよ」
保食はにやと嗤った。
「あれはね、
「あら、そうなの?」
「こちとら何年
「んもう、そんなに
保食は苦笑しながら肩を竦めた。
「あたしは
「同じ女と言えど、違うものよねぇ。あたしにはあんたの運命を肩代わりはしてあげられないし」
「そんなのは結構だよ」
「わかってるわ」
女はふわりと笑うと、腕を伸ばして保食の身体をやわらかく抱いた。甘い、茉莉花の香りがした。
「
義姉の腕の中で、保食は小さく笑った。
「わざわざ出立前にまで
「ええ。行くわね」
「世話になりました」
「こちらこそ。――どうか、命を惜しんでね」
「うん。ありがとう。旦那さんと仲良くね」
「任せといて」
義姉は大輪の花のような笑みを浮かべて手を振ると裏口へ姿を消した。
――これで、もう彼女と顔を合わせる事もあるまい。
保食は顔を上げると、腰紐を抜き解いた。
禁軍が
保食である。
砂に
「――全員出たのね」
「ああ」
頷く
「
「抜かりはないよ」
「昨日の酒は
「さあて、僕は何も」
「――やっぱり。あんたも一丁噛んでたな」
保食は厭そうに口元を歪めて、
「痛いなぁもう。お前、ただでさえ怪力なんだからやめなさいよ」
「殴られるような事をする方が悪い」
と、後方から「
己は、
「待たせた、鵠」
「ああ」
馬に寄り、その頸を叩いてから、背に乗せて置かせた自身の愛刀を包みから抜き取り鞘から出す。両刃の色が鉛色と白銀に違うのは、
次の瞬間、保食は跳躍した。
宙高く舞い上がり回転する。そして着地の間際に半身を捻り、切っ先を鵠に向けて振り下ろした。対する鵠の動きもまた劣らず俊敏だった。下げ緒を引きながら左肩先に突き出ていた柄を掴み引き出し、腰を落として剣戟を受け止める。鵠は、にいと
瞬く間の手合わせに、
「全く、
「当たり前だろ。何言ってんだ長」
「まさかあんた、酒がまだ残ってるんじゃないでしょうね?」
「信用がないなぁ」
「死出の旅路は僕も一緒。あっちで先に待ってるからね。会えたらでいいんだけど、
「――ああ」
飄々と言い放つと、
保食と鵠は――静かにその背を見送ると、静かに頭を垂れた。
「じゃあ、行くわよ」
「
呼び止められ保食が視線を向けると、鵠は真顔で「必ず生き延びてくれ」と強く低い声で言った。に、と保食は笑んで返す。
「あんた、あたしを誰だと思ってんのよ。
言い捨てながら保食は馬上の人となった。鵠もそれに続く。
二騎は禁軍が発った南門とは逆の北門から
これより、保食は
一方、鵠は伝令役として第二拠点へ走らせる。
しばらく馬を走らせ距離を稼げてから保食は西に曲がる。鵠は南に進路をとる。時間との勝負ではあるが、急いて全体を危険に晒す事は何があろうと避けねばならない。保食自身も中継地点に配備してある拠点に入り次第鳥を飛ばす。
二騎は駆けながら春の匂いを嗅いだ。
「大姉!」
「何⁉」
「本当に、悔いはないな⁉」
「
「このまま仙山に骨を埋めるんだな⁉」
「だからそうだって言ってるでしょうが‼」
「じゃあ、全部の片が付いたら嫁に来い‼」
「それも厭だって言ってんでしょうがしつこいなあ!」
「しつこくなきゃこう何年もお前の麾下やってられるかよ! 俺は諦めねぇからな!」
「もう行きなさい!」
眉間に皺を寄せてしかめっ面を鵠に向けると――鵠は笑っていた。笑って手を振ると、馬の向きを変えて行ってしまった。保食はしばらくの間その駆けて行く様を見送ると、小さく「ありがとう」と呟いてから手綱を引いた。
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