序文 弐 巡行


 乾いたすなぼこりが、喉と目をいためる。

 頭上に広がるねり色の天は、冷え冷えとだだっぴろかった。四天の果てまで、いさぎよく、すこん、と突き抜けている。それが、いっそ皮肉で清々しいと、沙璋璞さしょうはくはその両眼をすがめた。そのまま無言で視点を下げる。


 その先では、喇叭らっぱと共に、けたたましく鉦鼓しょうこが鳴り響いている。


 今、璋璞は高台にいる。数名の麾下きかと共に崖下がいかを見下ろし、同じくだだっ広い大地の上で繰り広げられている、このもぞもぞとだらしない戦況を見極めているのだ。

 五千の歩兵に三千の騎馬。それが、現在の璋璞が率いている自軍の総数である。対する敵兵は、多く見積もっても二千に満たないだろう。はじめから相手になっていない。

 あるじの思いを汲んでか、愛馬がぶるると一つはなあらしを飛ばした。


 ――なんだろうな。


 内心そう独りつ。この茫漠ぼうばくとした世界と、人間の齷齪あくせくとした無様さとの間に横たわり、両者を容赦なく隔てている、深くて暗い谷は一体なんなのか。あっけらかんと二つに切り分けて見せる、その無慈悲の正体は天意なのか、と、璋璞は一人ほぞを噛んだ。

 今正に、天地がそれを分けて璋璞の眼前に突き付けているのだ。

 間抜けづらで突き抜けた天と、緊迫の内に切り結び合うつわもの共と。


 まこと、生きるとは手厳しい。

 ぐっと唇を引き結ぶ。


 囲いは永劫不滅の術ではない。故に、じょえんは定期的に帝壼宮ていこんきゅうを出て国土を巡り、その奇跡の術をほどこし直す。これに禁軍は付き従う。はく朝の頃よりこの術において如艶の右に出るものはない。かつての時代には黄師こうしがこの巡行に添った。如艶が三交さんこうごうとして高臼こううすを降りた際に黄師が付き従ったのは、主にこの護衛という役務を継続するためだった。璋璞も無論、そこに含まれる内の一人だった。

 朝が代わり、黄師の役務は五邑の監視へと変化した。後に、再び璋璞が如艶近くにはべる禁軍へと移動を命じられたのは――それなりの因果もある。

 ちらと一瞬、璋璞は自身の背後へこうべを巡らせた。


 今正に、その背後でこの施術が行われているのだ。


 禁軍と一言で言うが、本朝におけるその役割は大きく二分される。その性格の大半は国軍だ。五百万の内、凡そ四百五十は国家の守りとして機能している。これを指揮するのが禁軍大将軍らん成皃せいぼうだ。

 一方、その残数を預かり、本来の禁軍的在り様を残すものを任されているのが、右将軍たる璋璞だ。故にこの巡行に従っている。


 その最中で、襲撃を受けているのだ。

 戦況は――無論逼迫ひっぱくはしていないが、かんばしくもない。どこかだらしないのだ。そもそも勝ちが見えている戦である。手を抜いているわけではないだろうが、公軍のおごりが見え隠れする。

 だらしはないが、破れはせぬ。

 如艶のための退路は担保されている。施術が終わるまで待てる程度には。璋璞自らが刀を抜かずにいられる程度には。


 現在、げつ朝が置かれている状況は、決して楽観視出来るものではない。国内各地では乱が群発し、禁軍と黄師こうしはその鎮圧ちんあつに多くの戦力を割いている。


 本来、死屍しし散華さんげの力を持たぬ下々の民が軍師に逆らえるはずもない。散華さんげとう保持の有無はその戦力に歴然たる差となって現れる。しかし昨今、戦場にてその優位性は完全に揺らいでいた。

 なにゆえか――得体の知れぬ武を誇示する者等が多数現れているのだ。

 無論、連中は散華さんげとうを持ち合わせぬため、軍師共に死者は出ていない。しかし多数の兵が大きく損傷していた。一部とらえる事ができた集団もあるが、多くは軍師の手を逃れている。



 その内に、一人尋常ならざる剛の者の率いる衆があった。



 衆自体の強さはそれなりだったが、この頭目がまずかった。

 身体しんたいは小柄であるが、騎乗を得意とし、大刀だいとうを用いて一騎当千の働きをす。常に頭部に青い頭巾をまとい、その獣のごとき眼力で軍師を震え上がらせた。左手ゆんでに携えた大刀の一振りで馬上の兵を三人まとめてぎ払う。前線の働きをするが集団の統率をも務めており、撤退の指示も的確で速い。璋璞しょうはく自身もこの七年の内に、これと行き会い剣を交えたのは一度や二度ではなかった。

 当然、将軍たる璋璞しょうはくが前線に出るわけではない。

 この者は、一騎単独で後方にいる指揮官の元にまで飛び込んでくるのだ。



 黄師も禁軍も腑抜けの衆ではないが、馬の上を飛んで渡るような鬼神の如きものには対応ができぬ。

 


 左腕一本で大刀を振り下ろされたあの剣戟の重さは、他に経験した事がない。あれが散華刀であったなら、如何に璋璞しょうはくと言えど命はなかった。

 今対峙している反乱民の中にあれがいたならば、こうも悠長にはしていられなかったろう。


 ふと璋璞しょうはくが思い出すのは、一人の同胞の事だ。


 この名を四方津よもつ悟堂ごどうという。黄師の諜報部隊である『筒視隊とうしたい』に属し、五邑の内に潜る『とう』の役を担い、如艶じょえんの勅命を受けて動いた。七年前、瀛洲でその行方を絶って以来消息が掴めていない。

 これの父親は四方津よもつ堂索どうさくたい輿が乱を起こした折に五邑ごゆうを裏切り朝廷に与した当時の方丈ほうじょうの長だ。母親はだい璞蘭ぼくらん。現在正式ではないが如艶じょえんの側室にその身を置く彼の一交であり、元赤玉の神子だ。

 ――璋璞しょうはくは、如艶じょえん璞蘭ぼくらん四方津よもつの子を宿すよう勅命を下したその場にのぞんだただ一人の麾下きかになる。あの時、如艶じょえんが他者に対して伏礼するのをはじめて見た。あれがどういった意味を持つ事なのかを知るのは、恐らく璋璞しょうはくを含めて四人に限られる。それ程に重く、他に変えが利かないめいだった。


 それは如艶じょえんの種をてろ、という事と同義だった。

 

 璞蘭ぼくらんに対する評価は地に墜ちた。『受け皿』の置き換えというのはそれだけ人心に忌避きひ感を引き起こす、唾棄だきすべき行いなのである。

 げついぬという不名誉な二つ名を与えられ、後に『真名』の『発露』を受け人格が歪み、我が子である悟堂ごどうを焼き、切り刻んだ事で悪評は更に拍車が掛かる。

 そしてその子悟堂ごどうもまた悪評の限りを尽くした。母親にちなみ月のいぬと呼ばれるようになったのは、何もその生まれの所為ばかりではない。寧ろ、その闊達かったつな人柄からは推測の付かない悪手あくしゅの選び方で如艶じょえんの勅命を徹底させる非道さに大きくいんした。

 悟堂ごどうはつまり、五邑ごゆうの民との混血であった。これは幼少時よりたぐいまれなる膂力りょりょくを有した。それは、はじめ先祖返りかと思われた。五邑の民が異地いちよりもたらされた当初、彼等の全ては、常人ならざる怪力を有していたからである。脅威であったそれは、子々孫々の代を下るに従い、やがてなりを潜めるようになった。故に一時的な異常であったと姮娥こうがは胸を撫で下ろしていたのだが――その特異性は、消滅したわけではなかったのである。

 すなわち、子を残すために彼等が生殖器に安置させるようになった不死石しなずのいしがその力を減じていたに過ぎなかったのだ。石を安置されなかった民は、変わらず剛力を発揮すると明らかになった。

 結果、不死石の安置は絶対の義務となった。


 ――が、無論そう上手くいくものではない。


 璋璞しょうはくは青い頭巾の者を、管理下からのがれた五邑の民か、もしくは不死石の安置をまぬかれた混血ではないかと推測している。そうでなくては説明が付かぬのだ。五邑に多少なりとも関わりがあるのであれば死屍散華の調達が出来るはず。そうであれば散華刀を用意する事も、それで相対した軍を殲滅させる事も不可能ではない。あれは力のみならず技術が抜きん出て秀でているのだ。


 ――そして、


 天空を、一羽の黒い影がよぎった。

 それに視線を移す璋璞の胸に、もう一人の人物の影が去来する。



 恐らくは、あの瀛洲邑長も同じなのだろう。



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