7 上邪

1 狐



 蓬莱ほうらいの監視を行うのは、黄師こうしではなく禁軍と決まっていた。それも、極々限られた上部の隊に一任されている。げつ朝が白玉はくぎょくを管理下においた当初より、それは変わらない。


 玉枝ぎょくしの蓬莱を有するじょう州は、姮娥こうがの統治が及ぶおおよその中心に位置する。蓬莱自体は、更にその中心近くにある、広大な荒地あれち只中ただなかに置かれていた。それは取りも直さず外敵――取り分け妣國ははのくにからは離した場所に置きたい、置かざるを得ない、という事情が多分にある。



 蓬莱がまつるのは『かんばせ』。それが有する意味合いは、他の四寶しほうとは比ぶべくもない。しかし、それを知る者は多くない。



 だだっ広い平地の中央を、一本の太く長い河がつらぬいている。それだけが、このあたりの土地の命脈めいみゃくつないでいるのだ。無論、蓬莱もその内からははぶかれない。例え死屍しし散華さんげの毒に害されぬ五邑ごゆうの民であろうとも、水なくして生きられはしないのは同じなのだ。

 蓬莱は、月朝の立場からすれば、えいしゅうとはまた違う形で従順と言えるむらだ。しかし何故だろうか、御しやすく思えると同時に、何処かしら、ある種の不気味さを包括ほうかつしてもいる。



 その在り様が――静かすぎるから、なのかもしれない。

 

 

 どういった因果か、蓬莱からは白玉はくぎょくの器を出した事がない。一時期は隠匿いんとくを疑われた事もあったが、報告されているだけの糊口ここうをしのぐ以上の食物や物資を要求されてもいないし、邑内ゆうないで自給自足している分量を考えても疑わしい点はなかった。だから、追求らしき追求を受けぬまま、邑は今日こんにちに至っている。

 平穏と言えばそうなのだろう。不穏の気配を内包していても、そうだと言えるのならば、であるが。



 そんな蓬莱の地に、この日、白髪白髭鬚はくししゅたくわえた一人の男が馬上から降り立った。



 身にまと甲冑かっちゅうは極々軽装の物が選ばれている。戦場に出る訳ではないが、禁軍右将軍という立場上、一切の武装をく訳には行かない。補給の荷をたずさえた麾下きかの指示を確認して後、その場に拱手きょうしゅしてひかえていた男に首肯して見せた。


「しばらくぶりだったな、さい殿」

沙璋璞さしょうはく右将軍に置かれましても、益々ますます御壮健ごそうけん、心より御悦およろこび申し上げます」


 口上を述べつつこうべれたのは、蓬莱ほうらい邑長ゆうちょうさい浩宇こううである。

 姮娥こうがの作法で璋璞に向かう男には、一分いちぶすきも無い。まるで作り物のように丁寧な所作だ。だからこそ――不気味だった。これは、この男に限らず、この蔡の一族は皆が皆、歴代そうなのだ。璋璞は、そのほとんど全ての長の顔と振る舞いを見てきている。五邑の言葉を借りるならば「生き写し」というそうだが、血脈延々とそれが続くと言うのは――どうなのか。異様なのではないか? まるで同じ人物が身を二つに分け、長じて再び身を分け、延々と、同じ者が、「しき」が、意志が、延々と――増殖、



 ざわり、と、璋璞の背中と腹に寒気が走った。



 思わず「うん」と咳払いした。りつかれかけた妄想を心から振り払う。璋璞は、じっと目を見張り、三十そこそこの男の、額のぎわあたりを見た。

 姮娥こうがの民とはしつが違うものの、これも肌の白い男であった。細面ほそおもての狐顔とでも言うか、眼を細めて常に笑みを浮かべている為に、その本意が実につかみ取りにくい。蓬莱の長は歴代がこういった性状のものなので璋璞しょうはくにとってはもう慣れたものだが、それでもふとした瞬間に、こんなように、一抹の不安のようなものを掻き立てられるのは否定できなかった。

 五邑の中で一早く風俗を姮娥こうが風に改めたのは実は蓬莱であった。浩宇が常からまとう物も深衣しんいであるし、邑人むらびとの大半が着用するのも、それにるいした物だ。環境に素早く溶け込み、自らの置かれた境遇を受け入れ、その統治におもねる。生存の為の戦略としては正しい在り方だろう。しかし、勝手な言い草かもしれないが、統治を行う側から見れば、それは都合がいいとはいえ、やはりどこか不気味でもあった。

 浩宇のまなこが、わずかにその得体の知れぬ笑みを薄める。


此度こたびも先に参られますか?」


 問いかけに、璋璞は首肯して見せた。

 半年に一度、禁軍右将軍である璋璞しょうはく自らがこれを訪ねるのは、もうどこからも疑いを差し挟まれる余地がないほどに当然の定例事となっていた。

 如月きさらぎから弥生やよいにかけてと、葉月はづきから長月ながつきにかけて。その期間の内、各々七日程ずつの滞在を行う。


 今は、弥生だ。


 彼は本来、黄師こうしの大隊をたばねる隊長の職にあった。故に蓬莱に関わるような事は起こり得るべくもなかった。事が起きたのは、たい輿の乱が起きる三十年程前の事である。各地に散った先朝の残党を追っていた璋璞しょうはくの隊は、その時偶然じょう州の州城をおとなっていた。備蓄から補給を受ける為である。一報が入ったのはその最中さなかであった。

 蓬莱を流れる河川の上流域で大きな決壊が発生し、土石流がむらを襲ったという。それまでにない規模の災害だった。邑は恐慌きょうこう状態におちいり、邑から離れる者、負傷した者、家屋を失った者などが多数発生した。

 蓬莱を監視する役の禁軍はその時近くになく、璋璞しょうはくは独断で自身の隊を動かし救援に向かった。処罰の可能性を考えて自隊の中から有志の者のみをつのった。救助に入ったのは璋璞の隊が最速であり、結局禁軍が七日の後に蓬莱へ至るまでに、璋璞しょうはく隊の他、救助に当たった黄師はなかった。

 宮城に呼び立てられ、久方ぶりに間近に相対面した脅威きょうい神子みこげつ如艶じょえんの前に拱手した時、璋璞は一度自身の死を覚悟した。が、如艶じょえんは面白そうに笑うと、そのまま彼の所属を禁軍に切り替えた。その時に与えられた役職が、蓬莱付きの大隊長だった。その時まで蓬莱付きであった前任者がどうなったのか、璋璞は知り得ていない。その後、紆余曲折うよきょくせつあり、彼は現在の地位に至っている。


 浩宇こううに続いて璋璞が向かったのは、邑の外れにある小奇麗なやしきであった。壁の囲いがあるだけで、他の邑人とは多少なりとも待遇の差がある事が分かる。壁の内には存分に植栽しょくさいされ、住環境としても申し分ない。

 邸の内に通されるのは璋璞一人だけだ。浩宇は、門の外で拱手したまま動かない。狐のごとく細められたまなこが、白いおもてが伏せられる。一瞬だけそれに視線を向けたが、璋璞はすぐに先へと歩みを進めた。上がりかまちで革の長靴ちょうかを脱ぎ、下婢かひに足を洗われてからようやっと上がり込む。そんな様子を、この狐顔の男は見届けたのかどうか。少しだけそんな事を思ったが、気に止めぬ振りで璋璞は邸に上がり込んだ。浩宇の姿は廊下を進むに従い、柱の陰に隠れて見えなくなった。

 邸の回廊には木の板が張られている。姮娥の多くの住居はいしどこだ。そう言った辺りが、姮娥と五邑は決定的に違う。一つ何かが異なれば、それに付随する細かな事も違ってくる。石床であれば、人の横たわるのが寝台であれば、一々長靴を脱ぐ必要もないのだ。ぎしぎしと、まるで先触れのような音を立てる事もない。

 ちらと庭へ眼を向けると、まきを割る大男が一人いた。男がこちらへ視線を向ける。男の顔面は、右頭部から頬にかけて赤黒くれ上がっていた。それも、璋璞が歩みを進めた一瞬で柱の向こうに消えた。

 邸付の男の案内で、そのまま回廊を進む。目的の離れの目前に至ると、男もまたその場で拱手し、下がった。


 その離れは、ここまで以上に五邑の風俗が色濃く残されている。ここにこそ『かんばせ』があるからだ。正しくは、この離れの奥にある祠に、である。

 璋璞は小さく息を吸い込んでから、眼を開くと御簾みすを上げて中に入った。



保食うけもち

 


 名を呼ぶと、しとねに横たわっていた娘がふうわりと柔らかく微笑んだ。


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