2 飴


璋璞しょうはく様」



 はかない声で娘は璋璞の名を呼び、吐息をらしながら体を起こそうとする。そんな保食うけもちの様子に璋璞は慌てた。かたわらに寄り、その背に手をかけ動作を助ける。

「ありがとうございます」

 額に玉のような汗を浮かべながらほほを赤くしている乙女に、璋璞は眉根を寄せた。そっと袖口で保食の額の汗をぬぐってから、乙女の頬に指先を当てた。

「熱が高いな。わしが来るからと無理をさせたのではないか?」

「いえ、そんなことは……」

「こんな状態であったならば、儂の来訪など断ってくれてよいのだ、保食。――顔だけでも見られて良かった。此度こたびはもう失礼しよう。ゆっくり休みなさい」

 そう言って立ち上がりかけた璋璞の袖を、保食の華奢な指先がつかんで引きめた。手首につけたふじ色の翡翠ひすいの数珠が、するりと下がる。



「そんな事をおっしゃらないで。――半年に一度しかおいでにならないのに、これでお別れしてしまったら、次の半年後に、生きてお会いできるものか分からないじゃありませんか」



 上気した頬とうるんだ瞳に見つめられ、璋璞はわずかな溜息を零す。眼差まなざしにすがられるまま、その傍らに再び腰を落とした。

「無理を押して苦しませるのは儂の本意ではない。お主は朝にとって他に変えが利かぬ命なのだ。それに負担をいたのでは、儂はこうに向ける顔が無くなってしまう」

 璋璞の言葉に、保食は切なげな眼差しを向ける。



「皇の為だけのわたくしなのですか?」



 璋璞の唇が、微かに引き結ばれる。

「――保食」

 その声音に含むものを何と受け取ったか、保食は苦し気にかぶりを横に振るう。

「分かっております。愚かな女のもない我儘わがままと、どうかご放念ほうねん下さいまし。このように脆弱ぜいじゃくな身と生まれたわたくしにとっては、璋璞様とこうしてお逢いできる一時ひとときだけが救いなのです」

「保食」

後生ごしょうです。どうか、璋璞様の御前おんまえでだけは、ただ一人の女として存在することをお許し下さい」

 自身の肩にしどけなくこうべを預ける娘の頭頂を見下ろし、璋璞はそっとその肩を引き寄せた。

 自身がいつか、えいしゅうらんりょうに聞かせた言葉が、璋璞自身に深く刺さる。



 ――貴殿方の命はあまりにはかない。我々からすれば、刹那で散る風塵ふうじんごとき物。――共に歩めるつもりで関わるのは、辛く苦しい。



 共に生きられる生まれでも立場でもない。自身からすれば、この娘が生まれてからここまで育つのに有した時はまたたく間である。『色変わり』なき娘が健康でながらえた事のないこのむらであるからこそ、この二十五年、璋璞の関心も余計にこの娘にそそがれたし、結果として、分かちがたい思いをここまで育つに任せてしまった。

 多くは憐憫れんびんなのであろう。あるべきではない事を望むというこの娘をそれでも押しやる事ができないのは、自身の甘さと弱さに他ならない。



 ――いや、憐憫だと、そう思い込みたいのかも知れぬ。



 璋璞は保食の体をゆっくりと放すと、柔らかく微笑みながらふところから小さな布の包みを取り出した。

「以前、約束したものだ」

 保食が受け取り包みを開くと、内からは個別に紙に包まれたいくつかの小さなものがころがり出て来た。薄紙うすがみの内側には、薄桃、白、黄、青、赤などの色がまだらとなって透けて見える。

 保食の瞳に、かすかな光が揺れる。

「これが、あの時おっしゃっていたあめなのですね。外から見るだけでもとても綺麗」

わずかだが、薬の服用後の苦みをやわらげよう。こんな事しかしてやれないが、お主の身を案じている事だけは、どうか忘れてくれるな」

 璋璞の言葉の裏には、保食の身に何かあれば、白玉はくぎょく継承が大きくあやぶまれるのだという打ち消しがたい事実がふくまれている。純粋にこの娘の身を案じている訳ではない。璋璞の立場上、それは当然の事であったし、このさとい娘もそう承知している。

 互いに想いを込めてからめ合う眼差まなざしの内に心はける。そこに、本意の齟齬そごなど、起こり得るはずもない。



 そんな事は、わかっている。

 重ねた二十五年というのは、決して短い時間ではないのだ。



 保食はてのひらに乗せられた色取り取りの耀かがやきに目を落としながら、少し涙ぐんで見せた。

「ありがとうございます。大切にいただきますね」

「あまり長くは置いておかないように。溶けてしまう前に食べるんだよ」

「はい」

 小首をかしげて、華やいだ笑みを浮かべた娘が――璋璞にはまぶしかった。



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