急章

序文

序文 壱 火山湖



 ――その夜、浜に降りる人影があった。

 白砂に足を取られながら、静かに影は進んでいく。無言で歩む素足の下では薄い貝殻が割れ、ぱきり、と小さな悲鳴を上げた。

 その諸手もろてには、小さく白くほのあわい物が大切に乗せられていて、ふるふると揺れていた。てのひらは少なからず強張こわばり、それが掌の主にとって、とても重要な物である事を示していた。



 少し離れた場所から、長い白髪の主が自身の名を呼ぶのが聞こえた。振り返った。じょえんだ。隣にはぼくらんもいる。

 葬送の許可をくれたが、一人では行かせられないと言って付いてきてくれた。貴方が悪い訳ではないでしょうと、二人でそう声を掛けてくれた。二人に小さくうなずいて見せてから、再び前を向いた。

 彼等もまた、本当に、愛しい大切な子達だ。

 素足で、水の中にちゃぷりと踏み入る。少しだけ息をむ。そこはまるで――胎内のように、ぬるい。



 瓊高臼にこううす山の山頂は、大きな火山かざんになっている。



 静かに、ゆっくりと、その生温かい水の中を進みゆく。膝までがすっかりかってしまっている。とろりと、まとわりつくように肌にからむ。

 ゆっくりと、視線を下に落とす。



 見下ろす湖の底深くには、青いそらと、まるで瓊高臼のようなすその広い山が揺蕩たゆたっている。火山湖があるのまでそっくりだ。まるで、天球の彼方かなたから自身がいる場所を見下ろしているような――そんな景色がそこには広がっている。



 だが――とも思う。

 だが、こちらの天は青くない。

 だから、あれは別天地なのだろう。

 恐らくは、あの天に浮かぶ青い大き星のような。



 吐息を漏らす。――視線を、手元に戻す。



 じっとてのひらの物を見つめる。ふるふると揺れる中に、更に小さな、ほのあかるい勾玉たまのような何かがうずもれていた。影は、そっと静かに掌を水中に沈める。仄明るい物は、掌からそっと離れて、ふわりと海月くらげのように水中に浮かんだ。

 ふわり、ふわりと、波の狭間に紛れていく。



 ――ごめんね。

 ごめん。ごめんなさい。

 ちゃんとこの世に送り出してあげられなくて、本当に本当にごめんなさい。



 うみの底へと、別天地のそらへと沈んで行く命に、ばたばたと涙が降りかかる。これで一体何度目になるだろうか。こうなる度に、一人、あの昊への葬送を繰り返した。


 どうして。どうしてかな。

 どうして駄目なんだろう。何がいけなかったのかな。

 教えて。お願いだから、誰か。



 誰か、僕に教えて。



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