10 箍、外れる
無言のまま並ぶ二人の
そこに横たわる空気に、質量があるのだ。
溜息が漏れそうになる。その空気の上では、もうすでに何も隠せていない気がする。その存在の手触りがあまりに確かすぎるのだ。少なくとも、
だのに、当の
憎たらしい。
本当に、この男はなんて憎らしいのか。
「右将軍だからという理由で拒まないのは、お
ぽつり、そう問うと、
「俺は、いやなんだろうな。きっと」
「
「何も。ただそのままでいてほしい」
さわり、と風が流れる。
「
「無理ですよ。無理言わないで下さい。あなたと違って、あたし短命なんですから」
「――そうだな。お主の言う通りだ」
璋璞の頬に自嘲の笑みが浮かぶ。
「以前、
「璋璞様」
「お前を、失いたくないんだ」
再び一陣の風が流れた。残り僅かな桜が散り行く。
ぎゅ、と保食は唇を噛み締める。
「――でもそれは、あたしが
「そうだな……俺は、残酷な事を望んでいるな」
璋璞の手が保食のそれに伸ばされた。熱の籠る手を、保食は拒まなかった。
「璋璞様は、身勝手です」
「そうだな。俺は身勝手だ。今宵のお主が常になく素直な物言いをするのと同じくらいに、俺にも率直な心はある。それが身勝手なだけだ」
「もう、お心がそのまま口から出てらっしゃるのでは?」
「夢のなかでくらい、思う事を言うてはいかんか?」
「――構いませんけどね」
と、璋璞が庭先に視点を定めて「ん」と立ち上がった。やや
「どうなさいました?」
「――これは、お主のものではないか?」
璋璞が指先につまんでいるものを見せる。「ああ」と保食の唇から思わず声が漏れた。
それは、保食の翡翠だった。
先日切れた時に集め直しはしたが、どうにも一粒足らなかったのだ。結果的に
「璋璞様が見付けてくださったのですから、それはもう璋璞様のものです。お持ちください」
「そうか。もらって良かったか」
保食は溜息を
一粒きりの翡翠を朱の紐に手早く編み付けて、ぷつり、不要な長さを歯で噛み切った。目の前で吊り下げ確認する。仕上げたのは首飾りだ。ついと立ち上がり、璋璞の首に下げた。
「人にはお見せにならないで下さいましね」
「うむ。そうだな」
じっと、双方見つめ合う。
「――明日にはもう、討伐へ?」
璋璞は、ふいと真顔になった。そして、保食の唇に三指を当てる。
「口に出してはならん。どこに耳があるやも知れん」
真顔のまま、酔漢の取り留めなさで、璋璞は保食の唇を指先で
ぐぅと、胸の内が握り潰されたようだ。
ああ。
これはもう。
腹を――
保食は璋璞の指に手をかけて、自身の唇から放した。
室内の闇が、ふうと濃くなる。
璋璞の
「では、誰にも聞かれぬよう、隠れてしまいましょう」
璋璞は余程深酒させられたらしい。手を引くと大人しくついてきた。奥の間に続く引き戸を開けて、更に深い闇の中へ連れ込むと、ぴしゃりと戸を閉めた。そこで璋璞が保食の手をぐいと引き寄せた。足元が
ぐ、と保食の両肩に武骨な手が置かれる。
「保食――闇の中は、よくない。
ふふ、と保食の笑い声が落ちる。それはどこか悲しいものだった。
「まだ春の夢の内ですよ――過ぎればなかった事になると、そう申し上げましたでしょう?」
保食は指先を上に伸ばし、璋璞の頬に、
「
「ああ、既に黄師の大隊が向かっている」
璋璞の腕が保食の背に回された。きつく引き寄せられる。熱を持った男の手が、薄い襦袢の上から保食の背筋を
焦った。
幾夜となく繰り返した妄念とはまるで違う。
本物の愛撫とは、こんなにも生々しいものなのか。
己からこんな反応が引き摺り出されるなんて、思ってもみなかった。
その過敏さに驚いたのは
保食の髪に触れて、ゆっくりと掻き揚げる。その感触を、まるで指先で舐めるように味わっているのが分かる。保食の眉間に皺が寄せられるが、それも闇の底に
――駄目だ。こんなの
保食は、一度きつく眼を
璋璞の背に回していた腕を外すと、爪先立ちになりながら武人らしい太い
はじめて合わせた唇は、わずかに
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