8 本気


 くぐいは口のを皮肉げにゆがめた。

「――ついに、か」

「ええ。水源汚染が我々の手による事、頭首とうしゅ麻硝ましょうである事とその出身母体、員嶠いんきょうを含む事、第二拠点が旧方丈ほうじょうにある事、さいの関与が疑われている事」

 指を折りつつ、保食うけもちは一気にそれだけの事をまくし立てる。そんな彼女の性急さにあきれながら、鵠はしかし、困惑の表情を浮かべた。これはつまり、保食が羅列られつしたものの数だけ、仙山の事が既に璋璞しょうはく掌中しょうちゅうにぎられている事を意味する。

 全く、楽観できる状態ではない。

「そこまで禁軍につかませているのか」

「ええ。加えて、近く第二拠点へ黄師こうしが進軍するそうよ」

 鵠が皮肉な笑みを浮かべつつ腕を組んで一歩後ずさった。

「保食よ、それは穿うがって読むべきか?」

 途端――保食が鼻白はなじろんだ。



「お前、何年私のやってんだ? 偽報ぎほうだまし討ちを仕掛けているに決まってるだろうが」



 保食の物言いに、鵠は「はっ」と笑った。

「そうでした。――まあどのみち、璋璞の奴が本気で仙山せんざん殲滅せんめつするつもりだという事は間違いなさそうだな」

 保食は小さく首肯して見せる。

「本当なら、あんたには今すぐにでも第二にってもらうべき場面なんだろうけど、あんた、一応めんが割れてるからさ。わざわざ急に姿を消して事を荒立てるような怪しい真似して見せる必要もないでしょ。浩宇こううが疑われている以上軽率に鳥も使えないしね。あたしは時間が許す限り、璋璞しょうはくに探りを入れる事にするわ」

 その言葉にしばらく沈黙してから、鵠は顔を上げた。

「保食――爺は、お前に助かれと、その情報を与えたんじゃないのか」

「そうね」

 思わず――持ち上げかけた手を、鵠はなかばでめた。持てあましたそれを、ぐっと握りしめ、ゆっくりと下にろす。

「お前は、もう、動く必要ないんじゃないか?」

 つ、と保食の柳眉りゅうびけわしくなる。

「――それはどういう意味?」

 終に、鵠が「ち」と舌を打ち鳴らした。

「わかってんだろ。もういい加減、無理に自分をいためつけるような事をしなくてもいいだろうがって事だ」

「苦しくてつらいから他人に下駄げたあずけろって? そりゃもう仙山の兵じゃないだろ。あたしに仙山抜けろってことか?」

「お前っ!」

 鵠は苦し気に保食の肩を拳で軽くたたいた。ふみを握りしめた手だ。

「お前は、どうしてそう――いつまでも一人で重荷を背負い続けようとするんだ」

 保食は――黙ったまま、自らの肩に置かれた男のこぶしを見た。



「仕方ないじゃない。たくさんの人に、たくさんのものを失わせたんだもの。あたしだけ、今更いちけたはできないのよ」



 「はっ」と吐き捨てるようなわらいと共に、今度こそ鵠は保食の両肩りょうけんつかんだ。

「なあ、保食。俺にだってわかるさ。あの爺は、本当はもう、とっくにお前に落ちてる。このまま大人しくここにとどまって、宮中に引き取られて爺に囲われるのを待てよ。万一事をしくじっても、どうせ選ばれるのはあまてらすの娘の方だ。ありがたいことに器としての精度じゃ、そもそもお前に勝ち目はねぇんだよ。――お前が命じてくれさえすれば、作戦の肩代わりなんか俺とすいどろでやり切れるだろうが」

 と、今度は保食がくつくつとおかしそうに嗤いをこぼした。

「おい、保食お前」

 ぎらりと、硝子ガラスまなこが激しく光った。



「なあくぐい。お前、宮中に運ばれた『色変わり』しない女が、平穏無事に生きられると本気で思ってんのか?」



「――それは」

員嶠いんきょうから回収されたりょ千鶴せんかくが、一体何人の方丈ほうじょうの男の子供を産まされた? お前はっ!」

 保食は鵠の腕を振り払った。

「あたしに、その二の舞になれっていうのか? 産めない事がバレて廃棄はいきされるまで?」

「だから! それももう終わる事だろうが!」

「そんな事は確定してから言え馬鹿野郎‼」

「――う、保食」

「ふざけんなよ畜生っ……あの璋璞しょうはくが、如艶じょえんを見捨てると思うんか⁉ 事が終わればそれでしとあたしを囲ってのうのうと生き恥をさらすような奴だと本気で思ってんのか⁉ あれはそんな武人じゃねぇわ‼」

 苦渋に満ちた、見た事もないような保食の表情に、鵠は胸を射られた。ややあって、保食は引きったような笑みを浮かべた。

璋璞しょうはくがいう宮中にってのはそういう意味だ! それ以上でもそれ以下でもない! ふくみなんかない‼」

「保食……」

「そんな中途半端な男じゃないんだよ、あの男はっ……! あたしみたいに兵なのか器なのかはっきりしないようなもんとは違うんだ‼」

 自嘲交じりにすら聞こえた保食の叫びに、くぐいは顔をしかめる。

「なあ。――お前、おまえ、璋璞しょうはくに」

「――なによ」



「そこまで、本気なのかよ」



 二人の間に――沈黙が落ちた。

 苦い。ひどく苦い物がくぐいの口中にまとわりついている。

 と、次の瞬間。ずあっ、と、一陣の風が御簾みすをゆらした。風は、次いで二人の髪を乱してゆく。そして、わずかな名残だけを置いてまたたく間に消えた。鵠の頬は、失笑でゆがんだ。

 酷い話だ。風までもてあそびやがる。

 そんな鵠の顔を見てか見ないでか――保食は、うつむけていた顔を髪の隙間からのぞかせて、ゆっくりと微笑んだ。あたかも、満開の藤の花房が下がる様に。



「あんたがそこまで野暮天やぼてんだとも思わなかったわ」



 今度こそ、ふっつりと、鵠の内で何かが途切れる音がした。

「――だったら尚更じゃねぇか。保食。お前、本当にそれでいいのか」

 低い鵠の声に、保食も顔をしかめる。

「それでって?」

 鵠は舌打ちする。

「皆まで言わせるな! 言っただろうが、爺もとっくにお前に落ちてるって。お前がその気になりゃ話は終わったも同然なんだよ。策が成功すれば『妻問い』だってなくなる。何よりそれで器を絶対に回避できるじゃねぇか。――お前の命をお前より俺が惜しんでてどうするよ!」

「――そりゃどうも」

茶化ちゃかすな!」

 ぐい、と鵠が保食の手首をつかんだ。途端とたん、ぶつりと音を立てて数珠じゅずが切れた。ばらばらといやな音を立てて玉がえんはじける。ねた数粒が勢いあまって、庭へと転がり落ちた。

 保食は溜息をいて、まぶたせた。

「くぐい」

「保食」

「――鵠。放せ。石を拾う。失くしてしまう」

「保食。ちゃんと話を聞け。ちゃんと俺を見ろ」

 言い終わるや否や、保食は、真正面から鵠の眼を見据えた。そのあまりの直向ひたむきさに、かえって鵠が戸惑う程だった。

「見てる。ずっと見てきたし、聞いてきたよ。その答えがこれだって言ってんの。お願いだから分かってよ」

「分かってるさ! だから相手は俺じゃなくていいって言ってるだろうが! 頼むから本気で生き延びる最善策を考えてくれよ!」

「放して」

「いやだ」

「放せ」

「厭だ! お前が腹をくくるまで放さん‼」



「鵠、だめだよ」



 庭先から突如届いたその声に、二人ともびくりと顔を上げた。声が発せられたと思しきかたに二人そろって顔を向けていると、ややあって、水泥が音もなく姿を現した。

 「はぁ」と鵠の唇から安堵あんどの吐息がこぼれる。

「お前、おどかすな」

「鵠」

 水泥は、真顔で鵠を見詰める。「ああ」と鵠は頭を掻いてくびを横に振った。

「分かってるよ。冷静になれんかった。頭冷やしてくる」

「だめ。逃げないの。君のせいで千切れたんだから、石、ひろって」

「――ああ」

 舌打ちしながらも、鵠は大人しく濡れ縁から庭へと降りた。


 考えずとも、それは、実に不思議な光景だった。


 大の男が二人、そろって庭先にうずくまって藤色の石を探している。その姿はいっそ滑稽こっけいを越えて感動的ですらあった。

 保食は、濡れ縁に腰を下ろして足組みした。ぼうっとその様をながめる。なんだかやけに気が抜けた。


「――ねえ、鵠」

 声を発した水泥に、

「なんだよ」

 と、鵠がいやそうにいらえる。その背は必要以上に丸められている。流石にばつが悪いのだろう。

「ぼくだって、厭なんだよ。保食が器にられるのは」

「ああ」

「だから、ぼくがにえになるんでしょ」

「――ああ」

「贄のことは、ほんとうは言っちゃいけないんだけど、君だから話してる。意味わかってるよね」

「……すまん」

「これじゃ、後を安心して任せられないよ」

「だから、うん。すまん」 

「保食にだって、誰と交合こうごうするかは選ぶ権利があるはずだよね」

「……お前は、璋璞しょうはくと違って単刀直入でいいな」

「逆に、誰とも交合しないことを選ぶ自由もあるはずだよね」

「命が掛かっててもか」

「かかってるから、尚更」

 保食は呆れたように溜息をいた。

「――お前等、仮にも当人の目の前で目合まぐわいするしないを勝手に語んなよ。もう少し配慮しろ」

 二人は顔を上げて保食を見ると、やおら立ち上がった。歩み寄った水泥が、にこりと笑って保食に「手をだして」とささやいた。

 保食が両の掌を差し出すと、そこにばらばらと翡翠ひすいを落した。いで、鵠も保食の掌に同じ物を落としてゆく。

「――すまん、保食」

「もういいよ」

 保食はそれから水泥に目を向けた。

「ごめん、水麒すいき。――ごめん」

 水泥は柔らかく微笑んでから、小さく溜息を吐いた。

「ごめんはいらない。おれはね、保食に、ほんとうの自由をあげるためにいるんだよ。それは、おれが決めた事なんだ」


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