わしはらだちまぎれじゃ、やみと急いで、それからどんどん山のすそ田圃たんぼみちへかかる。

 半町ばかりくと、みちう急に高くなって、のぼりが一ケ処、横からく見えた、ゆみなりまるで土でちよく使ばしがかかってるような。上を見ながら、これへ足をふみけた時、以前のくすりうりがすたすた遣って来ておいいたが。

 別に言葉もかわさず、又ものをいったからというて、返事をする気は此方こつちにもない。何処どこまでも人をしのいだうちな薬売は流眄しりめにかけてわざとらしゅうわしとおりして、すたすた前へ出て、ぬっとやまのようなみちとつさき蝙蝠こうもりがさを差して立ったが、そのままむこうへ下りて見えなくなる。

 そのあとからつまさきあがり、やがてまたたいどうのような路のうえへ体が乗った、それなりに又くだりじゃ。

 売薬は先へりたがたちどまってしきり四辺あたりみまわしてる様子、しゆうねんぶかなにたくんだかと、快からず続いたが、さてよく見るとさいがあるわい。

 路はふたすじになって、いちじようはこれからすぐに坂になって上りも急なり、草も両方からおいしげったのが、みちばたかどところにある、それこそかかえ、そうさな、いつかかえもあろうという一本のひのきの、背後うしろうねってきりしたようなおおいわが二ツ三ツ四ツと並んで、上のほうかさなって背後うしろへ通じてるが、わしが見当をつけて、こころんだのは此方こつちではないので、やつぱり今まで歩行あるいて来たはばの広いなだらかなほうまさしくほんどう、あと二里足らずけば山になって、それからが峠になるはず

 ると、うしたことかさ、今いうその檜じゃが、らになんにもない路をよこってはてのつかぬ田圃たんぼなかそらへ虹のようにつきる、見事な。がたところの土がくずれておおうなぎねたような根がいくすじともなくあらわれた、その根から一筋の水がさつと落ちて、うえへ流れるのが、取って進もうとする道のまんなかながれしてあたりは一面。

 田圃が湖にならぬが不思議で、どうどうとになって、前途ゆくてひとむらやぶが見える、それさかいにしておよそ二町ばかりのあいだまるで川じゃ。こいしはばらばら、とびいしのようにひょいひょいとおおまたで伝えそうにずっと見ごたえのあるのが、それでも人の手で並べたに違いはない。

 尤も衣服きものを脱いで渡るほどのだいなのではないが、ほんかいどうにはなん過ぎて、なかなか馬などが歩行あるかれる訳のものではないので。

 売薬もこれでまよったのであろうと思う内、きれはなれよくむきを変えて右の坂をすたすたとのぼりはじめた。見るに檜をうしろくぐけると、わしが体の上あたりへ出て下を向き、

(おいおい、まつもとへ出る路は此方こつちだよ、)といって無雑作にまた五六歩。

 岩の頭へ半身をのりして、

茫然ぼんやりしてると、木精こだまさらうぜ、昼間だって容赦はねえよ。)とあざけるが如く言いてたが、やがて岩の陰に入って高い処の草に隠れた。

 しばらくすると見上げるほどなあたりへ蝙蝠傘の先が出たが、木の枝とすれすれになってしげみの中に見えなくなった。

(どッこいしょ、)とのんなかけ声で、ながれの石の上をとびとびつたって来たのは、しりあてをした、なんにもつけないてんびんぼうを片手でかついだ百姓じゃ。」

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