二十四
私がこういう孤独と共に失恋に苦しめられている際に、又もう一つ悲しい事件が起こりました。というのは外でもなく、郷里の母が
危篤だという電報が来たのは、浜田に会った翌々日の朝のことで、私はそれを会社で受け取ると、すぐその足で上野へ駆けつけ、日の暮れ方に田舎の家へ着きましたが、もうその時は、母は意識を失っていて、私を見ても分らないらしく、それから二三時間の後に息を引き取ってしまいました。幼い折に父を失い、母の手一つで育った私は、「親を失う悲しみ」というものを初めて経験した訳です。
その母親にこうも急激に、思いがけなく死なれた私は、
この大いなる悲しみが、何か私を
が、会社へ行っても一向面白くありません。それに社内での私の気受けも、前ほど良くありません。
会社が済むと、私はやはりナオミに
寝室というのは、例の屋根裏の部屋のことで、そこには今でも彼女の荷物が置いてあり、過去五年間の不秩序、
母が死んでから三週間過ぎて、その年の十二月にはいってから、私は
すると、十二月の半ばの、或る日曜の朝でした。私が二階に寝ていると、(私はその頃、アトリエでは寒くなって来たので再び屋根裏へ引っ越していました)階下で何かがさがさという物音がして、人のけはいがするのです。ハテ、おかしいな、表は戸締まりがしてあるはずだが、………と、そう思っているうちに、やがて聞き覚えのある足音がして、それがずかずか階段を上って、私が胸をヒヤリとさせる暇もなく、
「今日はア」
と、晴れやかな声で言いながら、いきなり鼻先のドーアを開けて、ナオミが私の眼の前に立ちました。
「今日はア」
と、彼女はもう一度そう言って、キョトンとした顔で私を見ました。
「何しに来た」
私は寝床から起きようともしないで、静かに、冷淡にそう言いました。よくもずうずうしく来られたものだと心のうちでは
「あたし?───荷物を取りに来たのよ」
「荷物は持って行ってもいいが、お前、どこからはいって来たんだ」
「表の戸から。───あたしン所に
「じゃあその鍵を置いて行っておくれ」
「ええ、置いて行くわ」
それから私は、ぐるりと彼女に背中を向けて黙っていました。
私は何より、彼女の素足を見せられるのが一番強い誘惑なので、なるべくそちらを見ないようにはしましたけれど、それでもちょいちょい眼を向けないではいられませんでした。彼女も無論それを意識してやっているので、わざとその足を
「さよならア」
と言いながら、戸口の方へ風呂敷包みを引き
「おい、鍵を置いて行かないか」
と、私はその時始めて声をかけました。
「あ、そうそう」
と彼女は言って、手提袋から鍵を出して、
「じゃ、ここへ置いて行くわよ。───だけどもあたし、とても一遍じゃ荷物が運びきれないから、もう一度来るかも知れないわよ」
「来ないでもいい、
「浅草へ届けられちゃ困るわ、少し都合があるんだから。───」
「そんならどこへ届けたらいいんだ」
「どこッてあたし、まだ
「今月中に取りに来なけりゃ、己は構わず浅草の方へ届けるからな、───そういつまでもお前の物を置いとく訳には行かないんだから」
「ええ、いいわ、じき取りに来るわ」
「それから、断わって置くけれど、一遍で運びきれるように車でも持って、使いの者を
「そう、───じゃ、そうします」
そして彼女は出て行きました。
これで安心と思っていると、二三日過ぎた晩の九時頃、私がアトリエで夕刊を読んでいる時、又ガタリという音がして、表のドーアへ誰かが鍵を挿し込みました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます