十九
ナオミがどうしても子供を生むのが
国の方からは取り
と、為替と同封の母の手でそう言って来ました。
ナオミは私が内々何か
「ねえ、譲治さん、あたし、洋服が欲しいんだけれど、
と、彼女は突然、甘ったれるような、そのくせ変に冷やかすような、
「洋服?」
私は
「ねえ、いいじゃないの、洋服でなけりゃ和服でもいいわ。冬の
「僕は当分そんな物は買ってやらんよ」
「どうしてなの?」
「着物は腐るほどあるじゃないか」
「腐るほどあったって、飽きちゃったから又欲しいんだわ」
「そんな
「へえ、じゃ、あのお金は何に使うの?」
とうとう来たな! 私はそう思って
「お金? どこにそんなものがあるんだ?」
「譲治さん、あたし、あの本箱の下にあった書留の手紙見たのよ。譲治さんだって人の手紙勝手に見るから、そのくらいな事をあたしがしたっていいだろうと思って、───」
これは私には意外でした。ナオミが金のことを言うのは、書留が来たから為替がはいっていたのだろうと見当をつけているだけなので、まさか私があの本箱の下に隠した手紙の中味を見ていようとは、全く予期していなかったのです。が、ナオミはどうかして私の秘密を
「あんなにお金が沢山あるのに、あたしに着物の一枚ぐらい拵えてくれてもいいと思うわ。───ねえ、あなたはいつか何と言って? お前のためならどんな狭苦しい家に住んでも、どんな不自由でも我慢をする。そうしてそのお金でお前に出来るだけ贅沢をさせるって、そう言ったのを忘れちまったの? まるであなたはあの時分とは違っているのね」
「僕がお前を愛する心に変わりはないんだ、ただ愛し方が変わっただけなんだ」
「じゃ、引っ越しのことはなぜあたしに隠していたの? 人には何も相談しないで、命令的にやる積りなの?」
「そりゃ、適当な家が見付かった上で、無論お前にも相談する積りでいたんだ。………」
そう言いかけて、私は調子を和げて、なだめるように説き聞かせました。
「ねえ、ナオミ、僕はほんとうの気持を言うと、今でもやっぱりお前に贅沢をさせたいんだよ。着物ばかりの贅沢でなく、家も相当の家に住まって、お前の生活全体を、もっと立派な奥さんらしく向上させてやりたいんだよ。だからなんにも不平を言うところはないじゃないか」
「そうお、そりゃどうも有りがと、………」
「何なら明日、僕と一緒に借家を捜しに行ったらどうだね。ここよりもっと間数があって、お前の気に入った家でさえありゃどこでもいいんだ」
「それならあたし、西洋館にして頂戴、日本の家は真っ平御免よ。───」
私が返辞に困っている間に、「それ見たことか」という顔つきで、ナオミは
「女中もあたし、浅草の家へ頼みますから、そんな田舎の山出しなんか断って頂戴、あたしが使う女中なんだから」
こういういさかいが度重なるに従って、二人の間の低気圧はだんだん濃くなってきました。そして一日口をきかないようなこともしばしばでしたが、それが最後に爆発したのは、ちょうど鎌倉を引き払ってから二箇月の後、十一月の初旬のことで、ナオミが
これを発見するまでのいきさつに就いては、別段ここにそう
その日の朝、私はナオミの化粧の仕方がいつもより派手であるのに疑いを抱き、家を出るなりすぐ引っ返して、裏口にある物置小屋の炭俵の
帰りもやはり別々で、今度は熊谷が居残ったらしく、一と足先にナオミの姿が往来へ現われたのは、かれこれ十一時頃でした。───私はほとんど一時間半も曙楼の近所をうろうろしていた訳です。───彼女は来た時と同じように、そこから十丁余りある自分の家まで、
はいった
「出て行け!」
たった一言、自分の耳ががんとするほど怒鳴ったきり、私も二の句が継げなければナオミも何とも返辞をしません。二人はあたかも白刃を抜いて立ち向かった者がピタリと
「出て行け!」
と、私はもう一度叫ぶや否や、何とも知れない憎さと恐ろしさと美しさに駆り立てられつつ、夢中で彼女の肩を
「出て行け! さあ! 出て行けったら!」
「堪忍して! 譲治さん! もう今度ッから、………」
ナオミの表情は
「譲治さん、悪かったから
こんなに
「畜生! 犬!
と、ナオミは
「じゃあ出て行くわ」
と、まるで不断の通りの口調でそう言いました。
「よし! すぐに出て行け!」
「ええ、すぐ行くわ、───二階へ行って、着換えを持って行っちゃあいけない?」
「貴様はこれからすぐに帰って、使いを
「だってあたし、それじゃ困るわ、今すぐいろいろ入用なものがあるんだから。───」
「じゃ勝手にしろ、早くしないと承知しないぞ!」
私はナオミが今すぐ荷物を運ぶと言うのを一種の威嚇と見て取ったので負けない気でそう言ってやると、彼女は二階へ上がって行って、そこらじゅうをガタピシと引っ
「では、御機嫌よう、どうも長々御厄介になりました。───」
と、出て行くときにそう言った彼女の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます