四
ナオミがしきりに「鎌倉へ連れてッてよう!」とねだるので、ほんの二三日の滞在のつもりで出かけたのは八月の初め頃でした。
「なぜ二三日でなけりゃいけないの? 行くなら十日か一週間ぐらい行っていなけりゃ詰まらないわ」
彼女はそう言って、出がけにちょっと不平そうな顔をしましたが、何分私は会社の方が忙がしいという口実の下に郷里を引き揚げて来たのですから、それがバレると母親の手前、少し工合が悪いのでした。が、そんなことを言うとかえって彼女が肩身の狭い思いをするであろうと察して、
「ま、今年は二三日で我慢をしてお置き、来年はどこか変わったところへゆっくり連れて行って上げるから。───ね、いいじゃないか」
「だって、たった二三日じゃあ」
「そりゃそうだけれども、泳ぎたけりゃ帰って来てから、大森の海岸で泳げばいいじゃないか」
「あんな汚い海で泳げはしないわ」
「そんな分らないことを言うもんじゃないよ、ね、いい児だからそうおし、その代り何か着物を買ってやるから。───そう、そう、お前は洋服が欲しいと言っていたじゃないか、だから洋服を
その「洋服」というえさに釣られて、彼女はやっと納得が行ったのでした。
鎌倉では
で、私たちは三橋にしようか、思い切って
宿には若い学生たちが大勢がやがや泊まっていて、とても落着いてはいられないので、私たちは毎日浜でばかり暮らしました。お
「あたしどうしてもこの夏中に泳ぎを覚えてしまわなくっちゃ」
と、私の腕にしがみ着いて、盛んにぼちゃぼちゃ浅い所で暴れ
O dolce Napoli,
O soul beato,
と、
こういう経験は、若い時代には誰でも一度あることでしょうが、私に取っては実にその時が始めてでした。私は電気の技師であって、文学だとか芸術だとかいうものには縁の薄い方でしたから、小説などを手にすることはめったになかったのですけれども、その時思い出したのは
いや、そればかりではありません。実を言うとその三日間は更にもう一つ大切な発見を、私に与えてくれたのでした。私は今までナオミと一緒に住んでいながら、彼女がどんな体つきをしているか、露骨に言えばその素裸な肉体の姿を知り得る機会がなかったのに、それが今度はほんとうによく分ったのです。彼女が始めて
「ナオミよ、ナオミよ、私のメリー・ピクフォードよ、お前は何という釣合の取れた、いい体つきをしているのだ。お前のそのしなやかな腕はどうだ。その真っ直ぐな、まるで男の子のようにすっきりとした脚はどうだ」
と、私は思わず心の中で叫びました。そして映画でお
誰しも自分の女房の体のことなどを余り
「ナオミちゃん、ちょいとケラーマンの真似をして御覧」
と、私が言うと、彼女は
「どう? 譲治さん、あたしの脚は曲がっていない?」
と言いながら、歩いて見たり、立ち止まって見たり、砂の上へぐっと伸ばして見たりして、自分でもその
それからもう一つナオミの体の特長は、頸から肩へかけての線でした。肩、………私はしばしば彼女の肩へ触れる機会があったのです。というのは、ナオミはいつも海水服を着るときに、「譲治さん、ちょいとこれを
「ナオミちゃん、少うしじッとしておいでよ、そう動いちゃボタンが固くって篏まりゃしない」
と言いながら、私は海水服の端を
こういう体格を持っていた彼女が、運動好きで、お
「あーあ、お腹が減っちゃった」
と、ぐったり椅子に体を投げ出す。どうかすると、晩飯を炊くのが面倒なので、帰り
あの歳の夏の、楽しかった思い出を書き記したら際限がありませんからこのくらいにして置きますが、最後に一つ書き
「さあ、ナオミちゃん、そのまんま寝ちまっちゃ身体がべたべたして仕様がないよ。洗ってやるからこの
と、そう言うと、彼女は、言われるままになっておとなしく私に洗わせていました。それがだんだん癖になって、すずしい秋の季節が来ても行水は止まず、もうしまいにはアトリエの隅に西洋
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