五
察しのいい読者のうちには、既に前回の話の間に、私とナオミが友達以上の関係を結んだかのように想像する人があるでしょう。が、事実そうではなかったのです。それはなるほど月日の立つに
さよう、私とナオミが始めてそういう関係になったのはその明くる年、ナオミが取って十六歳の年の春、四月の二十六日でした。───と、そうハッキリと覚えているのは、実はその時分、いやずっとその以前、あの行水を使い出した頃から、私は毎日ナオミに就いていろいろ興味を感じたことを日記に附けて置いたからです。全くあの頃のナオミは、その体つきが一日々々と女らしく、際立って育って行きましたから、ちょうど赤子を産んだ親が「始めて笑う」とか「初めて口をきく」とかいう風に、その子供の生い立ちのさまを書き留めて置くのと同じような心持で、私は一々自分の注意を
「夜の八時に行水を使わせる。海水浴で日に焼けたのがまだ直らない。ちょうど海水着を着ていたところだけが白くて、あとが真っ黒で、私もそうだがナオミは生地が白いから、余計カッキリと眼について、裸でいても海水着を着ているようだ。お前の体は
それから一と月ばかり立って、十月十七日の条には、
「日に焼けたり皮が
次に十一月の五日───
「今夜始めて西洋風呂を使って見る。
そうです。この「ベビーさん」と「パパさん」とはそれから後もしばしば出ました。ナオミが何かをねだったり、だだを
「ナオミの成長」───と、その日記にはそういう標題が附いていました。ですからそれを言うまでもなく、ナオミに関した事柄ばかりを記したもので、やがて私は写真機を買い、いよいよメリー・ピクフォードに似て来る彼女の顔をさまざまな光線や角度から映し撮っては、記事の間のところどころへ貼りつけたりしました。
日記のことで話が横道へ
「譲治さん、きっとあたしを捨てないでね」
と言いました。
「捨てるなんて、───そんなことは決してないから安心おしよ。ナオミちゃんには僕の心がよく分っているだろうが、………」
「ええ、そりゃ分っているけれど、………」
「じゃ、いつから分っていた?」
「さあ、いつからだか、………」
「僕がお前を引き取って世話すると言った時に、ナオミちゃんは僕をどういう風に思った?───お前を立派な者にして、行く行くお前と結婚するつもりじゃないかと、そういう風に思わなかった?」
「そりゃ、そういう積りなのかしらと思ったけれど、………」
「じゃナオミちゃんも僕の奥さんになってもいい気で来てくれたんだね」
そして私は彼女の返事を待つまでもなく、力一杯彼女を強く抱きしめながらつづけました。───
「ありがとよ、ナオミちゃん、ほんとにありがと、よく分っていてくれた。………僕は今こそ正直なことを言うけれど、お前がこんなに、………こんなにまで僕の理想にかなった女になってくれようとは思わなかった。僕は運がよかったんだ。僕は一生お前を可愛がって上げるよ。………お前ばかりを。………世間によくある夫婦のようにお前を決して粗末にはしないよ。ほんとに僕はお前のために生きているんだと思っておくれ。お前の望みは何でもきっと聴いて上げるから、お前ももっと学問をして立派な人になっておくれ。………」
「ええ、あたし一生懸命勉強しますわ、そしてほんとに譲治さんの気に入るような女になるわ、きっと………」
ナオミの眼には涙が流れていましたが、いつか私も泣いていました。そして二人はその晩じゅう、行くすえのことを飽かずに語り明かしました。
それから間もなく、土曜の午後から日曜へかけて郷里へ帰り、母に始めてナオミのことを打ち明けました。これは一つには、ナオミが国の方の思わくを心配している様子でしたから、彼女に安心を与えるためと、私としても公明正大に事件を運びたかったので、出来るだけ母への報告を急いだ訳でした。私は私の「結婚」に就いての考えを正直に述べ、どういう訳でナオミを妻に持ちたいのか、年寄にもよく納得が行くように理由を説いて聞かせました。母は前から私の性格を理解しており、信用していてくれたので、
「お前がそういうつもりならその
と、ただそう言っただけでした。で、おおびらの結婚は二三年先の事にしても、籍だけは早くこちらへ入れて置きたいと思ったので、千束町の方にもすぐ掛け合いましたが、これはもともと
そうなってから、私とナオミとの親密さが急速度に展開したのはいうまでもありません。まだ世間で知る者もなく、うわべはやはり友達のようにしていましたが、もう私たちは誰に
「ねえ、ナオミちゃん」
と、私は
「僕とお前はこれから先も友達みたいに暮らそうじゃないか、いつまで立っても。───」
「じゃいつまで立ってもあたしのことを『ナオミちゃん』と呼んでくれる?」
「そりゃそうさ、それとも『奥さん』と呼んであげようか?」
「いやだわ、あたし、───」
「そうでなけりゃ『ナオミさん』にしようか?」
「さんはいやだわ、やっぱりちゃんの方がいいわ、あたしがさんにして
「そうすると僕も永久に『譲治さん』だね」
「そりゃそうだわ、外に呼び方はありゃしないもの」
ナオミはソォファへ
「ねえ、譲治さん」と、そう言って、両手をひろげて、その花の代りに私の首を抱きしめました。
「僕の可愛いナオミちゃん」と私は息が
「僕の可愛いナオミちゃん、僕はお前を愛しているばかりじゃない、ほんとうを言えばお前を崇拝しているのだよ。お前は僕の宝物だ、僕が自分で見つけ出して
「いいわ、そんなにしてくれないでも。そんな事よりか、あたし英語と音楽をもっとほんとに勉強するわ」
「ああ、勉強おし、勉強おし、もうすぐピアノも買って上げるから。そうして西洋人の前へ出ても恥ずかしくないようなレディーにおなり、お前ならきっとなれるから」
───この「西洋人の前へ出ても」とか、「西洋人のように」とか言う言葉を、私はたびたび使ったものです。彼女もそれを喜んだことは
「どう? こうやるとあたしの顔は西洋人のように見えない?」
などと言いながら鏡の前でいろいろ表情をやって見せる。活動写真を見る時に彼女は余程女優の動作に注意を配っているらしく、ピクフォードはこういう笑い方をするとか、ピナ・メニケリはこんな工合に眼を使うとか、ジェラルディン・ファーラーはいつも頭をこういう風に束ねているとか、もうしまいには夢中になって、髪の毛までもバラバラに解かしてしまって、それをさまざまの形にしながら真似るのですが、瞬間的にそういう女優の癖や感じを
「
「そうかしら、どこが全体似ているのかしら?」
「その鼻つきと歯ならびのせいだよ」
「ああ、この歯?」
そして彼女は「いー」と言うように唇をひろげて、その歯並びを鏡へ映して眺めるのでした。それはほんとに粒の揃った非常につやのある
「何しろお前は日本人離れがしているんだから、普通の日本の着物を着たんじゃ面白くないね。いっそ洋服にしてしまうか、和服にしても一風変わったスタイルにしたらどうだい」
「じゃ、どんなスタイル?」
「これからの女はだんだん
「あたし
「筒ッぽも悪くはないよ、何でもいいから出来るだけ新奇な風をして見るんだよ。日本ともつかず、
「あったらあたしに
「ああ拵えて上げるとも、僕はナオミちゃんにいろんな形の服を拵えて、毎日々々取り換え引換え着せて見るようにしたいんだよ。お召だの
こんな話の末に、私たちはよく連れ立って方々の呉服屋や、デパートメント・ストーアへ
「あ、あの裂はどう?」
と叫びながら、すぐその店へはいって行ってその反物をウィンドウから出して来させ、彼女の身体へあてがって見て
近頃でこそ一般の日本の婦人が、オルガンディーや、ジョウゼットや、コットン・ボイルや、ああいうものを
こんな風でしたから、彼女の
これらの沢山な衣裳の多くは突飛な裁ち方になっていましたから、外出の際着られるようなのは、半分ぐらいしかなかったでしょう。中でもナオミが非常に好きで、おりおり戸外へ着て歩いたのに
「何だろうあの女は?」
「女優かしら?」
「
などと言う
が、その着物でさえそんなに人が不思議がったくらいですから、ましてそれ以上に奇抜なものは、いくらナオミが風変わりを好んでも到底戸外へ着て行く訳には行きません。それらは実際ただ部屋の中で、彼女をいろいろな器に入れて眺めるための、
これも何とかいう亜米利加の活動劇の男装からヒントを得て、黒いビロードで拵えさせた三ツ組の背広服などは、恐らく一番金のかかった、
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