白痴
坂口安吾/カクヨム近代文学館
白痴
その家には人間と豚と犬と鶏と
伊沢の借りている一室は母屋から分離した小屋で、ここは昔この家の肺病の息子がねていたそうだが、肺病の豚にも
主人夫婦は仕立屋で町内のお針の先生などもやり(それゆえ肺病の息子を別の小屋へ入れたのだ)町会の役員などもやっている。間借りの娘は元来町会の事務員だったが、町会事務所に寝泊まりしていて町会長と仕立屋を除いた他の役員の全部の者(十数人)と公平に関係を結んだそうで、そのうちの誰かの種を宿したわけだ。そこで町会の役員どもが
この娘は大きな口と大きな二つの眼の玉をつけていて、そのくせひどく
この路地の出口に煙草屋があって、五十五という婆さんが白粉つけて住んでおり、七人めとか八人めとかの情夫を追いだして、その代わりを中年の坊主にしようか、やはり中年の何屋だかにしようかと
ところがその筋向かいの米の配給所の裏手に小金を握った未亡人が住んでいて、兄(職工)と妹と二人の子供があるのだが、この真実の兄弟が夫婦の関係を結んでいる。けれども未亡人は結局その方が安上がりだと黙認しているうちに、兄の方に女ができた。そこで妹の方をかたづける必要があって
このへんは安アパートが林立し、それらの部屋の何分の一かを妾と
伊沢は大学を卒業すると新聞記者になり、つづいて文化映画の演出家(まだ見習いで単独演出したことはない)になった男で、二十七の年齢にくらべれば裏側の人生にいくらか知識はあるはずで、政治家、軍人、実業家、芸人などの内幕に多少の消息は心得ていたが、場末の小工場とアパートにとりかこまれた商店街の生態がこんなものだとは想像もしていなかった。戦争以来人心が
けれども最大の人物は伊沢の隣人であった。
この隣人は気違いだった。相当の資産があり、わざわざ路地のどん底を選んで家を建てたのも気違いの心づかいで、泥棒ないし無用の者の侵入を極度に嫌った結果だろうと思われる。なぜなら、路地のどん底に
気違いは三十前後で、母親があり、二十五、六の女房があった。母親だけは正気の人間の部類に属しているはずだという話であったが、強度のヒステリーで、配給に不服があると
ある日この路地で防空演習があってオカミさんたちが活躍していると、着流し姿でゲタゲタ笑いながら見物していたのがこの男で、そのうちにわかに防空服装に着かえて現われて一人のバケツをひったくったかと思うと、エイとか、ヤーとか、ホーホーという数種類の奇妙な声をかけて水を
だが、気違いと常人とどこが違っているというのだ。違っているといえば、気違いの方が常人よりも本質的に慎み深いぐらいのもので、気違いは笑いたい時にゲタゲタ笑い、演説したい時に演説をやり、家鴨に石をぶつけたり、二時間ぐらい豚の顔や尻を突ついていたりする。けれども彼らは本質的にはるかに人目を
白痴の女房は特別静かでおとなしかった。何かおどおどと口の中で言うだけで、その言葉はよくききとれず、言葉のききとれる時でも意味が、ハッキリしなかった。料理も、米を炊くことも知らず、やらせればできるかもしれないが、ヘマをやって怒られるとおどおどしてますますヘマをやるばかり、配給物をとりに行っても自身では何もできず、ただ立っているというだけで、みんな近所の者がしてくれるのだ。気違いの女房ですもの白痴でも当然、その上の欲を言ってはいけますまいと人々が言うが、母親は大の不服で、女が御飯ぐらい炊けなくって、と怒っている。それでも常はたしなみのある品のよい婆さんなのだが、何がさて一方ならぬヒステリーで、狂い出すと気違い以上に
白痴の女も時々豚小屋へやってきた。気違いの方は我が家のごとくに堂々と侵入してきて家鴨に石をぶつけたり豚の
新聞記者だの文化映画の演出家などは
師団長閣下の訓辞を三分間もかかって長々と写す必要がありますか、職工たちの毎朝のノリトのような変テコな唄を一から十まで写す必要があるのですか、と訊いてみると、部長はプイと顔をそむけて舌打ちしてやにわに振り向くと貴重品の煙草をグシャリ灰皿へ押しつぶして睨みつけて、おい、
賤業中の賤業でなくて何物であろうか。ひと思いに兵隊にとられ、考える苦しさから救われるなら、弾丸も飢餓もむしろ太平楽のようにすら思われる時があるほどだった。
伊沢の会社では「ラバウルを
伊沢の情熱は死んでいた。朝目がさめる。今日も会社へ行くのかと思うと
ある晩、おそくなり、ようやく終電にとりつくことのできた伊沢は、すでに私線がなかったので、相当の夜道を歩いて我が家へ戻ってきた。あかりをつけると奇妙に万年床の姿が見えず、留守中誰かが掃除をしたということも、誰かが
深夜に隣人を叩き起こして怯えきった女を返すのもやりにくいことであり、さりとて夜が明けて女を返して一夜泊めたということがいかなる誤解を生みだすか、相手が気違いのことだから想像すらもつかなかった。ままよ、伊沢の心には奇妙な勇気が湧いてきた。その実体は生活上の感情喪失に対する好奇心と
二つの寝床をしき女をねかせて電灯を消して一、二分もしたかと思うと、女は急に起き上がり寝床を脱けでて、部屋のどこか片隅にうずくまっているらしい。それがもし真冬でなければ伊沢は強いてこだわらず眠ったかもしれなかったが、特別寒い夜更けで、一人分の寝床を二人に分割しただけでも外気がじかに肌にせまり身体の
この
伊沢ははじめて了解した。
女は彼を怖れているのではなかったのだ。まるで事態はあべこべだ。女は叱られて逃げ場に窮してそれだけの理由によって来たのではない。伊沢の愛情を目算に入れていたのであった。だがいったい女が伊沢の愛情を信じることが起こり得るような何事があったであろうか。豚小屋のあたりや路地や路上でヤアと言って四、五へん挨拶したぐらい、思えばすべてが唐突で全く茶番にほかならず、伊沢の前に白痴の意志や感受性や、ともかく人間以外のものが強要されているだけだった。電灯を消して一、二分たち男の手が女のからだに触れないために嫌われた自覚をいだいて、その
彼は女を寝床へねせて、その枕元にすわり、自分の子供、三ツ四ツの小さな娘をねむらせるように額の髪の毛をなでてやると、女はボンヤリ眼をあげて、それがまったく幼い子供の無心さと変わるところがないのであった。私はあなたを嫌っているのではない、人間の愛情の表現は決して肉体だけのものではなく、人間の最後の住みかはふるさとで、あなたはいわば常にそのふるさとの住人のようなものなのだから、などと伊沢も始めは妙にしかつめらしくそんなことも言いかけてみたが、もとよりそれが通じるわけではないのだし、いったい言葉が何物であろうか、何ほどの値打があるのだろうか、人間の愛情すらもそれだけが真実のものだという何のあかしもあり得ない、生の情熱を託するに足る真実なものが果たしてどこにあり得るのか、すべては虚妄の影だけだ。女の髪の毛をなでていると、
この戦争はいったいどうなるのであろう。日本は負け米軍は本土に上陸して日本人の大半は死滅してしまうのかもしれない。それはもう一つの超自然の運命、いわば天命のようにしか思われなかった。彼にもしかしもっと卑小な問題があった。それは驚くほど卑小な問題で、しかも眼の先に差し迫り、常にちらついて放れなかった。それは彼が会社からもらう二百円ほどの給料で、その給料をいつまでもらうことができるか、明日にもクビになり路頭に迷いはしないかという不安であった。彼は月給をもらう時、同時にクビの宣告を受けはしないかとビクビクし、月給袋を受け取ると一月延びた命のために呆れるぐらい幸福感を味わうのだが、その卑小さを顧みていつも泣きたくなるのであった。彼は芸術を夢みていた。その芸術の前ではただ一粒の
伊沢は女がほしかった。女がほしいという声は伊沢の最大の希望ですらあったのに、その女との生活が二百円に限定され、
この白痴の女は米を炊くことも味噌汁をつくることも知らない。配給の行列に立っているのが精いっぱいで、しゃべることすらも自由ではないのだ。まるで最も薄い一枚のガラスのように喜怒哀楽の微風にすら反響し、放心と怯えの
それにもかかわらず、その想念が何か突飛に感じられ、途方もない馬鹿げたことのように思われるのは、そこにもまた卑小きわまる人間の殻が心の
俺は何を怖れているのだろうか。まるであの二百円の悪霊が──俺は今この女によってその悪霊と絶縁しようとしているのに、そのくせやはり悪霊の呪文によって縛りつけられているではないか。怖れているのはただ世間の見栄だけだ。その世間とはアパートの淫売婦だの妾だの妊娠した挺身隊だの
それは驚くほど短い(同時にそれは無限に長い)一夜であった。長い夜のまるで無限の続きだと思っていたのに、いつかしら夜が白み、夜明けの寒気が彼の全身を感覚のない石のようにかたまらせていた。彼は女の枕元で、ただ髪の毛をなでつづけていたのであった。
*
その日から別な生活がはじまった。
けれどもそれは一つの家に女の肉体がふえたということのほかには別でもなければ変わってすらもいなかった。それはまるで噓のような空々しさで、たしかに彼の身辺に、そして彼の精神に、新たな芽生えのただ一本の穂先すら見出すことができないのだ。その出来事の異常さをともかく理性的に納得しているというだけで、生活自体に机の置き場所が変わったほどの変化も起きてはいなかった。彼は毎朝出勤し、その留守宅の押し入れの中に一人の白痴が残されて彼の帰りを待っている。しかも彼は一足でると、もう白痴の女のことなどは忘れており、何かそういう出来事がもう記憶にも定かではない十年二十年前に行なわれていたかのような遠い気持ちがするだけだった。
戦争という奴が、不思議に健全な健忘性なのであった。まったく戦争の驚くべき破壊力や空間の変転性という奴はたった一日が何百年の変化を起こし、一週間前の出来事が数年前の出来事に思われ、一年前の出来事などは、記憶の最もどん底の下積みの底へ隔てられていた。伊沢の近くの道路だの工場の四囲の建物などが取りこわされ町全体がただ舞いあがる埃のような疎開騒ぎをやらかしたのもつい先ごろのことであり、その跡すらも片づいていないのに、それはもう一年前の騒ぎのように遠ざかり、街の様相を一変する大きな変化が二度めにそれを眺める時にはただ当然な風景でしかなくなっていた。その健康な健忘性の雑多なカケラの一つの中に白痴の女がやっぱり
けれども毎日警戒警報がなる。時には空襲警報もなる。すると彼は非常に不愉快な精神状態になるのであった。それは彼の留守宅の近いところに空襲があり、知らない変化が現に起こっていないかという
彼には忘れ得ぬ二つの白痴の顔があった。街角を曲がる時だの、会社の階段を登る時だの、電車の人ごみを脱けでる時だの、はからざる随所に二つの顔をふと思いだし、そのたびに彼のいっさいの思念が凍り、そして一瞬の逆上が絶望的に凍りついているのであった。
その顔の一つは彼が始めて白痴の肉体にふれた時の白痴の顔だ。そしてその出来事自体はその翌日には一年昔の記憶の
その日から白痴の女はただ待ちもうけている肉体であるにすぎずそのほかの何の生活も、ただひときれの考えすらもないのであった。常にただ待ちもうけていた。伊沢の手が女の肉体の一部にふれるというだけで、女の意識する全部のことは肉体の行為であり、そして身体も、そして顔も、ただ待ちもうけているのみであった。驚くべきことに、深夜、伊沢の手が女にふれるというだけで、眠り
も一つの顔、それは折りから伊沢の休みの日であったが、白昼遠からぬ地区に二時間にわたる爆撃があり、防空壕をもたない伊沢は女とともに押し入れにもぐり蒲団を
伊沢の小屋は幸い四方がアパートだの気違いだの仕立屋などの二階屋でとりかこまれていたので、近隣の家は窓ガラスがわれ屋根の
ああ人間には理知がある。いかなる時にもなおいくらかの抑制や抵抗は影をとどめているものだ。その影ほどの理知も抑制も抵抗もないということが、これほどあさましいものだとは! 女の顔と全身にただ死の窓へひらかれた恐怖と苦悶が凝りついていた。苦悶は動き苦悶はもがき、そして苦悶が一滴の涙を落としている。もし犬の眼が涙を流すなら犬が笑うと同様に醜怪きわまるものであろう。影すらも理知のない涙とは、これほども醜悪なものだとは! 爆撃のさ中において四、五歳ないし六、七歳の幼児たちは奇妙に泣かないものである。彼らの心臓は波のような
白痴の苦悶は、子供たちの大きな目とは似ても似つかぬものであった。それはただ本能的な死への恐怖と死への苦悶があるだけで、それは人間のものではなく、虫のものですらもなく、醜悪な一つの動きがあるのみだった。やや似たものがあるとすれば、一寸五分ほどの芋虫が五尺の長さにふくれあがってもがいている動きぐらいのものだろう。そして目に一滴の涙をこぼしているのである。
言葉も叫びも
爆撃が終わった。伊沢は女を抱き起こしたが、伊沢の指の一本が胸にふれても反応を起こす女が、その肉欲すら失っていた。このむくろを抱いて無限に落下しつづけている、暗い、暗い、無限の落下があるだけだった。
彼はその日爆撃直後に散歩にでて、なぎ倒された民家の間で吹きとばされた女の脚も、
三月十日の大空襲の焼け跡もまだ吹きあげる煙をくぐって伊沢は当てもなく歩いていた。人間が焼き鳥と同じようにあっちこっちに死んでいる。ひとかたまりに死んでいる。まったく焼き鳥と同じことだ。怖くもなければ、
白痴の女が焼け死んだら──土から作られた人形が土にかえるだけではないか。もしこの街に焼夷弾のふりそそぐ夜がきたら……伊沢はそれを考えると、変に落ち着いて沈み考えている自分の姿と自分の顔、自分の目を意識せずにはいられなかった。俺は落ち着いている。そして、空襲を待っている。よかろう。彼はせせら笑うのだった。俺はただ醜悪なものが嫌いなだけだ。そして、もともと魂のない肉体が焼けて死ぬだけのことではないか。俺は女を殺しはしない。俺は卑劣で、低俗な男だ。俺にはそれだけの度胸はない。だが、戦争がたぶん女を殺すだろう。その戦争の冷酷な手を女の頭上へ向けるためのちょっとした手掛かりをつかめばいいのだ。俺は知らない。たぶん、何かある瞬間が、それを自然に解決しているにすぎないだろう。そして伊沢は空襲をきわめて冷静に待ち構えていた。
*
それは四月十五日であった。
その二日前、十三日に東京では二度めの夜間大空襲があり、池袋だの巣鴨だの山手方面に被害があったが、たまたまその
次の東京の空襲がこの街のあたりだろうということは焼け残りの地域を考えれば誰にも想像のつくことで、早ければ明日、遅くとも一ゕ月とはかからないこの街の運命の日が近づいている。早ければ明日と考えたのは、これまでの空襲の速度、編隊夜間爆撃の準備期間の間隔が早くて明日ぐらいであったからで、この日がその日になろうとは伊沢は予想していなかった。それゆえ買い出しにも出掛けたので、買い出しと言っても目的は他にもあり、この農家は伊沢の学生時代に縁故のあった家であり、彼は二つのトランクとリュックにつめた物品を預けることがむしろ主要な目的であった。
伊沢は疲れきっていた。旅装は防空服装でもあったから、リュックを枕にそのまま部屋のまんなかにひっくりかえって、彼は実際この差しせまった時間にうとうととねむってしまった。ふと目がさめると諸方のラジオはがんがんなりたてており、編隊の先頭はもう伊豆南端にせまり、伊豆南端を通過した。同時に空襲警報がなりだした。いよいよこの街の最後の日だ、伊沢は直覚した。白痴を押し入れの中に入れ、伊沢はタオルをぶらさげ歯ブラシをくわえて井戸端へでかけたが、伊沢はその数日前にライオン
いよいよ来た。事態がハッキリすると伊沢はようやく落ち着いた。防空頭巾をかぶり、蒲団をかぶって軒先に立ち二十四機まで伊沢は数えた。ポッカリ光芒のまんなかに浮いて、みんな頭上を通過している。
高射砲の音だけが気が違ったように鳴りつづけ、爆撃の音はいっこうに起こらない。二十五機を数える時から例のガラガラとガードの上を貨物列車が駆け去る時のような焼夷弾の落下音が鳴り始めたが、伊沢の頭上を通り越して、後方の工場地帯へ集中されているらしい。軒先からは見えないので豚小屋の前まで行って後を見ると、工場地帯は火の海で、呆れたことには今まで頭上を通過していた飛行機と正反対の方向からも次々と米機が来て後方一帯に爆撃を加えているのだ。するともうラジオはとまり、空一面は赤々と厚い煙の幕にかくれて、米機の姿も照空燈の光芒も全く視界から失われてしまった。北方の一角を残して四周は火の海となり、その火の海がしだいに近づいていた。
仕立屋夫婦は用心深い人たちで、常から防空壕を荷物用に造ってあり目張りの泥も用意しておき、万事手順どおりに防空壕に荷物をつめこみ目張りをぬり、そのまた上へ畑の土もかけ終っていた。この火じゃとても駄目ですね。仕立屋は昔の火消しの装束で腕組みをして火の手を眺めていた。消せったって、これじゃ無理だ、あたしゃもう逃げますよ。煙にまかれて死んでみても始まらねえや、仕立屋はリヤカーに一山の荷物をつみこんでおり、先生、いっしょに引き上げましょう。伊沢はそのとき、騒々しいほど複雑な恐怖感に襲われた。彼の身体は仕立屋といっしょに滑りかけているのであったが、身体の動きをふりきるような一つの心の抵抗で滑りを止めると、心の中の一角から張りさけるような悲鳴の声が同時に起こったような気がした。この一瞬の遅延のために焼けて死ぬ、彼はほとんど恐怖のために放心したが、再びともかく自然によろめきだすような身体の滑りをこらえていた。
「僕はね、ともかく、もうちょっと、残りますよ。僕はね、仕事があるのだ。僕はね、ともかく芸人だから、命のとことんのところで自分の姿を
早く、早く。一瞬間がすべてを手遅れに。すべてとは、それは伊沢自身の命のことだ。早く早く、それは仕立屋をせきたてる声ではなくて、彼自身が一瞬も早く逃げたいための声だった。彼がこの場所を逃げだすためには、あたりの人々がみんな立ち去った後でなければならないのだ。さもなければ、白痴の姿を見られてしまう。
じゃ先生、おだいじに。リヤカーをひっぱりだすと仕立屋も慌てていた。リヤカーは路地の角々にぶつかりながら立ち去った。それがこの路地の住人たちの最後に逃げ去る姿であった。岩を洗う怒濤の無限の音のような、屋根を打つ高射砲の無数の破片の無限の落下の音のような、休止と高低の何もないザアザアという不気味な音が無限に連続しているのだが、それが府道を流れている避難民たちの一かたまりの
そのとき鼓膜の中を
四周は全くの火の海で府道の上には避難民の姿もすくなく、火の粉がとびかい舞い狂っているばかり、もう駄目だと伊沢は思った。十字路へくると、ここからたいへんな混雑で、あらゆる人々がただ一方をめざしている。その方向がいちばん火の手が遠いのだ。そこはもう道ではなくて、人間と荷物の悲鳴の重なりあった流れにすぎず、押しあいへしあい突き進み踏み越え押し流され、落下音が頭上にせまると、流れは一時に地上に伏して不思議にぴったり止まってしまい、何人かの男だけが流れの上を踏みつけて駆け去るのだが、流れの大半の人々は荷物と子供と女と老人の連れがあり、呼びかわし立ち止まり戻り突き当たりはねとばされ、そして火の手はすぐ道の左右にせまっていた。小さな十字路へきた。流れの全部がここでも一方をめざしているのはやはりそっちが火の手が最も遠いからだが、その方向には空地も畑もないことを伊沢は知っており、次の米機の焼夷弾が行く手をふさぐとこの道には死の運命があるのみだった。一方の道はすでに両側の家々が燃え狂っているのだが、そこを越すと小川が流れ、小川の流れを数町上ると麦畑へでられることを伊沢は知っていた。その道を駆けぬけて行く一人の影すらもないのだから、伊沢の決意も鈍ったが、ふと見ると百五十メートルぐらい先の方で猛火に水をかけているたった一人の男の姿が見えるのであった。猛火に水をかけるといっても決して勇ましい姿ではなく、ただバケツをぶらさげているだけで、たまに水をかけてみたり、ぼんやり立ったり歩いてみたり変に痴鈍な動きで、その男の心理の解釈に苦しむような間の抜けた姿なのだった。ともかく一人の人間が焼け死にもせず立っていられるのだからと、伊沢は思った。俺の運をためすのだ。運。まさに、もう残されたのは、一つの運、それを選ぶ決断があるだけだった。十字路に
伊沢は女と肩を組み、蒲団をかぶり、群集の流れに
「死ぬ時は、こうして、二人いっしょだよ。怖れるな。そして、俺から離れるな。火も爆弾も忘れて、俺たち二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ。この道をただまっすぐ見つめて、俺の肩にすがりついてくるがいい。わかったね」女はごくんとうなずいた。
そのうなずきは稚拙であったが、伊沢は感動のために狂いそうになるのであった。ああ、長い長い幾たびかの恐怖の時間、夜昼の爆撃の下において、女が表わした始めての意志であり、ただ一度の答えであった。そのいじらしさに伊沢は逆上しそうであった。今こそ人間を抱きしめており、その抱きしめている人間に、無限の誇りをもつのであった。二人は猛火をくぐって走った。熱風のかたまりの下をぬけでると、道の両側はまだ燃えている火の海だったが、すでに
二人は再び肩を組み、火の海を走った。二人はようやく小川のふちへでた。ところがここは小川の両側の工場が猛火を吹きあげて燃え狂っており、進むことも退くことも立ち止まることもできなくなったが、ふと見ると小川に
群集はなお
ねむくなったと女が言い、私疲れたのとか、足が痛いのとか、目も痛いのとかの呟きのうち三つに一つぐらいは私ねむりたいの、と言った。ねむるがいいさ、と伊沢は女を蒲団にくるんでやり、煙草に火をつけた。何本めかの煙草を吸っているうちに、遠く彼方に解除の警報がなり数人の巡査が麦畑の中を歩いて解除を知らせていた。彼らの声は一様につぶれ、人間の声のようではなかった。蒲田署管内の者は矢口国民学校が焼け残ったから集まれ、とふれている。人々が畑の
「その人は何かね。
「いいえ、疲れて、ねているのです」
「矢口国民学校を知っているかね」
「ええ、一休みして、あとから行きます」
「勇気をだしたまえ。これしきのことに」
巡査の声はもう続かなかった。巡査の姿は消え去り、雑木林の中にはとうとう二人の人間だけが残された。二人の人間だけが──けれども女はやはりただ一つの肉塊にすぎないではないか。女はぐっすりねむっていた。すべての人々が今焼け跡の煙の中を歩いている。すべての人々が家を失い、そして皆な歩いている。眠りのことを考えてすらいないであろう。今眠ることができるのは、死んだ人間とこの女だけだ。死んだ人間は再び目覚めることがないが、この女はやがて目覚め、そして目覚めることによって眠りこけた肉塊に何物を付け加えることもあり得ないのだ。女は
明け方に近づくと冷えはじめて、伊沢は冬の
女の眠りこけているうちに女を置いて立ち去りたいとも思ったが、それすらもめんどうくさくなっていた。人が物を捨てるには、たとえば紙屑を捨てるにも、捨てるだけの張り合いと潔癖ぐらいはあるだろう。この女を捨てる張り合いも潔癖も失われているだけだ。微塵の愛情もなかったし、未練もなかったが、捨てるだけの張り合いもなかった。生きるための、明日の希望がないからだった。明日の日に、たとえば女の姿を捨ててみても、どこかの場所に何か希望があるのだろうか。何をたよりに生きるのだろう。どこに住む家があるのだか、眠る穴ぼこがあるのだか、それすらもわかりはしなかった。米軍が上陸し、天地にあらゆる破壊が起こり、その戦争の破壊の巨大な愛情が、すべてを裁いてくれるだろう。考えることもなくなっていた。
夜が白んできたら、女を起こして焼け跡の方にも見向きもせず、ともかくねぐらを探して、なるべく遠い停車場をめざして歩きだすことにしようと伊沢は考えていた。電車や汽車は動くだろうか。停車場の周囲の枕木の
白痴 坂口安吾/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official
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