第15話 真義

 野鳥の囀りと共に俺は目覚めた。

 傍らで寝ていたはずの紗代の姿は既に無く、手を付けていない缶酎ハイの入った白いレジ袋が、昨夜の出来事が夢ではない事を物語っている。

 まさか、紗代が尋ねて来るとは。 

 それも、一人で。

 昨夜の行為も、明らかに儀式的なものではなかった。神がかっていないが故にか、お互い只管行為に耽る超人的な域には達しなかったのだ。

 脈はある、と思った。

 紗代は確実に、俺に好意を抱いている。

 でも、あからさまに表立った行動は控えないといけないかも。

 彼女は別格なのだ。

 神に仕える身と言う点においてだけでなく、この郷においても。

 ここでの生活で見聞きし、感じた事は、郷民達の心のよりどころが産童神であり、生活の中心でもあると言う事だ。それは決して狂信的な信仰が成すものじゃない。

 完全に郷民達の生活の中に溶け込んでいるのだ。古代から続く土着信仰だからこそ、ここで生活する郷民達の心に自然に受け入れられているのだろう。

 その中心的存在が、紗代なのだ。彼女の人柄もそうなのだが、この郷民が神から授かる不思議な能力「神乃御力」の、そのレベルの凄まじさも皆が一目置く理由でもあるのだろう。

 産童神と郷人を繋ぐシャーマン――祭司としての立場と役割、そして人間性が、彼女の存在を絶対的なものへと創り上げているのだ。

 彼女が郷を離れられないと言ったのも、自分自身それを自負しているからなのだと思う。

 やっぱり、彼女をこの郷から連れ出すのは難しいか。

 無理に連れ出したら、この郷は崩壊するかもしれない。

 その前に、俺が命を奪われそうだ。

 俺はこの郷が嫌な訳じゃない。どっちかと言うと、凄く気に入っている。

 でも。

 何か違和感があるのだ。

 もやもやした、すっきりしない理解不能の違和感が。

 これだけ歴史のある神社があり、その信仰を中心に成り立っている郷なのに、何故住民の出入りが激しいのか。昔からこの地に生活し、この地の遍歴を見続け、守り続けて来ただろう高齢者が一人もおらず、全て新規入居者で成り立っているのだ。

 郷民の流出を防ぐ為に祈願したのがきっかけで、この神社は建立されたと紗代は語っていた。

 若者の移住が増えたのはその御利益と言えるだろう。でも結局、郷からの流出は防げていない。

 それでも、郷は潰れていない。奇跡的に流入と流出が保たれているのもあるが、あのシキタリの存在も大きいのだろう。

 郷から出るには、屋号を継ぐ者が現れないと出てはならない――このシキタリが、郷民の人数が一定数を下回らない様にうまくコントロールしているのだ。

 不思議なのは、屋号を継ぐにあたって、前の所有者が担ってきた仕事までも受け継がなければならない点だった。

 法的な縛りの無い、郷独自のルールなのに、誰もこれを破ろうとはしない。

 こう考えると、ちょっと異様かもしれない。

 彼らと一緒にいる時は、それですら当たり前の規律として捉えている。ある意味、公的な方よりも厳守しなければならないルールとして。

 でもこうやって、一人の時間を過ごしていると、思い返せば色々と違和感が綻んでくるのだ。

 とは言え、それなら、郷民達も同じ環境なのだけど。彼らも俺の様に皆、一人住まいなのだし。まあ、あやめ達を除いてはなのだけど。

 彼女はもう、一人になってもこんな思考には囚われないのだろう。

 それだけ、身も心も郷民になっているのだ。

 そう考えると、紗代が昨晩、俺の元を訪れたのは、まだ完全に郷に帰依していない俺の心を見抜き、一人で思い悩んで決意がぶれない様に、様子を見に来たのではないか。

 好意の感情よりも、そちらの比重の方が大きいのじゃないか。

 俺はがりがりと毛髪を搔き回した。

 もうよそう。

 ネガティヴに考えるのは。

 俺は、みんなに認められた郷民なのだから。

 勿論、神様にも。

 ふと枕元を見ると、メモ用紙が一枚置いてあるのに気付く。


『おはようございます。先に戻り、朝食を用意してお待ちしています。七時頃に家に来て下さい。  紗代』


 時計を見ると、六時半を少し過ぎたところ。今から身支度をして向かえば、ちょうどいいころあいだろう。

 俺は着替えを済ませ、身支度を整えると、紗代の家に向かった。

 歩きなれた裏参道を通り、社務所の脇から居住区に入る。

「おはようございます」

玄関で声を掛けると、ぱたぱたと小走りで近付いて来る足音が聞こえる。

「おはようございます」

 引き戸が開くと、満面に笑みを浮かべた紗代が出迎えてくれていた。

 グレイのカットソーにデニムのミニスカート。流石に昨晩の格好ではなく、着替えた様だ。仄かに石鹸の匂いが漂っている事から、あの後、温泉で身を清めたのが想像出来る。

「丁度よかった。たった今ご飯が出来ました」

 彼女はそう言いながら、俺を居間に案内してくれた。

 居間の卓袱台には、目玉焼きとポテチサラダが二皿ずつ並んでいる。

「お待たせしました」

 紗代は味噌汁のお椀を二つ卓上に置くと、茶碗にご飯を盛り始める。

「御代さん、俺達だけなの? 」

 俺は卓上の朝食メニューを見ながら、紗代に問い掛ける。二人だけの食事も、本音を言うと最高にうれしい。でも、無反応ってのも、何か不自然でどうかと思う。 

「染谷さんとあやめさん、まだ寝ているんですよう」

 紗代が困った様な表情で笑みを浮かべた。

「昨日の夜、相当呑んだんですかね」

「一升瓶が二本と、冷蔵庫に冷やしていた缶ビールが全部なくなっていました。三十本位あったんですけど。あとワインが何本か」

 紗代が呆れ顔で吐息をつく。

「・・・化け物ですね。あの二人、前世は酒呑童子か八岐大蛇だな」

 俺も同情して頷く。あやめが底なし笊ガールなのは前職で知っていたけど、多分染谷も相当なものなのだろう。恐らく肝臓の解毒機能が人類を超越しているに違いない。

 不意に、居間の横の襖が開いた。

「おはようござい~」

「御代さん、お腹が空いた~あっ!? 」

 襖の向こうには、染谷とあやめが仁王立ちしていた。

 それも、全裸で。

 二人はムンクの叫びさながらの表情で俺を凝視したまま固まり、俺は俺で二人の裸体をまじまじとガン見しながら色んな意味で固まっていた。

「二人とも、朝ご飯出来たから、こちらにいらっしゃい」

 紗代だけが冷静沈着に、変わらぬいつもの朝を演じ続けている。

 ぴしっと勢いよく襖が閉まり、二人の姿が視界から消える。

「ふなにゃああっ! 」

「なんで鴨ちゃんがいるのおっ! 」

 襖の向こうであやめと染谷が絶叫を上げていた。

「何恥ずかしがってんのよね、あれだけ奉納の儀をしたんだから、お互い裸なんか慣れっこでしょうに・・・」

 紗代は二人の慌て様に眉を顰める。

「お騒がせしたです」

 しばらくして、薄紫のカットソーとボルドーの超ミニスカートを履いた染谷と、膝上までの白いTシャツだけを着たあやめが姿を現す。しかもあやめに至ってはノーブラで、あ、よく見れば三人ともノーブラだった。

 裸よりこっちの方が、かえって刺激的だ。

 染谷とあやめは深酒の後とは思えない驚異の食欲を見せ、ご飯をおかわりして食べた後、身体を清めて来ると言い残して温泉に向かった。

 俺は紗代と食器の後片付けをした後、礼を述べて家を後にした。

 紗代から今週は自由にしていていいといわれているので、伝所が務める役場に向かう事にした。

 以前、彼女が郷民の図書館がそこにあると話していたので、例のカタカムナ文字を含めて何か関連するものが無いか資料を漁るつもりだ。

 車に乗り込み、湖とは反対方向に走る事五分。道沿いの少し開けた所にこじんまりした二階建ての建物があった。道沿いに立てられた看板に『産童郷役場』と書かれている。建物は結構年代物で、板壁もかなり煤けてはいたが、手入れはされており、昭和の匂いがするノスタルジックな雰囲気が醸し出されていた。と言っても、昭和の匂いが何なのかは分からないが、イメージ的にはそんな感じがした。知らんけど。

 駐車場は、神社のそれの半分に満たないスペースだったが、俺以外来訪者はいないらしく、悠々車を止めることが出来た。

 俺は車を降り、役場に向かった。

 俺の車以外止まっていないところを見ると、ひょっとしたら伝所達はまだ来ていないのかもしれない。

 入り口の前に来ると、扉越しに明かりが見えた。思い切って、扉を開けると、数台並んだ一番奥の机に、伝所と夏音がいた。

「おはようございます」

「おはよう鴨ちゃん。ごめんね、相棒借りちゃって」

 二人に声を掛けると、伝所が申し訳なさそうに頭を下げた。

「あ、大丈夫ですよ。カオ、どう引き継ぎは? 」

「余裕だしょ! 」

 俺は心配して声を掛けたんだけど、意外にもご気楽な返事が返って来た。

「鴨氏には言ってなかったっけ? 私、半年間市役所の臨時職員やってたことあるんよ」

 夏音が得意気に宣う。初耳だったけど、過去の経験が功を成したのか。人生、何かとチャレンジしてみるものだとつくづく思った。

「午後から解放するから、それまでごめんね! 」

 伝所が俺に手を合わす。

「大丈夫です。ちょっと図書館使わせてもらいます」

「どうぞ! そこの入り口を右手に進んで角を曲がったらすぐだから」

「有難うございます」

 俺は伝所に礼を述べると、夏音にさぼるなよと釘を刺し、役場を後にした。

 伝所の言った通りに進むと、平屋の建物があった。板壁の老朽具合から、役場とほぼ同時期に立てられたように見えた。

 入り口に『産童郷図書館』と、一枚の大きな板に黒字で書かれえた看板がかかっている。

 俺はドアを開け、中に入った。恐らく後付けで設置したのだろう。人感センサーが反応して、自動的に照明の明かりが灯った。

 思っていたよりも広い。郊外の保育園位の広さだろうか。外観は古びているが、冷暖房が完備されているようで、中々の快適空間だった。俺は書棚の案内を眼で追った。お目当ては郷土資料だ。

 さほど探し回るまでも無く、俺は郷土資料のスペースに行きついた。

 図書館の一番奥、六段の本棚一つが郷土関係のスペースだった。

 歴史、産業、地理・・・様々な資料に、片っ端から目を通していく。

 だが、ここに集められているのは、この郷だけでなく、地方全体を網羅するもので、俺が期待したものは全く無かった。他に文化や民俗学的な書物に目を通しても、俺が今まで得たもの――神社の古文書を凌ぐものは一つも無かった。

 勿論、カタカムナ文字についてもだ。

 俺は落胆しながら、何気に郷のレジャー案内に目を通した。キャンプ場や温浴施設、アスレチック、産童湖が紹介されており、最後に御山巡りが紹介されていた。御山巡りは産童山の麓ををぐるりと一周するコースになっており、神社の鳥居のそばの駐車場からスタートし、俺が寝泊りしているキャンプ場がゴールになっている。勿論、反対からスタートしても可。コースの所々に大きな岩があり、それが見どころになっていた。

「何か面白うそうなもの、見つかった? 」

 夏音が突然、図書館に現れた。

「あれ、引継ぎは? 」

「今、休憩中。でもあらかた終わったって感じかな」

「流石、経験者は違うな」

「たまたまやってた仕事と似たような内容だったからね。で、鴨氏は収穫あったの?」

「無し。知ってる以外の変わった伝承とかも無いし、前に神社で見た古文書よりも凄いのは出てこなかった」

「そっかあ、カタカムナとかも調べた? 」

 俺は何気に問い掛けて来る夏音を驚きの眼で見る。

「カオもそれ、聞いたのか」

「うん。祝詞の文字でしょ? 宇宙人の言葉みたいなやつ。御代さんから、時間がある時に神社に来て覚えてくださいって言われてる」

「カタカムナ文字をネットで調べたら、それが大体どんなものかは分かったけど、何の意味かは分からないし、神社と言うか、産童神との繋がりも分からない」

「私も伝所さんに聞いてみたけど、よくは教えてくれなかったな。反対にこの話は門外不出だから、郷民以外には絶対に話すなって、怖い顔で釘を刺されたよ」

 夏音が顔を顰める。てことは、俺も友人に話す際には注意しなきゃな。昨日の電話で、丸や直線が混じった暗号みたいなやつとは言っちゃったけど。何となく、奴はそれが何か感づいちまったようだし。

「誰が怖い顔だってえ? 」

 不意に、俺達の間に伝所が顔を突き出してきた。

 この人、いつの間に現れたのか。足音や気配が全くしなかったんだけど。

「カタカムナの事は今は言えないけれど・・・あ、丁度いい! ちょっとこれ見てみてよ」

 伝所は徐に俺が見ていた御山巡りのコース案内を指差した。

「このコースの途中に、六ケ所、大きな岩があって、それぞれの岩の色から、黒龍岩、白龍岩、青龍岩、赤龍岩、金龍岩、虹龍岩と呼ばれているの。この岩をそれぞれ結ぶとどうなると思う? 」

 伝所の問い掛けに、夏音の眼が好奇に輝く。

「六芒星だ」

「そう。鴨ちゃん知ってる? 」

「何となく聞いた事はあります。フリーメーソンのマークとか何とかいう、あれですよね」

「まあ、五〇点くらいかな」

 伝所が残念そうに首を傾げる。

「後は、安倍晴明の・・・」

「あれは五芒星。ちょっと意味が違うんだな」

 夏音は、にやにや笑いながら俺の発言を遮った。

「スピリチュアル的に言えば、宇宙の力を取り込む形とか、色々言われているけどね。因みに、これらの岩は昔からあって、後で持ってきたものじゃないそうよ。どう、興味出て来た? 」

 伝所が爽やかな眼差しで俺達を見た。

「午後から、言ってみます」

 俺は勿論即答で答えた。

 さっきまでの無力感と虚無感が一気に吹っ飛ぶ。

 自然に元から存在する岩の配置が、産童山を取り囲むように六芒星を成しているなんて。宇宙の力が、あの山に注がれているという事なのか。

 古代人は、ひょっとしたらそれを感じ取り、信仰の対象としたのかもしれない。

 夏音が仕事の引継ぎに戻った後、俺は図書館のパソコンを借りてネットで六芒星からカタカムナに至るまで、産童神に係わるあらゆる情報を頭に叩き込んだ。

 元々はこういったスピリチャルな話や都市伝説に興味が無かったのだが、それだけに却って新鮮に感じられ、今までになく興味がわいて来るのを感じ取っていた。

 夏音が引継ぎが終わった後、俺達は伝所の家に招かれ、昼食をご馳走になった。彼女の家は、役場から歩いて二,三分の平屋の家だが、部屋がいくつもあり、一人では広すぎると嘆いていた。昼食は夕飯のカレーの残りだそうで、夏音には同じメニューが続いた事を詫びていたが、彼女は喜んで食べていた。因みに滅茶苦茶美味しかったのだ。染谷に是非レシピを教えて頂きたいところだけど、彼女が作ると、多分全く別なものが出来てしまう気がする。

 昼食後、俺は夏音と共に神社に戻った。彼女は御山巡りを終えたらまた伝所の家に戻るというので、車で俺の後を付いて来た。

 駐車場に車を止め、撮影機材を降ろす。

 駐車場のハイキングコースの入り口まで来ると、夏音の表情が暗く曇り始めた。

 恐らく、あの時直面した悍ましい映像が脳裏に過ぎったのだろう。でもそれは染谷の幻術が生み出した映像に過ぎなかったのだが。どちらかと言うと、俺の見た実施のシーンの方がとんでもなく悍ましい。

 だが、彼女は意を決したように一歩を踏み出した。

 歩き始めるうちに、彼女の顔に笑顔が戻った。

 俺は彼女の横に並び、道を進んだ。

「カオさ」

「ん? 」

「上下黒ずくめの格好しているけど、それって蜂に襲われやすいって話だぜ」

 俺はまじまじと彼女の服装を見た。

 虫刺されを気にしての長袖のTシャツにロングのコットンパンツいいとして、スニーカーも含めて見事に黒一色に統一されていた。

 因みに俺はグレイの長袖Tシャツに、モスグリーンのカーゴパンツ。ちょっとは蜂対策まで意識したつもりだ。

「でも何故、黒だと蜂に襲われるわけ? 」

「蜂にとっては警戒色らしいよ。よく分からないけど」

「蜂蜜を取りに来る熊と間違えられるのかも」

「その説、当たってたりして」

 不意に、すぐそばの薮が激しく揺れた。

 黒い影が、ぬっと現れる。

「ひえっ! 」

 夏音が悲鳴を上げて俺にしがみ付く。

 熊?

 じゃなかった。

「釜屋さん! 」

 俺は安堵の吐息をついた。

「御免、驚かせちゃったな」

 釜屋は目を細めると、申し訳なそうに頭を搔いた。

「熊かと思いましたよ。こんな所で何やってんですか? 」

「ああ、神社に行く用事があってさ。この薮の向こうに俺の家と登り窯があるんで、歩いて行く時はここから抜けて行くんだ。近道なんでな」

 釜屋はそう言うと、藪の向こうを指差した。確かに木々の間に民家らしき建屋が見える。

「釜屋さん」

 俺は釜屋に声を掛けた。

「釜屋さんの仕事、俺が継ぎましょうか。そうすれば釜屋さん、この郷から出られるんじゃあ・・・」

「有難う、鴨ちゃん。全ては神様が決めた事だから、運命には逆らえんよ。それに、仕事を継ぐ後継者が現れても、屋号を継げないと駄目なんだ」

「そう、なんですか」

「やさしいな、鴨ちゃんは。じゃあな」

 釜屋は目を細めると、俺達に背を向けて去って行った。

 その時俺は見た。釜屋の眼に、きらりと光るものを。

 俺にまで気を遣わせてしまったと思ったのだろうか・・・却って申し訳ない事を言ってしまったような気がした。

「びっくりした、熊かと思った・・・」

 安堵する夏音だが、声は未だ震えている。

「大丈夫か? 」

「うん、ちょっとだけ・・・だから」

 夏音は俺から目線を外すと、そっと俯いた。

 まあよかった。ちょっとだけなら――えっ!

ちょっとだけって・・・。

 夏音は恥ずかしそうに股間の辺りを見つめている。

 よかったな、夏音。黒い服装で。

 彼女が戻ると言わなかったので、俺達はそのまま先へと進んだ。

 しばらく進むと、左側に川のせせらぎが聞こえて来た。

 御神川だ。紗代の話では、山頂の元宮の裏辺りに源泉があるらしい。

 道の所々に獣道らしい細い道があった。そのそばには立ち入り禁止の看板が建てられ、入り口を鎖で封印していた。

 第一の岩、黒龍岩は比較的早く見つかった。普通車位の大きな黒っぽい岩の上に、黒っぽい色の龍のオブジェが置かれている。土台の岩とほぼ同じ位の大きさの立派なもので、水晶か何か埋め込まれているのか、眼は澄んだ輝きを湛え、鱗の一枚をとっても、細部に至るまで精巧に造られており、今にも動き出しそうなリアルさだった。

 黒龍の像は、俺達をじっと見つめていた。

 威嚇しているのではない。

 むしろ、その逆だった。

 温かい親しみがこもった優しい眼をしている。

 河原で俺達を救ってくれたのは、この龍かもしれない。

 俺達はそこで映像と画像を撮ると、感謝を込めて手を合わせ、次の岩へと向かった。

 ひょっとしたら、他の岩にも同様に龍のオブジェが置かれているかもしれない――その読みは見事に的中した。白龍は雪のように白く、青龍は海の様に蒼く、赤龍は太陽の様に紅く、金龍はまさしく豪奢な輝きを、そして虹龍は七つの色が入り混じった不思議な色合いを奏でた姿で、俺達を出迎えてくれた。

 これらの龍達は、この郷の誰かが作ったのだろうか。

 この御山におわす産童神を守るために。

 でも、何故龍達は御山の方を見ているのか。

 神社なんかで見かける龍は、必ずと言っていい程、外側に向かって睨みを利かしていると言うのに。

 御山巡りは産童山の周囲を回るだけなので、平坦で歩きやすいのだが、視界は雑木林で遮られ、周囲が見渡せられるような展望の良いところは無い。

 だからこそ、あのオブジェが見どころになっているのだろう。

 これだけリアルに作りこまれたオブジェだ。参拝以外に御山巡り目的で訪れる人が多いのも頷ける。

「撮り高あったな」

 俺は得意気に夏音に話し掛けた。

「うん、後は御代さんに画像と映像を見てもらって、SNSにアップして良いか許可を貰わなきゃね」

 流石夏音。コンプライアンスはちゃんと抑えている。

 御山巡りを終え、俺達はゴールである神社のキャンプ場に着いた。

 驚いたことに、コースの出口は夏音がテントを設営したすぐそばにあった。今まで何回かそばを通ていたのにもかかわらず、不思議と気が付かなかった。夏音本人も特に気にしてなかったらしい。今思えば、定例祭の時、リュックを背負った人々の姿をこの辺りで何人か見た事があったな。俺は単純にキャンパーかと思って余り気にも留めていなかったのだけど。

 撮影しながらゆっくり回ったからか、時間は二時間超はかかっている。早い人だと一時間半位で回れるらしい。

 社務所に寄ると、丁度休憩に入るとの事で、紗代達は控室に集まっていた。

 俺は御山巡りをしてきた事をを伝え、要所要所で撮影をしたことも報告した。

「御山巡りのコースでしたら、撮影は大丈夫ですよ。SNSにアップしても問題無しですから」

 紗代は微笑みながら答えてくれた。

「でも一応、確認させて頂きますね。あの、六か所ある岩を集中して撮らせてもらったんですけど、岩に設置された龍のオブジェはアップしても大丈夫ですか? 」

「龍の、オブジェ? 」

 俺の説明に、紗代は首を傾げた。

「ええ、龍の名を付けた岩がありますよね。それぞれの岩に、岩の名に由来する色の龍のオブジェが設置されているじゃないですか。鱗から何から凄くリアルな」

 俺は更に詳しく状況を説明した。

 が、紗代と染谷は互いに顔を見合わせると、訝し気な表情を浮かべた。

「画像と映像があるので、お見せしますね」

 夏音がカメラの映像を紗代達に公開した。

 俺と夏音は息を呑んだ。

 何も映っていない。ただ巨大な岩だけが、映像のど真ん中に写っているだけだった。

「そんな・・・」

 俺は同時に撮影したスマホの映像と画像を確認してみる。

 映っていない。

 やはり、映っているのは岩だけだ。

「え、どうして・・・なんで映ってないの? 」

 夏音と俺は、ただ茫然と岩だけ映った映像を見つめた。

「鴨ちゃん、カオちゃん、落ち着いて聞いてよね・・・」

 紗代が、神妙な面持ちで語り始める。

「あそこに、龍神様のオブジェなんて置いてない。お二人が見たのは、恐らく・・・」

「本物、だった・・・」

 夏音はそうつぶやくと、糸の切れた操り人形の様に俺に寄りかかった。

「おい、大丈夫か? 」

 俺は慌てて彼女を抱きかかえた。

 夏音は、俺の腕の中で大きく吐息をついた。

 その時、俺は漸く気付いた。

 彼女が、黒い生地では隠せない位、派手に決壊してしまっている事に。

 

 

 

 





 


 

  

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