第13話 覇力
「菅嶋達の死霊が? そんな馬鹿な・・・」
俺の報告を聞いた染谷が疑念に表情を硬く強張らせた。
「私と染谷さんでここのところ毎日結界を張っていますから。結界の効力は郷全体に及んでいます。事故現場は郷の入り口とは言え、邪悪な存在は郷の内部までは侵入出来ないはずなのに」
紗代が険しい表情で唇を噛む。
あれから猛スピードで車を駆り、神社に戻るとすぐに紗代と染谷に事の一部始終を話したのだ。携帯で事前連絡すればよかったのだが、夏音の事もあったので、とにかく急いで神社に戻る事を優先したのだ。
夏音のケアは伝所が受け持ち、社務所の受付はあやめと篝火が対応してくれている。伝所は早朝顔を出してからたまたま社務所の整理で残ってくれており、篝火も先日の結界を破った何者かの一件で守りを固めるために朝からこちらに出向いてくれたのだ。
「さっき、篝火さんに聞いたのだけど、彼女はこちらの手伝いに向かっていた途中だったので邪気には気付かなかったって。陣屋さんと籠屋さんも取材中何も感じなかったそうよ」
染谷が訝しげに呟く。篝火は陣屋達のペンション近くに住んでいるものの、俺達が湖畔に着いた時には車で家を出て神社に向かっている。だが、彼女も守役。例え湖畔から遠ざかったとはいえ、異常な気の存在には感づいたはずだと言う。
「じゃあ、あれは幻覚? 」
俺は不本意ながらも首を傾げた。
俺と夏音は幻覚を見せられていた?
そんなはずはない!
肉を打ち骨を砕いたあの感触。
あれは、そう思い込ませていただけ?
俺が死霊だと思って拳を打ったり蹴り上げたりしたのは、実は夏音だった――それはない。俺が死霊に与えたダメージと夏音が奴らから受けたダメージは、全く別のものだ。
「そうじゃないと思いますよ。カオちゃんの首にはっきりと指の跡が残っていましたら。それも異様に太くて大きくて特徴的な」
紗代が声を潜めて語った。
「それにしても凄いわね。ぶん殴ったり蹴りを入れて死霊達を滅したんでしょ? 」
染谷が、呆れたような驚いたような感心したような、何とも複雑な表情を浮かべた。
「物理的な攻撃で霊を追っ払うなんて、聞いた事がありません」
紗代が、にわかに信じ難いと言った口調で語る。
「でもそれが、鴨ちゃんが授かった『神乃御力』かもよ。こればっかりは発動しない事には、私達にも分からないもの」
染谷はそう言うと一人頷いた。
あれが、産童神が俺に与え給うた『神乃御力』。
そう考えれば、俺が死霊を撃退出来たのも納得は行く。
でも出来れば覇気や思念だけで退魔出来る力の方が良かった。霊体とは言え、焼け焦げ状態でしかも一部生焼けの奴らに拳をぶち込むのは気が引けてしまう。
「これから湖に行ってみましょう。何か手掛かりがあるかも」
紗代が席から立ち上がった。
「そうですね」
染谷が頷く。
「あ、あの、四方さん達はどうします? 今、あの二人は御山巡りのハイキングコースを歩いています。それもノーマークで。コースを外れて御山の頂上に行くかもしれない」
俺は慌てて二人にそれを告げた。あの死霊達と夏音の事で頭がいっぱいで四方達の事をすっかり忘れていたのだ。
「大丈夫ですよ。籠屋さんから連絡を受けています。もう手は打ってありますから」
紗代はそう言うと、悪戯っぽく笑った。
「有難うございます。あ、車は私が出します。すぐそこですから」
おれは紗代と染谷に一礼すると社務所を後にした。申し訳ないとは思ったが、緊急事態と言う事で、車は社務所の前まで乗り入れさせてもらっている。
二人は巫女の装束だったので、着替えて来るのかと思ったのだが、意外にもそのまま俺のすぐ後ろを付いて来た。
それだけ緊急を要すると言う事か。
「篝火さん、あやめちゃん、後をお願いね。すぐ戻れるかどうか分からないから」
紗代が社務所の居残り組に声を掛ける。
「大丈夫です。お気をつけて」
篝火が落ち着き払った口調で答えた。あやめだけだと少し不安だが、彼女がいると何となく安心できる。
俺達は車に乗り込むと、湖目掛けて出発した。
鳥居を抜け、表参道から一般道へ出る。
車を走らせている間、二人は終始無言だった。今回の死霊出現について思考を張り巡らせているのか、それとも、道中にその類がいないか霊気の所在を探っているのか。
ものの数分で到着。さっきと同じ場所に車を止める。すると、ペンションの前に陣屋と籠屋が心配そうに立っていた。
「カオちゃんはどう? 」
陣屋が心配そうに話し掛けて来る。
「大丈夫です。御心配かけて申し訳ありませんでした」
俺は二人に頭を下げた。二人には紗代から連絡が入っており、俺と夏音が体験した怪異も既に伝わっている。
「あそこです。湖岸の船着き場のそば」
俺は紗代達を怪異の起きた場所へと案内した。
「ここと、ここね」
俺が詳細な場所を説明する前に、紗代はピンポイントで死霊を滅した場所を言い当てた。
「御代さん、妙ですね」
染谷が紗代を見た。
「ええ、この辺り、時空をいじった痕跡がある」
紗代が重苦しい表情で中空をじっと見つめた。
「え、それって? 」
俺は途方に暮れた表情で紗代を見た。
染谷と紗代の間では共通認識しているようだったが、俺にはさっぱり分からない。
「鴨ちゃん、安心して。私達もさっぱり分からないから」
陣屋が神妙な面持ちで俺を慰め、その横で籠屋が静かに頷いた。
妙な空気が漂うの中、得体の知れない不安が俺を襲う。
やっぱりあれは何者かのフェイク?
死霊を自分の手で滅したなんて得意気になっていたけど、あれは何者かが仕掛けた策略?
幻覚ではない。但し、本物の霊体でもない何かか。
じゃあ、誰が何の為にそんな手の込んだ罠を仕掛けたのか。
「この辺の空間だけど、部分的に結界を張った形跡があるの」
染谷が、俺が菅澤の亡霊をぶっ倒した辺りを指さした。
「湖の、あの桟橋辺りから、私達が立っている背後まで位の所かな」
染谷の説明を聞いて愕然とする。桟橋辺りは菅嶋が、俺達の立っている背後の辺りは黒焦げモヒカンが現れた場所だ。
「邪霊の気の残渣が微かに残っている。鴨ちゃんが滅したのは、間違いなく本物の死霊よ」
紗代が淡々とした面持ちで語る。
俺としては喜んでいいのか悪いの分からない。
何故って?
手段が何であれ、俺と夏音の命が狙われたのは間違いないのだ。
「何で、俺達を狙ったんでしょうか」
俺は緊張の余りに貼り付いた唇を引き剥がすと、思い切って染谷に尋ねた。
「分からないのよねえ・・・もし、鴨ちゃん達を完璧にあっちの世界へ引き込みたいのだとしたら、事故死した奴らの死霊を全員放り込んだ方が確実じゃない? それに、これを仕掛けた奴って、私達が作った結界の中に、更に別の結界を作れるくらい実力があるのだから、死霊なんか使わなくても、結界の中に封じ込める事だって出来るんだから。俗に言う、神隠しってやつね」
染谷の説明に、俺は戦慄を覚えた。
とんでもない能力を持つ者が、俺達を弄んでいるのだ。産童神の『神乃御力』を最も付与されたと言っても過言じゃない、あの二人が張った結界すらものともしない、とんでもない能力者が。
誰なんだそいつは。
何の為に・・・あっ!
「御代さん、これ、四方の仕業じゃあ? 」
俺は思わず叫んだ。
「そう考えるのが自然よね 」
紗代が頷く。
「そうです。きっとそうだ。あいつ、やっぱり山頂まで登ろうとしているんですよ。御山巡りをして、そのまま歩いて神社へ向かうって言ってたけど、俺達がこちらの騒ぎに気を取られているうちに、どさくさに紛れて・・・ 」
俺は慌てふためきながら自論を吐いた。
「その点は、大丈夫。二人とも山頂まで登れませんから 」
紗代が落ち着いた口調で答える。
「でも、本来の道以外のルートを通って・・・獣道とか」
俺は更に自論擁護の追撃を行った。
「あるのはあるけど、まあ、大丈夫じゃない」
何故か染谷もあっさりしている。
「そろそろですね」
紗代が妙に楽し気な口調で湖岸沿いの遊歩道を見つめた。
「あ、来ました来ました」
紗代の声に、俺は目を凝らして彼女の目線の先を追った。
遊歩道沿いに立ち並ぶ木々の間から、人影らしきものが見える。
やがてそれは徐々に輪郭を露にし、その風貌を確認できるまでに至った。
四方と宇古陀だ。
二人は焦燥し切った表情でこちらに向かって歩いて来る。
「あれ、お二人ともどうされたんですか? 御山巡りされなかったの? 」
陣屋がさり気なく四方達に声を掛けた。
「あ、皆さんお揃いで・・・ちょっとヤバい奴と出くわしちゃって」
四方が息絶え絶えになりながら、かろうじて言葉を絞り出した。
「何と出会ったんですか? 」
紗代が、怯えた子供をなだめるかのような優しい口調で二人に問い掛けた。
「あれは熊だな。間違いない」
宇古陀が震える声で絞り出すように語った。
「宇古陀さんが、正規の道じゃ撮れ高が無いから、違う道から行こうって言いだして、沢沿いに獣道らしいのがあったので、そちらに入ったんです。そしたら、茂みがガサガサいい出して、振り向いたらそいつが現れたんです」
四方は時々生唾を呑み込みながら話した。
「はい、これ飲んで少し落ち着いて」
籠屋が気を利かして二人にお茶のペットボトルを渡した。
「有難う、ございます」
四方と宇古陀は受け取ったお茶を一気に飲み干すと、大きく息を吐いた。
「本当に熊だったんですか? 」
俺は二人に問い掛けた。
「うん。全身は見えなかったけど、腰ぐらいまでの高さの熊笹の茂みよりも高い所に赤茶色のでかい背中が見えていたから」
宇古陀が首を縦に大きく振った。
「ばちが当たったんだ。宇古陀さんが行っちゃいけないエリアに行こうとするから」
四方が不満気に呟く。やっぱり、この二人、山頂を目指したのか? にしては四方の言動は、宇古陀の身勝手な行動に巻き込まれた感をアピールしているし。
「沢って、御神川に沿って登ろうとしたんですか」
紗代が淡々とした口調で二人に問い掛ける。
「あの沢、御神川って言うんですか・・・あれをたどって行けば、山頂に行けるんですか? 」
四方が紗代に尋ねた。
「ええ。水源が山頂の元宮の裏手にあり、そこから産童湖に注いでいます。でもあの沢沿いは滑落しやすくてとても危険なんです。だから、沢沿いにある獣道の入り口には、『立ち入り禁止』と書かれた看板が随所に立ててあるのです。熊の目撃は過去にもありますし、それ以外にもマムシやヤマカガシなんかも出るんです。誤って踏んづけて噛まれでもしたら終わりですからね」
紗代の顔から笑みが消えていた。彼女は沈痛な面持ちで、二人をこんこんと説教し続けた。
四方は反論する素振りを微塵も見せず、うなだれて静かに頷いていた。
いつも笑顔を浮かべている宇古陀も、今回ばかりは暗い表情で謝罪の言葉を繰り返している。
「お話をお聞きした感じでは、宇古陀さんの暴走が事の発端の様ですけど、四方さんもそれを受け入れずに止めて頂かないと。御山が禁足地になっているのはそれなりの理由があんです。神聖な信仰の対象となってる裏には、自然界の脅威が潜んでいるからとか、自然界の産物を枯渇させない為とか。あの御山の水源は昔からこの郷の飲料水に利用されてますし。取材の関係もおありでしょうけど、最低限守らなければならない約束事は守ってください」
紗代は言い終わると、大きく息をついた。
「我々郷の者ですら、安易に入れないんです。神前で祝詞を上げ、産童神の許可を頂いてやっと一歩踏み出せるんです。過去の遭難事件で警察も山に入って捜索しますが、彼らの受け持ちは遊歩道周辺にとどまり、山頂までのルートは、私達巫女と選ばれた氏子衆だけで探索しています。そこはご理解してください」
染谷はそう言うと、紗代に目線を向ける。
それを見た紗代は、黙って頷いた。
「鴨ちゃんから聞きましたけど、事故現場が見たいとか。今からご案内しましょうか」
紗代の言葉に、二人は顔を上げた。
「有難うございます。申し訳ございませんでした」
二人は紗代に深々と頭を下げた。
俺は思わず唸った。
二人の前に現れた熊は、間違いなく紗代が講じたものだ。染谷の様に幻術を使ったのか、それとも野生動物と意思を疎通させ、協力を促したのか。但し、どちらにせよ、彼女がその場にいた訳ではないから、あの二人の居場所は把握出来ないはずだ。
じゃあどうやって?
染谷の様に、結界を張ってそれに接触するか否かで場所を把握したのか。
まず、それは無いと思う。恐らくそれを仕掛けたところで、四方なら感づいて回避するのではないか。得体が知れないだけでなく、異能の保持者の様でもある彼の事だ。全く見過ごすことは無いだろう。
離れた場所から全てを見通し、遠隔で術を施すことが出来るとしたら、紗代は、もはや神そのものだ。
俺達は車に乗り込むと、事故現場に向かった。陣屋と籠屋は仕事が残っているからとペンションに戻って行った。
四方と宇古陀はもう産童山を登ろうとはしないだろう。自分達が直面したのは自然界の恐怖であって、怪異じゃない。御山が禁足地であるが所以も、紗代が山に潜む自然界の脅威が要因であるかのように、要所要所に話を刷り込んで二人に説いている。
都市伝説的な神隠しは、自然界の脅威に遭遇したためだという答えを、説教の中で二人の意識に摺りこんでいた。
大したものだ。全て紗代の策略だろう。
胡散臭い探偵としつこいルポライターの出鼻をくじくために仕込んだのだ。
このタイミングで事故現場に連れて行けば、関心は事故の方に向けられ、産童山の都市伝説は逸話となって薄らいでいくに違いない――と、思いたい。
「着きましたよ」
俺は道の退避エリアに車を止めた。菅嶋達の車は、この先の緩やかなカーブを抜けた崖から、ハンドル操作を誤って下の河原に落下し炎上したのだ。アスファルトの路面には急ブレーキを踏んだ複数のタイヤ痕が生々しく残っている。
崖の上から下を見下ろすと、河原の石が広範囲に黒く変色している箇所があった。
そこが事故現場の様だった。SNSのニュース配信で見たのだが、どの車もガソリンが満タン近く入っていたため、直ぐに三台とも炎上し、その火力の凄まじさに消防車が何愛も駆けつけて消火活動に当たったが、河原に生える雑草や木々への延焼を防ぐのがやっとだったらしい。
「下に降りられるのかな」
四方が、崖から事故現場を覗き込みながら呟く。
「行けますよ。ここに道があります」
俺は退避エリアから河原の方へ下る小径を四方に示す。生い茂る薄の間をぬうようにして、幅1メートル程の小径が河原まで続いている。消防署員や警察関係者が何人も行き来したのだろう。道の中央に群生していた雑草は容赦なく踏みにじられ、勢いを失っていた。
俺達は道を下り、事故現場の河原へと降り立った。
河原にはまだ焦げ臭い臭いが濃厚に残っており、否応無しに鼻孔を刺激する。
事故車はクレーンで引き揚げられ、警察署に運ばれていったものの、黒く焦げた石や砂利に加え、飛散した車の部品が回収し切れずに大量に残留されており、事故の痕跡がまだまだ生々しく残っている。
「凄まじいですね。相当激しく燃えたのでしょう。これなら骨しか残らなかったのは頷ける」
四方は顔を顰め乍ら呟いた。
「骨しか残らなかったって事は、それ以外はみんな地面に溶けちまったのか・・・」
宇古陀は嬉しそうな笑みを浮かべながら、地表の焦げ跡を感慨深げに見つめた。
「宇古陀さん、そこは笑うとこじゃない。奴らの亡霊が怒り狂って出てきますよ」
四方は眉を顰め、苦笑した。
あんたも笑ってるじゃねえか。
俺はそう四方に心の中で突っ込みつつも、実際に怒り狂った亡霊二人と対峙した身にとっては、全く笑えない心境だった。
「事故車から菅嶋が発見されたのは後部座席だった。自分の車なのにも拘らず。まあ、仲間同士で交代して運転するのはよくある事だから、そう考えれば自然なんでしょうが、彼と共に現れた三名は彼の監視役だから、決して仲がいい訳じゃない。それも、運転席で見つかったのは、翌日に神社を訪れた集団の内の一人、彼らは前日入りした監視役の仲間だから、当然、菅嶋の仲間じゃない。それと何故か、菅嶋の骨は監視役三名の骨と入り混じった状態で発見された。それも皆、車の後部座席に固まった状態で」
事故現場を見渡しながら、四方は静かに語った。
「四方さん、それってどういう事? 」
俺は四方に問い掛けた。
「後部座席の四人は、事故に合う前から死んでいたんじゃないかな。それか、何らかの理由で動けない状態だったか・・・例えば、集団リンチで息絶え絶えになっているとか」
「何故? 」
「順に話そう。まず、これは恐らく君も知っている事だと主けど、さっきペンションで聞き取った話だと、菅嶋は元カノの女性二人から借金の金を巻き上げようとしていたんだね。でもあの腐れ外道は、預金を狙っていただけじゃなく、二人を風俗に売り飛ばす準備までしていたようだ。ま、これは別ルートからの情報だけど」
「無茶苦茶だ・・・」
「そう、無茶苦茶さ。でも奴の稚拙で短絡的な作戦は失敗し、結局監視役の輩達から脅されて、縁を切られた親に泣きつくことになる。電話に出た父親には、質の悪い奴らに監禁されている。自由にしてほしければ一億円用意しろと言われていると泣きながら伝えたらしい。父親の話では、電話越しに男の唸り声やら怒鳴り散らす声が聞こえていたらしく、やむなく用意するから口座を教えるようにと答えたそうだ」
「ちょっと待って四方さん。確か奴の借金は一千万円のはず」
俺は四方にすかさず問い掛けた。
スキンヘッドが得意気に話していた金額は一千万円だった。僅か一日で借金が膨らんだのか? そうだとすればとんでもなく暴利だ。
「そう、奴の借金は利息含めて一千万円。それでもとんでもなく暴利だけどね。奴は一か八かの賭けに出た。勘当された身だから相手にされないのは百も承知。だが万が一情けを掛けてくれるのであれば、せしめるだけせしめようってね」
「それが、うまくいっちゃったんですね」
「うん。さて、ここからは俺の推察ね。奴は計画がうまくいったものの、その会話を全て監視役の男達に聞かれてしまった。そこで返済分一千万とは別に口止め料として三人それぞれに一千万渡すと言ったんじゃないかな。ひょっとしたら一人三千万の口止め料で、奴はゼロだったかも。ところがこの話も他の連中にばれ、見せしめとして菅嶋と三人の輩達は集団リンチの挙句に死亡、もしくは瀕死の重傷を負う。どこかで人知れず処理する為に、車の後部座席に転がしていたところ、今回の事故で燃え尽きた――こんな感じかなってね」
四方は静かに息を吐いた。彼の推察に興味がないのか、宇古陀は只管馬鹿でかいデジカメを構え、夢中になって事故現場を画像に納めている。スピリチャル&オカルト系のライターだけあって、恐らくは写るはずの無い――と言うか、映ってはならない不条理な現象が捉えられないか期待しているのだろう。
「依頼人には、恐らく暴行を加えられ、事故の時には既に死亡していた可能性を伝えるよ。それに至った背景もね。自業自得だけど、菅嶋も実は被害者だったと・・・」
不意に、四方の表情が硬く強張る。
「四方さん! 」
俺には分かる。彼が何故、会話の途中で言葉を閉ざしたのか。
異様な気配が、河原に立ち込めていた。
それも一つ二じゃない。
複数だ。
紗代と染谷もそれを察知し、じっとある一点を凝視している。
黒く焼けただれた地面を。
何かがいる。
それは、俺にでも分かるほどに、異様で禍々しい気配が蠢いている。
見ているだけで喉を締め付けられるような不快な圧迫感。以前の俺なら即全身硬直に陥っていただろう、金縛りの前兆――耳鳴りが止まらない。
「え、何々? みんな黙っちゃって。俺、何か悪い事しました? 」
宇古陀がきょとんとした表情で俺達を見ている。
ゴムが焼ける臭いと蛋白質の焦げる臭いが辺りに立ち込める。
今、河原で火を起こしているものは誰もいない。塵を燃やしている不届き者どころか、バーベキューを楽しむ客の姿も無い。
にもかかわらず、その異臭は次第に濃厚になりつつあった。
地面の焦げ跡から、ゆらゆらと黒い気体が立ち上る。
煙だ。地面が燃えているのか?
車三台を呑み込んだ火は、消防の粘り強い消火活動で鎮火したと報道されていたはず。今更、燻り返すのはおかしいだろ。
煙はねっとりと重く絡み合いながら、次第に密度を高めていく。
「宇古陀さん、下がって! 」
四方が叫ぶ。
「え? 」
宇古陀は何が起きているのか理解出来ずに戸惑っている。が、流石に何かを察した様で、恐る恐る事故現場に目線を向ける。
彼は漸く気付いた。彼の背後に、無数の黒い影が佇んでいるのを。
影は次第に輪郭を露にし、その存在を鮮明なものへと変貌し始めた。
ものから者へ。でもそれは決して生ける者ではない。もはや屍と化し、肉体そのものを失った者達の、生への幻想が形を成したもの。
死霊だった。
スキンヘッドの巨漢、茶髪の小柄な男、金髪だった髪が全て燃え尽きた元ロン毛男、他にも区別が付かない程にまで炭化した男達・・・事故死した輩達が、事故の傷跡が残る地面から滲み出る様に現れたのだ。
「んがあああっ! 」
宇古陀が呻く様な悲鳴を上げる。余りもの恐怖に足が竦んで動けないのか。彼は血の気の失せた顔で直立不動のまま動かない。
死霊達の手が、宇古陀に迫る。
あつい
あつい
しにたくねえ
たすけて
たすけてくれえ
おれはまだ
いきたくねえ
スキンヘッド達は、どん欲なまでの生への渇望と受け入れられない死への絶望を呪詛の様に唱えながら、目の前の生ける者に嫉妬の情念を注ぎ続けた。
劫火に焼かれて真っ黒になったスキンヘッドの手が、溶けだした皮下脂肪と体液を滴らせながら、硬直した宇古陀を捕える――刹那。
俺は動いた。
同時に四方も動く。
四方が宇古陀の腕を掴み、思いっきり亡者から引き離す。
スキンヘッドの手が、空を掴む。
俺はその前に躍り出た。
右拳を結び、奴の腹部に叩き込む。
ぐすり
発泡スチロールを打ち抜く様な軽い感触が拳を受け止める。
そのまま構わず拳を押し込む。
奴の腹が消えた。
俺の拳を受けて腹部が粉々に弾け飛び、燻された内臓が地面にごろごろと転がった。
スキンヘッドは声にならない絶望の叫びを上げながら、上半身と下半身がばらばらに崩れ落ち、白い灰となってやがて現世から消え失せた。
俺に襲いかかろうとしていた茶髪男と元ロン毛男が、目の前で頭らしき仲間がいとも簡単に倒されたのを見て躊躇する。
その間隙を俺は逃さなかった。俺は無防備になった茶髪男の喉に拳を叩き込む。
喉が水風船のように弾け、頭部がごろりと足元に落下した。
頭を思いっきり踏みにじる。そして奴の横っ腹に左足で回し蹴りを喰らわせた。
俺の爪先は奴の胴を切断し、隣にいた元ロン毛男を巻き添えにして右わき腹を抉る。前のめりによろける元ロン毛男の背中に右足の踵を落す。軽い粉砕音と共に奴の脊髄は真っ二つに折れ、V字の格好で地面に突き刺さると、茶髪男と仲良く灰化し消えた。
余りにも壮絶な仲間の敗北に、死霊達は狼狽え始めた。
四方が奴らに向けて軽く手を薙いだ。彼の手から、掌位の大きさの白い影が解き放たれた。
和紙を白い人形に切り取ったようなもの――式神だ。
それも、一体や二体じゃない。
無数の式神が彼の手から迸ると、死霊達に次々と貼り付く。
と同時に、死霊達は断末魔の叫びを上げながら次々に灰化し、消えた。
凄い。
あれはひょっとしたら陰陽道?
不確かな知識だが、うろ覚えの名称が脳裏をかすめる。
「鴨ちゃん、後ろっ! 」
紗代の悲痛な叫びが響く。
が、その時、俺は既に背後の敵を捕らえていた。
赤毛の痩せマッチョらしき男は、筋肉が焼けただれて硬直しているにも関わらず、大きく跳躍して俺に跳びかかる――その恰好のままで、奴は中空で停止した。
振り向きざまに放った右足の蹴りが、奴の顔に食い込んでいた。
ぱん
風船がつぶれた様な乾いた破裂音と共に、奴の頭は弾け飛び、全身灰化して土に帰った。
視界から、死霊どもの姿が消えた。
終わったのか・・・否、まだいる。
俺は振り向いた。
紗代と染谷の背後に、複数の黒い影が現れていた。
悍ましい瘴気を放ちながら、真っ黒に焼けた身体をゆらゆらと左右に揺らし、ぎこちない足取りで二人の巫女との距離を詰めていく。火災の時の帆脳に焼かれて収縮し、炭化した皮膚と筋肉が、奴らの動きを妨げていた。
不思議だった。霊体になっても、命を失った時の肉体の状態に機能が縛られているか。最終的には骨だけになっているのだから、今のあの状態が絶命した直後の姿なのだろう。灼熱の炎に生きながら焼かれる阿鼻叫喚の地獄を味わった時の、絶望の中で渇望した生への貪欲な執着が、生きる者への底知れぬ嫉妬と恨みとなって、奴らを殺戮に駆り立てているのだ。
助けないと。
紗代達に駆け寄ろうと一方踏み出した刹那、四方がそれを止めた。
「大丈夫だよ、あの二人なら」
四方は涼し気な落ち着いた表情で紗代達の動向を見届けていた。
死霊達は炭化した頬をぎこちなく震わせながら、猥雑な笑みを浮かべた。
目前に立ち竦む若い巫女達が、自分達に気付いていないと思ったか、それとも自分達の瘴気に当てられ、金縛りに陥ったと思ったのか。
そのどちらもはずれていた。
紗代達は既に自分達の背後から迫る悍ましき存在に気付いていた。
二人は振り向きもせずに印を結び、静かに呪詛を言霊に変えた。
迫り来る死霊達。
が、彼女達に手を出そうとした刹那、死霊達は次々に白灰化し、四散して消え失せた。
その間、彼女達は一切死霊達には触れていない。
一見、無防備に見える彼女達。だが、研ぎ澄まされた刃の様な神気が彼女達を庇護し、命を喰らおうとする邪悪な存在を瞬時にして切り裂いていた。
瞬時にして、濃厚に立ち込めていた瘴気は消え失せ、二人の周囲を清らかな澄んだ気がそよいでいた。
思わず息を呑む。
やはり、この二人は別格だ。
「今度こそ、終わったか」
俺は安堵の吐息をついた。
「否、終わっていない」
四方が表情を強張らせながら、じっと事故現場の焦げた地表を凝視する。
俺はぎょっとした。
黒焦げの地面から、無数の白い手が生えている。
まるで、何かにすがるかのように懸命に手を伸ばしては空を掴んでいる。
おかしい。
輩達の死霊は皆、滅せられたはずだ。
いったい何が出て来る?
俺は疑問に思いながらも、異形の者達の動向を見つめた。
不意に、何かに押し出されるように、手の主達が地面から現れた。
頭部が拉げた、スーツ姿の中年サラリーマン。
首が異様に長く伸び、口からだらりとしたを突き出している、制服姿の女子校生。
全身無数の深い裂傷を負い、血だらけの若い男・・・・。
苦しい
助けて
何故
どうして
私、死んだの?
いきたいよう
いきたいよう
いきたいよう
無数の霊が、断末魔の叫びと悲鳴を張り上げながら、俺達を見ている。
更に、地面から無数の手が伸びる。
それは先に現れた霊たちの足元から、必死に這い上がろうとしていた。
その手の主達は、先に現れた霊体達を上に押し上げて姿を現すと、更にまた無数の手が現れ、その前の霊体を押し上げる。と、その足元には新たな手が。
何だこれは・・・?
呆然と佇む俺達の前で、奴らはところてんを突き出すかの様に地面から自噴井の如く吹き出し、絡み合いながら塔の様に隆起していく。
融合した霊達の無数の手が、塔の側面から俺達に向かって突き出されていた。
空を搔く亡霊たちの表情は無念と後悔に歪み、俺達に何かを訴えかけている様に見えた。
不思議な事に、彼らはそれ以上、俺達に近付こうとはしない。何かを求めながらも、それ以上に俺達の存在を恐れているかのように見えた。
先程滅した輩達よりも個々の敵意は遥かに低い。
だが、そう感じたのは、ほんのつかの間だった。
絡み合いながら融合していくうちに、亡霊達の顔つきが変貌を遂げていく。
苦悶から、怒りへと。
自分の身を蝕み続ける死への恐怖と、死を選択せざるを得なかった己の運命への絶望と後悔――その無念に満ちた情念の融合が、次第に僅かに残っていた彼らの人間性を剥奪しているようだった。
「こいつら、地縛霊だな」
四方が顔を顰めながら呟く。
「地縛霊? 地縛霊なら、死んだ場所から動けないんじゃあ? 」
俺は四方を見た。
「ああ、そのはずなんだけどな。何故だ? ここまで集合体になった霊は初めて見た」
四方が眉を顰め、塔の様に聳え立つ霊達を見上げた。
「みんな、下がって! 私の後ろに来て!」
紗代の力のこもった声が背後から響く。
俺と四方は、腰が抜けて立てなくなった宇古陀を両脇から支えながら、紗代の背後に退避した。
「染谷さん、彼らをお願い」
紗代が染谷に指示を飛ばす。
「はい」
染谷は頷くと、早九字を切り、印を結んだ。
同時に、肌に触れる空気の組成が変化した。青白い波動と共に、清廉な気が俺達を包み込む。
染谷が結界を張ったのだ。
紗代が歩き始める。
ゆっくりと、落ち着いた足取りで。
唇を一文字に結び、静かに亡霊達のオブジェを見据える眼には、今までに見た言葉ない気迫に満ちていた。
亡霊達が醸す瘴気が、誘う様に紗代に絡みつこうとする。
挑発している。今までは俺達の存在を忌避する様な素振りを見せていたのだが。
ただの気配だけじゃない。明らかに、奴らの性質に変化が生じている。
無力な地縛霊から、怒りに狂う大怨霊へと。
紗代は、静かに祝詞を唱え始めた。
日本語の様で、日本語ではない。
否、日本語には違いないのだろう。
本祭の祈祷で聞いた、あの祝詞によく似た言葉が、節々で聞き取れる。
瘴気が融合し、黒い触手と化して、紗代を捕えようと空を泳ぐ。
が、それらは彼女に触れる直前、弾き飛ばされて消えた。
強靭な結界と夥しい覇気が、彼女を防御していた。
黒い触手に牙が生え、憤怒に歪む亡者の顔を成し、紗代に襲いかかる。
辛うじて弾き返す紗代。
明らかに防戦一方だ。
助けないと。
「御代さんなら大丈夫」
俺の想いを察したのか、染谷が耳元で囁いた。
飛び出して行きたい気持ちでいっぱいだった。
でも、今、俺が飛び出したら、かえって彼女の足手まといになる。
俺が殴り掛かったところで、滅せられるのは一体のみ。彼女は一度に複数の霊体を昇華させてしまう力がある。
力の差は歴然だし、今、彼女が対峙している霊は、もはや輩達とは比べ物にならない程の悪意を孕んだ存在に変化している。
俺としては、ここから静観するしかない――のか。
俺は唇を噛んだ。
「神乃御力」の覚醒を自覚し、輩達の霊が現れた時には意気揚々と先陣を切った俺だった。
でもその力は、余りにもちっけなものだった。
紗代達とは比べ物にならない程に。
あの時、俺が動かなくても、彼女達なら一瞬で全ての輩の霊を滅していただろう。
思い上がりにもほどがある。
俺は俺を叱責した。
場合によっては、彼女達に迷惑を掛ける事態になっていたかもしれないのだ。
紗代を信じよう。
今、俺に出来る事――それは、紗代を見守る事しかない。
紗代の祝詞を紡ぐ声が止まった。
だが、妖化した悪霊達に変化は見られなかった。
奴らは嘲笑を浮かべていた。
泣いている様な、笑っている様な、複雑な表情を満面に貼り付かせながら、
明らかに共通の意志を、紗代に注いでいた。
悪意と敵意。
当初の満ち溢れていた、救いを求めて懇願する素振りも、自分の選んだ運命の選択に嘆き苦しむ悔恨の情も、もはや痕跡すら残ってはいない。
全ての責務を他に帰す歪んだ自我だけが、奴らを支配していた。
悪霊達に変化が起こった。
先端部が五つに枝分かれし、その根元が大きく広がる。
手、だった。
悪霊は巨大な黒い手に変貌を遂げていた。
手は指の関節の動きを確かめるような素振りを見せると、その出来に満足したかのように、掌を開いた。
手が動く。掌を開いた状態で、紗代に掴みかかる。
動きが速い。さっきまでの打ち震えるだけの様な動きとは雲泥の差。
まずい。
俺は我慢しきれず飛び出そうと――刹那。
白い閃光が視界を埋め尽くす。
同時に、 凄まじい破壊音が空気をびりびりと震わせる。
手の動きが止まった。
苦悶に歪む無数の顔が腕の表面に浮かぶ。
落雷?
そう悟るのに数秒の時を要した。
落雷だった。雷が落ち、稲妻が巨大な手妖を直撃したのだ。
だが、空には雲一つなく、積乱雲の痕跡すら無い。
こんな事って、あるのか・・・。
驚愕の余り、言葉も出ない。
でも俺以上に悪霊達が受けた衝撃は遥かに強烈だった。
落雷のダメージもあるが、それ以上に意表を突く攻撃に動揺したのか、融合した手に綻びが生じた。
不意に川の水面が波打ち始める。
まるで無数の魚が群れているかのように、皮の中央部が激しく波立っていた。
宇古陀が無言のまま、不安げに川面を見る。
が、俺には何故か不安は無かった。
むしろ、不思議と安堵感すら感じる。
川面が大きく渦巻く。
そして、竜巻の様に中空へと巻き上がった。
中空に舞い上がった水が、陽の光を受けきらきらと輝く。
それは、まるで魚の鱗の様だった。
鱗だ。
俺がそれに気付いた時、水の柱は全貌を明らかにした。
俺は目を見開き、その姿を捉えた。
巨大な黒い龍――黒龍だった。
黒龍はじっと巨大な手妖をじっと見据えた。
夥しい物量の神気に圧倒され、形状を保てなくなったのか、手妖は再び不安定な塔の状態へと戻った。
黒龍が動く。
黒龍は絡みつくように霊の集合体に体を巻きつかせると、空へと上昇した。
霊達は融合したまま、黒龍に導かれて空へと上昇していく。地表に出ていた以外にも、後にもかなりの霊が連なっており、大陸を横断する列車の様に途切れ目なくずるずると連結が続いた。
俺は気付いた。
天に昇って行く彼らの表情が、穏やかで安堵に満ちあふれている事に。
中には笑顔を浮かべている者や、俺達に手を合わせている者もいる。
黒龍に救われたのは、我々だけではなかった。彼らもまた救われたのだ。
霊達が全て天に上がったのを見届けると、紗代は呪詛を唱え、印を結んだ。
事故現場を仄かな白い光が覆い、消えた。
「終わりました」
紗代が微笑みながら振り向くと、軽い足取りでこちらに戻って来た。
「紗代さんが龍を呼んだんですか? それにさっきのあれって・・・どう見てもここで死んだ人たちの様には見えなかったけど」
俺は紗代に問い掛けた。
「うん。あれだけの霊体を浄化するのは、私達の力じゃ到底無理だと思ったので、産童神様にお願いして、黒龍神様を召喚していただいたの。黒龍神は不浄物霊を浄化させる御力をお持ちだから。黒龍神様から教えていただいたんですけど、どうやら、霊道が開いちゃったみたいです。それも、あっちこっちの曰く付きの場所と繋がったみたいで。それで、関係の無い霊まで集まって来ちゃったのね」
「輩達の霊が引き寄せたんですかね」
「そうじゃないと思います。これ、私の想像でしか無いけど、たぶん・・・」
そう言うと、紗代はへたり込んだままで動けずにいる宇古陀を困った表情で見据えた。
まさか、宇古陀が?
彼があの亡霊群を呼び寄せたのか?
ひょっとして、輩達の死霊を俺達にけしかけたのも?
まさか。
俺が見る限り、ただのおっさんだぞ。
「彼に、そんな力が?」
俺は訝し気に紗代に囁いた。
「それは無いです」
紗代は笑いながら首を横に振る。
「鴨ちゃん、多分宇古陀さんのカメラだよ」
染谷が呟く。
「宇古陀さん、其のカメラであっちこっちの心スポの写真、撮ってんですよね? 」
染谷が宇古陀に問い掛けた。
「あ、ああ。そうだけど」
「そのデータは? 」
「取材が終わった後にパソコンに落としているけど、残っているのもあるな」
宇古陀が不安げに答える。
「間違いない」
「ですね」
宇古陀の答えを聞いて、紗代と染谷は頷いた。
「宇古陀さんのカメラ、ちょっとヤバいかもです」
紗代が申し訳なさそうに宇古陀に話し掛けた。
「カメラに残っているデータも影響しているのでしょうけど、カメラ自体にも念の様なものが残っているんです。さっきしきりに燃え跡の写真を撮っていましたよね? 多分、シャッターを押す都度に、今まで巡った心スポと繋がったんじゃないかと思います」
「マジ、ですか」
紗代の説明を聞きながら、宇古陀は神妙な面持ちでカメラをまじまじと見つめた。
これだけ恐ろし気な事実を知ってもカメラを投げ出さないのは、大したプロ意識と言うか、呆れてものも言えないというか。
「霊道、綺麗に塞がってますね。それに浄化もされている。その証拠にほら」
四方が事故現場を指差した。
「えっ! 」
絶句だった。地面から黒い焦げ跡が消えていた。もはや誰が見ても、恐らくここが重大事故現場とは気付かないだろう。
「霊道は完全に封印しておきました。もう開くことは無いでしょう」
紗代が静かに答えた。
「あの霊達が、『いきたい』ってしきりに訴えていたでしょ。あれって多分、『生きたい』じゃなくて、あの世に『行きたい』だったんだと思う。黒龍神様に導かれて天に昇って行く時、凄く穏やかな顔に戻っていたもんね」
染谷がしみじみ語った。
そうかも知れない。
否、きっとそうだ。
最初、彼らは俺達に何かを求めているように見えた。
あれは、成仏させてくれと言う事だったのだろう。そうだとすれば、最後に天に上がっていく時の表情も合点がいく。
「ああっ! 」
突然、宇古陀が絶叫を上げた。
「どうしました? 」
俺は慌てて声を掛けると、宇古陀は絶望感に沈んだ表情で目線を中空に泳がせた。
「写真撮るのを忘れた。最高のシーンだったのに・・・」
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