第8話 滅失
「そっかあ、鴨川さん達は私達の事、まだ詳しくは聞いてないんだ」
染谷がしみじみ呟いた。
「多分、俺がまだ郷民じゃないからだと思います」
俺としてはそう答えるしかなかった。昨日の出来事もそうだが、今回目の当たりにした彼女の幻術も、郷民達にはごく当たり前の事の様で、興奮気味に報告する俺に伝所は大きく頷き、労をねぎらう言葉を掛けてくれただけで、驚いた様子は微塵も無かった。
俺達は今、社務所の奥の休憩室でお茶をご馳走になっている。
夏音も漸く落ち着きを取り戻して、、今は染谷の隣でくつろいでいる。
あの騒ぎの後、染谷が声を掛け続けてくれたおかげで、何とか自力で歩いて社務所まで戻ってきたのだが、報告の受けて駆けつけた紗代を見るなり、張りつめていた気が緩んだのか、腰が抜けてしまったのだ。染谷が彼女を温泉に連れて行った間に、俺は伝所に頼んで夏音のテントから着替えを持ち出したり、彼女がやらかした汚れ物を神社の居住区の洗濯機に放り込んだりと、慌ただしく駆け摺り回った。
やっと一息付けたのは、社務所の戻って来てからかれこれ一時間位たってからか。
「これだけ関わってんだから、私達の事、話してあげてもいいかな」
染谷は徐に語り始めた。
産童神を信仰する郷民の中で特別な御加護を受ける者が何人かいる。その者達は授かった神気により、祭司役と守役に分かれるそうだ。
祭司役は紗代やあやめの様に産童神を祀りたてる一切の役割を司り、守役はその名の通り、産童神とこの郷を守る役割を請け負っている。
どちらも神気を身に宿して神の代わりに各々の役目を遂行する為、人知を超越した能力を操り、それは人によりそれぞれ異なるそうだ。中には稀に祭司役と守役を兼ねる者がいるそうで、紗代と染谷がそれにあたるらしい。因みに、祭司役は皆、女子が代々受け持っているが、守役は男女共にいるとの事だった。
但し、この力が発揮出来るのは、あくまでも神気の及ぶこの郷内だけで、卓越した能力保持者のみ、お守りや護符を身に着けていれば、半減するものの多少の力は郷外でも使えるそうで、今の時点でそのレベルに達しているのは染谷と紗代の二人だけだそうだ。
「悪いけど、この話、SNSで拡散しないでね。これって門外不出が郷の約束事――シキタリだから」
染谷の顔から笑みが消えていた。
真顔で正面から見据える眼には、満面に湛えた涼し気な表情とは全く別の意志が宿っていた。
流石の俺も悟った。彼女の言っている事が決して冗談ではない事を。
「分かりました」
彼女の静かな圧に押し切られ、俺は素直に頷いた。
「このお話を聞いたからには、鴨さんには是非郷民になって頂かないとね」
背後から突然の声。
紗代だ。その後ろにあやめがニヤニヤ笑いながら立っていた。
「は、はあ」
俺は周囲からの異様な圧に押されて、曖昧ながらも頷いた。
「じゃあ決定ね! 伝所さあああん、鴨さんが郷民になるってさあ」
あやめがどたどたと庶務所に向かって走って行った。
と、直ぐに社務所で歓声が上がる。
しまった、はめられた――と思ったがもう遅い。程なくして、満面の笑みを浮かべた伝所が書類を抱えて飛んできた。
「鴨ちゃん、おめでとう! これ手続きの書類だから書いといてね。名前書くだけでいいから」
伝所がにんまり笑みを浮かべると俺に書類を渡す。この時、彼女がさり気なく染谷に目配せしたのを俺は見逃さなかった。
どうやら、伝所が企んだ策略らしい。
でもこうなればもはや言い訳も後戻りも出来ない状況だった。
もう腹をくくるしかない。
俺は半ば渋々書類に名前を記載した。
「えっ! 」
俺は我が目を疑った。
書類には、名前しか書いていない。
にもかかわらず、俺の本籍、実家の住所、生年月日がじわじわと文字となってそれぞれの項目に浮かび上がってきたのだ。それも、俺の筆跡で。
伝所が言った名前を書くだけでいいってのは、こういう事だったのか。
ひょっとして、これが伝所の力。
個人情報を炙り出す能力なのか。
凄いと言っちゃ凄いけど、微妙だ。
瞬時に仕上がった複数枚の書類を、あやめは丁寧に手で揃えると、うれしそうに社務所へ持って行った。
その後ろ姿をぼんやりと見送る。
まあ、いいか。
歓迎されているみたいだし。
俺は苦笑いを浮かべると、湯呑のお茶を飲み干した。
因みに、何故か茶柱が立っていた。
郷民になった事が吉兆を招くと言う暗示なのだろうか。
「鴨さんは、私達と同じ神気を宿しているかもしれません」
紗代がはにかんだ表情で静かに言った。
「それって、守役と祭司役のことですか? 」
彼女に問い掛けながら、俺は緊張に頬が強張るのを感じた。
驚きだった。俺に神気の双璧が宿っている?
でも、確か祭司役は女性に限られているって話は?
「はっきりは分からない。でも、私もそう感じるのよね。今までに前例のない話なんだけど」
染谷が首を傾げ乍ら目を閉じた。自分の中に刻まれた記憶を遡っている様に見えた。
「でもどうして、そんな事が分かるんです? 」
俺は紗代と染谷に問い掛けた。
「さっきの幻術、鴨川さんには効かなかったでしょ? 」
染谷が俺の顔を覗き込む。
「ええ、まあ」
「あの術は守役の神気を宿しているものには効かないの。でも、それでいて奉納の儀には加わっているしね」
「奉納の儀って・・・あっ! 」
驚いて紗代を見ると、顔を真っ赤にして俺に向かって手を合わしていた。
染谷に話したのね・・・あああああああああ。
何だかめっちゃくちゃ恥ずかしくなる。
「カ、カオは? どうだったの? 」
俺は話の矛先を逸らそうと夏音の顔を見つめた。
夏音は複雑な表情を浮かべ、俺からさっと目線を逸らす。
「掛かってた・・・」
そう言う事か、俺はとんでもなく不愉快なものを見せられて反吐が出そうだったのだが、夏音はまさに輩どもが垣間見た淫欲に穢れた修羅場を目の当たりにしたのだ。
彼女がやらかしたのも分からんでもない。
染谷の次は自分が――その恐怖が、彼女の下腹部の緊張を破壊したのだ。
「夏音さんは祭司役だからね、仕方が無いよ」
染谷が優しく夏音の髪を撫でた。
夏音の頬に朱が宿り、黒髪が妖しく艶やかな輝きを放つ。
あの匂いだ。
植物的な清楚な芳香と荒々しい獣香を混ぜわせた様な、魅惑的な香り。
間違いなく、それは夏音から溢れ出ていた。
「カオちゃん、私と一緒だお」
あやめがふざけて背後から夏音に抱き付いた。
「嬉しい」
夏音が微笑みながら振り向く。
まずい、このままではここで奉納の儀をしかねない。
紗代もそれを察したのか、慌てて咳ばらいをして二人の鎮静化を図った。
「染谷さん、あの輩達、本当にもう来ないですかね? あの時、染谷さんがそれらしいことをつるっぱげ男に言い切ったでしょ」
「うん、言ったね」
「それって、売り言葉に買い言葉的な? 」
「そうじゃない。マジだよマジ」
染谷の眼は笑っていたが、そう言い切る彼女の口ぶりに偽りは感じられなかった。
「昨日来た方々もね」
あやめがそう付け加える。
「昨日の奴ら、車を乗り捨てて何処へ行ったんだろ? 」
俺は気になっていた。奴らの中には足や腕を骨折した重症者がいる。車を置いてどこかに行くなんて考えられないのだ。
「ま、そのうち分かるから」
染谷はそう言うと湯呑のお茶を啜り始めた。
「鴨さん、住まいはどうするの? 」
あやめが俺に問い掛けて来る。
強引な話題の転換に戸惑いながらも、俺はこれ以上深く踏み入れるのは禁忌と考えた。
染谷の言う通り、そのうち分かる事なのだろう。
「取りあえずは、テント生活かな」
「私も」
俺があやめの問い掛けに答えると、夏音も習って頷いた。
テントをたたんで陣屋達のペンションかバンガローに移り住むのも手だが、確か神社の定例祭の関係で客室が全て埋まっているらしく、鍵田達は従業員用の部屋に移って手伝いをしているらしい。因みに、その部屋も今は空いていないとの事だった。
まあ俺としては、少しでも紗代のそばにいたいので、テント暮らしでも全く苦痛じゃない。夏音もテント暮らしは慣れたものだから、特に気にはしていないようだ。
「そろそろ次の祈祷が始まりますので戻りますね」
紗代が一礼するとあやめを伴って席を離れた。
「社務所が手薄なのでフォローに入りますね。出来ればお二人にもお手伝いしていただければ有難いんですが」
染谷が席から立ち上がりながら俺達に声を掛ける。
「分かりました」
「大丈夫です」
俺と夏音は同時に承諾の返事を返す。
染谷の言う通り、社務所は伝所と巫女姿の若い女性の二人で切り盛りしていた。初見の彼女は本来拝殿横で祈祷の受付を担当していたらしく、俺達が来たのを見て、安堵の表情を浮かべながら深々と一礼し、拝殿へと戻って行った。
「皆さん有難うございます。今日は手薄なんで助かるわあ」
伝所が嬉しそうに頬を緩めた。
「FU・FU・FUの三人もいないんだ」
俺は閑散とした社務所を見渡した。
「あの三人は警備にまわったの。また変な輩が来ても困るし・・・まあ、もう来ないとは思うけど。陣屋さんと籠屋さんも今日と明日は本業が忙しいから来れないし」
伝所が眉を顰めて苦笑した。
陣屋達が多忙なのは予想がついていただろうが、輩襲来は想定外の事だからやむを得ないのだろう。
俺と夏音が売り子に入り、染谷が御朱印の担当に入る。伝所は状況を見ながら要所要所をフォローする流れだ。
ふと、遠くでサイレンの音が聞こえる。
警察? 消防車? 救急車も何台か走っている。
「何だろう・・・火事かな」
俺は耳を澄ませた。近くではなさそうだ。
「たぶん、これかな。ちょっと大きな事故があったみたいね」
伝所がスマホを俺達の前に突き出した。
ローカルニュースのアプリが、炎上する車の映像を映していた。
それも一台だけじゃない。三台だ。
「この郷の入り口付近だね。カーブを曲がり切れなかった車が制御を失って後続の二台を巻き込んだんだ。そのまま崖下に落ちて炎上してるって」
炎に包まれた三台の車が折り重なっているのはそのせいか――待てよ、この車って。
「染谷さん、これって・・・」
おれは驚愕し、硬直した頬を無理矢理引き剥がしながら、染谷に問い掛けた。
「ね、もう来ないって言ったとおりでしょ」
染谷は口元に笑みを浮かべながら、そっと囁いた。
まるで、当然の結果であるかのように。
背筋に冷たいものが走る。
染谷がやったのか?
でも、場所が離れ過ぎている。
いや、さっき輩達は道に迷って遊歩道に迷い込んでいた。あれも染谷の術だとしたら・・・最初、あの場所には彼女はいなかった。
遠隔で幻術使った?
「鴨さん、残念だけど、私じゃないよ」
染谷が何食わぬ顔でぽつりと呟く。
刹那、戦慄が俺の魂を貫いた。
「うわっ! 何故分かったですか? 」
俺は眼を見開いて彼女を見た。驚きの余り声がひっくり返っている。
「何となくねえ。でも図星だったようね」
染谷がからかう様に俺をまじまじと見つめ返す。
「申し訳ないです」
俺がしょぼん顔で頭を垂れたのを見て、染谷はげらげら笑った。
「産童神様の神罰が下ったのよ、きっと」
伝所は腕組みしつつそう言うと何度も頷いた。
産童神――うぶわらしかみ・・・いったいどんな神様なのか。
その名から最初にイメージしたのは座敷童の様な子供の容姿をした神様だった。
郷人に危害を及ぼす者には容赦の無い神罰を下し、崇め慕う郷人には神気を惜しみなく注ぐ――この郷の守護神、鎮守の側面から感じるのは、猛狂う炎の様な勇ましい鬼神戦神。でも、俺が出会った産童神は、容姿端麗の絶世の美女で、肉欲的にもそそられる魅惑に満ちた存在だ。
元々どんな神様だったのだろうか。
ネットで調べても出てこない。勿論、古事記にも名を連ねてはいない。前に紗代に見せてもらった、この神社に伝わる古文書にも詳細は書かれていない。
産土神の事なのだろうか。
産土神――うぶすなかみと読む。生まれた土地の神様で、色々と言われはあるが、氏神と混同されたりしているらしい。
産土神という信仰がこの郷に伝わった際に、長い年月を経てそう変貌を遂げたのか。それとも文字で伝わった際に音読みで解釈したものが、時の経過とともに訓読み変化してしまったのか。
土着信仰が源泉だと言う紗代の話からすると、そう言ったいくつもの条件が重なり、この郷独自の信仰へと形作られてきたのかもしれない。
この推察、何となく的を得ているような気がする。
ただ、どんな神様かは分からない。産土神と言う名の神がいる訳ではなく、生誕地の神様の総称の様なものだから、例え俺の推察が当たっていようが、それが本来の答えを導き出すものではなかった。
ご神体が山であり、俺が出会った現身は超絶美女。よく昔話では、山の神様は女神であるが、容姿はその――NGワードにしないと神罰が下りそうなので伏せておく。
そこが現実と伝承に開きはある。
それと、何となく引っ掛かる事がある。
女神への奉納が淫猥な行為で在り、しかもその女神が俺に肉体を求め、通じ合ったのは何故なのか。
神と言えば、人知を凌ぐ神聖で崇高な存在なのだ。
その神が、俗物的な存在の俺と交わり、淫悦に酔いしれ、歓喜に身を震わせていたのだ。
ありえるだろうか。
因みに昨日、学生時代に民俗学を専攻していた友人にメールで尋ねてみたが、彼の知る限りでは聞いたことも類似するものも無いらしい。勿論、流石に神様といたした事は言わなかったが。
でも、彼が言うには御神体をお祀りした本殿の無い神社はあるらしい。有名なのは奈良県にある大神神社がそうで、三輪山と言う山がご神体で、ここと同じく拝殿はあるが本殿がないそうだ。でもお祀りされているご神体は有名な神様で、土着信仰とは異なるものとの事だった。
『他にその村の伝承があったら教えてくれ。昔話とか、伝説とか・・・産童神に繋がるヒントが隠されているかもしれない』
俺の話に興味を持ったのか、彼はすぐさまそう送信してきた。
成程、そういう切り口があったのか。こんな時はやっぱ専門家に聞いて正解だ。
彼が言った伝承とかを聞くなら、年配者がいい。
でもこの村の年配者って・・・。
自然と目線に伝所が飛び込んで来る。
この郷の年長者は彼女なのだ。
この村には、古くから伝わる因習や伝承を未来に繋ぐ語り部――お年寄りがいないのだ。
古くから今に続く歴史ある郷であるにもかかわらず、それも、人の出入りが激しく、定着する者がいない。にもかかわらず、郷はその機能を維持し続けている。
若い世代の指示を受け、移住希望者が後を絶たない。が、人口は常に流動し、若者しか住まない奇妙な郷を形成しているのだ。
何気なく感じてはいたのだけど、実際郷人になって自分の置かれた立場を冷静に見返してみると、明らかに不思議なエピソードに満ちあふれている。
昼時になり、参拝客の数が落ち着き始めたので、俺達は交代で食事をすることになった。
食事は氏子衆からの差し入れに加え、陣屋と籠屋が今日と明日は手伝いに行けないからと言って、山菜おこわのおにぎりやおはぎを山の様に持って来てくれたので、昨日に増して豊富なメニューとなった。
先に染谷と夏音が食事を済ませ、その後に伝所と俺が食事をとることになった。
「定例祭の度に太っちゃうんだよね」
伝所は苦笑を浮かべながらも箸を止める事は無かった。見た感じ、そんな太っているようには見えないのだけど。
「伝所さんも祭司役なんですか? 」
「うん。陣屋や籠屋も実はそうなんだけど、今、拝殿に立つことは無いな。やっても裏形ばかりね。どうして? 」
伝所が不思議そうな顔で俺を見た。
「さっき書いた書類、驚きました。名前を書いただけで、あんな風になるなんて」
「あ、あれね。まあ、不思議な力と言えばそうだけど・・・この郷って、スピリチュアルな非日常が日常的な所があるから。慣れちゃえば珍しくもなんともないんだけどね」
伝所の言う通り、それは実感した。まるで魔法の世界の様なアニメチックな世界観が日常に入り込んでいるのは分かる。また、郷人達がそれを当たり前の事と捉えている事に戸惑いはしたが、それも分かるような気がした。俺自身が、摩訶不思議な出来事に連日巻き込まれているせいか、驚きよりもまあこんなこともあるだろと自然と受け止めてしまっているのだ。
祭司役がこの神社の運営や行事に関わるのを役目とするなら、拝殿で笛や太鼓を奏でている助っ人巫女もそうなのだろう。
じゃあ奉納の儀に彼女達が参加しないのは何故?
それを言ったら伝所達もそうだ。
「鴨ちゃん、遠慮しなくてもいいのよ。御代さん達の分も十分にあるから」
「あ、はい」
俺が物思いにふけって箸が止まったのを遠慮していると思ったのか、伝所が声を掛けて来る。
この気遣いが出来るのも伝所故にだろう。
相手に負担を掛けない気配りは流石に大人の風格が感じられる。
それに、風貌も紗代に負けず劣らずの美貌の持ち主だ。スタイルもいいし、胸の双丘も服のふくらみから想像しても、あやめに負けていないと見た。陣屋や籠屋も同等レベルだから、奉納の儀に参加していただけるなら大歓迎なのだけど。
「どうしたの、さっきから黙り込んじゃって」
伝所が心配そうに俺を覗き込む。
「あ、いえ・・・何でもないんですが・・・伝所さん、この郷に伝承とかってあります? 」
無意識のうちに追っていた伝所の胸から慌てて目を逸らし、咄嗟に思っていた事とは違う質問を投げ掛けた。流石に面と向かって奉納の儀に出て欲しいなんて言えない。
「伝承? 」
伝所が首を傾げる。
「ええ、何か動画配信のネタになるのは無いかなって・・・絶対バズる出来事はいっぱいあったけど、動画には撮って無いし、取った所でこの郷のアンダーグラウンドな秘密に関わるだろうから、アップは出来ないし」
「確かに! 配信可能なネタねえ。そだな、御山の遊歩道には所々見どころがあって、そこに伝わる逸話が案内板に書かれているし、大元の資料は役場の郷民図書館にあったかも」
「有難うございます」
「いいえ、どういたしまして。郷民ならいつでも利用可だから、好きな時に来てもらっていいよ」
有難い情報だった。今日とん挫した遊歩道はやっぱ行くべきだな。その前に図書館で下準備は必要か。
ちょうどいい機会だから、もう少し色々聞いてみようと思う。
「祭司役の仕事って、神事がメインですよね? 染谷さんに言われたんです。俺、両方の神気を宿しているって」
「私もそれ聞いた。驚いたよ、ほんと稀だもん。稀ってゆうか、私この郷に来てから初めてよ」
「そうなんですか? 」
「うん。両方の神気を宿す人はいるけど、みんな女だし。男は初めてじゃない? 」
「へえええ。驚いたな」
驚きだった。俺って、そんなに凄いのか?
だとすると、ますますこの郷からは出られなくなるかも。まあ、染谷の例があるから何ともだけど。
「ここの郷の人って、結婚式はやっぱりここの神社で上げるんですか? 」
「それはないなあ。それに、この郷の人達って、みんな独身だし」
「え、そうなんですか? じゃあ、子供もいないんですか? 」
「うん、いない」
俺は眼を見開いた。
これだけ若者がいて、独身者しかいない? 故に子供もいないなんて。
そう言えば、郷の中を夏音と撮影で回ったけど、小さな子供の姿は無かった。
「みんな、この郷を出てから結婚してるかな」
伝所が遠くを見つめるようにして呟いた。
「それはまた、何故? 」
俺は身を乗り出して彼女に問い掛けた。
「うーん、何故だろう」
とぼけたような口調で答える彼女に、俺は妙な違和感を覚えていた。
何かを隠している。
俺を真正面から見据える伝所の目は瞳孔が開き、俺に静かな威圧を掛けている。
俺はそれを受け止めながらも、あえて対抗はしなかった。
彼女はこの郷の中核的存在だ、こんなことで仲違いしたら得られる情報も得られなくなる。
でも。
これだけは聞いておきたい事がある。
「シキタリ、ですか? 」
伝所は目を大きく見開いた。彼女の顔から笑みが消え、口元が強張っている。
まずったか。でも、もう遅い。
俺は無言のまま、彼女の答えを待った。
「そうじゃないんだけど・・・なんとなく、かな」
伝所は強張った口元を無理矢理解きほぐすと、引きつった様な笑みを無理矢理浮かべた。
伝所は困惑していた。分かり易い程に、明らかに何かを隠そうとしている。
「ここに来る人ってさ、何て言えばいいかな・・・色々と心が疲れ切って、何をしたらよいのか分からなくなっちゃって、癒しを求めて来る人がほとんどなんだよね。頑張り過ぎて燃え尽きちゃったって感じかな。大鉈さん達や鴨ちゃん達はちょっと違うけど」
彼女は眉間に皺をよせ、口を閉ざした。恐らくは俺に説明するのに適した文言を紡ぎ出そうと思考を張り巡らせているのだ。
俺が、追及の糸口を見いだせないように、核心を意識の深淵に沈めて防御の秘文を
したためようとしているのか。
「燃え尽きちゃって、社会からドロップアウトした時って、人と触れ合うのが嫌で嫌で、とんでもなく苦痛なのよ。それがここに来て、心の奥底に溜まった毒素を吐き出して、本当にやりたかった事を見つけた時、もうそれしか目に入らないから、結婚とか、家庭を持つとか少しも眼中に無いのよね」
伝所は憂いに満ちた表情でうつむいた。
この話って、これはきっと――。
「気付いていると思うけど、これ、私の事なんだ」
「なんとなく、そう思いました」
俺は頷いた。それは、彼女の言葉の端々から否応無しに感じ取れていた。熱く語る彼女の言葉の一つ一つに、想像ではない経験したものでしか語れないリアルな重みが感じられたのだ。
「前にも言ったかと思うけど、私、近々この郷を出るの」
伝所が、俺をじっと見据えた。それは、己の決意を言霊に乗せて問答無用で実行しようとする強い意志が、ひしひしと伝わって来る。
「この郷で、魂の奥底から溜まった膿を残らず絞り出して新しい生活を始めると、直ぐに人との触れ合いが苦痛じゃなくなってくる。やりたい事に没頭しても、誰も文句も小言も言わないし、やがてそれが身についた時、もう一度外の世界に出たいなって思うようになるのよ」
彼女はふっと吐息をついた。さっきまでの返答に戸惑う素振りは何処へ行ったのか。妙な落ち着きを取り戻すと、俺を見た。
「私が奉納の儀に参加しないのは、もうこの郷を出る身だから。陣屋さんや籠屋さんもそう」
「え、あ、そうなんですね」
俺は狼狽すると、慌てて頷いた。少し前に伝所の身体を眼で犯してしまったことを不意に思い出す。あの時、心に思い浮かべていた無言の質問を、彼女はしっかり読み宛てていた。
「本当に、この郷を出るんですか? 」
俺はさり気なく話題を逸らした。これ以上、心の中を深掘りされても困るので。
「うん。大祭が終わったらね」
「大祭? 二日後の本祭とは違うんですか? 」
「あれは月毎の定例祭。大祭は年一回あるんだけど、それが今月の15日にあるの。一応その区切りまではいるつもり」
初耳――ではない。誰かが会話の中で言っていたような。
染谷だ。確か、ここに来た時、大祭もあるから戻ってきたような事を言っていたような気がする。あの時は余り気にも留めなかったのだけど。
「この郷をでて、何かやりたい事が見つかったんですか? 」
「まあね。ここでも出来るっちゃあ出来るんだけど、不登校の子供達向けのWEBスクールをやろうと思ってさ。一応、通学も出来るように、教室も確保するけど」
「凄いですね 」
「私の親、塾を経営しているんだけど、少子化の世の中だし、大手進学塾に顧客取られて大変なのよ。それで、私が戻ってテコ入れするって訳。私、教職免許持ってるしさ」
伝所の眼がきらきら輝いている。やっぱ、何かと目標掲げて生きている人って、何か違う。魂がエネルギッシュって言うか。
「陣屋と籠屋の二人も、うまくいけば同じ位にここを出ると思う。彼女らは彼女らでやりたい事を見つけたみたいだし」
古株が三人ともいなくなるのか。そう言えば、初めて会った時、私達もそろそろ郷を出るとかいったニュアンスの事を言っていたような気がする。
「不思議ですよね・・・」
「えっ、何が? 」
「御代さんから前に聞いたんですけど、この郷から人が出ない様に神様に祈願して、神様もそれに応えて下さったって。でも、実際には若い世代が移住してくるものの定着しないなんて。それに、お年寄りもいなければ、子供もいない。働き盛りの若い世代だけで郷が成り立っている――これって、考えてみれば超不思議な話ですよ。住民の入れ替わりが頻繁にあるのを知らない人が見たら、一見、不老不死の桃源郷ですよね」
俺は脳内に蓄積した疑問を洗いざらい伝所にぶちまけた。
伝所は何度も頷きながら、俺の語りを遮ることなく、静かに耳を傾けてくれた。
「そうよね。鴨ちゃんの言う通りかも。考え方によっちゃ都市伝説よね。郷民になったらもっと神秘的な体験をするようになるけど」
伝所はあはあはと声を上げて笑った。
「鴨ちゃんと同じ考えの人が、他にもいたよ。去年、『若者だけの不思議な山村』とかいうタイトルで、テレビ局が取材に来てた。都市伝説特集とか何とか言ってたな」
伝所が遠くを見るような目線で語る。
「知らなかった・・・そうなんだ」
スピリチュアル&都市伝説大好き男子の俺は、そう言った番組やSNSにどっぷりはまっているくちなんだけど、すっぱりと見逃していた。
そうか、恐らくその頃、リーダー――鍵田と会社でし烈なバトルを繰り広げていた時期だから、家に帰るなり疲れ果ててぶっ倒れ、テレビもろくに見ていなかったような気がする。
ある意味、メディアにも取り上げられる程、ここって有名なんだ。
確かに、定例祭でこれだけの参拝客が集まるのだから、案外メジャーなのかも。
よく考えてみれば、SNSの発信者が挙って取材に来るような場所だもの。
この郷の神秘性が少し緩んだような気がした。とは言え、表向きにはなっていないとは言え、人知を超える超常現象が当たり前に起きている場所なのだ。
「伝所さん」
「何? 奉納の儀は駄目だかんね」
「え、あ、そうじゃなくて・・・俺も、不思議な力、使えるようになるんですかね」
「うん、なるよ。多分だけど、鴨ちゃんは御代さんや染谷さん位の神乃御力が宿るかも」
「かみのみちから? 」
「そうよ。神気を宿した者が駆使できるようになる不思議な力」
「でも、今はまだ使えないですよね」
「大祭の儀を受けてから目覚めると思うよ。それまでのお楽しみ」
伝所がくすっと笑った。
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