第7話 流転

 俺は湯船に身を沈めると天を見上げた。露天風呂からは、上弦の月と無数の星がきらめく夜空を堪能できる。

 今日はイベント盛りだくさんの一日だった。

 社務所の手伝いは、夜の参拝客様に無人のお守りとおみくじの引き渡し所をしつらえ、後片付けを終えた午後五時過ぎまでだった。無人じゃ不用心じゃないかと思ったけど、伝所の話では過去に盗難は一度も無いらしい。

 俺達に謝礼を渡そうとする伝所に辞退を申し入れたところ、好きなだけ持って行けと差し入れの焼きそばやらクレープやら缶ビールやらを山のように持たせてくれたので、昼飯に続き晩飯も屋台飯となった。

 夏音のテントで動画の編集をしながら食事をとる。勿論、缶ビールで今日の一日に感謝の乾杯はかかせない。

 ビールをぐいぐい飲み干すと、夏音は俺に郷民になった事を話してくれた。俺が山に入っている最中に、社務所を手伝いながら伝所に話したらしい。伝所はこの郷の役場の仕事をしているので、手続きはすぐにやってくれるとの事だった。流石に行動力があると言うか、思い立ってから、さほど立たないうちに実行する速さには舌をまく。

 伝所は俺にも郷民になってほしいと言っていたらしい。

 まあ、悪くは無いと思うのだけど、まだ何となく踏ん切りがつかない。

 産童神も俺のことが気に入っているのは分かっている。

 山頂で対面した神の姿は神々しい美しさで、体を交えた時は最高の快楽と絶頂を俺に施して頂いたのだ。

 拒む理由など一つも無い。

 にもかかわらず、俺の中の何かが、今一歩踏み出す決意に水を差していた。

 多分、俺にはまだ郷外の世界に未練があるのだろう。それ故に、ここに留まる事を欲しないで紗代を連れ出す事ばかり考えているのか。

 そこまで俺を引き留める郷外への執着――それが何なのかは分からない。

 恐らくは、時間が立てば自然と見えてくるはずだ。

 その時に判断しても遅くは無い。

 とりあえずは、そう思う事にした。 

 俺は湯船から立ち上がった。

 夏音は俺と入れ違いに風呂から出て行ったから、今頃は疲れて寝ているのかもしれない。なにしろ、徹夜明けにもかかわらず、フルに一日動き回ったのだから。

 着衣を身に着け、温泉を後にする。

 かなり夜更けだと言うのに、参道の砂利を踏む足音がする。

 郷人なのだろうか、それとも宿泊客か。

 俺達がテントを張っている周囲にも、キャンパーの姿はちらほらだがいる。昼間神社にずっといた為か、声を交わすことはないものの、夕方バーべーキューをを楽しむ声が、動画を編集している最中に聞こえていた。ひょっとしたら、彼らの何人かが昼間の喧騒を避けてお参りしているのかもしれない。

 他に考えられるとしたら、肝試しでもしているのか。温泉に浸かりに来た際、拝殿そばをきゃあきゃあ言いながらうろうろしている集団がいたが、連中はどう考えても参拝しているようには見えなかった。

 この状況じゃ、昨夜みたいな奉納の儀式は無理だろう。

「鴨さん」

 不意に声を掛けられ、慌てて振り向く。

 暗闇に立つ白いワンピース姿の女性。

 余りにもベタな設定に驚きはしたものの、よくよく見ると紗代だった。

「どうしたんですか? 顔が引きつってますよ? 」

 紗代がにやにやしながら俺を見ていた。

「あ、ごめん。白いワンピースが、その・・・」

「これだと思ったのお・・・? 」

 紗代は両手をだらりと下げると、恨めしげな顔つきで俺を見た。

「うわっ! 紗代さん、それリアル過ぎ」

 俺はちょっとびびりながら苦笑いを浮かべた。

 是非、拝殿周辺をうろついている奴にその姿を見せてやって欲しい。紗代と分かっているからいいものの、この仕草で突然目の前に現れたら失禁物だ。

 巫女の装い以外の紗代の姿は初めてだった。それもあって最初見かけた時にすぐには誰だか分からず狼狽したのだ。

「鴨さん、こっちに来て下さい」

 呼ばれるままに俺は紗代の後を追った。

 紗代は社務所とは別棟の住居の方へと俺を導いた。

 引き戸を開け、中に入る。広い玄関。白い珪藻土の壁が、淡い照明にぼんやりと浮かび上がり、和風建築の落ち着きのある雰囲気を醸している。

「どうぞ、上がって下さい。あ、お風呂の荷物は下駄箱の横に置いてもらえれば言われた通りに下駄箱の脇に着替えの入ったランドリーバックを置くと、勧められるままに家に上がった。玄関から脇にそれると、窓沿いに長い廊下が続いている。

 人感センサーで次々に足元を照らす照明の柔らかな光は、優勢を誇る闇に波紋の投げ掛けるものの、一方的に退けるのではなく、漆黒の闇の組成に融合し、幻想的な柔らかな時を刻んでいた。

 廊下は壁に突きあたると更に直角方向に続いている。

 磨き込まれた板張りの床は歩み進める毎にぎしぎしと音を立てた。

 それは決してただの老朽化によるものだけではなく、侵入者対策の鴬張りになっているのだろう。

 彼女は終始無言のまま、俺を奥へと先導していく。

 彼女は俺をどこに招き入れようとしているのか。

 まさか、取って食われたりはしないだろうな――なんて心配は全くしていない。

 どちらかと言うと摺魂抜魂のほうだ。それも心配と言うより期待のほう。

 ぼんやりと照らす柔らかな照明は、ワンピースの薄い生地に包まれた肉体の曲線美を闇に投影し、彼女のシルエットに妖艶な色香を醸していた。

 俺は彼女の後姿を眼で舐めるように追った。俺の目線はもはや性器と化していた。

 引き締まった腰を触手化した目線が押さえつけ、淫根化した目線が尻を攻め続ける。

 前を歩く彼女が話し掛けてこないのをいい事に、俺は妄想王まっしぐらの道を歩んでいた。

 不意に、紗代が立ち止まる。

 欲望二百パーセントの不謹慎な期待値マキシマムの俺の思考を感じ取ったのか、淫猥な笑みを浮かべながら振り返る。

「鴨さん、山頂で神様と交えたでしょ」

「えっ! 」

 紗代の唐突な問い掛けに、俺は言葉を失った。あの事は誰にも言っていないのに。

「熱い気を感じたんです。神様が歓喜に震える波動を。祈祷が終わった後だったのでよかったんですが、あの時、私も一緒に・・・」

 紗代は恥ずかしそうに俯いた。

 祈祷の時に俺が受けたような神気を、彼女も感じ取ったのだ。それも、俺が産童神と一体化した時の気を。

 予期せぬ快楽の絶頂に耐え悶える紗代の姿を見てみたかった。そばにいたあやめは気付いていたかもしれない。

 そう言えば、あやめの姿が見えない。彼女は別の住居で生活しているのか。

 紗代は背を向けると再び廊下を歩み始めた。

「本祭が終わるまでは宵参りをする方がいらっしゃるので、拝殿での夜の奉納の儀は行えません。ですか――」

 紗代は廊下の突き当りで立ち止まると、黒光りした木製の引き戸を静かに開けた。

「ここにも祭壇があるんです。拝殿よりかは小振りですけど」

 俺は息を呑んだ。引き戸の向こうには、蝋燭のほのかな光で満たされた十数畳ほどの部屋があり、正面には拝殿と同様に神鏡の無い祭壇が祭られていた。

 そして濃厚なあの匂い。

 植物的な清楚さと獣的な色欲を孕んだ匂いが、部屋を満たしていた。

 俺が言葉を失ったのはそれだけじゃない。

 そこには互いの肉体を重ねるあやめと夏音の姿があったのだ。

「こちらへ」

 紗代が、あやめ達の横に敷かれた布団に俺を導いた。

「私達も始めましょう。奉納の儀を」

 紗代がするするとワンピースを脱ぎ捨てた。

 ワンピースの下には、何も身に着けてはいなかった。

 形の良い、つんと上を向いた乳房が、俺の視線を絡め取る。

 欲望の顎が大きく開き、本能を開放する。

 俺はマッハのスピードで服を脱ぎ捨てると、彼女を両腕で抱きしめた。

 これは儀式なのだ。

 産童神への大切な奉納の儀なのだ。

 底知れずこみ上げて来る欲望を、俺は躊躇せず解放した。

 事が終焉を迎えたのは、前日同様、野鳥の囀りが朝の訪れを告げた頃だった。

 俺達は四人揃って温泉で身を清めると、紗代から朝ご飯をご馳走になった。

 豆腐のみそ汁と卵焼き。そして焼き鮭。日本の朝ご飯の原風景だった。

 ご飯を頂いた後、紗代達は拝殿の清掃に向かい、俺と夏音は社務所と参道の清掃に向かった。食事の時にお手伝いをさせて欲しいと、こちらから声を掛けたのだ。

 社務所の掃除を終えた後、俺達は、掃除用具を外用の物に持ち替えて参道に向かった。

 不思議と、徹夜二日目にもかかわらず、眠気も疲労感も無い。それは俺だけじゃなく、夏音や紗代達もそうだ。あれだけ欲望を開放し続けたのが嘘の様だった。

「おはようございます。二人とも早いのね」

 伝所と陣屋、籠屋の三人だ。

「おはようございます。お手伝いさせていただいてます」

 夏音が深々とお辞儀をする。

「おはようござああす」

 と俺も慌てて三人に会釈した。

「あのう、鍵田達はどんな感じですか」

 俺は陣屋に恐る恐る尋ねてみた。

「ああ、今日はね、ペンションのお手伝いをしてくれてるのよ。彼女達は今日帰る予定だったんだけど、しばらくここにいてもらう事になったわ。丁度人手不足なので助かった。本人達もここならみんなが守ってくれるって安心感があるのかもしれないね」

 陣屋は微笑んだ。

 確かに、元彼が仕返しに来るかもわからないからな。見るからに素行の悪そうな連中とつるんでいるところを見ると、また同じ類の連中を引き連れてやって来そうだ。

「そうだ、カオちゃん、ちょっといい? 」

 谷上が夏音に声を掛けると、彼女の耳元でひそひそと囁いた。

 途端に、嬉しそうに首を縦に振る夏音。

「鴨ちゃんはどうするの? 」

 陣屋が俺に尋ねて来る。

「どうするって・・・言いますと? 」

「郷人になるかどうかって事よ」

「うーん、まだ迷ってます」

「じゃあ、脈ありって事よね? 」

 籠屋が目を細めると俺に探りを入れて来る。

「え、まあ・・・」

 俺は言葉を濁したものの、彼女はそれも肯定と捉えたのだろう。何となく嬉しそうな表情で頷いた。

 不意に、軽トラが参道を直進し、目の前で止まった。

「おはよう。篝火用の薪を持ってきたよ」

 軽トラから降りた見知らぬ男性が声を掛けて来る。

 身長は俺と同じ位。でも、体格は筋肉質で、見るからに俺よりも齢を重ねている。多分陣屋と同じ位か。カーキ色のTシャツから伸びる日に焼けた腕は、こん棒の様に太く、筋肉の翳りが露骨なまでに浮かび上がっている。

 上半身だけではない、黒いジャージに隠れた下半身も同様に、隆起した筋肉のシルエットが浮かんでいる。日々筋トレに励んでいるのか、それとも仕事が肉体労働なのか。

 短く刈り込んだ髪と野球のホームベースの様な顔。一見いかつそうだが、垂れ眉と垂れ眼がそのバランスを崩していた。

「釜屋さん、有難う」

 陣屋がにこやかに答える。釜屋――聞いたことがある。多分屋号だろうけど。確か、陣屋達と最初に知り合った時の会話で出て来たな。あの時、彼女達と同じ世代の郷人が他にもいて、そのうちの一人が「釜屋のにいちゃん」と呼ばれる人物だったのを覚えている。

「薪、どこに降ろそうか? この前軽トラを拝殿前まで乗りつけたら、御代さんに怒られちゃったしな」

 釜屋は伝所に話し掛けると、ばつが悪そうに表情を崩した。

「社務所の横に降ろしておいてくれる? 後はこっちでやるから」

「分かった。後は人手もいるみたいだから大丈夫そうだな。頼んだよっ!」

 釜屋は俺達を見ると、ニヤッと笑うと頷いた。

 彼は軽トラに乗り込むと社務所前に移動し、俺達が追いつくよりも早く手際良く荷台の薪を降ろし、去って行った。

「熊みたいな体しているでしょ。でも彼、陶芸家なのよ」

 伝所が去って行く軽トラを見送りながら言った。

「え、そうなんですか? 」

 驚きだった。ガタイの良さからてっきり建築業か林業をやってるのかと思った。

 そう言えば、社務所でお茶をご馳走になった時、紗代が湯呑はこの郷の陶芸家が作ったものだと言っていた。あの小さな湯呑を分厚い手で作ったのかと思うと、人は見掛けによらないものだとつくづく思う。

「ここの里山で採れる土が焼き物にいいんだそうよ。『産童焼き』って名前で百貨店や道の駅とかで売っているの。確かネット販売も始めたって言ってたかな」

「凄いですね」

「後継者を育てたいって言ってたから、鴨ちゃんどお? 」

 伝所が笑いながら真顔で勧めて来る。

「うーん、考えさせてください」

 とりあえずやんわりと答えておく。

 どうやらどうしても俺を郷人にしたいらしい。

 早朝にもかかわらず、参拝客の姿がちらほら見え始めた。中には大きなリュックをしょっている人もいる。

 まさか、産童山に登るつもりなのか? あの山は禁足地だ。一言言っておくべきか。

「御山巡りをする人よ」

 声を掛けるべきか思案顔の俺に気付いた籠屋が俺にそっと囁いた。

「御山巡り? 」

「産童山には登れないけど、山裾をぐるっと回って近隣の里山を抜けて湖の方に出るハイキングコースがあるの。最近、そちらが目的の参拝客も増えたわね」

 成程。最近里山登山も流行っているし、これはこれで取材したらいいかもな。

 そう思っていたら、既に夏音は籠屋達にハイキングコースについて根掘り葉掘り聞いていた。流石、仕事が早い。

「鴨氏、掃除が終わったらハイキングコース行こっ! 今日はお手伝いしなくても大丈夫だって」

 夏音が弾んだ声で嬉しそうに言った。

「あいよ」

 と答える俺。流石に嫌だとは言えない勢いだ。

 掃き掃除を早々に終わらすと、俺は掃除道具を片づけに社務所に向かった。

 と、一人の参拝客が目に入る。

 紫色に染めたショートヘアーに、猫の様な大きな目。カラーコンタクトを入れているのか、白目の部分が薄い紫っぽい色をしている。黒い薄手のコートに黒のパンツ。

 足元は黒いパンプスを履いている。

 胸元のふくらみからすると女性か。ダークな服装とは対照的な白い肌が目をひく。

 美人を通り越して麗人の名にふさわしい宝石の様な美貌の持ち主だった。

 歳は・・・分からない。俺よりも年上の様な気はするけど。

 彼女は俺に会釈をすると、社務所の中を覗き込んだ。

「お久し振りです」

 透明感のある不思議な声に、社務所にいる全員が振り向く。

「染谷さん、お久し振りです! 」

 伝所が目を細めた。

「皆さん、お元気そうで。新しい郷人も増えたみたいですね」

 染谷と呼ばれた女性は、微笑みながら俺と夏音を見た。

「染谷さん、上がって下さい。そろそろ御代さんもこちらに来る頃ですから」

 大鉈は恭しく染谷に一礼すると、彼女に社務所に上がるよう勧めた。

 何者なんだろう。

 伝所や大鉈の態度からすると、彼女は郷人から敬わられている存在らしい。

「ありがとう。でもここでいいですよ。皆さんのお仕事の邪魔になるといけませんから」

 染谷は大鉈の誘いを丁寧に断ると、徐に俺達に向かって深々とお辞儀をした。

 が、それは俺達に対してじゃない。

「染谷さん、よく来てくれました」

 いつの間に現れたのか、紗代が俺の背後に立っていた。

「御代さん、遅くなり申し訳ございません。最初の災いに間に合いませんでした」

 染谷が申し訳なさそうに再び頭を下げた。

 災いって、ひょっとしたら昨日の輩襲来事件の事か。それとも鍵田達が犯した禁忌の事なのか。

「大丈夫ですよ。私には強い守役が付いていますから」

 紗代は頼もし気に大鉈達を見た。

「あなたがわざわざここに来たのは、定例祭が目的だけではないですね」

 紗代が静かに言葉を紡いだ。

「はい。不穏な気が蠢いているのを感じたので。今月は大祭もありますしね、守役の皆さんのお手伝いでも出来ればと」

 粕谷の言葉を聞き、FU・FU・FUメンバーの中にどよめきが零れる。それは彼女が語った不穏な気の存在に対する畏怖なのか。それとも彼女が警備に加わるへの驚きと感謝なのか。

 大鉈達の明るい表情を見ると、どうやら後者の様に思われる。

 でも、俺は素直には喜べなかった。

 不穏な気の存在――それは、俺の事じゃないのか。

 産童神に受け入られながらも、郷に留まろうとせず、それどころか紗代を外界に連れ出そうと企んでいる俺の存在を危惧しているのではないか。

 だが俺の企みは誰にも話してなんかいない。

 分かるはずがないのだ。

 俺の心を読まない限りは。

 俺は戦慄を覚えた。

 染谷は人の心が読めるのかもしれない。

 もしくは、予知能力。

 突拍子もない仮説――とは言い切れない。

 この郷なら、ここに縁のあるものなら、ありかもしれない。

 紗代は遅れてやって来たあやめを染谷に紹介すると、社務所の奥へと入って行った。

「伝所さん、あの方は? 」

 俺は社務所から染谷を見送る伝所に話し掛けた。

「染谷さんはね、元々は祭司役の巫女であり、この神域を守る守役でもあったの。それが二年位前、彼女と御代さんに神託がおりたのよ。この郷に不穏な気を及ぼそうとする輩がいないか、郷の外にも守役を派遣して御山と郷の守護と平安維持に努めよと」

「へええ」

「普段は彼女、東京で占い師やってるの。よく当たるって有名なのよ」

 伝所の言葉に何となく納得した。染谷から感じるミステリアスなイメージと見事にリンクしている。

 掃除を済ませた俺達は一旦夏音のテントに戻り、撮影の準備に取り掛かった。

 カメラやバッテリー、そして食料をリュックに放り込み、撮影に向かう。服装も厚いけど虫とかいる事を想定し、デニムパンツに長袖のTシャツに着替えていざ出陣。

 ハイキングコースの入り口は、社務所に置いてあった資料に書いてあったので、夏音が一枚拝借していた。 

 地図を見ると、神社に中から抜けるのではなく、鳥居をくぐる手前に参道とは別ルートの小径が描かれていた。

 境内から参道を戻り、鳥居を抜けると、右方向に延びる小径があった。

 曲がり角に「産童山ハイキングコース」と書かれた看板が掲げられている。

 今まで気付かなかったのだが、参道の横にわき道があり、それに沿って進むと駐車場があり、その奥にハイキングコースの入り口があった。

 因みに駐車場はキャンプ場のある場所の倍ほどの広さはあるものの、まだ朝早いと言うのにほぼ満車状態だった。

「ハイキングコースの入り口から撮ろうよ。駐車場からだと車のナンバーが映っちゃうし。あ、撮影の準備はしておいてね」

「うっす」

 夏音の提案に従い、機材を準備しながらハイキングコースの入り口まで進む。

 流石、配信動画を撮り慣れているだけあって、プライバシー問題には敏感だ。

 丸太をぶった切った断面に「産童山里山ハイキングコース」と書かれた看板が掲げられた小径に足を踏み入れる。

 小径はむき出しの岩や路面を這う木々の根が通行を妨げてはいるものの、登山道に比べれはまだ歩きやすい。結局のところ山の周囲を回っているだけなので、極端なアップダウンが無く、平板な道が続いているだけなので、ちょっとした散策にはいいかもだ。但し、一周するのに三、四時間はかかるらしい。

 参拝客は既に増え始めているものの、流石にこちらはまだ人影が無かった。

 いや、いた。

 道の反対方向から歩いて来る一団が。

 派手な柄シャツに黒いだぶだぶボトムの六人の集団。揃いも揃って黒いサングラスを掛けている。

 どう見てもハイキングコースにそぐわない面々。おまけにリュックも何も持っていない。

 いかつい顔をした面々だが、顔には疲労感が漂い、額に玉の様な汗が噴き出ている。里山登山者やハイカーの一般的な服装からは程遠い恰好だが、御山巡りを楽しんできたらしい。

 俺は夏音との会話をやめ、あえてその集団から目を逸らす。

 嫌な予感がする。

 予感と言うよりも、俺の深層心理に潜む嫌悪の感情が、前面に溢れ出ているだけなのか。

 見るからに、彼らは異様な気を孕んでいた。

 相手を威嚇する殺気めいた狂気――それが、俺が感じ得たイメージ。夏音も同じように感じ取ったらしく、急に押し黙った俺に倣い、徐に口を閉ざす。

「おいっ! 」

 俺はびくっと体を震わせると反射的に声の主に目を向けた。

 異様な輩達の先頭を歩く男だった。

 歳は恐らく俺と同じ位。だがスキンヘッドで浅黒い顔に口髭と言った風貌からは歳は正確に読み取れない。凄みのある形相の分、老けて見えるのだ。

「神社へはどう行けばいい? 」

 彼は不愛想な表情を崩さずに俺に問い掛けて来た。

「神社ならそこの駐車場を出て直ぐそばです。案内の看板も出ていますよ」

「看板? そんなもんどこにあんだよ」

「どこって・・・あそこですけど」

 俺は震える手で後方のハイキングコース入り口に立てられた看板を指差す。

「あれなら俺も見た。こっちの山道を進めって書いてあったぜ」

「え、そんなはずは・・・」

「見間違えてなんかいねえぞ。皆で見ているんだからな」

 スキンヘッドの男がサングラス越しに俺を威嚇する。

 威嚇されたって答えは同じだ。見間違い以外考えられない。

 ていうか、あれを見間違えるか?

 ご丁寧に矢印で方向まで示していると言うのに。

「まあいい、そこまで案内しろ」

「え? 」

「いいから早く案内しろってんだっ! 」

 スキンヘッドの後ろで様子を伺っていたツーブロックの男が苛立たし気に暴言を吐き捨てた。

「参道まででいいですか」

「社務所まで連れてけ」

 スキンヘッドが俺を睨みつける。

「え、社務所? 」

「ああ、そこの連中に用があってな」

 奴の表情が険しくなる。

 予感が当たった。

 恐らくこいつら、鍵田の元彼の仲間。刀人達にはまともに太刀打ち出来ないと思った奴らが、救援部隊を呼んだに違いない。

 俺達が案内すれば、恐らく騒ぎは免れない。昨日みたいに他の参拝客達が無関心でいてくれれば救われるのだが。

 でも、なんかおかしい。目の前の輩集団を見ても、昨日の面々の姿が見当たらないのだ。

「何かございましたか」

 落ち着き払った若い女性の声にはっとして振り向く。

 俺は眼を見張った。

 染谷だ。しかも、巫女の装束で俺達の背後に佇んでいる。

「えらくぶっ飛んだ巫女さんだな。丁度いいや、あんたに聞きたい事がある」

 スキンヘッドがにやにやしながら染谷を見据えた。確かに、紫色の髪の巫女はふつういないだろう。おまけにショートヘアーというのも珍しいか。

「何でしょうか」

 染谷は抑揚の無い声でスキンヘッドに返した。

「昨日、若い男が四人、神社に来て何か騒動を起こさなかったか? 」

 スキンヘッドが探るような目つきで染谷をねめつける。

「さあ、それはどうか。私には分かりません。昨日までは県外にいましたので」

 染谷は怪訝な表情を浮かべた。

「話しぐらい聞いているだろう」

「申し訳ありません。よく分からないです」

 染谷が感情を押し殺した声で答える。

「分からない訳ないだろうがっ! 」

 スキンヘッドの後ろで睨みを利かせていた小柄な茶髪男が、つかつかと染谷に近付くと、顔を彼女に急接近させた。

「なあ、本当の事を言えよ。おまえら、菅嶋の奴をかくまってんだろっ! 」

「知りません」

 目を吊り上げて圧をかけまくる茶髪に対し、染谷は身動ぎもせずに対峙する。

 菅嶋? 菅嶋って誰だ? 昨日来た輩の中の誰かなのだろうけど。かくまうってのはどういう意味だ?

 なんかおかしい。

 こいつら、昨日来た連中の仲間って訳じゃないのか。

「菅嶋の女も一緒か? 」

 スキンヘッドが更に畳み込む様に染谷に問いただす。

「知りませんし、誰もかくまってなんかいません」

「正直に言った方がいいぜ。こっちは菅嶋のミニバンが駐車場に放置されているのを見つけてんだ」

 スキンヘッドは勝ち誇ったようににんまりと笑った。

「奴は俺から金を借りてんだ。利息込みで一千万。金がねえから元カノに肩代わりさせようとしている糞野郎だ。かくまっても壱円の特にもならないぜ」

 漸く分かった。

 菅嶋って、鍵田達の元彼のことだ。

「一千万・・・よくそんな大金を貸せましたね」

 染谷が呆れた口調で吐き捨てた

「利息込みっていったろ。最初は五十万。一週間で返す約束が遅れに遅れて利息が膨れ上がっちまったんだ」

 無茶苦茶な話だ。ひょっとしてこいつ、闇金の元締めか?

「それを、あの二人に肩代わりさせようと・・・」

 染谷の表情が曇る。

「おいおい、俺は元カノが二人だなんて言ってねえぜ! やっぱり知ってんじゃねえか」

 スキンヘッドが得意気に笑みを浮かべながら染谷をねめつけた。染谷は口惜しそうに唇を噛んで奴を睨みつける。

 恐らく染谷は紗代から鍵田達の事を聞いていたのだろう。

「菅嶋だけじゃねえ。俺の仲間が奴の監視役で同行してたんだが、連絡が取れねえ。どうなっちまったんだか。金をせしめて飛びやがったかとも思ったけどそうでもなさそうだしな。ただな、気になることが一つある」

 スキンヘッドの顔から笑みが消えた。

「助けてくれ、奴らは化け物だ――それが、仲間からの最後の連絡だった」

 不意に、沈黙が徳の狭間に耐え難い重圧を齎した。

 スキンヘッドはゆっくりと染谷に近付いた。

「何か隠してるだろ。言えっ! 」

 男の分厚い手が、染谷の頬をぶった。

 その威力に押されて、染谷の身体が、大きく吹っ飛ぶ。

 俺は慌てて彼女に駆け寄った。

「大丈夫よ、下がってて」

 彼女は俺に囁くと、よろよろと立ち上がった。

「おい、そこの兄ちゃん、いいカメラ持ってるじゃねえか。動画配信やってんのか? 」

 スキンヘッドが上目遣いに俺を見た。

 俺は答えず、黙って奴を見据えた。

「これからおもしろいもんみせてやっからよ、動画に撮って配信しろっ! 」

 奴はそう言うと染谷の腕を掴んだ。

「離してっ! 」

 染谷は手を振りほどこうと抵抗する。だがその手を仲間のツーブロックと金髪男が抑え込んだ。

 体勢を崩した染谷は前につんのめると、地に膝をつき、四つん這いになった。

 両手を男達に押さえつけられた染谷は、臀部をキンヘッドの眼前に突き上げた。

 奴の眼に、好色気な劫火が宿る。

 スキンヘッドは獣の様な咆哮を上げると、染谷の袴を一気に摺り下げた。 

 白いスリムな両脚と薄い紫のパンティ―に包まれた小振りな尻が露になる。

「やめてっ! 」

 泣き叫ぶ染谷。 だが奴は容赦なく彼女のパンティーを膝まで下げた。

「口を割らねえ以上は、下の口に聞くしかねえな」

 スキンヘッドはにやにや笑みを浮かべながらボトムスののファスナーを下げた。

「本当に知らないんです。許してっ! 」

 染谷が顔を涙でぐしょぐしょにしながらスキンヘッドに懇願する。

 だがそれは奴の同情をかうどころか、反対にサディステックな本性に火をつけることのになる。

 スキンヘッドは奇声を上げるとバックから染谷を犯し始めた。

 染谷が苦悶の声を上げる。

 だがスキンヘッドは、細くくびれた染谷の腰に無骨な指を食い込ませ、盛りのついた獣のように犯し続ける。

 泣き叫ぶ染谷の悲鳴と、激しくののしるスキンヘッドの怒号が、おぞましい不協和音を奏でる。

 スキンヘッドは満足げな笑みを浮かべると、染谷から離れた。

 染谷は行き絶え絶えになりながら地に伏せた。

「まだ終わらねえぜ」

 スキンヘッドの合図とともに、他の男達も次々に染谷に体を重ねていく。

 男どもの野卑な嘲笑と染谷のすすり泣く声が、木々の迫る静な遊歩道を阿鼻叫喚の地獄絵図に陥れていた。

 反吐が出そうだ。

 だが、目を背ける事も出来ない。

 余りも異様な光景だけに。

 一巡りしたのか、男達は染谷を地面に突き飛ばした。

「さあ、姉ちゃん。洗いざらい吐け。でないと命の保証はねえぜ」

 スキンヘッドが殺気を孕んだ声で染谷に言い放った。

「満足したか? 」

 染谷は俺の横で佇みながら、口元に冷笑を浮かべた。

 そう、俺の横で。

 男達は愕然とした表情で、自分達が辱めていた者を凝視した。

 下半身丸出しの小柄な茶髪男が四つん這いで尻を突き出したまま、地面に突っ伏していた。

「けつが、いでえ・・・」

 茶髪男は苦悶の呻きを上げると、気を失った。

 奴らは言葉を失った。顔面蒼白のまま、下半身丸出しの男を凝視する。

「なんだよ・・・これはよう」

 スキンヘッドが驚愕の余りに貼り付いた唇を無理矢理引き剥がし、呟いた。

「お前達が仲間を蹂躙し、辱めた。それだけの事」

 染谷が淡々と語った。

「お前、何をした!? 」

 スキンヘッドが身体を震わせながら染谷を見た。

 それは怒りと言うよりも、得体の知れぬ彼女への畏怖とも取れた。

「何もしていない。そうですよね」

 染谷は悪戯っぽく笑みを浮かべ、俺に同意を求めた。

 彼女の言葉に偽りは無かった。

 スキンヘッドが最初に手を出す前に、染谷は既に俺の傍らにいた。

 奴が平手打ちをしたのは染谷じゃない。小柄な茶髪男だ。その辺りからスキンヘッド含め他の仲間達も茶髪男を染谷だと思い込み、好き放題にやらかしたのだ。

「おっしゃる通りです。何もしていないですね。彼らが突然仲間の男に襲いかかって強姦した。証拠の動画も残っている」

 俺はカメラを彼らに見せた。

「動画をとっていただと!」

「おまえが撮れっていたんだろ。吐き気を我慢して撮ったんだぜ」

 顔を真っ赤にして血走った眼で激高するスキンヘッドに、俺は素っ気なく答えた。

「どうします? 彼の希望通り、配信しますか」

 染谷が口元を手で隠しながらくすくす笑った。

「無理です。チャンネルがバンされちゃいます。お蔵入りですね」

「ですよね」

 俺の答えに、染谷は頷いた。

「きさまらっ! 」

 スキンヘッドが咆哮を上げると俺達に襲いかかった。

 正確には、俺達じゃない。突然、仲間の一人に殴り掛かったのだ。

 同時に、他の者達も仲間同士で殴り合いを始める。

 染谷はその様子を冷ややかな笑みを浮かべながら見詰めていた。

 彼女が手を下した訳ではない。

 直接は。

 でも、何かをしている。

 それは明らか。

「そろそろおやめにならないと死人が出ますよ」

 染谷が心配そうに奴らに語り掛ける。

 男達は我に返ると拳を止め、殴り合っていた相手の顔を見て眼を見開いた。

 不意に沈黙の時が訪れる。

「帰るぞ・・・」

 スキンヘッドは青ざめた顔で仲間達に弱々しく声を掛けた。

 奴は今だ意識を取り戻さない茶髪男を仲間に運ぶよう指示する。

「また来るからな」

 スキンヘッドは染谷と擦れ違いざまに捨て台詞を吐いた。

「それは叶わない約束です」

 染谷は顔色一つ変えずに即座に返す。

 スキンヘッドはぎょっとした表情を浮かべると、それ以上虚勢をはることなく駐車場へと消えた。

 黒いワンボックスカーが二台と黒いミニバンが一台、猛スピードで駐車場から出て行く。前の二台が奴らの車で、最後の一台は菅嶋の車の様だった。

 手土産一つ無しに帰るのもしゃくだったのだろう。よく言えば借金の方の差し押さえだが、法的手続きを踏んでいない以上、盗難だ。

 だがそれについては染谷は何も触れず、何も仕掛けなかった。

「染谷さん、さっきのあれって催眠術ですか? それとも幻術? 」

 奴らが視界から消えたのを見届けると、そっと染谷に尋ねた。

「うーん、どっちかってえと、幻術かな」

「凄いですね」

「そんな、大したことないですよ。この郷には、もっと凄い人がいますから」

 染谷は謙遜しながらも嬉しそうに答えた。

「この郷の人って、不思議な方ばかりですね」

 俺は思い切って染谷に尋ねた。染谷の事といい、昨日の出来事といい、超常現象のオンパレード。だがそれを産童神の御加護の一言で不思議と納得してしまう自分自身にも疑問を感じていた。

 郷の気に呑み込まれているのか。郷の醸す不思議なエネルギーに意識を上書きされた――あるいは洗脳されたのか。

「社務所に戻りましょうか。彼女のケアも必要だし」

 染谷は、魂が抜けた様な表情で立ち竦んでいる夏音を心配そうに見つめた。

 俺はこの時になって漸く気付いた。

 夏音のデニムパンツに、黒々と大きな染みが生じていた。

 



 


 

 

 


 

 


 


 















 

 

 

 


 


 



 

 

 

 


 

 

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