第6話 訓戒

「意外だったな。てっきりいい仕事に就きたいとか、宝くじを当てて運命を変えたいとかかと思ってたよ」

 俺は隣で御朱印の受付をしている夏音に声を掛けた。

「うん、意外だった。てより、驚いたよ、まるでサスペンスドラマみたいな話だし」

 夏音が手持無沙汰そうに御朱印帳の預かり札を手で弄んでいる。

 登山口で紗代に促され、リーダーが語った話は余りも強烈過ぎて、俺には正直の所、実感が沸かなかった。

 リーダーと彼女の友人の願い――それは、元彼との因縁を断ち切り、新たな人生を歩みたいと言うものだった。

 リーダーには、つい最近まで彼氏がいて、同棲までしていたのだが、色々あって結局別れたらしい。彼女より一つ上で、同じ大学の先輩だった。

 その元彼だが、就職先で問題を起こして退職し、自暴自棄になった挙句、定職にも就かずにぶらぶらとヒモの様な生活を送っていたらしい。昼間から酒に溺れ、リーダーに金を無心してはギャンブルで溶かしてしまう最低な輩に成り果てていたのだそうだ。

 それでも、リーダーは元彼がいつか奮起して人生をやり直してくれることを期待して我慢して寄り添っていた。

 が、ある事実が発覚した途端、流石に愛想をつかして別れる事になる。

 その男、彼女の友人にも手を出していたのだ。元彼と彼女の友人とは、大学在学中にバイト先のコンビニで知り合い、同じシフトで仕事をしているうちに男女の関係になったらしい。

 時間軸で見てみると、その時点で既にリーダーと付き合っているにもかかわらずだ。

 更に呆れた話なのだが、そいつは無職になってからはリーダーと友人の二人からお金を無心していたらしい。

 元彼の二股が明らかになったのは、二人がお互いの彼氏の事で相談し合った時の事だった。同じ境遇で悩んでいる事が分かり、話せば話すほど、状況が似通っているので、まさかと思ってお互いの彼氏の画像を見せ合ったのだ。

 まさかが事実と分かった瞬間、二人の心から男への愛情は消え去った。代わって、底知れぬ憎悪と嫌悪と侮蔑が入り混じった紅蓮の炎と化し、男と過ごした記憶を跡形残さずに燃やし尽くした。

 その日、二人はリーダーのアパートで待ち構えると、酔っぱらって帰ってきた男に三行半を突きつけ、奴の荷物と共に部屋から放り出した。

 しばらくはドアを蹴ったりして騒いでいたが、アパートの他の住民が警察に通報してくれたらしく、駆け付けた警官にドナドナされていった。

 これで全てが終わった――のでは無かった。。

 ここから元彼の二人へのストーカー行為が始まったのだ。

 夥しいメールと電話。最初は自分の非を認め、反省と復縁の言葉を繰り返していたが、呆れた事にそれを二人にやっていたのだ。リーダ―と友人は美津に連絡を取り合っていたので、愚かな猿芝居はのっけから化けの皮が剥がれており、二人はスルーを決め込んだそうだ。

 二人が無視しまくっている事で諦めてくれればよかったのだが、こいつの場合、更にエスカレートすることになる。

 無言電話や後をつけたりアパートをの部屋を外からじっと監視したり・・・流石に怖くなった二人は警察に相談し、退職したのをきっかけにアパートを引き払って実家に戻ったのだが、どうやって調べたのか、そこにも姿を現すようになったのだ。

 元彼との共通の知り合いからの情報では、最近悪い輩とつるむ様になったらしい。

 二人は追い詰められ、思い悩んでいた矢先に偶々ここの神社を知り、神にすがる思いで訪れたのだそうだ。

 因みに、あやめや俺に対するいじめは、元彼がらみのストレスによるものだった。だからと言って正当化されるものではないが。

 話を聞いた紗代は二人を許すと、温泉で身を清めるよう勧めた。

 彼女は二人がやらかしているのを知っていたのだ。

 頂上での失態に加え、登山口で紗代達が待ち構えているのを見て更に追加でやらかしたのは、恐らく俺以外誰も気付いていない――と、思っていたのだが。

 着替えは二人が宿泊しているペンションの従業員が車で持って来てくれた。

 俺はお守りの補充をしながら参道を見渡した。

 もうお昼を過ぎているのだが、参拝客の足並みが途絶える事は無かった。とは言うものの、食事時と言う事もあってか、朝に比べれば幾分減ってはきている。

 リーダー達の一件があってから、紗代の頼みでF・F・Fメンバープラス蟲暮のしんちゃんが、本祭が終わるまで登山道入り口周辺の警備にあたる事になった。そこで、俺と夏音は手薄になった社務所のフォローに入ったのだ。

 因みにリーダー達がぶっ壊した監視カメラと人感センサーだが、吹田――弓曳があっという間に直してしまった。何でもただコードが抜けていただけだったらしい。

「断線だったら全交換だったもんな。不幸中の幸いだよ」

 弓曳が安堵の表情で呟きながら苦笑を浮かべていた。

 実質被害ゼロだったは神の御加護なのだろうか。

 重鎮が三名抜けた穴を新参者二名で穴埋めするのは無理があったものの、リーダー達の着替えを届けてくれたペンションの女性スタッフが応援で入ってくれるとの事で何とか持ちこたえていた。

「篝火です。宜しくお願いします」

 初対面の俺達に、彼女は人のよさそうな優しい笑みを浮かべながら、深々と頭を下げた。篝火と言うのは恐らく屋号。銀縁眼鏡にポニーテール、そして新雪のような白い肌が魅力的な地味系美人のお姉さんだ。お姉さんと言いながらも、恐らく俺よりも年下だろう。

 彼女は以前にもお手伝いした事があるとの事で、その仕事ぶりは、もたもたしまくっている俺なんかとは雲泥の差で、大いに助かったのは言うまでもない。

「失礼します」

 奥の引き戸が開いた。リーダー達だ。服装はさっきとはうって変わって、リーダーが白いカットソーにベージュのハーフパンツ、友人の方がベージュのロンTにデニムのミニスカートで現れた。流石に着替えるのは下着だけとはいかなかったようだ。

「皆さん、ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」

 二人はここでも土下座をすると、深々と頭を下げて謝罪した。

 谷上――伝所が、顔を上げるように促すと、漸く二人は顔を上げた。

「あのう・・・何か、お手伝い出来る事はありませんか? 」

「カメラは直ったので、弁償はいいからと言って頂いたんですが、せめてお詫びをさせてください」

 リーダーと友人は言葉を詰まらせながら伝所に尋ねた。

「宜しくお願いします。私、鍵田遥と申します」

 リーダーが深々と頭を下げた。

「辻村朱里と申します。宜しくお願い致します」

 自己紹介をしたリーダーを見て、彼女の友人も慌ててそれに続いた。

「うーん、そうね・・・じゃあ、鍵田さんは鴨ちゃんの所に、辻村さんはカオちゃんの所に行ってくれるかな」

 谷上は暫く考え込むと、笑みを浮かべながら二人に声を掛けた。

「え、いいんですか? 」

 俺は伝所に答えた。

「うん。二人ともまだ撮影があるんでしょ? 」

「まあ・・・あるかもですん」

 俺が何とも中途半端な返事をすると、伝所は笑みを浮かべ、頷いた。

「じゃあそう言う事で。二人に起死回生のチャンスを与えてあげましょう」

「有難うございます」

 二人は俺達のそばに来ると、申し訳なさそうに頭を下げた。

「鴨君」

 リーダーが俺の耳元でそっと囁く。

「はい、何でしょう。あ、仕事は簡単ですよ。参拝客の方が購入されるお守りや御札を子袋に入れて渡すだけなんで。後は少なくなったら後ろの在庫から持ち出して補充するくらいです」

 俺は受け持ている仕事の内容を簡単に説明した。

「有難う。あの・・・鴨君、今までの事も含めてごめんなさい。あやめちゃんにもさっき謝って来た」

「そうですか。有難う御座います」

「敬語は使わないで。もう鴨君の上司じゃないんだし。それに、歳もためでしょ? 」

「え、ああ、そうで――だね」

 俺は苦笑いを浮かべた。

 急に謙虚になった鍵田に戸惑ってしまう。これはこれで困った。

「それと、もう一つあって」

 鍵田は更に声のトーンを落とした。

「私達がやっちゃったこと、内緒にしておいてね」

 彼女は顔を赤らめながら俯いた。

「了解」

 俺は頷くと席を立った。

 二人はその後、伝所からも仕事の手順を教わり、それぞれの窓口についた。

 俺達は谷上らに挨拶を済ませると社務所を後にした。昼食は屋台を出している郷民からの差し入れが山の様にあり、時間を見て夏音と交代でご馳走になったので、既にお腹は満たされている。

「鴨氏、そろそろ山で何があったのか教えてくれない? 」

 夏音が好奇に目を輝かせながら俺を覗き込んだ。

 山から帰還した後も社務所の手伝いとかがあったから、夏音に話すタイミングが無かったのだ。谷上達は特に関心がないのか、それとも知っていてあえて聞かないのか、何故かその話題に触れ無かったのだ。

 ひょっとしたら、山頂での出来事は禁忌なものとして捉え、触れてはならないのか。

 俺は夏音に大筋を説明した。山頂に行ったら、鍵田達の服だけが祠の踊り場にあった事、二人を探そうとしたら産童神が姿を見せた事、鍵田達を戻してもらいたいと懇願したら、服が人型に膨らみ、彼女達姿を現せた事・・・。神様と対戦したことは流石に言えなかった。

「神様って、どんな姿だったの? 」

「綺麗な人だったよ。天女みたいな感じかな」

「へええ、羨ましいな。あーあ。これ、動画撮れてたら多分すげーバズのに」 

 夏音が口惜しそうに呟いた。

「まあ、な」

 俺は唇を閉じた。

「どうしたの? 」

 彼女は怪訝そうに俺を見つめた。俺の表情が変わったのに気付いたらしい。

「何か妙な奴らが来た」

 俺は真っ直ぐこちらに向かって歩いて来る4人の若造を見ていた。若造と言っても、俺と歳はそう変わらないと思う。

 やたらと体格のいい、日焼けした髭面モヒカン男一名とヤセマッチョの金髪ロン毛男が一名。痩身だが引き締まった体躯の赤髪ショート男が一名。そして、彼らを引き連れて歩く黒髪イケメン崩れの痩身痩躯が一名。

 まるで人を探しているかの様に、辺りをきょろきょろと見渡している。一緒に来た仲間とはぐれたのだろうか。

 そんな俺の推測は全く別の意味で的を得ていたようだった。

 先頭を歩く黒髪男が社務所の中を覗くなり、いきなり奇声を上げたのだ

「おっ久しぶりー! 遥! 朱里! 」

 黒髪の男が気味悪い笑みを浮かべながら鍵田と辻村を見据えた。

 顔は笑っているが眼は全く笑っていない。眼球に宿る冷ややかな光は、再会を懐かしむものではなく、怒りと憎悪が入り混じった残忍な思念そのものだった。

「こんな所にいたんだ。探したぜ」

 黒髪の男が、鍵田の顔を覗き込む。

「帰ってよ・・・もう関係無いんだから」

 鍵田は目を伏せると、震える声で拒絶の台詞を絞り出した。

 流石に鈍感な俺でも察したよ。こいつ、鍵田の元彼だ。

「そんな寂しいこというなよ」

 黒髪男は淫猥な笑みを浮かべると、鍵田の眼前にスマホを突きつけた。

「これは・・・!? 」

 鍵田の顔からさっと血の気が引く。

「遥のだけじゃなくて朱里のもあるぜ」

 にやりと勝ち誇った笑みを浮かべる黒髪男に、鍵田はぞっとする様な憤怒の表情を浮かべると、間髪を入れずに男のスマホに手を伸ばす。

「おっと、そうは行くかよ」

 黒髪男は素早くスマホを引っ込めた。

 刹那、俺の眼に奴のスマホの画面が飛び込んで来る。

 鍵田の裸の画像だった。満面の笑顔で仰向けの男の上に跨っている。

 勿論男も裸。男の顔は不明だが、貧相な体躯から察するにこいつ本人なのだろう。

「今から俺と一緒にこい。二人ともな」

 奴の顔から笑みが消えた。射貫く様な眼で、鍵田と辻村をねめつける。

「嫌よ」

 鍵田は奴の顔をじっと睨みつける。

「じゃあ、これ、SNSで拡散しようかなあ。名前付きで」

 黒髪男は小馬鹿にした様な口調で二人の前に再びスマホを突き出した。

「これ、コラだね」

 深川――刀人がひょいとスマホの画面を覗き込む。

「うわっ! な、なんだお前! 」

 突然現れた人影に黒髪男はぎょっとした面相で驚きの声を上げた。

「とんでもなくへたくそなコラ画像だよ、これ。デリヘルのお姉さんを呼んで写真撮って上手く貼り合わせたつもりなんだろうけど、首が微妙にずれているし――」

「うるせえ、言いがかりつけんじゃねえっ! 」

 刀人の前に黒焦げモヒカン男が立ちはだかる。刀人も体格がいい方だが、黒焦げモヒカンは彼より二回りはでかい。下手に抵抗すると命に関わるリスク大。

「言いがかかりも何も、事実だし」

 だが無謀にも、刀人は躊躇する素振りすら見せずに黒焦げモヒカンに反論した。

 刹那。

 黒焦げモヒカンが無防備な刀人の腹部に左拳を打ち込む。

 同時に、鈍い粉砕音。

 が、刀人は動じなかった。動じるどころか、哀れみの目線を黒焦げモヒカンに送っている。

 跪いたのは黒焦げモヒカンの方だった。奴は苦悶に表情を歪めながら、左拳を凝視した。

 手首が、在り得ない方向に曲がっていた。手首だけじゃない、指も赤黒くうっ血し見る見る間に貼れ上がっていく。

「手首やっちゃったねえ。指も関節が砕けたみたいだし。もう使い物にはなんないよ」

 刀人は眉間に皺を寄せながらすっとぼけた口調で彼をたしなめた。

「お、お前、腹に何か仕込んでやがるなっ! 」

 黒焦げモヒカンが泡を飛ばしながら叫んだ。

「仕込んでなんか無いよ、ほら」

 刀人はTシャツを捲り上げた。彼の言う通り、Tシャツの下には信楽焼の狸のようなぽこんと突き出た自腹のみで、防具は一切着けていない。

「か、関係ねえ奴は口出すんじゃねえっ! 俺はあの二人に用があるんだっ! 」

 黒髪男は甲高い声でぎゃんぎゃん喚き散らした。仲間の黒焦げモヒカンの不可解な自爆に動揺しており、虚勢をはっているのが見え見えだ。

「騒がしいですね。何かあったのですが? 」

 落ち着き払った声が背後から響いた。

 紗代だった。

 無表情に近い彼女の顔には、静かな怒りが宿っていた。

 彼女の感情を押し殺した能面のような表情に威圧され、黒髪男は唇を震わせるだけで声を一言も発せずにいる。

「そこの・・・二人と、話がしたいだけだ」

 奴は貼り付いた唇を無理矢理引き剥がしながら、かろうじて言葉を綴った。

「二人は話したくないようですけど」

 紗代が仄かな笑みを口元に浮かべた。

 それは決して愛想笑いじゃない。目の前の下賤な輩達への嘲笑だった。

「いいから、二人をこっちへ引き渡せよっ! 」

 金髪ロン毛男が社務所の側壁を蹴り上げる。

 バキッという粉砕音。

 次の瞬間、その男は身悶えしながら地に沈んだ。

 壁は何ともない。

 そもそも当たっていないのだ。

 その一部始終を、俺は完璧に見届けていた。

 奴の蹴りが側壁に触れる瞬間、彼の足がすねの中ほどから「くの字」に折れ曲がるのを。

「お、おい、こいつらなんかやべえぜ」

 赤髪ショート男が蒼褪めた表情で黒髪男に囁いた。

「ビビってんじゃねえよっ! おいっ! いつまで寝っ転がってんだっ! 早く起きろっ! 」

 黒髪男が金髪ロン毛男を叱咤した。

「無理・・・骨、折れた」

 金髪ロン毛男は顔を歪めながら黒髪男を見上げた。

 これには流石に黒髪男も狼狽え始めた。

「お帰り下さい」

 紗代のりんとした張りのある声が、黒髪男に僅かに残っていた気力を根こそぎ奪い去る。

 奴の顔から面白い程一気に血の気が引いた。もはや完璧に戦意喪失しているのは明らかだった。

「遥、朱里・・・今日は引き上げるけど、また来るからな」

 奴は泣きそうな声で吐き捨てると、赤毛ショート男と地面で呻いている金髪ロン毛男を両端から抱えて鳥居の方向に歩き始めた。

「おい、忘れ物だ」

 いつの間にか現れた福杜――大鉈が、黒髪男に何かを投げつけた。

 黒髪男が振り向いた途端、奴の顔にそれは御札の様に貼り付く。

 奴のスマホだった。いつの間に大鉈の手に渡ったのか一瞬、狐につままれたような呆けた顔をしていたが、慌ててスマホを起動させる。

「画像が、ない・・・」

 奴は愕然としたまま、スマホを凝視し続けた。

「そのスマホからあんたのパソコンにプレゼント送っておいたから。そっちも今頃データを食い尽くしている頃だよ」

 弓曳は、淡々とした口調で、とんでもねえことをさらっと言い放っていく。

 プレゼントと言うのはウィルスの事なのだろう。黒髪男からスマホをかすめ取ったのは、恐らくは黒焦げモヒカンが自爆した辺りか。騒動が起きている僅かな間に奴の心とスマホに致命傷を与えたのだ。

 何なんだ、この一連の出来事は。

 マジックなんかじゃないし、幻覚でもない。

 全て事実なのだ。

 奴はわなわなと唇を震わせながら、口をパクパクさせると、苛立たし気にスマホを地面に叩きつけた。

 小さな爆発音とともに、スマホが炎に包まれる。強い衝撃を受けたパッテリーが破裂したのか。

 それだけじゃない。

 奴のスマホに奇妙な事が起きていた。スマホはまるで飴細工の様にぐりぐりとねじ曲がり、更には幾重にも折れ、塊と化した。

 奴らは一言も言葉を発することなく、その異様な現象に見入っていた。


 これ以上、ここにいたら殺されるかもしれない。

 いや、間違いなく殺される。


 言葉に出さないものの、奴らの顔には底知れない戦慄がありありと刻み込まれていた。

 奴らは俺達に背を向けると、よたよたと参道を戻り始めた。

 不意に、もはや原型をとどめて居ない奴のスマホが、大きく弾けた。

 それは緩やかな放物線を描くと、黒髪男の頭に落下。

「熱っ! 」

 奴は突然頭部を襲った熱源を降り落そうとするが、スマホは貼り付いたまま落ちる気配は無かった。

 奴は抵抗する気力を失ったのか、溶けたスマホの塊を頭に貼り付かせたまま立ち去って行く。

「二人とも、もう大丈夫ですよ」

 紗代が、社務所で怯えている鍵田と辻村にやさしく声を掛けた。

「有難うございます」

 二人は紗代に深々と頭を下げた。

「彼らはもう来ることは無いでしょう。でも不安でしたら、しばらくこの郷に滞在したらいかがですか。お二人は私達が守りますよ」

 紗代の言葉に二人は感涙し、嗚咽を上げた。

 大鉈達はいつの間にか姿を消していた。再び登山口の警備に戻ったのだろう。

 紗代は伝所達に鍵田達の面倒を依頼すると、再び拝殿へと戻って行った。

 篝火もペンションの仕事があるからと席を立つ。

「なんか、凄い事が起きてたよね」

 夏音がしみじみ呟く。

「ああ。さっきは驚き過ぎて妙に冷静だったけど、よくよく考えたら信じられない様な超常現象の連発だった」

 俺は頷いた。

 不思議なもので、あれだけとんでもなく異常な光景に立ち会っていながら、紗代や郷人達は普通にその光景と対峙していたのだ。

 まるで、それが日常茶飯事的な出来事であるかのように。

 唐突に起きた事態だったので、残念な事にカメラは全くまわしていなかった。

 今となっては検証のしようがない。

「起きた事も異常だったけど、他の参拝客も不思議だったと思わない? 」

「え? 」

「あれだけ輩が騒いでいたのに、誰も気にしていなかったし」

「巻き込まれるのが嫌で無視を決め込んでただけじゃないの? 」

「そうだとしても、誰か一人くらいはスマホで動画撮る奴もいたっておかしくないじゃん。それすらいなかったよ。私が見た限りではだけど」

 確かにそうだ。よくよく考えたら妙に不自然。

「なんだか、神秘的よね」

「えっ? 」

「不条理な出来事が連鎖したにもかかわらず、日常の時の流れに乱れがないなんて。これも神の御加護か」

 夏音の中二病的発想に呆気に取られたものの、よくよく考えれば笑えない内容だった。

 そうかもしれないのだ。

 たぶん、そうなのだろう。

 そう考えるしかなかった。

 紗代や刀人達が全く動じなかったのは、それが当たり前の事だからなのだ。

 参拝客が関心を示さなかったのは、何らかの力が働いて見えない様にしていたからか。

 ここは神域なのだ。

 それが、答えだった。

 これ以上詮索する必要の無い事を示唆する、凄まじく説得力のある答えであり――真実だった。

「カオちゃん、鴨ちゃん」

 不意に、社務所の伝所から声がかかる。

「ごめんね、あの二人、ちょっと落ち着くまで奥で休ませるから、また手伝てもらえないかなあ。篝火さんも帰っちゃったし」

 伝所は、申し訳なさそうな表情でそう言いながら俺達に合掌した。


 


 

 

 

 


 


 



 




 

 


 


 










 

 

 

 



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