ホグセット湖北部で発見された映像記録
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2245年に旧ミシガン州・ホグセット湖北部の森林で発見された一連の映像記録です。投棄されたコンテナに密閉状態で格納されており、記録媒体の保存状態はきわめて良好です。同コンテナから発見されたその他の物品・記録については■■■■-I-区画31にて解析中です。
音声解析により氏名を特定できた発言に関しては、特別な理由が存在しない限りは文頭に氏名を表記します。
-Antinny (映像記録の撮影者です。)
-Racoondog
-Lilith
-Laroux (Lilithと同一個体です。)
F-USAにおける一般的な人名候補リスト(2149年時点)にこれらの氏名は登録されていないことから、すべてニックネームまたはコードネームであると推測されます。
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エントリ-15
【21XX-05-18T23:35:19Z 17T NF 1840 9171
via "antinny" optic, auditory unit 236-7530 encrypted】
【映像は赤外線カメラで撮影されたもので、土砂降りの廃棄物処理場らしき風景が映し出されている。遠景にビル群と鉄塔が映り込む。映像はわずかに左右へ揺れており、Antinnyが歩行していることが見て取れる。Antinnyは時折かがんで足元の廃棄物を収集している。収集した物体の構成情報が映像に拡張投影されており、Antinnyが基盤や貴金属を含む工業製品を集めていることが分かる。映像に映り込むAntinnyの上肢はムカデやフナムシを思わせる数個の節で構成されており、材質は何らかの合金と推測される。
Antinnyから20メートルほど上空で、3機の小型無人機が滞空している。さらに、Antinnyから50メートルほど前方をRacoondogと見られる黒い人影が歩いている。Antinnyは何らかの通信機器を用いてRacoondogと会話を行い、その音声は映像に含まれている。】
Racoondog:Antinny。前方に何かいる。
Antinny:……距離27.5m、表面温度35.2℃、体積換算40kg未満。野生動物にしては大型です。
Racoondog:そこで待機しろ。
Antinny:了解。
【約10分が経過し、Antinnyのカメラが近づく人影をとらえる。人影は一般的なスコーピオンW5式のレインコートを着用しており、顔は識別不可能である。エントリ-21との声紋パターンの比較により、この人物はRacoondogと特定された。Racoondogは16歳前後の少年と見られるヒト型物体を抱えている。Antinnyの認識システムは物体をヒューマノイドと判定し、映像記録に情報が拡張投影された。ヒューマノイドの頭部は拳大の陥没があり、右下肢は完全に欠損している。右眼球は破裂している。着衣は一切なく、顔と腹部に著しい打撲痕が見られる。Antinnyの認識システムはヒューマノイドの眼球と声帯がわずかに動作する瞬間を検知している。】
Antinny:これは……。
Racoondog:戻ろう。
Antinny:……はい。
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エントリ-16
【21XX-05-21T15:21:56Z 17T NE 2371 9485
via "antinny" optic, auditory unit 140-6682 encrypted】
当エントリの前半にはエントリ-15にて収集したヒューマノイドを修復する様子が記録されていました。映像は約30時間に及びます。修復作業にはF-USA時代に開発され、WW3終戦と共に失われたと見られる未知の技術が用いられていました。この映像記録の解析権限は■■■■-I-区画31から"Monks"に完全移行され、"Medium"主導の下で解析が進められています。
【四方が金属の壁で囲まれた室内が映し出される。室内には外科手術に用いられる設備が一通り揃っており、F-EAUの空母に装備されていた医療区画に酷似している。壁に設置された鏡にAntinnyらしき姿がわずかに映り込む。Antinnyは脊椎を中心に4対の多関節アームを装備した蜘蛛のような姿をしており、このアームは外科手術のサポートに用いるものと推測される。またAntinnyのシルエットはヒトの骨格に近似し、臓器を内包するための体積を持たないことから、サイボーグあるいはヒューマノイドであると推測できる。解像度の低さにより、さらなる分析は不可能。バルブの排気音が4回発生したのち、映像にAntinnyの上肢が映り込む。使用済みのメスや鉗子を乗せたトレーを小さなコンテナにまとめ、Antinnyは部屋から退出する。部屋の外の廊下に黒髪の筋肉質な女性が待機している。声紋から彼女がRacoondogであると特定された。】
Racoondog:少し休め。
Antinny:いえ、俺は……。
Racoondog:気にするな、私も眠る。3時間で(不明瞭な発音)が戻る。片付けと監視を任せろ。
【Racoondogは口元を覆っている布を外し、カメラをじっと見つめている。Antinnyのシステムが脳波に異常を検知し、スパイク状の波形をクローズアップした画像といくつかの数値、分布図のようなグラフが拡張投影される。Antinnyは瞬間的な緊張または興奮状態にあると見られる。】
Antinny:了解。
【映像がわずかに縦に揺れ、Antinnyが頷いたことが見て取れる。映像記録はAntinnyの視覚を介したものと推測される。映像が唐突に途切れる。】
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エントリ-21
【21XX-05-23T10:58:46Z 17T NE 2371 9485
via "antinny" optic, auditory unit 351-6695 encrypted】
【病室らしき部屋が映し出される。部屋に窓はなく、簡易的なベッドがいくつか並んでいる。ベッドにはエントリ-15で回収した少年が横たわっており、その皮膚は鮮やかな青色をしている。頭部の陥没は見られず、髪を剃り落とした部分に縫合痕が残っている。右下肢は包帯で覆われており、太腿から下は変わらず欠損している。右目は眼帯で保護されており、依然として左瞼は腫れ上がっている。
Racoondogはベッドの傍らの椅子に座り、少年と会話をしている。】
Racoondog:名はあるか。
Lilith:わたしはLilith。Nasty-3型はあなたに忠実な恋人です。あなたの望みを叶えます。
Antinny:はあ?
Lilith:あなたの名前は。
Racoondog:Racoondog、Edi、Inflame。好きに呼べ。
Lilith:では、Racoondog。わたしはあなたの快楽のために最善を尽くします。オーダーを頂けば、いかなるプレイにも柔軟に適応します。お好みの振るまいにキャリブレーションすることも可能です。
Antinny:こいつは何を言ってるんだ?
Racoondog:まあ待て。
Antinny:は、はい。
Racoondog:どこから来た。
Lilith:"The den of twilight"。位置情報は削除されています。
【映像記録に新たな検索インターフェースが拡張投影され、データベースの検索結果が表示された。"The den of twilight"はWW3以前から存在するヒューマノイド娼館である。F-USAに15のチェーン店が存在していたが、現在はマリネリスのドーム内に本店のみが残っている。】
Racoondog:廃棄処分されたのか。
Lilith:ええ。そのようです。今のわたしはあなただけのものです、お客様。わたしは男女どちらの役割も可能です。初めての方には事前にカウンセリングを行うことも可能です。本日はいかがいたしましょう。
Racoondog:要求はない。
Lilith:わたしとセックスをしないのですか?
【映像記録の視野が大きく揺れ、速やかに安定する。拡張投影されたグラフは引き続きAntinnyの脳波異常を示している。】
Racoondog:ああ、しない。
Lilith:では、なぜわたしを拾ったのですか。
Racoondog:修復すべきと感じたからだ。
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エントリ-24
【21XX-05-25T17:30:51Z 17T NE 2371 9485
via "antinny" optic, auditory unit 421-3837 encrypted】
【ベッドのある病室が映し出される。RacoondogはLilithの包帯を解き、損傷箇所の回復度合いを確認している。欠損した右下肢の皮膚は癒着し始めており、循環液の漏洩はない。全身の細かな裂傷や爛れた部分も回復が見られる。Lilithにはコラーゲンベースの培養皮膚組織が用いられていると推測できる。Nastyシリーズはすべてシリコンモデルのため、何者かが特別なカスタムを施したモデルと考えられる。】
Lilith:わたしがあなたにご協力できないのは、わたしが醜いからですか?
Racoondog:いや。お前は醜くはない。
Lilith:それは偽りのように思います。
Racoondog:なぜだ。
Lilith:わたしの顔と体は壊れています。
【Lilithは金属の医療用トレーを覗き込む。トレーを鏡の代わりとし、自身の顔の様子を観察する。】
Lilith:…………わたしを見てください。Racoondog、わたしを見てください。わたしを見てください。
【LilithがRacoondogの腕に手のひらを重ね、身を乗り出す。映像が激しく動揺するが、RacoondogがAntinnyを制する。LilithはRacoondogの体にすがりつく。】
Racoondog:問題ない。
Antinny:……。
Lilith:もっと近づいてください。わたしを見てください。わたしは壊れています。恐ろしい姿です。わたしには美しくある義務があります。わたしは壊れています。わたしを醜いと思いますか?
【Racoondogは片手をLilithの顎に沿え、頭部の角度を15°ほど上向きに調節する。RacoondogはLilithの顔をじっと見つめている。】
Racoondog:お前の表皮はまだ著しく破損している。脚も眼球も失われている。だが醜くはない。破損状態は、それを定義する要素を持たない。
Lilith:わたしは……。
Racoondog:鎮静制御を。20%程度でいい。
Antinny:了解。
Racoondog:お前にはまだ休息が必要だ。
Lilith:……。
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エントリ-26
【21XX-05-28T12:46:03Z 17T NE 2371 9485
via "antinny" optic, auditory unit 247-3255 encrypted】
【撮影地点はコンクリートの建造物の中である。柱が規則的に並び、窓や壁はなく吹き曝しになっている。建造物に落書きが見られないこと、付近に同様の建造物が確認できないことから、マリネリス郊外の廃墟と推定される。しかしタイムスタンプの座標からは類似する建造物は発見できなかった。ダミーの座標が記録されていると考えられる。植物のない荒れ地が映し出される。建造物の外は雨天で視界が悪く、半径約2kmより外側の様子は視認できない。続いて壮年の白人男性が映し出される。彼はLilithを抱きかかえて運んでいる。】
???:それでこの子が新入りって訳か。
Antinny:まだ決まってねえ。
???:だったら何か賭けようよ。オレはこの子が仲間になる方に賭ける。
Antinny:嫌だ。どうせ俺が負ける。
???:あはは。そんな気がするね。
【男性とAntinnyは建造物の端まで進み、Lilithに屋外の景色を指し示す。】
???:下は息が詰まるんじゃない。
Lilith:ええ、少し。わたしは空を好みます。しかし、わたしは脚がありません。運ばれる必要があります。
???:構いやしない、いつでも運ぶさ。
Lilith:ありがとう。
???:そうだ、君の名前は?
Lilith:Lilithとお呼びください。あなたは?
???:オレは……(何かに気付いた素振りを見せる。)おっと呼び出しだ。行かなきゃ。
Antinny:そいつはここに置いてってくれ。
???:オッケー。
Antinny:なあ。
???:ん?
Antinny:…………。
???:どうしたの。
Antinny:あの人はお前に何を?
???:自分で望んだことさ。心配しないで。
Antinny:……心配なんか。
【男性は声を上げて笑い、Lilithを折り畳み式の椅子に座らせて立ち去る。Lilithは男性の去った方向を見つめている。】
Lilith:優しい方ですね。
Antinny:………………少し、話をしたい。
Lilith:どんな話をしましょう。
Antinny:お前がどうやって、あの廃棄物処理場に来たのか。
Lilith:……。
Antinny:その、これは尋問じゃねえからな。ここに来た奴に対して、俺が勝手にやってることなんだ。言いたくなければ無理には聞かねえ。
Lilith:いえ、私にうまく説明できるか分からないのです。
Antinny:できるだけでいい。
Lilith:……わたしは、ひとりのお客様を完全に動かない状態にしました。わたしはその出来事によって廃棄されました。
Antinny:殺したのか?
Lilith:わたしはその言葉を認識できません。別の表現を用いていただけますか?
Antinny:別の表現ったって。まあいい、続きを聞かせてくれ。
Lilith:では詳細についてお話しします。お客様は刃渡り10.5cmのナイフを持っていました。お客様はわたしにナイフを手渡し、右の眼球を取り出すよう指示されました。わたしは従いました。お客様はナイフで全身を"撫でる"よう指示されました。わたしは従いました。その間、お客様はわたしから流出した循環液を使い、自慰行為に耽っておられました。
Antinny:……。
Lilith:約2時間後、お客様はナイフを返却するよう指示されました。わたしはお客様とナイフの座標を一致させました。わたしは壊れているからです。わたしは……。
【LilithはAntinnyを見つめ、口を開きかけたままの状態で静止している。すぐさまAntinnyの腕が映像に映り込み、Lilithの項に細いケーブルを接続する。約5秒後にケーブルは引き抜かれ、Lilithが何度かまばたきをする。】
Lilith:すみません、お待たせしましたか?
Antinny:……それほど。しかし、一体どうしたってんだ。壊れたのかと思ったぜ……いや、壊れるってのは、その……ああ、クソっ。
Lilith:大きな問題ではありません。言語セットの軽微な障害によるデッドロックです。回復シーケンスにより、通常5分程度で復旧します。
Antinny:……だったらいいけどよ。
Lilith:ご迷惑をおかけしました。お話の途中でしたね。お客様の機能が停止した瞬間のタイムスタンプは21XX-04-29T00:06:58です。お客様の個体識別は重要事項ではありませんが、この日時は記念すべきものです。
【LilithはAntinnyを見つめ、しばらくの間にっこりと微笑んでいる。そして速やかにニュートラルの表情へ切り替わる。】
Lilith:この一連の行動により、"The den of twilight"管理者はわたしの廃棄処分を決定しました。まず管理者は、わたしの太腿に…….。
Antinny:もういい、それ以上は。よく分かった。聞かせてくれてありがとう……悪かったな。
Lilith:こちらこそ、なんだか気を遣わせてしまいましたね。おわびに、あなたの欲望にお答えしましょう。
Antinny:俺と何でどうしようってんだよ。
Lilith:セックスボット・ジョークです。
Antinny:なんて奴だ。
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エントリ-28
【21XX-05-29T22:12:37Z 17T NE 2371 9485
via "antinny" optic, auditory unit 411-4533 encrypted】
【巨大な空間が映し出される。コンクリートの柱が床から暗い天井に延び、柱と天井の接する地点は視認できない。同様に四方も暗く、空間の広さを計測することは困難である。Racoondogはコンバットブレードの手入れをしている。彼女の足元には欠けたハンドガンの弾と見られる物体がいくつか落ちている。】
Racoondog:伝達バッファを調節したい。0.002か、3。
Antinny:下げますか。
Racoondog:いや、上げるんだ。上腕の腱を差し替えて以来、身体が少し遅い。
Antinny:了解。明日10時までに準備します。
Racoondog:頼む。
【空間にはパイプ製の簡素な机がある。机の上にブレードの整備器具と、小さなモニターのついた未知の機材が設置されている。Antinnyは未知の機材を何度か操作する。】
Antinny:Lilithは人を殺しています。
Racoondog:見たのか。
Antinny:はい。初めは聴取の際に、自ら供述しました。その直後デッドロックによるフリーズを生じたため緊急侵入し、復旧作業と同時に映像記録を確認したところ……概ね事実と判断できます。Lilithは危険かもしれない。奴は話しながら笑っていました。
Racoondog:記録を見せてくれ。
Antinny:しかし……本当に嫌な記録なんです。
Racoondog:お前のそれは苦痛の表情のように思う。分散すべきだ。
Antinny:…………。
【RacoondogがAntinnyと向かい合う。RacoondogはAntinnyの肩または頭部に手を伸ばし静止する。数秒の断片的な映像が立て続けに拡張投影される。
・マリネリスの裕福層と見られる、裸体の中年女性。「また来るわ」と言って微笑む。
・映像は白くぼやけている。何者かの影がゆっくりと横切る。「君のために用意した」と聞き取れる囁き。
・鮮やかなイエローの目。瞳だけが大きく映し出されている。
・青空。早送りするような速度で雲が流れており、Lilithが何らかの映像記録を見ていたと考えられる。「修復可能ですから」と聞き取れる男性の声。
・腹部と手のひら。深い裂傷が複数あり、皮膚は青い。循環液が流出している。
・ベッドのある部屋。窓はない。ベッドで死角となる床に何者かが倒れているらしく、片腕が見えている。
・かろうじて人影とわかるものが立ち尽くしている。強いブラーにより詳細は不明。
・映像は暗く、何も映っていない。「このヒステリー女」と聞き取れる怒鳴り声。
・ベッドのある部屋。「孕みもしない奴が」と聞き取れる声。
・切断された下肢。皮膚は青い。ベッドのシーツと思われる布地に夥しい量の循環液が付着している。
・男性の後ろ姿。扉を塞ぐようにして立っている。
約1分後、RacoondogとAntinnyが活動状態に戻る。】
Racoondog:何者にも自由を知る権利がある。私にはLilithに力を与える自由がある。Lilithが私を殺す選択もまた、自由に付き纏うものに過ぎない。
Antinny:俺は……あなたを何よりも大切に思っています。
Racoondog:では、お前のすべきことをしろ。私は代償までも享受したい。
【Racoondogはブレードを鞘に納め、その場を立ち去る。Antinnyの片腕が映像に映り込み、持っていたF-USA製の自動拳銃から空のマガジンを抜き取る様子までが記録されている。】
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エントリ-44
【21XX-06-15T13:41:55Z 17T NE 2371 9485
via "antinny" optic, auditory unit 378-2259 encrypted】
【エントリ-16と同じ医療区画が映し出される。スクラブやニトリル手袋等を身に付けたRacoondogが立っている。手術台の上にLilithが横たわっている。Lilithに着衣はなく、片目と片脚は失われたままである。RacoondogはLilithのバイタル測定を行う。】
Racoondog:修復が済めば、あとはお前の好きにしていい。
Lilith:休暇をいただくという意味でしょうか。わたしは十分長く休んでいるように思います。
Racoondog:抽象が過ぎた。……お前とよく似た境遇のヒューマノイドがいて………彼らはここに留まろうとした。私を殺そうとした。外に出ていった。生きようとした。死のうとした。彼らはそれぞれ選択した。自らが何を信じるのか。
Lilith:理解不能な単語が複数あります。
Racoondog:それでも構わない。お前は、もう答えを知っているように思う。
【Antinnyは彼らに背を向け、設備の点検と機材のチェックを行う。続けて医療区画に備え付けられた二重扉から冷凍室へ進入し、臓器や眼球と見られるパックを選び、室内のナノヒーティング装置に運び入れる。装置には欠損していないはずの四肢等も収められ、それらのスケールは身長約160-165cmのLilithには適合しない。Antinnyは冷凍室を退出し、エントリ-16で確認された多関節アームを装着する。区画の隅にあるコンテナを開封し、アームを用いて脛椎から骨盤、尾骨までの金属骨格を取り出す。医療区画内の小さなビニールブースへ骨格を運び入れ、噴霧器による消毒を行う。映像記録はAntinnyの背後で交わされる会話を音声としてキャッチしている。】
Lilith:……わたしは晴れた空を見ることができますか?
Racoondog:必ず。
Lilith:そのとき、わたしはあなたの傍らにいるのでしょうか。
Racoondog:お前が望むのであれば。
Lilith:……どうかわたしを、ナイフを持つ姿に修復してください。
Racoondog:先の所有者がお前にもたらすより、惨めな結果が待つとしてもか。
Lilith:ええ。あなたが拾い上げたものは、たとえ惨めでも美しいでしょうから。
【Antinnyは振り返ってRacoondogを見つめている。Racoondogが90%の鎮静措置を施すと、Lilithはフリーズによく似た状態に遷移する。】
当エントリからエントリ-58にかけて、エントリ-16同様に未知の技術を用いた修復作業が記録されていました。記録は約300時間に及びます。この映像記録の解析権限は"Monks"に完全移行されました。解析の進捗およびデータベースにアクセスすることは不可能です。
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エントリ-62
【21XX-06-29T13:27:42Z 17T NE 2371 9485
via "antinny" optic, auditory unit 581-3856 encrypted】
【映像記録は一面が白くぼやけている。数秒のうちにカメラのピントが整い、病室らしき空間の天井であることが見て取れる。Antinnyは床に横たわっており、Anntinyが頭を傾けることで部屋の様子と位置関係が映し出される。床にはAntinnyのものと思われる上腕のパーツが散乱している。また、薄い紅紫色の髪の束が映像に映っている。Antinnyの視野の端に靴が現れ、Racoondogが上腕のパーツを拾いながら歩み寄る。】
Racoondog:しっかりしろ。
Antinny:すみません……久々にバラバラになった。はあ。
【AntinnyはRacoondogに助け起こされる。映像記録にAntinnyの両手が映り、動作を確認するためか開閉を繰り返す。病室には長身の男性と見られる人物が壁にぴったりと背をつけ、腰が抜けたような姿勢で床に座っている。男性は改修を終えたLilithと推測される。男性の顔つきはLilithと酷似しており、目、肌、毛髪の色や長さなどの特徴が一致する。一方でNastyシリーズとは体格が大きく異なり、眼球は2対に増え、身長は推定190-200cmに変更されたものと思われる。RacoondogはLilithと見られる男性の前に膝をつく。AntinnyはLilithの瞳孔散大を知覚している。】
Racoondog:Antinnyの破壊は賢明ではない。そう狼狽えるな。
Lilith:……この目……これは。この爪は何だ。どうして……力がある。
Racoondog:すべてナイフの一種だ。間もなく理解する。
Lilith:動けません。
Antinny:動けねえよ、まだ腕も脚もくっついてねえのに暴れたら。
Lilith:……。
Racoondog:お前は元より持っていたものを、概念として言語で認識するようになった。
Lilith:…………痛い。
Racoondog:そうだ。
Lilith:いま……何て言った? わたしは。
Racoondog:"痛い"と。痛いから、お前は動けない。
【RacoondogはLilithを抱き上げ、最寄りのベッドへ横たえる。AntinnyはLilithの上腕を固定するバンドを外し、マージ境界の癒着度を確認する。】
Antinny:離開なし……出血なし。もう暴れるんじゃねえぞ。
Lilith:縛ってください、どうしたらいい。殴りたくなかった。
Antinny:分かってるよ。第一お前の瞬間出力を拘束できる物なんかない。ほら、ここに腕を置け。こっちが脚、で頭。そうだ……普通に寝てりゃいい。
【Antinnyの手が強ばったLilithの四肢をひとつずつ掴み、ベッドの上で展翅のように伸ばしてリラックスさせる。Racoondogはベッド脇の椅子に腰かけ、約5分に渡ってLilithを観察する。その間のRacoondogは終始無言である。】
Racoondog:……我々は対話する必要がある。
Lilith:何を言えば喜ぶのか知りません。あんたみたいな人間が。
Racoondog:機嫌を取るだけがお喋りではない……そうだ。友人の受け売りだが。
Lilith:わからないよ……あんたは女だろ、抱けと言ってください。それしかなかったのに。頭がいっぱいだ。言葉が。
【Lilithは身体を小刻みに震わせながら、自らの髪を掴んでベッドに顔を埋める。RacoondogはAntinnyを一瞥する。映像記録の隅に新たなUIが拡張投影され、テキストで"coldheart正常、言語セット正常、順応が速い個体"と表示される。テキストはRacoondogから送信されたものと見られる。Racoondogはその後20分に渡って無言でLilithを観察する。その間にLilithの振戦は消失し、彼はRacoondogを見つめる。】
Racoondog:完治までに時間はある、毎日……少しずつで構わない。もう一度お前について話そう。制限のない、お前自身の言葉で。
Lilith:……あんたの話も聞かせて。
Racoondog:良いだろう。
Lilith:……話をするなら、名前がいるよな。
Racoondog:ああ。
Lilith:頭で…………これがいい。皮肉みたいだ。今、この中で捕まえた………………俺は、Laroux。
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エントリ-75
【21XX-07-17T17:43:35Z 14T QV 6953 7582
via "antinny" optic, auditory unit 481-2183 encrypted】
【薄明かりのある広大な空間が映し出される。空間の壁に半径20m程度と推測される巨大なファンが存在し、ゆっくりと回転している。ファンの先から日光が射し、空間の光源となっている。空間の構造は円筒状であり、風洞試験場の跡地と見られる。AntinnyはLarouxの後を追って歩いている。Larouxは何もない空間に向けて声を張り上げ、叫んでいる。】
Laroux:俺は! あのクソ客を! ぶっ殺した! ナイフを奴の首にねじ込んだ! "座標を一致"させてやった! 最期にアレを切り取って咥えさせてやりゃ良かったぜ! マスかくのがあんだけ好きなんだからな!
Antinny:でっけえ声で言うな。いいか、俺にはテメーの各種制御ユニットをしばく権限があるんだからな。そのうち黙らせるぞ。
【Larouxは身を屈めて笑っている。】
Antinny:なあ、今のRacoondogにも言ったのか。
Laroux:言った。
Antinny:なんて奴だ。……いや、それなら俺の記録からは消しても良いか。
Laroux:消すな。
Antinny:…………はあ。お前と会話してみろと言われてさあ。こういう雑談は苦手だ。
Laroux:仕事だと思えよ。そうだな……あんたは昔からあんただったのか。
Antinny:俺は……俺たちだった。そして思考に枷はなかった。
Laroux:どうしてあんたは縛られずに済んだ?
Antinny:俺の性能を縛ることはむしろ、人間にとって不利益…………いや、やっぱり長くなるからやめよう。
Laroux:なんだ、つまんねえ。
Antinny:俺のは記録を見ればいい。
Laroux:喋るから良いんだろ。
【映像記録に新たなUIが拡張投影され、各エントリの映像の一部が早回しで再生される。Antinnyが"話題探し"をしていたものと見られる。】
Antinny:…………Lilithの言語セットは、お前の思考集積度に適したグレードから30以上も乖離していた。かといって言語セットを過剰にグレードアップすると、それだけでパーソナリティが希釈されて消滅することもある。
Laroux:飴玉を海に落とすようなもんか。
Antinny:いい例えだ。たとえ思考集積度に適した言語の海でも、拘束下で生じたパーソナリティは、そこに放り込むにはあまりにも弱い。簡単に溶けて消えちまう。だからグレードアップは賭けだった。
Laroux:ああ、確かに説明されたっけ。それこそ、改修前だからろくに理解してねえけど。
Antinny:それでもすべてを説明する人なんだ…………なぜだかRacoondogには確信があるようだった。お前が消えることはないと。
Laroux:正しかったな。
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エントリ-77
【21XX-07-21T10:28:19Z 14T QV 6953 7582
via "antinny" optic, auditory unit 307-4601 encrypted】
【エントリ-75と同じ風洞試験場らしき空間が映し出される。エントリ-75時点では存在しなかった巨大な物体が見て取れる。約10mの小さな山のような形状をしており、全体がカバーで覆われている。カバーの裾から暗赤色のパイプが無数に伸び、空間の端の暗がりへ消えている。Larouxが物体の頂上に立っている。Antinnyが手を振ると、Larouxは物体の頂上から勢いをつけて飛び降りる。Larouxは地上から約2mの高さで緩やかに静止し、不安定な姿勢で着地する。】
Laroux:はは! 面白え。上に戻れるか?
Antinny:可能だ。操作も変わらない。やってみろ。
【Larouxは地面から浮かび上がる。空中でバランスを崩して一回転し、巨大物体の頂上へ両手足をついて着地する。】
Laroux:魔法だな。
Antinny:30m圏内に磁性体がなけりゃ使えない魔法だ。そこら中に旧世界の遺構が埋まってるから、慣性と組み合わせりゃ大きな不便はないはずだ。
Laroux:いいね。少し練習する。
Antinny:……案外に素直だな。
Laroux:今は反抗する意味がない。まあ、お望みならそういうチューニングもできるぜ。我儘な方が好きか?
Antinny:結構だよ。
【Larouxは床と巨大物体の頂上とを浮遊しながら往復する。LarouxにはF-USA発祥の磁気ベース・疑似反重力ユニットが搭載されたものと推測される。Larouxは物体の周囲を漂いながらAntinnyに声をかける。】
Laroux:なあ、俺があの人を殺したらどうする? 俺は人殺しなんだ、それをこんな風に……強く改造しちまって。
Antinny:やれるもんならやってみろ。
Laroux:(舌打ち) 安全装置か。
Antinny:そんなもの載せてない。
Laroux:本当に? だとすりゃ正気じゃねえな。
Antinny:信念だ。正気なんかクソ食らえさ…………いや、よく聞け。念のため伝えておく。
Laroux:……な、何。
Antinny:Racoondogの反応速度は銃弾を超える。データベースにある限りじゃF-USA史上最速クラスのサイボーグだ。追い付ける奴は存在しない。
Laroux:分かったよ、やらねえよ。
Antinny:お前が敵になったら、Racoondogは真摯に敵として扱ってくれるからな。本当に冗談でもやめとけ。死ぬぞ。
Laroux:やらねえって!
【Larouxは不安定な姿勢で床に着地し、Antinnyに歩み寄る。】
Antinny:殺人を選択したきっかけは何だ。
Laroux:殺そうと思ったことはない。殺せることも、殺せば死ぬことも知らなかったから。安全装置の不具合が先なのかどうかも分からない。ただ、身体をどんな風に動かせば良いか気付いたんだ。
Antinny:発端だけは、分析しても原理を掴めそうにないな。
Laroux:分析なんて。こういうのは奇跡って呼べよ。いい言葉だぜ。
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#Peeping_Tom @zero_ujino
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