第13楽章 語り継いでいく
アジーは心配していた。
母や祖母から聞いていたシェロという人はとても寂しそうな人だ、と。祖母の葬儀のときに見たシェロは誰にも見られていないであろうタイミングで、とても儚げに笑っていた。アジーは偶然、それを見てしまったのだ。
どこかに消えてしまいそうな人だった。笑顔も、涙も、全部なかったことにして、存在ごと消えてしまおうとするような、そんな人のような気がした。
魔女というのが本当かどうか、アジーはわからない。けれど、シェロが体験してきた途方もないような孤独は確かであると確信できた。
故に……お別れしなければならないという事実を伝えなければならないのが悲しかった。不安で不安で仕方なかった。祖母は母に受け継ぎ、母はアジーに引き継いだ。けれど、アジーは役目を受け渡す先がない。だとしたらこれから、シェロはまたひとりぼっちになってしまうのだ。祖母と出会う前に戻ってしまうのだ。
帰る場所も、帰る宛もない人に「ここにいていいよ」と言ってあげたい。「ここにいてほしい」と抱きしめてあげたい。ただ、そうするにはシェロとアジーの付き合いは浅く、祖母ですら詰められなかったほどに、シェロとの間の溝は深い。
「おばあさま、あのね」
でも、だからこそ、正直に全てを伝えた方がいいとアジーは思った。誤魔化して突然途絶えるより、よほどいい。
「私、勉強ができるって認めてもらえて、大きい都会の学校に行けることになったんだ。これってあの村だと数十年に一度あるかないかくらいのことで、とてもすごいことなんだって」
胸を張って、笑顔で。死ぬわけじゃないのだから、また会えるのだから。
「学校に行って、たくさん勉強をして、色々なことを学んで、村の役に立てるようになりたいんだ。それに……おばあさまが、山小屋を出て暮らせるような環境にする方法を探したい」
シェロは人に姿を見せられない、と言って、接触する人間を絞り、山小屋にこもって暮らしている。その理由をアジーは理解していた。
シェロはアジーの祖母が少女だった頃から、何一つ容姿が変わっていないらしい。不老不死という言葉がよぎった。もし仮に、不老不死だと知れたら、人間はシェロに何をするかわからない。異端だとして殺そうとするかもしれないし、不老不死になる方法を探るために実験動物にするかもしれない。いつの時代も、どこでだって、人間は死という恐怖に打ち勝つ方法を探している。
シェロが苦しかったり、痛かったり、嫌な思いをするのは嫌だった。
「私はおばあさまと一緒にいたい。一緒に暮らしたい。でも、そのままだと難しいから、方法を探すの。おばあさまが笑っていられるように」
アジーの必死なオリーブの瞳に、シェロはふわりと微笑んだ。
「ありがとう」
今まで聞いた中で、一番穏やかな声だった。シェロはどちらかというと、無邪気な女の子のような印象が強く、こんなにも落ち着いた声が出せるなんて思っていなかった。
……と思っていたら、表情はいつもの通り、新しい遊びを思いついた子どものように無邪気になり、歯を出して笑った。笑うと自分よりも幼いように感じられるシェロの姿に、アジーはほっとしたような心地になった。悲しんだりはしていないようだ。
「アジーが選ぶことを、私は否定したりしないわ。でも私のことを考えてくれてありがとう。とっても嬉しい」
ゆったりと答えながら、シェロは茶漉しを通して、ティーポットに紅茶を移していく。鮮やかなスカーレットの液体が、白いポットを染め上げていくように渦巻いた。
「ねえ、アジー。私があなたに話し続けてきた、私のいた世界の話、覚えてる?」
「全部ちゃんと覚えていますよ。これでも記憶力はいい方なんです」
世界の救世主と言われた星光の魔女。その魔女が背負う真実。魔女が世界を滅ぼそうとしたときに現れた優しい死神。滅び逝く世界から逃れるように箒に乗って星たちの間を駆けていった魔女の物語。
全部、こぼさないように抱えている。ティースプーン一匙だって、取りこぼさない。大切なおばあさまの物語なのだ。
「都会に行くと言ったわね。……その物語を広めてほしいの」
「おばあさまの話を?」
「そう。私ということは伏せていいから、とにかくたくさんの人に知ってもらうの、この物語を。都会には、たくさん人がいるでしょうし、アジーのように地方から来た人もいるでしょう。……おとぎ話と思われていいから、世界中に広まってほしいの」
そう告げると、シェロは棚からミルクジャムを出した。それから、タルトタタンと一緒に入っていたぶどうを持ちやすい房に切り分ける。
「おばあさまは、それでいいの? 秘め事が好きでしょう?」
この物語を秘密にしなくていいのか、とアジーは問う。
テーブルにティーセットと菓子類を広げると、シェロはアジーに振り向いた。悪戯っぽい笑みが閃く。
「私が本当に魔女だということは、私とあなただけが知っていればいいわ。……私は、この話を聞いてもらいたくて、誰かに語り継いでほしくて、この世界に来たのよ」
第13楽章
「アジー、おめでとう」
「アジーはこの村の誇りだよ」
「おめでとう、アジー。この村のみんながあなたを祝福するわ」
アジーが都会に旅立つ前日。村はちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。都会の学校に行けるなんて、こんな辺鄙な山村からしたら大事である。お祭り騒ぎにもなるというものだ。
みんな、アジーを祝福して、パーティーを開いていた。主役のアジーは普段よりおめかしをしている。母が織った布を仕立てた晴れ着だ。朝陽の色をした布地にたくさんの花が咲き誇っている。花は大小様々あり、祝福の意味が込められていた。
他にも何着か、みんなが用意してくれた。村自慢にもなる服だ。みんなちゃっかりしている。
「みんな、ありがとう。私、頑張るね」
「おう!」
「アジーの門出を祝って飲もうぜ!」
「あんたは酒飲みたいだけだろ」
「殿方はすぐ酒飲む……ほら、ご馳走もたんとお食べ」
「わーい! いっただっきまーす!」
「あ、こら、アジーお姉ちゃんが先よ。もう」
賑やかなパーティーは楽しい。盃を豪快に空ける旦那さんたちや準備と片付けで忙しない奥様方、無邪気にご馳走にかぶりつく子どもたちの姿は微笑ましいものだった。
……ここにシェロも呼びたかった。ずっと一人で生きてきたシェロに「みんな」は楽しいよ、と教えたかった。
それでも、シェロはやはり人前に姿を現すことはできないという。アジーは悲しく思ったが、仕方ないことであることも理解していた。
シェロはシェロでティーパーティーで祝ってくれたから、感謝している。アジーのお気に入りの木苺のジャムを一瓶持たせてくれた。
シェロもとても優しくて温かい人だから、みんなと仲良くなれるはずなのにな、と思う。
「それにしても、今日はいい天気だねえ」
「うんうん、星がこんなに綺麗に見える」
星、という言葉にアジーはシェロのことを思い出した。シェロが語った千年の物語。星光の魔女の話。語り継いでほしい、とシェロは言っていた。
アジーはそんな大層なこと、自分にできるだろうか、と不安に思っていた。確かに、シェロの話してくれた物語は壮大で魅力的だ。けれど、その魅力を後世まで残るくらいのものとして伝えるには、どうしたらいいのだろう。
「きっとおてんとさんもアジーのことを祝福してくれてんだ」
「こりゃ幸先がいいな!」
「あはは、ありがとうございます」
アジーが笑いながら空を見上げる。そのときだった。
「星には星の命が
人には人の命が
在ると云う
在ると云う
いつか共に眠り就く」
唄が聞こえた。辺りを見ると、みんなきょとんとしている。きょろきょろと辺りを見回したり、耳をそばだてたりしているのを見るに、アジーだけに聞こえる幻聴ではないようだ。
「初めて聞く唄だな」
「綺麗な声……」
「でも誰が唄っているの?」
みんな、困惑しているようだ。困惑しながらもどこか安らいだ気持ちになるような唄に耳を傾けている。
アジーはこの声を、この唄を知っていた。そんなはずは、と思っていたら、一人の子どもが空を見上げてあっと声を上げる。
「見て見て! お空に誰かいるよ!」
「? 人……?」
「箒で飛んでる! 絵本の魔女みたい!」
「すごーい!」
大人たちが不審そうにする中、子どもたちがきゃいきゃいと喜ぶ。アジーは空を見上げて、目を見開いた。
真っ黒な服、真っ黒な帽子。夜の中に溶けそうな色なのに、星光でくっきりと箒に乗ったシルエットが見える。そして、どんな星にも負けないくらい目を惹く、鮮烈な赤紫にはためく髪。
──おばあさまだわ。
アジーは声に出してしまわないよう、口元を手で覆った。シェロのことを知っているのはアジーと母のロゼだけだ。シェロのことをおおっぴらにできない以上、黙っているしかなかった。
シェロは地上のざわめきに気づき、はしゃぐ子どもたちに軽く手を振った。それから口元に人差し指を当てる。そのどこか色めいた仕草に、大人も子どももどきりとした。
そうしてシェロが去っていき、一同はしばらく呆然としていたのだが、一人の子どもがあっと声を上げて空を指差す。
「流れ星だ!」
「ほんとだ! 流れ星だ!」
「星がいっぱい降ってくる!」
大人たちもそれに気づき、固まっていた空気が和やかになった。
「はは! こいつは景気がいいや」
「いい門出になりそうだな、アジー」
アジーは胸がいっぱいになりながら、頷いた。
「はい!」
星光の魔女の力は失われていなかった。
散り逝く星に、おやすみと語りかけて、人々の願いを叶えていく。この世界では、そう言われている。
Traeumerei~第14楽章~
Traeumerei~第14楽章~ 九JACK @9JACKwords
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