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口羽龍
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3月12日、ここは東北のローカル線にある押部(おしべ)駅。深い山の中にポツンとある駅だ。ホームは板張りの簡素なもので、まるで国鉄の仮乗降場のようだが、正式な駅だ。昔はここに押部という集落があって、その名前からこの駅名が付いたらしい。だが、押部集落は消滅し、元の無人の山林になってしまった。
押部は東北の山奥にあった集落だ。最盛期には数百人が暮らしたという。狩猟や山菜採りを生業としていて、厳しい環境ながらも人々が暮らしていた。だが、高度経済成長期の頃から、豊かさを求めて若い人々が集落を離れ、高齢者ばかりの集落になってしまった。そして、今から数十年前に集落は消滅した。
そんな駅に1人の女性がいる。高校3年生の真奈美(まなみ)だ。この駅から少し離れた上押部(かみおしべ)という集落に住んでいる。来月から東京の大学に通う事が決まっている。そのため、東京で1人暮らしをする事になっている。
上押部は山奥にある小さな集落で、人口は数十人だけだ。最盛期は500人ぐらいが暮らしていたというが、押部同様、高度経済成長期の頃から若い人々が集落を離れていき、こんなに少なくなってしまった。
「いよいよ明日、東京に行っちゃうんだね」
「うん」
真奈美は寂しそうだ。だけど、豊かな生活を得るために、東京に行かなければならない。両親もそうしろと言っている。でもそれは、自分が成長するために大切な事だ。
「色々大変だったけど、明日からは東京だね。豊かな生活が待ってるよ」
その横には、母の保美(やすみ)がいる。保美は上押部に住む主婦の中では一番若い。厳しい生活だけど、ここの自然が好きで暮らしているという。
「そうだね。だけど、やっぱり実家がいいな」
真奈美はここを離れるのが嫌だった。だけど、両親は行きなさいと言っている。行かねば。
「でも、東京はいいとこだよ。頑張ってきなさい!」
「うん」
と、小さな押部駅を5両編成の長いディーゼル特急が通り過ぎていく。ここは特急が多く通るが、普通はとても少ない。ここを通る普通列車は1日7往復。だが、利用客の少ない押部駅に停まる普通列車は3往復。それでも乗る人は真奈美ぐらいしかいない。
「毎日ここから通ってたんだね」
「いよいよこの駅も明日までか。そして明日、私も旅立つ」
押部駅はあさっての3月14日で廃駅になる。利用客が少ないから、仕方がない事だ。そのため、ここ最近、この駅に鉄オタがやって来る。最後にもう一度、この駅に降り立ち、思い出に残しておこうと思っているようだ。
押部駅は秘境駅として有名だ。秘境駅とは、徒歩ですら到達困難な駅で、押部駅はそのランキングの上位にしばしば上がっている。ここ最近、秘境駅に降り立つのが流行っているそうで、たまに乗り降りする人々のほとんどは鉄オタだ。
鉄オタ達を見て、保美は何かを話したいようだ。何を話したいんだろう。真奈美は思った。
「ここって、スイッチバックだったって、知ってる?」
「そ、そうなの?」
真奈美は驚いた。スイッチバックは聞いた事がある。坂道の途中に平坦な場所を設けて、そこに駅を設置している駅の事だ。今のこの駅は棒線駅で、しかも板張りの短いホームだ。
「うん。SLが走ってた頃は、この先にスイッチバックの駅があって、詰所や給水塔もあったのよ」
「ふーん」
真奈美は驚いた。押部駅にもこんな豊かな時代があったんだ。いつスイッチバックじゃなくなって、こうなってしまったんだろう。
「賑やかな駅だったんだけどね。みんないなくなっちゃって」
と、そこに鉄オタがやって来た。鉄オタはここの風景をスマホで撮っている。
「寂しくなったんですね」
鉄オタはこの集落が賑わっていた頃、スイッチバックだった頃の写真をホームページなどで見た事がある。今の押部駅ではとても想像できない光景だ。
「それも、明日が最後か」
「そうらしいですね。私は明日、この駅から東京に旅立つんですが」
鉄オタは驚いた。こんな人がいるんだな。自分は東京に住んでるけど、明日、ここから東京に旅立つ人がいるなんて。
「そうなんだ。東京はいいとこですよ」
東京は豊かな所だ。多くの人が住んでいて、欲しいものが簡単に手に入る。こことは全然違う。きっと気に入るだろう。
「だけど、ここが好きなんです。でも、やっぱり豊かな方がいいんでしょうか?」
「いいと思いますよ。私は東京に住んでるんですが、ここよりずっと豊かで、賑やかですよ」
鉄オタは農村から東京に引っ越してきた。東京に来て感じたのは、豊かな生活だ。農村とは全く違う。いろんな情報が入り、色んな物が簡単に買える。
「そうですか」
そして、真奈美は思った。東京に住むのもいいかもしれない。豊かな生活を手に入れて、幸せに過ごすんだ。
その夜、真奈美は家で明日の準備をしていた。衣類や家具などは明日、引っ越し業者で運んでもらう。自分は貴重品などを持っていくだけだ。
「お父さん、押部駅って、スイッチバック駅だったって、本当?」
明日の準備をしながら、真奈美は今日知った事を父に聞いた。父は昔、押部に住んでいた。父ならもっと知っているだろう。
「うん。これが当時の写真だよ」
父は押部駅の写真を見せた。しっかりとしたホームが2本ある押部駅の写真だ。こんなに広かったんだ。そして、ホームに停まっているのはSLだ。こんな時代があったんだ。
「広いなー。今の押部駅からは想像できないね。こんな時代があったんだ」
「駅の辺りには、いくつかの家屋があって、賑やかだったんだよ。今はもう何もないけど」
真奈美は駅の周辺を見た。すると、いくつかの家屋がある。今は無人の山林しかないけれど、家屋があったんだ。
「そして明日、この駅はなくなるんだね」
「そうね。寂しいけれど、これが時代の流れなんだね」
両親は押部駅が廃駅になるのを残念に思っているようだ。この駅だけが、ここに押部という集落があった事を証明している。この駅が廃駅になれば、押部という集落は遠い記憶になってしまうだろう。
「うん。私もそうだけど、みんな東京に行っちゃって、みんないなくなって、この集落はどうなっちゃうんだろう」
「なくなるのさ」
両親は予感している。この上押部もやがて押部のように消滅してしまうだろう。そして、人々の記憶から忘れ去られていくだろう。
「きっとそうだね。私もなくなると思うよ」
「寂しいね」
そうして、ここに住む最後の夜は過ぎていった。いよいよ明日は旅立ちの日、そして、押部駅最後の日だ。
次の日、押部駅の最終日。この日は朝から多くの人が来ている。上押部の住民はもちろん、多くの鉄オタが来ている。まるで昔の押部駅の賑わいが戻ったようだ。だが、それは最終日だからだ。明日からはもう列車が止まらなくなる。そして、押部という名前は消えてしまう。
「いよいよ今日でお別れだね」
「うん」
ホームには真奈美と保美がいる。今日最後の列車、押部駅に停まる最後の列車を待っているようだ。真奈美はその列車で東京に向かう。
最後の列車が来る時間が近づいてきた。鉄オタが徐々に騒がしくなっていく。シャッターチャンスを狙っている人もいれば、ビデオを回している人もいる。
数分後、最後の列車がやって来た。単行のワンマンカーだ。乗客はあまり乗っていない。列車はゆっくりと押部駅に着いた。
「行ってきます」
真奈美は列車に乗り込んだ。彼らを見送っているわけではないのに、鉄オタも反応する。
「行ってらっしゃい」
休みは手を振った。真奈美もそれに反応して、手を振る。明日から東京での生活だ。1人暮らしは不安だけど、頑張ろう。
「今日で最後の日なんだね」
「そうね」
両親は集まった鉄オタを見ている。いつもこんなに賑わっていたら、廃駅にならなかったのに。
「けっこう人が来ている」
「みんな鉄オタだろうな」
と、ドアの前に立つ真奈美の元に父がやって来た。何か言いたい事があるようだ。
「東京でも、元気でな」
「うん!」
運転手が顔を出し、笛を鳴らした。すると、ドアが閉まった。
「頑張って来てね!」
ドアが閉まる中で、父は真奈美に声をかける。鉄オタは手を振っている。
「さようなら、押部駅!」
「さようなら!」
最後の列車はゆっくりと動き出した。両親は列車をじっと見ている。鉄オタは列車を見送っている。やがて、列車は無人の山林の中に消えていった。
「消えてしまったんだね」
「ああ」
この瞬間、押部駅はその役目を終えた。そして、押部という名前が消えた。
翌日、もう列車の来ない板張りのホームに、保美がいた。保美は寂しそうな表情だ。もう押部は消えた。思い出でしか残らない。
「もう列車は停まらないんだね」
「うん」
その横には、真奈美の父がいる。父も寂しそうな表情だ。
「真奈美はもう来ない」
「東京に行っちゃったんだな」
保美はレールの先を見た。その先には東京がある。真奈美のいる東京だ。東京とは2本のレールでつながっている。だけど、ここに列車は来ない。
「こうしてこの駅も、ここにあった集落も忘れられていくんでしょうか?」
「そうかもしれませんね」
両親は肩を落とした。もうここには鉄道と無人の山林しかない。寂しくて静かな場所だ。ここに、押部という集落があったという事も、こうして忘れ去られていくんだろうか? いや、私たちが語り継いでいかなければならない。
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