蒼い導き
青々とした葉をたくさんつけた木が、薫風で揺れる。桜はとうに散り、夏の香りさえ近づいてきていた。それほど時間は経ってしまった。
昼休みが訪れ、各々給食の準備に取り掛かる。
「ねぇ結里香ちゃん、今日こそ給食を一緒に……」
「いい。私、1人で食べるから」
「……そっか。じゃあ明日でも……」
「無理だから」
突き放すように言って彼女の目の前から去る。
もう恒例になってしまった。しょんぼりとして帰ってくる春菜を見て、クラスメートが私を睨みつけるのも含めて。
なぜだか分からないが、春菜は何かとしつこく私に声をかけて来る。気配りとか思いやりとか、そんなのは望んでいないのに。
窓辺の席で誰とも机をくっ付けずに給食を口に運ぶ。自校で作っているお陰か、小学校のなんかより何倍もおいしい。お喋りなんて無駄なことに時間を費やさない分、食べ終わるのは誰よりも早い。
クラスにずっと居座り、女子からの非難の視線を浴び続けるのも少々疲れるので、大抵は食べ終わったら先に一人で片付け、教室を出ていく。いくら担任が叱ろうと、安斎さんが注意しようと構わない。ここに協調性やら時間厳守やらを求められても困る。
人気が全くない廊下はとても心地良い。耳障りな会話も響く足音もないから、自然鑑賞も出来る。窓から覗く空は、今日も今日とても綺麗な群青だ。沢山の葉がざわめく木々も良い。自然が立てる音と、人間が故意に立てる音は全く別物だ。
しばし自然の美しさに浸り、後に窓から目を離して再び歩く。いつも通り、一人になるために、あの場所へ向かう。
そこは、一人になれる場所が欲しかった私が見つけた、人気のない良い場所。使い勝手が悪いのか、使い道がないのか、滅多に利用されているところを見たことがない部屋。そこを探し当てて以来、昼休みは毎日の日課のようにそこで時間を潰している。
教室がある2階から1階に降りて、北校舎の端まで行き、そこにある扉を開ける。大きな手ごたえとともに重い音が響いて、開く。念のため、中を見回す。
「誰もいない……か」
それを確認してから静かに入る。ゆっくりと扉を閉めて、振り返った。無造作に積み上げられたCDと薄ら埃を詰まらせたオーディオ、そして10に満たない机が視界に映る。
ここは視聴覚室だ。とは言っても、別に放送で使われる場所ではない。むしろ、音楽室に近い感じ。防音効果があって、扉を閉め切れば、多分楽器を演奏しても外には響かない。実際にやったことはないから分からないけど。
でも、もちろん今は音楽室の役割を果たしているわけでもなく、ただの倉庫と化している。実に都合の良い部屋だ。
私な適当な椅子と机を選んでオーディオの近くまで持って来る。それからオーディオの電源を入れて、動くことを確かめてから本日のCDを選び始める。
「こんなに古いCDもあるんだ」
ケースを裏返す。1980年代。40年以上前だ。私の親すら小学生。
「まるでタイムカプセルみたい」
たくさんの棚に並べられているものを見上げる。一体どれだけあるんだろう。ざっと見ても千枚くらいはありそうだが、実際数えたらもっとありそうだ。
その中の一枚を適当に取って、オーディオに入れる。再生ボタンを押すと、穏やかなメロディーが流れ出した。声や歌詞は入っていない。ただのBGM。でも、それがいい。
背もたれに体を預け、私はしばしその優しさに浸る。音楽は好きだ。聴いているだけで自分の世界に入れる。嫌いなものは無い。
私の中は音楽で満たされる。その感覚に、酔いしれる。
にゃぁん。
鈴を転がすような鳴き声に、目を開けた。猫の鳴き声だった。どこからだろう、と窓の方に目を向けると、案の定、黒い毛並みの猫が私をじっと見つめていた。
漆黒と呼ぶに相応しいその猫は、瞳も覚めた青で綺麗だった。珍しい。野良でも、こんな綺麗な猫がいるものなのだろうか。
興味を惹かれた私は音楽を止めて窓に近づく。猫は逃げない。どころか、まるで私を呼んでいるみたいだ。
そっと窓を開け、しゃがみ込む。
「どうしたの?君はどこから来たの?」
もちろん、人間の言葉なんて通じないし、喋らない。猫はただ私を見ていた。そして口を開け、にゃあん、と再び鳴いて窓辺から去る。そして、少し走ったところで振り返った。
先程の鳴き声は普通の猫の鳴き声だった。だが、私には聞こえた気がした。
こっちに来い、と。
私は窓から飛び降りて外に出る。猫は私が自分の方に走って来るのを見ると、先導するように走り出した。
ひたすらに猫を追う。校庭の端を駆け抜け、学校の敷地内から出る。細い道をひたすら走り、時に草木が茂った道も苦戦しながら通った。不思議と、猫を見失うことはなかった。
そして私は、とある廃ビルに案内される。学校からも、住宅街からも離れた場所にポツンと聳え立つそれは、まるで秘密基地にも思えた。
猫は私をチラリと見てから、ビルの裏側に回る。私も着いていく。蔓延っていた細い枝を払うと、開いている窓を見つけた。猫はぴょんっとそこから侵入する。どうやら私も入れということらしい。
窓の淵に手をかけてビルの中に入ると、冷風と独特な匂いが襲って来た。見た目通り、もうずっと使われていないようだ。割れたガラス片と、黒ずんだ壁がそれを物語っている。
猫は碧眼を煌めかせて私を待っていた。
「今行くから」
また、猫を追いかける。何処かの部屋に連れて行かれると思っていたが、猫は廊下を進んだかと思うと階段を登り始めた。どうやら上に行くらしい。
猫の足跡はほぼ無音。故に私の足跡だけが異様に大きく響く。反響が反響を呼んで、まるで何人もの人がいるような錯覚さえしてきた。
別に幽霊が怖いわけでは無い。元より、そんなのは信じていない。だが、なんというか、気味が悪かった。それでも猫を信じ、私は進む。
最上階に来ると、猫は迷いなく右の廊下を選んだ。幾つもの部屋の前を通り過ぎた後、突き当たりで壁に埋もれた扉を見つける。猫はその前で座り込んだ。
「ここ、で、いいの……?」
白い壁と完全一致の扉の前で、猫は首だけ私の方に向け、一鳴きする。いったい何があるんだろう。
恐る恐るドアノブを握り、手首を捻って開けた。錆びついていたせいか、少し力が必要だった。
ふわりと、仄かな風と匂いが鼻腔をくすぐる。目を見開いた。
「え……は?どういうこと……?」
そこは外だった。てっきり、眩い日光が視界に飛び込んでくるのだと思った。
だが、目の前に広がるのは、満点の星空だった。人工の明かりは何一つない。全てが星の輝きによる明るさだった。
「なんで……さっきまで、昼だったのに……」
まさか、ビルに入ってからいつの間にか夜になってしまったのだろうか。竜宮城のように。
するりと足の間を猫がすり抜ける。どうやら、まだこっちに来いというらしい。一瞬、怯んだ。もしこの世界に踏み入れたら、帰れなくなるんじゃないか。よくある展開が、そんな未来を予測させる。でも、好奇心と、それから、呼ばれているような感覚には勝てなかった。
一歩、踏み出す。途端に私は夜の闇と星の煌めきに包まれた。その美しさに魅了され、ふらふらと足を進める。たった今入ってきた扉が消えてしまったことなど、気づく暇もなかった。
「わぁ……」
星屑の海、とでも呼べば良いのだろうか。そこは、ただただ綺麗だった。無駄に着飾る言葉なんて要らない。
うっとりと空を眺め続ける私の意識を、猫はにゃあんと一鳴きして呼び戻した。ハッと声の発生源へ視線を移すと、猫はフェンスの近くにいた。尻尾が手招きしているように振られている。
呼ばれるまま、猫の元へ歩み寄る。
「こっち?」
猫の隣に足を並べた、その時だった。
空が、今まで以上に明るくなったのだ。いや、明るく輝くものが現れた。勢いよく顔を上げて、それから文字通り目を見開く。
「えっ……流れ、星……!?」
夜空は数えきれないほどの光が流れていた。本物は見たことないが、おそらくこれが流星群というやつなんだろう、と気づく。
流星群は現れては一瞬にして消え失せる。それを繰り返していた。じっと見つめていると一つだけ軌道の違う光が現れた。よく見れば光の強さも他と異なる。それは途中で大きくカーブを描き、私の元へ一直線にやってくる。ぶつかる、と思わず目を瞑ったが、衝撃波が来ることはなかった。
にゃあん。猫の声に恐る恐る目を開けて、視界が今まで以上に眩しいことに気づく。その原因は、目の前にあった。
「これ……さっきの、星?」
それは、宙に浮いていた。それは、青く輝いていた。それは、まるでガラス玉のように綺麗だった。それは、中に星を閉じ込めていた。
「なんだろ……」
無意識のうちに、それに手を伸ばす。つるりとした手触りとひんやりとした感触は、まさにガラス玉そのものだった。手の中で、星を転がす。まるで、星空を掌握した気分だ。
中の星は幾つもあった。星空を閉じ込めたというよりは、星座を閉じ込めたみたいな。一体何の星座なんだろう。好奇心からそれを覗き込んだ。
「うっ……」
光の強さ故なのか、目の痛みと共に目眩が生じる。ふらりとそれから目を遠ざける。
瞬間、それは砕けた。外部からの力は加えていない。それ自身が自壊したのだ。
あまりの驚きに、私は思わずそれを放り投げてしまう。宙に舞ったそれの欠片が、放物線を描いてゆっくり地面に落ちる。それが触れた場所が、真っ黒い穴に変わる。そこはもちろん、私の足元。
声を上げる暇もなく、私は落ちた。暗く深い、底の見えないその穴の中に。
意識が遠のく。細めた視界の中、最後に私が見たのは、微笑むあの猫の姿だった。
・
・
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・
・
・
*
暗い。何も見えない。でも、落ちている感覚はない。ここは何処。冷たい。硬い感触。
「……っ!?」
ハッと、目を覚ました。最初に飛び込んできたのは、くすんだ白い天井。それから、視界の端に、CDの棚。
「え、ここ……」
ゆっくりと上半身を起こす。どうやら床に横たわっていたらしい。体に痛みや怪我はない。
見慣れた光景を前に、言葉を失った。ぐるりと周囲を見渡す。やっぱり、何一つ違和感はない。学校の視聴覚室だ。
「なんで……?さっきまで、ビルにいて、夜空で……」
はっとして窓の方を向いた。群青の空に、一筋の飛行機雲。散々と輝く太陽がある。ちゃんと、昼間だ。
おかしい。何もかもが、おかしい。もしや、さっきまでの出来事は夢だったのだろうか。いや、夢でない方がおかしいのではないか。冷静になってみれば、そもそも昼から突然夜になる訳ないし、猫に導かれるという御伽話めいたことが起きるはずがない。
大方、音楽を聴いている間にうたた寝でもしたのだろう。
そう、割り切ろうとした。けれど、知らないフリを貫き通すことは出来なかった。どうしても、視界に入ってしまうのだ。
1分を超えたところで止められているオーディオ。土に汚れた上靴。そして、手のひらにある、鋭利な物を滑らせたような切り傷。
それらは、先程の出来事にある記憶と一致している。つまり、あの出来事が現実であるという証明。
「……」
もしかして。いや、もしかしなくても、やはりさっきの摩訶不思議なことは全て現実で、私は何か意味があってあそこに連れて行かれて──、
そこまで考えたところで首を振る。
「バカバカしい……」
そもそも、考えても仕方がない。世の中には、解明不能な不思議なことが一つや二つあったところで、おかしくはないのだから。
さて、私は日常に戻ろうか。そんなことを心の中で呟きつつ、何気なく前髪をかきあげる。瞬間、眩暈のような、視界を歪ませる感覚が走った。
「あ……れ……?」
手で持った前髪ごと、額を押さえてしゃがみ込む。なんだろう。体全体に、上手く力が入らない。頭が雲のようにほわほわして、目の前の景色がぐにゃりと曲がる。
摩訶不思議な出来事を目の前に、とうとう脳がヒートアップを引き起こしたのだろうか。それに、何故か右目が痛い。焼けるように、痛い。今まで感じたことのない痛覚に、恐怖が湧き上がった。かつてない異常な体調に、いつの間にか、冷や汗をかく。
しかし、その謎の感覚はすぐに治り、視界は正常な平行に戻った。また、体の自由も効くようになる。額に手を当てたまま、私はゆっくりと立ち上がった。もう、何ともない。
「何だったの、今の……?」
一瞬の感覚に疑問を持ったまま、チャイムが鳴った。昼休みの終わりが訪れる。流石に教室に戻らなければ、めんどくさいことになるだろう。
重い足を引きずりながら、私は視聴覚室を後にした。
星座の後継者 葉名月 乃夜 @noya7825
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