伝書猫

髙橋

小さな依頼人

 若林が探偵事務所のドアを開けて室内に入るとすぐにこの場に似つかわしくない人物が目に入った。

 

 その人物はおさげの髪にランドセルを背負っている。まさに小学生の女の子といった感じだった。

その女の子がテーブルをはさんで探偵と向き合い、来客用のソファにちょこんと座っている。

 そもそもこの探偵事務所にそんな年頃の女の子が一人でいること自体、まさに不自然だった。

親の姿は見えない。一人で来たのだろうか?しかし、小学生の女の子がいったい何のために?

まさか浮気調査ではないだろうが。


 そんなことを考えていると、西伊場がこちらを向いて話しかけてきた。


「やぁ、君とは初めて会うんだったね。こちらのお嬢さんが今回の依頼人さ」


西伊場は若林の方に手をひらりとさせると


「そしてこっちは私の助手の若林君だ。よろしく頼むよ」


と紹介した。女の子は笑顔で挨拶してきた。なるほど、物怖じするタイプの子ではないらしい。

そうでなければこんな小さな探偵事務所に一人では来られないだろう。

若林がそんなことを考えていると、西伊場がやれやれといった感じで


「まったく、君も気が利かないね。依頼人が来てるんだから、飲み物の一つぐらい出してくれよ」


「いや、でも・・」


「話は後からでもゆっくりすればいいから早く飲み物を頼むよ。この探偵事務所の連中は依頼人に飲み物の一つも出さないしみったれだって思われたくないだろう」


そう言うと西伊場は女の子の方を見てウインクした。女の子はクスクス笑っている。


「分かりましたよ。まったく」


若林は食器棚からカップを二つ取り出すとコーヒーを注ぎ、探偵と依頼人の前に一つずつ置いた。置くや否や探偵は大げさに額に手を置きながら


「君ねぇ、小学生の女の子にコーヒーはないだろう。ジュースぐらい出したらどうだい?」


と呆れた口調で言った。


「ジュースなんてあるわけないでしょう。いつもコーヒーばっかり飲んでるくせに」


と若林も呆れながら言った。


「無いなら買ってきてくれよ。すぐに」


「えぇ?今からですか?」


「ほらほら早く!君の文句を聞いている時間が惜しい」


依頼人が依頼人なだけに仕方がない。若林は近所のコンビニまで行くことにした。


 買い物から帰ってくると、女の子の姿はすでになく、探偵が一人でのんびりとコーヒーを飲んでいた。若林は部屋を見回しながら


「あれ、女の子は?トイレですか?」


と尋ねた。すると西伊場は


「あぁ、もう帰ったよ。用事は済んだからね」


「えっ!?もう帰ったんですか?まだ来たばかりでしょう?」


「依頼自体はすでに完了していたからね。後で渡すものが一つあるけどね」


若林は律儀に買ってきたジュースが入った袋をテーブルに置き、先ほどまで女の子が座っていたソファにしっかりと座り、西伊場に尋ねた。


「いったい何がどうなってるんですか。説明してくれるんでしょうね?」


怪訝そうな表情で尋ねると、西伊場はニヤリと笑って、口を開いた。


「もちろんさ。それではあの小さな依頼人について話そうか」 



「あの女の子、飼い猫の捜索を依頼しに一人でここに来たんだ。この事務所はスマホで調べたらしい。あの年でなかなかの行動力だよね」


「でもなんで親と一緒に来ないんでしょう?あんな小さな子供が一人で来るなんておかしいですよね」


「母親に連絡してみたけど、娘が一人でここに来たと聞いた時は驚いていたね」


「母親と連絡取れたんですか?じゃあなぜ一人で依頼に来たんでしょう?」


「母親の話だと、飼っていた三毛猫が姿を消したのが二ヵ月前。最初のうちは近所を探し回ったりしたそうだが、まったく見つからず、そのうち諦めたそうだ」


そこで探偵は言葉を切ると、コーヒーを一口飲んだ。


「でも女の子は諦めきれなかったんですね」


若林がそう言うと、西伊場は頷いて


「その通り。あの子は一人でこの二ヵ月間、毎日のようにそこら中を探し回っていたそうだよ。母親がいくら諦めるように言っても聞かなかったそうだ」


「それでこの探偵事務所に来たというわけですか」


若林は女の子が一人でここに来た理由については納得いったようだった。


「でも、どうするんです。逃げ出した猫なんて、そう簡単に捕まえられるもんじゃないですよ」


「そう思うかい?でもさっき言っただろう。依頼は完了していると」


「まさか、見つけたんですか!?」


若林が驚きながら尋ねると、探偵はコーヒーカップを軽く掲げながら


「もちろんさ、だから今日あの子にも、わざわき来てもらったんだよ」


なるほど、女の子を今日ここに呼んだのは西伊場だったのか。


「どうやって見つけたんです?そこら中探し回ったんですか?」


「いや、さすがにそれはしんどそうだからパスした。でもその時あることを閃いたんだ」


「あること?」


若林が尋ねると、西伊場は人差し指を立て、


「君、帰巣本能って聞いたことある?」


と若林に尋ねてきた。


「帰巣本能って・・・離れた場所からでも自分の家に帰ることができる能力ですよね。伝書鳩みたいな」


「その通り。その帰巣本能って、実は猫にもあるんじゃないかなって思ってね。少し調べてみたんだけど、いくつか実例があるんだ。輸送中に逃げ出した猫が数百キロ離れた家に戻ってきたなんて例もあったよ」


「そうなんですね。猫にも帰巣本能があったなんて知りませんでした」


「もっとも、完璧じゃないけどね。逃げ出して、そのまま行方不明ってパターンの方が圧倒的に多いのは事実だし。でも、もし今回、女の子の猫に帰巣本能が働いていたとしたら、と思ったんだ」


西伊場はそう言うと、若林は首をひねって


「でもそれだと猫は女の子の家に帰ってくるんじゃないですか?帰巣本能なんですから。でも二ヵ月も帰ってきてませんよね。やっぱり今回のケースには当てはまりませんよ」


若林がそう言うと、西伊場はニヤリと笑って


「そう思うだろう。でも今回のケース、私の予想は当たっていたんだ。猫は帰巣本能で家に帰っていたんだよ」


「えっそれはいったい・・・」


若林が言いかけた時、来客を知らせる事務所のインターホンが鳴った。


「おっ、来たかな?」


西伊場はそう言うと立ち上がり、玄関のドアを開けた。


 西伊場はをやってきた人物といくつか言葉を交わすと何かのケースを受け取った。

それはペット用のキャリーバッグだった。助手が中を覗き込むと、そこには三毛猫がちょこんと座っていた。


「この猫、もしかして」


若林が驚きながら聞くと、西伊場は


「その通り。あの女の子の三毛猫さ」


と誇らしげに答えた。


「どうやって見つけたんですか!?まさか見つからないからって別の三毛猫を用意したんじゃ・・・」


「失敬な、そんなインチキするわけないだろう。首輪にも間違いなくあの子の住所が書いてあるからね。間違いないよ」


「なおさら、どうやって見つけたんです?」


若林が不思議でしょうがないという顔をしながら尋ねると、


「そうだね。まず、あの子の母親に連絡を取った時に猫についていろいろ聞いてみたんだ。

あの猫、保護施設から引き取って女の子の家で飼うことになったんだそうだ。

そして保護施設に来る前は、ある一人暮らしのお婆さんが飼っていたんだって。

でも、そのお婆さんが亡くなり、猫は一匹残されてしまった。他に引き取ってくれるような人もいなかったそうだ。

幸い保護施設の職員がそのことを聞きつけて猫を引き取り、施設で世話していたんだ」


「そこにあの女の子が現れたと」


「そうなんだ。飼いたい猫を探してその保護施設を母親と訪れた女の子は、その三毛猫に一目惚れして飼うことをすぐに決めたそうだ」


探偵は一息つき、猫の方を見た。三毛猫はゴロゴロ喉を鳴らしながらウトウトしている。


「あの子、本当にあの猫を可愛がっていたようだね。保護施設の職員の話によると、施設の動物を飼うためには数か月のお試し期間のようなものがあって、動物と人がその期間で互いに上手くいくかどうか判断するらしいんだが、何の問題もなかったそうだ。女の子はマメに世話してたし、猫の方もすぐに懐いたそうだよ」


若林は西伊場の話を聞きながら、そこでたまらず口を開いた。


「女の子がとても猫を可愛がっていたのは分かりましたが、結局猫はどこにいたんですか?」


尋ねると、西伊場はクスクス笑いながら


「おいおい、ここまで話してもまだ分からないのかい?」


「分かりませんよ。どこにいたんです?」


西伊場は猫を指さしながら


「帰巣本能の話をしただろう。あの猫にとっての元の家、つまりお婆さんの家さ」


「お婆さんの家に?でもお婆さんはもう・・・」


「そう、すでに亡くなってる。猫にそのことが理解できなかったのか。それとも・・・」


そう言いながら探偵は猫を見た。三毛猫はすっかり目を閉じて眠っている。


「まぁとにかく、女の子の母親から保護施設に連絡を取ってもらって、事情を話してお婆さんの家の住所を聞いたんだ。そしてその家に行ってみたら案の定いたよ。その猫。縁側に一匹で座っていてさ。たぶんお婆さんとよくいた場所だったんじゃないかな」


聞き終わり、若林も猫の方を見た。

この三毛猫は帰巣本能でただ帰っただけなのだろうか。

それとも・・・もしかしたら亡くなったお婆さんのことを懐かしんで行ったのだろうか。


「保護施設の職員と行ったんだが、その人が良い人でね。猫は念のために動物病院で検査をしてから、それからこっちに連れてきてくれるってことになったんだ。

それで今日そのことを女の子に報告したってわけさ。もうすぐ母親と一緒に戻ってくると思うよ。猫を引き取りに」



 西伊場の話が終わり、しばらく沈黙が流れた。

西伊場は若林がさっき買ってきたジュースの蓋を開けるとカップに注ぎ一口飲んだ。


「意外にいけるもんだね。たまにはジュースもいいもんだ。君もどうだい?」


と言い、軽く微笑んだ。


「そうですね、いただきます」


若林が答えると同時に、三毛猫が「ンナァオ」と鳴いた。


 西伊場と若林は顔を見合わせ、クスリと笑った。

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伝書猫 髙橋 @takahash1

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