四幕-最終話
「――以上が、三道尊の事件のあらましだ」
そう言って、伊神は座椅子サイズのビーズクッションに背中を預けた。
現在、伊神は尊の依頼に関する報告のため泉帆の部屋に来ていた。
「あらましだ……って、もしかしてこれで解決だなんて思ってる?」
伊神の対面に座る泉帆は、ガラステーブルの上に置かれた写真や数枚の資料を手にして呆れた声を出す。
「思ってるも何も、依頼人が解決したってんだから解決してんだろうが」
「……まぁ良いや。オッサンに何言っても無駄だし」
あきらめたように泉帆はそう言い、資料をテーブルに投げた。写真が、一枚だけテーブルに乗らずひらひらと床に落ちていく。
「それじゃあ、ここからはいつもどおり、お互いに事件の考察を言い合おうよ」
「またかよ」
伊神は面倒そうに天井を仰ぎ見るが、「しょうがねえな」と姿勢をなおした。
依頼件数は少ないものの、これまでも伊神は心霊・オカルト関連の事件の依頼を受けてきた。その依頼がどのような形で終わったとしても、泉帆と伊神は自分達の見解を述べ議論してきた。
今回は、「八尺様」というこれまでにないオカルト事件だったこともあり泉帆のテンションが高い。
伊神自身は好きではなかったが、泉帆を納得させられなければ牛首病院の事件を解決できるはずもない――そういう思いもあったため、いやいやながらも泉帆に付き合っていた。
「まず、俺が怪しいと思ったのは三道尊本人だ」
伊神は、これまでのことを思い出しながら話し始めた。
「まず、三道がウチに来た初日……あいつが帰ってから身元を調べた」
探偵というよりは、警察時代の癖のようなもので、伊神は自分に依頼をしてくる人間の身元確認は必ず行っている。
「一見ただの高校生だったが、ひとつだけ気になることがあった」
泉帆は口を挟むことなく、「うん、うん」と頷いて次を促していた。
「三道尊はいま一人暮らししている」
「ふぅん。でも、特段めずらしいことでもなくない?私だって一人暮らししているし」
「やつは実家の一軒家で暮らしてる。つまり、親がいねえってことだ」
伊神の言い方はかなり含みを持たせたものだった。
「母親は小さい頃に亡くなっているみたいだが、父親は去年末のことだ。そこに友人と知人が死んだ。普通の高校生にしちゃ、周りで人が死に過ぎてる」
「母親が死んだのはいつだった?」
泉帆が妖しい目つきで伊神に訊ねた。
「確か、十三年前だったな」
「……」
一瞬間が空くが、伊神は気にせずに続けた。
「はじめこそ三道が殺人に関わっているんじゃないかと思ったんだが、どうにもそうは思えなかった」
「そりゃ、人による殺人じゃないからね」
「で、今度はあいつのじいさんだ。今のところ身近な親族で死んでいないのは祖父だけだったからな」
「それで?どうだった?」
「二人とも全くのシロだ。悪人と善人の顔や挙動くらいは今でも分かる。どっちもドがつくくらいの善人だった」
伊神の身体がビーズクッションに更に沈む。
「で?」
「終わりだよ、それで」
結論として、幽霊が見えるという尊の周りで人が次々と死んだのは全くの偶然であり、尊自身もそのような幻覚や妄想にとりつかれている。そのような落としどころしか伊神は見つけられなかった。
「三道尊の友達や先輩の死に方は?それも警察を通じて知っているんじゃないの?」
いじわるそうに泉帆は訊く。その言葉に伊神は苦々しい表情で舌打ちをするしかなかった。
尊に関わった人間の死因は説明できる。外部から強烈な力が加わったことによる頭部の破損、といった具合に。しかし、死亡状況を見ると人間の犯行とは到底思えない。そう聞いていた。
「今回の殺人を引き起こしたのは、間違いなく三道尊に取り憑いた"八尺様"よ」
攻守交替といった感じで、今度は泉帆が自身の考察を語り始めた。腕を組みつつ、伊神が持って来ていた資料のひとつ、尊が映った写真を指に挟んで見せた。こちらに帰ってきた後のタイミングで撮られているもののため、尊の顔は晴れやかなものだった。
「オッサンが言ったように、三道尊の身の周りでは人が死に過ぎている。でも、その元凶を八尺様と仮定するとすべて辻褄が合う」
「あいつの母親や父親が死んだのもか?」
「うん」
若干意地の悪い質問をしたと思った伊神だったが、泉帆が即答したことに思わず目を開く。
「三道尊が八尺様に取り憑かれた……というより、"魅入られた"のはおそらく十三年まえ」
まだ子供だった頃、祖父から八尺様の話を聞き、尊が祠を発見したのが十三年前である。
「それにより、三道尊は八尺様と縁を結んだことになる」
「縁?」
「契約みたいなものかな」
幼かった三道尊は、八尺様に願い事をし、それを叶える代わりに八尺様も尊に何かを課した。そう泉帆は考えていた。
「三道尊の願いは"霊を見たくない"っていうので確定かもね。八尺様が後ろで本人の両眼を覆い隠していたのもそれで説明がつくし」
「後ろで覆い隠していたって言われてもな」
「で、最も重要なのが"理由"になるんだけど」
不満を漏らす伊神を無視して泉帆は続ける。
「霊が見える、もしくは霊感持ちを馬鹿にされた。または、それが原因でひどい事を言われた」
「何だそりゃ」
「これが引き金となって八尺様は対象の人物を殺していたって話」
泉帆は視線を落とし、テーブルの上に目を向けた。写真や資料が並んでいるが、それを見ているようではなかった。
「三道尊が霊を見たくないと願い、それを八尺様が叶えた場合、八尺様が両眼を隠すことで三道尊は霊を視認しなくなったはず」
これがどういう原理かまでは泉帆も説明できなかったが、上位の存在である八尺様が間に入ることでそこらにいる低級霊たちは見えなくなるのだろう。それは自分が伊神を介して霊と向き合っていることに似ていると感じた。
「ただ、三道尊の霊感が消えるわけではないから現在進行形でそういう問題は起こるかもしれない。八尺様はそういった人物を殺害していたわけ」
「分からねえな。どうしてそれが殺害理由に繋がる?」
「そいつらが死ねば、間接的に三道尊の願いは叶うからでしょ。死人に口なしっていうの?」
その言葉に伊神は納得した様子ではなかったが、それ以上は何も言わなかった。
伊神からの報告では、山で三道尊は八尺様が指し示す方向へ向かい、危うく死にかけたとあった。
これも同じ理由であれば説明できる。三道尊本人が死ねば、悩まされることはない。
「オッサンも何か言ったんじゃない?"霊が見えるとか馬鹿げている"とか何とか。あの交通事故もそれが原因だよ」
「だったらどうして俺は生きていられる?」
伊神は馬鹿にしたように笑った。
「そこだけはどうしても分からない。運が良かったとしか言えないね」
その点に関しては、それ以上の議論をする気が泉帆には無かった。なぜなら、伊神の言う通り死んでいないのがおかしいからだ。霊的な要素を受け付けない伊神を直接殺せないからこそ、八尺様は他人を操って殺そうとしたはずだ。それは説明がつく。
しかし、伊神はそれを免れた。それは運以外で説明ができない。通常なら「守護霊が守ってくれた」という選択肢を泉帆も思いつくが、伊神は守護霊の加護さえ受けつけないのだ。
「三道尊の母親も言ったんじゃない?霊が見えるなんて気持ち悪い、とか。八尺様に魅入られて以降は霊が見えることもなく落ち着いていたけど、去年あたりからまたその発端が現れ始めた。それを父親に話し……結果、母親と同じようなことを言われた」
両親の死に十年以上も差があるのはそういった理由があったからではないか。あくまでも泉帆の想像の域を出ないが、どちらも似たような死に方をしている説明にはなる。
「霊が見えることはなくなったものの、去年あたりから三道尊は夢に悩まされるようになった。もしかしたらそれ以前から見ていたかもだけど」
「待て。両親が死んだ期間もそうだが、なんだって急にそんな事態になる?」
伊神は眉間にしわを寄せて疑問を口にした。泉帆は淡々と語るが、そのどれもが妄想にしか思えない。これを通してしまえばどんな理論も超常現象で片付けられてしまう。
「考えられる理由は、三道尊と八尺様の縁が薄くなっていた……とか」
「どういうことだ、そりゃ」
「……契約っていうのは、した直後が一番強くて、それ以降は時間経過とともに弱くなるってこと」
そう言いながら泉帆は自身のこめかみに人差し指をぐりぐりと押し付けた。伊神のような相手にこの手の話をするのは骨が折れるため、言語化する際は毎度頭が痛くなる。そうでなくとも、こういった話は一度や二度ではない。いい加減理解してもらいたいところだ――そう意味を込めたジェスチャーでもあった。
ただ、泉帆がそれを口に出すことはない。
「三道尊と八尺様が縁を結んだのが十三年前。人によっては結構な期間ね。事実、三道尊は八尺様の事をすっかり忘れていたわけだし」
八尺様がそうであるかは未だ不明であるが、神というのは人の信仰心が無くなれば存在できなくなると泉帆は聞いたことがあった。もしかすると、八尺様が封印された理由もそこにあるかもしれない。誰も来ることができない場所に封じられ、尊の祖父のように語り継ぐ存在がいなくなれば、文字通り八尺様は消滅していただろう。
(だからこそ必死だった?)
一瞬、伊神の存在を忘れて、泉帆は自分の世界へ浸った。
霊が直接縁ある相手に己の存在を思い出させるようなことはない。というよりも、大抵の霊は現実世界にそこまで干渉できない。
しかし、八尺様ほど上位の存在となると話は変わる。
(ただ……)
神はそんなことをしない。
(八尺様はそれをした。夢にまで出て、声のようなものまで聞かせて……)
まるで人のような必死さではないか。
泉帆も伊神たちとは別に情報収集をしていた。八尺様に関わる民話・伝説などはほとんど無いものの、生配信以降、あのアーカイブのコメント欄にはさまざまな書き込みが寄せられていた。
特に有力だったのがライブ中にもスパチャをしてくれた「寺生まれのTさん」のコメントだった。
Tさんによれば、八尺様は自身の活動範囲を広げる目的がある怪異だという。そのため魅入った相手に取り憑き、その人物の行動範囲まで己の存在を拡げていく。大きな女性の姿に見えたり老婆の姿にも見えたりするとも書かれてあった。
それが本当なら、八尺様のこれまでの行動も矛盾しない。尊が死ぬように仕向けたのは尊との約束が優先されたからだろうか。
「車の免許更新とかで期間が迫るとハガキが来たりするんでしょ?」
「ん?ああ」
「オッサンは更新する?」
「そりゃ、大抵の奴がするんじゃねえか」
「それと一緒だよ。無視してれば三道尊は大きなものを失った。今回の八尺様も免許更新のハガキと同じ……」
意識を戻し、なるだけ伊神に理解しやすい説明をする。ただ、泉帆の表情からして、理解しようができなかろうがどちらでも良さそうだった。
「私には分かる……見たくないものが見える苦しさや辛さが……」
尊の映った写真を手に取り、小さく泉帆はつぶやいた。
「おそらく、三道尊は霊感が強いだけの人間じゃない」
「今度はなんだよ」
「オッサンの報告では、三道尊は山で変なものを見た……そう言ったんでしょ?」
「詳しくは聞いてないが……妖怪みたいなやつも山にはいたとか言っていたな」
「……それ、多分"幽世"の住人だよ」
「かくりよぉ?」
「私達が今いるこの世界とは別の世界をそう言うの」
いわずもがな、妖怪とは日本各地に伝承を残す有名な生き物・現象の総称だ。しかし、尊が見た存在が妖怪であるとは考えづらい。
その理由は、妖怪は霊感が無くとも見えるからだ。つまり霊とは別の存在だといえる。試したことはないが、伊神ですら見ることが出来るものかもしれないと泉帆は考えていた。
なるほど。八尺様が封じられたような山だ。妖怪がいてもおかしくはない。問題はそれが見えたタイミングだった。
八尺様が離れた際に、尊はそれらが見えるようになった。現地にいなかった泉帆は伊神からの報告を信じる以外なかったが、タイミング的にはそこのはずだ。
ここまでの泉帆の仮説どおりに考えれば、八尺様が尊から離れてしまえば、尊は霊視能力をフルに使えたことになる。霊感がなくとも見える妖怪が、そんなタイミングで現れるだろうか?
それに、尊はそれらを"異形"と言い表したともいう。霊とも妖怪とも明らかに違う存在だからこそ、そう表現したとすれば……。
「私が思うに世界は三つに分かれていると考えているわけ。私たちがいる現世、神様たちがいる神界、そして幽世」
「なに言いだしてんだよこいつは」
さすがの伊神も思わず噴き出した。意外にも泉帆も少し恥ずかしそうだった。
今から話すのは伊神のような人間には到底理解を得ることができない部類の話だからだ。砕けた言い方をするなら、オカルトオタクとしか分かり合えない話だ。
「私は"理"では考えない。あくまでもオカルト的な側面から楽しむために、こういうことをしてるの」
泉帆は開き直ったようにそう言った。Vtuberとしての活動も、伊神を雇っているのも、全ては自分自身が楽しむためにほかならない。
「重要なのは三道尊の霊視能力よ。おそらく、私を越えてる」
「ふぅん。三道がね」
霊視うんぬんに興味はなく、伊神は泉帆の持つ尊の写真に目をやった。事件解決直後に撮ったもので、その表情は明るい。
「私が狐の窓を使っても見えないものが三道尊には常に見えている……もしかすると過去視に未来視までできるかもしれない」
それを羨ましいとはけして思わない。見える人間だからこそ、尊が見ている世界が地獄であることを理解できる。
だから。
「それがどうしたってんだよ。あいつは憑き物がとれたような感じだったぜ?それで良いじゃねえか」
「……」
「……イヤな目で見てくるんじゃねえよ」
「可哀そうだと思っただけ」
泉帆は心底伊神を憐れんでいた。
伊神は、自分たちが直面している現実の重要さをまるで理解していない。
彼が必死になって追いかけている牛首病院心霊事件は、人の手では絶対に解決できない領域にある。しかし、尊の霊視能力があればそれも進展するかもしれないのだ。
泉帆が言ったように、過去視・未来視まで可能であれば他の未解決事件も同様だった。
霊を信じず、故に生きながらえた伊神。しかし、信じないからこそ事件解決は絶望的……これを哀れに思わずして何とするだろう。
しかし、泉帆がそれを口にすることもヒントを与えることもしない。これは伊神自身の問題だからだ。
「で?その、憑き物がとれたような三道尊にはもう話した?」
「俺の助手にしろって話か」
八尺様の件が解決したら、尊を助手にするよう泉帆は伊神に提案していた。
理由はもちろん尊の霊視能力と八尺様という怪異にある。それ以外にも伊神とコンビを組ませれば自身のチャンネルにも新しい企画が出来そうだからという思惑があった。
それだけではない。
伊神の報告によれば、途中、尊とはぐれたことがあったらしい。それを尊本人は「異界へ行っていた」と後に話した。
伊神はもちろん信じなかったが、それを聞いたとき、泉帆は鳥肌が立ったのを覚えている。
本当であれば三道尊はとんでもない存在となる。八尺様に魅入られたのも納得だ。
異界に迷い込むというのは聞いたことがあるが、尊はその入り口を自身で見つけているからだ。
幽世の異形の存在を目にすることができるということは、神との接触さえ可能かもしれない。どれもが常軌を逸しているが、もしかすればそのような存在に触れることができるかもしれないし、会話さえできてしまうかもしれない。
そう。三道尊の依頼は何も解決していない。
伊神の撮った写真にははっきりと八尺様が映っていた。
両手で尊の両眼を塞ぎ、その質感は以前よりももっと鮮明だった。
尊はあの山で新たに縁を結び直したと考えるべきだ。
八尺様の思惑通りとなったかもしれないが、尊にとってもそれは間違いではなかった……いや、それしか選択肢はなかったのだ。
八尺様との縁が切れたままであれば、尊は死ぬまで生き地獄を味わうことになったか、早晩発狂していたのだから。
「即答で『なる』だってよ。ドン引きするくらいのノリだったぜ」
そう言って、伊神はスマホを泉帆に見せた。そこには尊とのやり取りがいくつも表示されている。最新のものは今日の日付となっていた。
「この後も事務所に来てもらってちょいと話をすることになってる」
伊神はスマホを戻そうとする。
「ちょっと待って」
伊神が動きを止め、「なんだ?」と表情で答えた。
「三道尊にこう伝えておいて」
「八尺様によろしく」 完
八尺様によろしく @ukikko
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