三幕-④
「で?」
「なんですか」
「これに何の意味があるんだ?」
くぐもって聞こえる伊神の声。現在、伊神は尊の背後で彼の両耳を塞いでいた。
「伊神さんに言っても理解できないですよ!」
聴力を制限されているからか、尊の声も自然と大きくなる。
「理解できずともな、自分が今何のためにこんなことしているのかを把握するのは大事なんだよ!」
「それほど時間はかけませんから、もう少しだけこのままお願いします!」
伊神はまだぶつぶつ言っていたが、そこまでの声は尊には聞こえない。それに、時間をかけないと言ったのは本当だった。厳密に言い直すなら、"時間がもう無い"というだけだったが。
伊神と会話をしていると亡者たちの声が気にならないことに気付いた尊は、一つの仮説をたてた。それは「伊神を通すと霊的な力は弱まるのではないか」というものだ。
泉帆も保身のために、伊神を介して心霊写真の鑑定などを行っている。それを考えると、あながち悪い手ではないと思った。
注意すべきなのは、伊神に霊を祓う力は皆無であることを認識しておくことだった。
あくまで伊神は濾過装置のようなもので、依然、この山は亡者や怪異で溢れかえっている。意識さえすれば今も干渉されるはずだ。
何より、尊の視界にはずっと異形の存在が映っていた。聴覚が落ちたぶん、より鮮明になった気さえする。
しかし、そのおかげで八尺様の祠を見つけやすくなったともいえる。それでなくとも、目を塞がれてしまうと場所を特定できない。
雑音を取り除き、短時間で八尺様の祠を見つける。それが、今できる尊の精いっぱいの足掻きだった。
(どこだ?どこにある……)
現在、尊と伊神は山の中腹あたりにいた。それを頂上に向かって登っている形だ。
尊の目の奥が痛み始めた。急激な霊視能力の発現の影響か、何かが限界に近付きつつある。
尊はその場に一度立ち止まり、そっと目を閉じた。「急に止まんな!」と、伊神の声が後ろから小さく聞こえた。一瞬だが、視覚と聴力が消えたような錯覚に陥り、そのまま倒れ込んでしまいたかった。
(目を閉じても、八尺様の気配は分かるはずだ)
妖怪、異形、亡者……そんなものとは比べ物にならない存在。それが八尺様なのだ。泉帆が"神"と畏れたのだ。視覚の更に先の感覚で見ることができれば……。
すると突然、視界が閉ざされた瞼の裏――そこに、ぼんやりとした光を感じた。そちらに意識を向けると、今度は耳に聞き慣れたあの音が響く。
ぽぽぽ、ぽぽ、ぽ……
その瞬間、尊は目を見開き、その光が見えた方向に歩き始める。何の変哲もない、先ほど自身が突っ込んだ竹藪のような場所に。
「だから、急に歩くな!」
そう言いつつ、伊神はなおも尊の耳を押さえてくれていた。
「おいおい、そんなところ行ったらまた危ないっつの!」
声が聞こえていても、尊は勢いを止めることなくそこに向かった。草木を掻き分け、無我夢中に奥へ奥へと進んで行った。
どれくらいそのようにしていたか。突然、尊は開けた場所に出た。
「ここは……」
違和感を覚え、尊は後ろを振り向いた。
「伊神さん?」
後ろにいたはずの伊神がいなかった。尊はすぐに正面に向き直り、目だけで周囲を見回した。
恐ろしいほどの静けさ。亡者の声も、異形の姿も、先ほどまで尊を苦しめていたあらゆる要素が消えている。
対して、状況を把握していくうちに、尊の鼓動は速くなっていった。
その一番の大きな理由は、伊神がいなくなっていることだ。いたずらや面倒になったからという理由で尊から離れるような人間でないことは、ここまでの人となりでよく分かっていた。
伊神はいなくなったのではない。
「俺が、伊神さんが来れない場所に来たんだ……」
伊神がいなくなる……これには特別な意味があることをこれまでの出来事から尊は理解している。
〇県〇市。これは、認められた者以外、如何なる認知も許さない特別な土地である。そう泉帆は言っていた。
土地の怪異とはいえるが、伊神が存在していることがそれを否定しているとも。
伊神は霊的な事象を全て受け付けない。
それはつまり、霊的な場所に伊神は行けないということでもあった。
「異界……」
そんなものが本当に存在しているかはこの際どうでも良かった。伊神がいなくなったことで、この場所は明らかにさっきまでとは違う場所になった。もしくは繋がったということなのだ。
それを意識して、尊は再び周囲を見回す。
(……)
見えるのは先ほどいた山の道と同じ景色。聞こえるのは自分の息遣いだけだった。木々の葉の隙間から木漏れ日が落ち、地面に生えている草花をチラチラと照らしている。
嫌な場所ではない。
確信はないものの、本能的な部分がそう感じていた。空間は変わっても、土地は同じところなのかもしれない。尊は自然とそう思った。八尺様の祠の場所はそういう場所にあると考えていたからこその発想だった。
意を決し、尊は一歩を踏み出した。道は一本道でずっと続いていた。後ろに元来た竹藪はない。そちらもずっと道が続いている。
(戻れるだろうか)
来たは良いものの、ここが異界であれば戻る術を尊は知らない。不安はあったが、それでも歩き始めた。
なんとなく上へ登って歩く。頭の中では、かつて自分がここに来たことを考えていた。
(子供の頃、俺はここに来たはずなんだ)
そう思うと、この場所をなんとなく懐かしくも感じる。
以降、この道を誰か踏みしめただろうか?この辺りの人間は、祖父ふくめて誰もたどり着けなかったはずだ。
「あ」
まだ道が続く途中、祠があった。目印も何も無い、もしも上ばかりを見て歩いていたら気付かないような所にそれは在った。
「これが……」
八尺様が封印されたといわれる祠だろうか。特にそれらしい名前が書かれているわけでもなんでもない。ただ、一切汚れていないし苔も生えていない。つい最近できたもののようにも感じる。
しかし、尊は確信した。この祠を、かつての自分は見つけた。なにより、これまでの悪夢で何度も見てきた場所に違いなかったのだから。
尊は安堵ゆえか、力が抜けるような大きなため息を吐いた。そして、そのまま祠の前でしゃがみ込む。
「八尺様」
(ようやく終わる。これで、ようやく……)
両手を合わせ目を瞑ると、尊は八尺様に願った。
「三道!どこだ!」
伊神は突然いなくなった尊を探していた。
最初はまた足を滑らせ落ちたのかと思ったが、そのような場所はどこにもない。急いで周囲を見回しても目に入るの一面の藪だけだった。
さすがの伊神も焦ったが、現状を把握するため動きを止めた。視線だけを動かし、地面を歩く音がしないか注意した。
「……」
およそ三十秒はそうしていたか。聞こえるのは鳥の鳴き声や葉が揺れる音だけだった。
「どうなってやがる」
まるで意味が分からず、伊神はいったん藪から出た。先ほど来た山道に戻って来たものの、尊の姿は見当たらない。
どうすることもできず頭を抱えた伊神は、とりあえず山道入り口まで下りることにした。
「伊神さん」
いきなり背後から声を掛けられ、伊神は驚きながら後ろを振り向いた。
「お前……どこから」
目の前に尊が立っていた。さっきまでそこには誰もいなかった。そのはずだったのに。
尊は、晴れやかな表情をしており、ニコニコしながら伊神の隣にまで近づいてきた。
「行きましょう」
「行きましょうって……どこに?」
「どこって、帰るんですよ!ぜんぶ解決したんで」
言いながら、尊は勝手に道を下りていく。
不思議に思いつつ、伊神も後に続いた。納得できない点はいくつもあるが、依頼人である尊が「解決した」と言っている以上、ここに留まる理由もない。
こうして尊と伊神は山を下りた。
祖父に挨拶をしている尊を、伊神は少し離れた所から見ていた。尊も直治郎も、その表情は安堵からか笑みがこぼれている。
その様子から、たしかに全てが終わったようだ。
伊神は車のエンジンをかけ、尊が来るのを待った。
こうして、伊神が依頼された八尺様に関する事件は解決したのだった。
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