夫婦善哉
織田作之助/カクヨム近代文学館
年中借金取が出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、
種吉では話にならぬから素通りして路地の奥へ行き種吉の女房に掛け合うと、女房のお
芝居の積りだがそれでもやはり興奮するのか、声に
そんな母親を蝶子は見っともないとも哀れとも思った。それで、母親を
天婦羅だけでは立ち行かぬから、近所に葬式があるたびに、
よくよく貧乏したので、蝶子が小学校を
日本橋の古着屋で半年余り辛抱が続いた。冬の朝、
種吉の手に五十円の金がはいり、これは借金払いでみるみる消えたが、あとにも先にも
蝶子は柳吉をしっかりした頼しい男だと思い、そのように言い触らしたが、そのため、その仲は彼女の方からのぼせて行ったと言われてもかえす言葉はないはずだと、人々は
柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。彼に言わせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、
乱暴に白い
深くなり、柳吉の通い方は散々頻繁になった。遠出もあったりして、やがて柳吉は金に困って来たと、蝶子にも分った。
父親が中風で寝付くとき忘れずに、銀行の通帳と実印を
「
あくる日、柳吉が梅田の駅で待っていると、蝶子はカンカン日の当っている駅前の広場を
八月の末で馬鹿に蒸し暑い東京の町を駆けずり廻り、月末にはまだ二、三日間があるというのを拝み倒して三百円ほど集ったその足で、
二日そうして経ち、
避難列車の中で
西日の当るところで
お辰は娘の顔を見た途端に、
銀蠅の飛びまわる四畳の部屋は風も通らず、ジーンと音がするように蒸し暑かった。種吉が氷いちごを
母親の浴衣を借りて
二、三日、狭苦しい種吉の家でごろごろしていたが、やがて、黒門市場の中の路地裏に二階借りして、遠慮気兼ねのない
柳吉に働きがないから、自然蝶子が稼ぐ順序で、さて二度の勤めに出る気もないとすれば、結局稼ぐ道はヤトナ芸者と相場が決っていた。もと北の新地にやはり芸者をしていたおきんという年増芸者が、今は高津に一軒構えてヤトナの周旋屋みたいなことをしていた。ヤトナというのはいわば臨時雇で宴会や婚礼に出張する有芸仲居のことで、芸者の花代よりは随分安上りだから、けちくさい宴会からの需要が多く、おきんは芸者上りのヤトナ数人と連絡をとり、派出させて仲介の分をはねると相当な
三味線をいれた小型のトランク提げて電車で指定の場所へ行くと、すぐ
柳吉は二十歳の蝶子のことを「おばはん」と呼ぶようになった。「おばはん小遣い足らんぜ」そして三円ぐらい手に握ると、昼間を将棋などして時間をつぶし、夜は
その年も暮に近づいた。押しつまって何となく慌しい気持のする或る日、正月の紋附などを取りに行くと言って、柳吉は梅田新道の家へ出掛けて行った。蝶子は水を浴びた気持がしたが、行くなという言葉が何故か口に出なかった。その夜、宴会の口が掛って来たので、いつものように三味線をいれたトランクを提げて出掛けたが、心は重かった。柳吉が親の家へ紋附を取りに行ったというただそれだけの事として軽々しく考えられなかった。そこには妻も居れば子もいるのだ。三味線の音色は
まえまえから、蝶子はチラシを
年が明け、松の内も過ぎた。はっきり勘当だと分ってから、柳吉のしょげ方は頗る哀れなものだった。父性愛ということもあった。蝶子に言われても、子供を無理に引き取る気の出なかったのは、いずれ帰参がかなうかも知れぬという下心があるためだったが、それでも、子供と離れていることはさすがに
あくる日、二人で改めて自由軒へ行き、帰りに高津のおきんの所へ仲の良い夫婦の顔を出した。ことを知っていたおきんは、柳吉に意見めいた口を利いた。おきんの亭主はかつて
千日前「いろは牛肉店」の隣にある
剃刀屋で三月ほど辛抱したが、やがて、主人と
実家に帰っているという柳吉の妻が、肺で死んだという噂を聴くと、蝶子はこっそり法善寺の「縁結び」に
二年経つと、貯金が三百円を少し超えた。蝶子は芸者時代のことを思い出し、あれはもう全部
もうこれ以上
開店の朝、向う鉢巻でもしたい気持で蝶子は店の間に坐っていた。
客足がさっぱりつかず、ジレットの一つも出るのは良い方で、たいていは耳かきか替刃ばかりの浅ましい売上げの日が何日も続いた。話の種も尽きて、退屈したお互いに顔を情けなく見かわしながら店番していると、いっそ恥かしい想いがした。退屈しのぎに、昼の間の一時間か二時間
店仕舞いメチャクチャ大投売りの二日間の売上げ百円余りと、権利を売った金百二十円と、合わせて二百二十円余りの金で問屋の払いやあちこちの支払いを済ませると、しかし十円も残らなかった。
二階借りするにも前払いでは困ると、いろいろ探しているうちに、おきんの所へ出はいりして顔見知りの呉服屋の担ぎ屋が「
さん年経つと、やっと二百円たまった。柳吉が腸が痛むというので時々医者通いし、そのため入費が嵩んで、歯がゆいほど、金はたまらなかったのだ。二百円出来たので、柳吉に「なんぞ良え商売ないやろ」と相談したが、こんどは「そんな
七日経っても柳吉は帰って来ないので、半泣きの顔で、種吉の家へ行き、梅田新道にいるに違いないから、どんな
十日目、ちょうど地蔵盆で、路地にも盆踊りがあり、無理に引っぱり出されて、単調な曲を繰りかえし繰りかえし、それでも時々調子に変化をもたせて弾いていると、ふと
二時間経って、電車がなくなるよってと帰って行った。短い時間の間にこれだけのことを柳吉は話した。この十日間梅田の家へいりびたっていたのは外やない、むろん思うところあってのことや。妹が聟養子をとるとあれば、こちらは廃嫡と相場は決っているが、それで泣寝入りしろとは余りの仕打やと、梅田の家へ駆け込むなり、毎日
翌朝、高津のおきんを訪れた。話を聴くと、おきんは「蝶子はん、あんた維康さんに欺されたはる」と、さすがに苦労人だった。おきんは、維康が最初蝶子に内緒で梅田へ行ったと聴いて、これはうっかり芝居に乗れぬと思った。柳吉の
三日経つと柳吉は帰って来た。いそいそとした蝶子を見るなり「阿呆やな、お前の一言で何もかも滅茶苦茶や」不機嫌極まった。手切金
父親からは取り損ったが、妹から無心して来た金三百円と蝶子の貯金を合わせて、それで何か商売をやろうと、こんどは柳吉の口から言い出した。
お互いの名を一字ずつとって「蝶柳」と屋号をつけ、いよいよ開店することになった。まだ暑さが去っていなかったこととて思い切って生ビールの
秋めいて来て、やがて風が肌寒くなると、もう関東煮屋に「もって来い」の季節で、ビールに代って酒もよく出た。酒屋の払いもきちんきちんと現金で渡し、銘酒の本舗から、看板を寄贈してやろうというくらいになり、蝶子の三味線も空しく押入れにしまったままだった。こんどは半分以上自分の金を出したというせいばかりでもなかったろうが、柳吉の身の入れ方は申分なかった。公休日というものも設けず、毎日せっせと精出したから、無駄費いもないままに、勢い
案の定、妹の婚礼に出席を
夜中に下手な
もう二度と浮気はしないと柳吉は誓ったが、蝶子の折檻は何の薬にもならなかった。
柳吉が
「この店譲ります」と貼出ししたまま、陰気臭くずっと店を閉めた切りだった。柳吉は浄瑠璃の
ある日、どうやら梅田へ出掛けたらしかった。帰って来ての話に、無心したところ妹の
関東煮の諸道具を売り払った金で店を改造した。仕入れや何やかやでだいぶ金が足らなかったので、
その足で上塩町の種吉の所へ行き、果物屋をやるから、二、三日手を貸してくれと頼んだ。
朝の間、蝶子は廓の中へはいって行き
割合熱心に習ったので、四、五日すると柳吉は西瓜を切る要領など覚えた。種吉はちょうど氏神の祭で例年通りお渡りの人足に雇われたのを
柳吉にそろそろ元気がなくなって来たので、蝶子はもう飽いたのかと心配した。がその心配より先に柳吉は病気になった。まえまえから胃腸が悪いと二ツ井戸の
附添いのため、店を構っていられなかったので、蝶子は
こればっかりは運よく、すぐ買手がついて、二百五十円の金がはいったが、すぐ消えた。手術と決ってはいたが、手術するまえに体に
重い足で、梅田新道の柳吉の家を訪れた。養子だけが
お辰とちがって、柳吉は蝶子の帰りが遅いと散々
あくる日、十二、三の女の子を連れて若い女が見舞いに来た。顔かたちを一目見るなり、柳吉の妹だと分った。はっと緊張し、「よう来てくれはりました」初対面の
一時間ほどして帰って行った。夫に内緒で来たと言った。「あんな養子にき、き、気兼ねする奴があるか」妹の背中へ柳吉はそんな言葉を投げた。送って廊下へ出ると、妹は「
夕方、電話が掛って来た。弟の声だったから、ぎょっとした。危篤だと聞いて、早速駆けつける旨、電話室から病室へ言いに戻ると、柳吉は、「水くれ」を叫んでいた。そして、「お、お、お、親が大事か、わいが大事か」自分もいつ死ぬか分らへんと、そんな風にとれる声をうなり出した。蝶子は椅子に腰掛けてじっと腕組みした。そこへ
どのくらい時間が経ったか、隙間風が肌寒くすっかり夜になっていた。急に、「維康さん、お電話でっせ」胸さわぎしながら電話口に出てみると、こんどは誰か分らぬ女の声で、「息引きとらはりましたぜ」とのことだった。そのまま病院を出て駆けつけた。「蝶子はん、あんたのこと心配して蝶子は可哀想なやっちゃ言うて息引きとらはったんでっせ」近所の女たちの赤い目がこれ見よがしだった。三十歳の蝶子も母親の目から見れば子供だと種吉は男泣きした。親不孝者と見る人々の目を背中に感じながら、白い布を取って今更の死水を唇につけるなど、蝶子は勢一杯に振舞った。「わての亭主も病気や」それを自分の
が、そんな心配は要らなかった。種吉がかねがね
柳吉はやがて退院して、
蝶子が親の所へ戻っていると知って、近所の金持から、
柳吉と一緒に大阪へ帰って、日本橋の
ある夕方、三味線のトランクを提げて日本橋一丁目の
帰って柳吉に話すと、「お前は良え友達持ってるなァ」とちょっぴり皮肉めいた言い方だったが、肚の中では
カフェを経営することに決め、翌日早速周旋屋を
名前は相変らずの「蝶柳」の上にサロンをつけて「サロン蝶柳」とし、蓄音器は
半年経たぬうちに押しも押されぬ店となった。蝶子のマダム振りも板についた。使ってくれと新しい女給が「顔見せ」に来れば頭のてっぺんから足の先まで素早く一目の観察で、女の素性や腕が見抜けるようになった。ひとり、どうやら臭いと思われる女給が来た。体つき、身のこなしなど、いやらしく男の心をそそるようで眼つきも据っていて、気が進まなかったが、レッテル(顔)が良いので雇い入れた。べたべたと客にへばりつき、ひそひそ声の
女給が変ると、客種も変り、新聞社関係の人がよく来た。新聞記者は眼つきが悪いからと思ったほどでなく、陽気に子供じみて、蝶子を呼ぶにもマダムでなくて「おばちゃん」蝶子の機嫌は頗る良かった。マスターこと「おっさん」の柳吉もボックスに引き出されて一緒に遊んだり、ひどく家族的な雰囲気の店になった。酔うと柳吉は「おい、こら、らっきょ」などと記者の
蝶子は「娘さんを引き取ろうや」とそろそろ柳吉に持ちかけた。柳吉は「もうちょっと待ちィな」と言い逃れめいた。「子供が可愛いことないのんか」ないはずはなかったが、娘の方で来たがらぬのだった。女学生の身でカフェ商売を恥じるのは無理もなかったが、理由はそんな簡単なものだけではなかった。父親を悪い女に
ある日、こちらから頼みもしないのにだしぬけに白い顔を見せた。蝶子は顔じゅう
柳吉と一緒に駆けつける事にしていた。が、柳吉は「お前は家に
蝶子は呉服屋へ駆け込んで、柳吉と自分と二人分の紋附を大急ぎで
夜、柳吉が紋附をとりに帰って来ると、ガスのメーターがチンチンと高い音を立てていた。異様な臭気がした。驚いて二階へ上り、戸を開けた。
二十日余り経つと、種吉のところへ柳吉の手紙が来た。自分ももう四十三歳だ、一度大患に
十日経ち、柳吉はひょっくり「サロン蝶柳」へ戻って来た。行方を
蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝り出した。二ツ井戸天牛書店の二階広間で開かれた
夫婦善哉 織田作之助/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official
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