四章 その生誕に祝福を

第28話 進み続ける理由

 ――親愛なるマルゴット師。 


 ご無沙汰しております。ルーエでの暮らしはいかがでしょうか。

 変わらず壮健でいてくださると、不肖の弟子としても喜ばしく思います。


 早々に本題に移り恐縮ですが、師匠せんせいに折り入ってご相談があります。

 五十年ほど前に行われた、『王国領地質調査』のことを憶えておられますでしょうか。師匠がそのとき、『禁足地』の調査に随行していたことを、禁書棚に保管されていた資料で知りました。個人的な興味で『禁足地』について調べており、当時のことについてお伺いしたいのです。


 保管されていた調査資料には各地の地質状態について詳細な記載がありましたが、『禁足地』については、王室お抱えの調査員と天文台の魔法使い数名が調査に向かったことのほか、何も記録がされていない。特定の人物にしか閲覧できない、禁書棚に保管してある――前提として閲覧できる人間が限られている資料である――にも拘わらずです。これは一体何故なのか。そこで何かがあったのではないか、というのは得意の支離滅裂な推察ですが、『禁足地』がどのような場所で、何があったのかご教授頂けませんか。

 返事は急ぎませんので、よろしくお願い致します。


 それと、もうひとつ――半年ほど前になりますが、妻帯したことをご報告します。

 ひどく驚いているでしょうが、俺自身も驚いているので無理もないことです。


 妻はまだ十五歳の、ある良家の令嬢です。詳細は割愛しますが、縁あって妻に迎えた次第です。勿論、合意の上ですのでご心配には及びません。


 何をするにも拙く危なっかしい娘でしたが、温かな食事を用意してくれたり、薬局の仕事を手伝ってくれたり、薬を貰いに来る人々ともうまくやっています。ご存じの通り、俺は他愛の無い雑談などをするのは得意ではないので助かっています。


 妻は年相応に多感で、些細なことで喜んだり落ち込んだりします。喜ばせるつもりが怒られたり、怒られるかと思えば許されたり、彼女の言動には驚かされるばかりです。初めのうちはそれを億劫に思うこともありましたが、この頃は生活に不思議と充足感があります。


 いつか師匠にも、この可愛らしい妻を紹介できる機会があれば幸いです。

 どうぞ、健やかにお過ごしください。


 ――フレデリック。


***


「ではお婆さま、お大事になさってね」

「いつもありがとうねえ。お嬢様も頑張りすぎるんじゃないよ」


 薬の入った袋を受け取り、杖をついた老女はにっこりと微笑んで薬局をあとにする。グリューネは玄関先でそれを見送りながら手を振って、老女の姿が見えなくなってから戻ってきた。その表情からは、満ち足りた様子が窺える。彼女は箒で床の薬草屑を掃きながら、小さく鼻歌さえ歌うほど、目に見えて機嫌が良い。そういうところは相変わらず、分かりやすい――それを作業台から眺めながら、フレデリックが思わず笑みを零すと、グリューネは耳聡くそれを聞きつけて振り向いた。


「……なによ」

「なんでもないよ」

「うそ、今笑っていたでしょう」


 疑り深く、妻は大股で近付いてくると、顔を顰めて睨み付けてくる。先程まであんなにも機嫌が良かったのに、山の天気よろしくの急転直下である。一般に、女性は感情の起伏が激しいものだと聞くが、この子はまさにその通りかもしれない。彼女のことをあまり知らないうちは扱いに困ったものだが、今はそれほどでもなかった。

 つまるところ、彼女は自分の感情が、自分で思っているよりも言動に滲んでいることに無自覚で、あたかも他人が自分の心情を見透かしているかのような反応をしてくることで、恥ずかしくなるようだった。不平を申し立てる猫のように佇む、妻の頭を撫でて宥める。


「君が仕事を手伝ってくれて、助かるなと思っていただけだ」

「……良いことを言って誤魔化そうとしていない?」


 グリューネは唇を尖らせてそう言いながらも、満更でもなさそうに目を細めて、大人しく撫でられている。手触りの良い髪に指を通しながら、フレデリックは彼女の側頭部に咲いた白い花を見た。

 以前咲いていた赤い花と、同じ位置に生えてきた別の花。果たしてそれは、グリューネの意思でそこに再び咲いたのか、それとも別の――その花の意思によって、そこに咲いたのか。どちらなのか、判断することはできなかった。グリューネと、彼女の身体に蔓延る植物とは、グリューネを主とする関係性なのだと考えていた。しかし、彼女が気絶している間に、植物が意思を持って蠢いていた例もある。


 仮に、としたら?


 そんな考えが、常に頭の片隅にあった。このことは、度々フレデリックにらしからぬ不安を抱かせている。なんとしても、グリューネに課せられている何かを解き明かさなくてはならない。それは彼女のためだけではなく、自身のためでもあった。この生活を守るために。それが、今の望みだった。


「まあいいわ。今は気分が良いから、誤魔化されてあげる。そういえば、天文台の仕事の方はどう?」

「講義の資料を作るのは久しぶりだから、万事順調とは言い難いが。必要なときまでには終えられるだろう」

「そう。じゃあ、できあがったら、ちゃんと分かりやすい内容になっているか、わたくしが見てあげます」

「ふむ、それはいいな。君が読んで分かる内容なら、生徒たちも理解できるだろう――」


 そう話をしている間、フレデリックはグリューネを撫で続けていたし、グリューネは彼に寄り添って嬉しそうに微笑んでいた。歳が離れているとはいえ、その様子は仲睦まじい、特別な関係の男女に違いないと思わせるには十分だった。なので、薬局の入口にやってきていた配達員は、遠慮がちに彼らに声をかけることになったのだ。


「……あのぉ~……お届け物ですけど……」


 突然声をかけられたので、グリューネは飛び上がるほど驚いて夫の傍から慌てて離れた。その様子を見た配達員も驚いてわっと声をあげたが、フレデリックだけはいつもの調子で淡々と応対した。


「ああ、ありがとう」

「す、すみません、なんかお邪魔してしまったみたいで……」

「? いや、何も問題無いが」


 ぺこぺこと頭を下げて、足早に配達員は去って行く。不思議そうに首を捻りながら、受け取った小包に視線を落とすと、落ち着いたらしいグリューネが傍へ戻ってきて一緒になってそれを覗き込んだ。


「珍しい、小包なんて」

師匠せんせいからだ。少し前に手紙を送ったところだが」


 以前、この薬局の主であったマルゴットという魔法使いは、フレデリックにとって師にあたる存在と言える人だった。田舎での静かな生活を望む彼女に代わり、ここでの仕事を引き継いで物件を買いとったのが、かつてのフレデリックだ。それからは数年に一度手紙をやりとりする関係であったが、小包が届くことは初めてのことだった。包みを開くと、そこには琥珀色の蜜を詰めた瓶がふたつ入っており、それから手紙が添えられていた。手紙をふたりで覗き込んで、綴られた繊細な文字を追う。


---


 ――不肖の弟子、フレデリック。


 お久しぶりですね。手紙をありがとう。私は元気でやっていますよ。

 最後に手紙をやりとりしてから随分立ちましたが、重要なことを早く言わないお前の悪癖は、未だに治ってないと見えます。


 どうして結婚という、人生において非常に大きな喜ばしい出来事を、早々に報告してこないのです。お前がそれを報告してこないがために、花嫁に薄情な師だと思われたらどうするのですか。お前は周囲の人間が、お前のことに興味の無い人ばかりだと思っているのかも知れませんが、気に留めている友人や恩師たちがいることを、忘れてはいけませんよ。


 さて、遅くなってしまったけれど、結婚おめでとう。

 お前と可愛い花嫁さんが幸せな日々を送ることができるよう祈っているわ。

 お祝いに、ルーエ産の百花蜜を贈ります。

 とても良い香りなの、食べたことはあるかしら?

 花嫁さんが気に入ってくれたら、教えてくださいね。また送りますから。

 

 いつかお目にかかれればと思いますが、天文台での仕事も忙しいでしょう。

 無理をしたりせず、まずは身体を大事にね。それではまた。

 

 ――マルゴット。


---


 読み終えてから、驚いたようにグリューネは目を見開いた。


「まあ。あなた、師匠に伝えていなかったの?」

「仕方がないだろう。結婚してからというもの、想定外のことが多く起きて慌ただしかったんだ」

「それは……確かにそうね……」


 グリューネはこれまでの出来事を脳内で反芻するように目を伏せ、小さく息をついた。穏やかな生活がしばらく続いたかと思えば、大きな事件が起きる。良く言えば刺激に満ちている日々だとも言えるだろう。実際、ここに至るまでの様々な出来事がなければ、グリューネとここまで打ち解けることはできなかったかもしれない。


 フレデリックは手紙に重なっていた白紙の便箋を抜き取って、懐に仕舞った。その間、グリューネは目を輝かせて、琥珀色の瓶を見つめていた。


「ルーエの百花蜜、聞いたことがある。お土産として有名なものよね」

「そのようだな。俺も実は食べたことはない。……折角だ。パンケーキでも焼いて、味見をしてみようか?」


 そう提案すると、妻はうんうんと力強く頷いて、瓶を抱えて二階のキッチンへと駆けていった。彼女は甘いものが好きだし、蜂蜜も当然のように好きだ。良いものを贈ってもらったと師匠に感謝し、足音が戻ってこないことを確認して、抜き取った白紙の便箋を広げた。


 この便箋が、内容が伏せられているもう一通の手紙であることは、見てすぐに気が付いた。マルゴットがわざわざ祝いの手紙と分けてこれを用意したのには、包みを一緒に見るであろうグリューネに対して、目に触れて欲しくないと思ったことを書いたからであろう。白紙の便箋に指を滑らせながら、施されていた魔法を解いた。


『秘匿、解除』


 小さく呟かれたその言葉に応じるように、白紙の便箋に文字が浮かび上がる。

 

---


 『禁足地』のことについてですが、こちらに関しては教えることができません。

 書に記されていないのであれば、それが王国の意思なのです。

 私は国王陛下の臣民のひとりですから、その方針に反することは致しません。


 何故突然あの場所のことを調べようと考えたのかは問いませんが、私から伝えられることはひとつだけ。あの場所に、足を踏み入れようなどと、決して考えてはいけませんよ。

 『禁足地』と呼ばれるのには理由があるの。賢いお前なら理解できますね?


 フレデリック。お前が誰かと一緒になる選択したことを、私は本当に喜ばしく思っています。

 お前の身に何かあれば、一番悲しむことになるのは彼女です。そんな思いは、させたくないでしょう?

 実際に『禁足地』へ赴いた師からの忠告です。ほかに私で力になれることがあるのならいくらでも相談に乗りますから、その不毛な研究は止めになさい。


---


 読み終えて、フレデリックはひとつ息を吐いた。落胆からではない。事前に予測していた通りの内容だったからだ。『禁足地』――かつてシェーンヴァルトと呼ばれていたらしいその森――については、レーヴライン王国そのものが、情報を広めないよう規制している。マルゴットの手紙を見るに、どうやらそこにはが隠されているらしい。推測にも仮定にも、材料が不足していた。


 ――面白い。


 フレデリックは我知らず、口の端を僅かに吊り上げた。

 まだ誰も触れたことのない世界の真実に、触れようとしている。『王立図書館ビブリオテーク』の蔵書も、限られた者にしか見られない『禁書』も、その多くを読破し知識を骨肉にしてきた。それでもなお、そこにすら記されていない、知られていないことが世界にはある。それを明かすことへの好奇心と喜びが、無いと言っては嘘になってしまう。故にこそ、フレデリック・ロバーツは『識欲魔人』と呼ばれているのだから。


 しばしそうして未知への思いを馳せていると、バタバタとした足音が近付いてくる。勢いよく薬局の扉が開き、ご機嫌なグリューネが顔を覗かせた。


「フレッド、何をしてるの! 早く来ないとあなたの分まで食べてしまうわよ!」

「ああ、今行く」

「早く早く、冷めちゃうんだから……!」


 待ちきれない様子で再び駆けていく彼女の髪が翻って、花の香りがした。


 グリューネについて、断片的な手掛かりを繋げていくたびに、それが自分で導いた答えなのか、あるいは何かの意思によって導かれているものなのか、分からなくなるときがあった。

 こちらが追いかけているはずなのに――実は、何かに手招かれているような。


「グリューネ。慌てて走ると危ないぞ」


 花の香りを追いながら、一抹の不安が胸を過る。それは好奇心を満たす喜びとは別に時折去来する、予感のようなものだった。


 今明かそうとしている、触れようとしている真実は、きっと自分や彼女と、それに関わる多くのことを変えてしまうだろう。けれど、立ち止まるわけにはいかない。

 たとえ、解き明かした真実が、目を背けたくなるようなものだったとしても。いつか彼女には、向き合わなくてはならない時が来る。それを、彼女ひとりに背負わせたりなどしないと、フレデリックは決めていた。


 ――ふたりで上手くやっていこう。そう、君と約束したのだから。



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