第21話 三者三様の胸中

 やってしまった。夕食の後、フレデリックは明らかな自覚を持って自室で反省していた。


 若者というのは得てして、頭ごなしな命令をされたり、行動の制限をされることを嫌うものだ。特にあの幼い妻は、これまでの人生経験も相まって、その傾向が強い。それを分かっていたはずなのに、十分な説明を果たさないまま、彼女の行動を否定し、制限しようとしてしまった。これは全く以て、悪手と言うほかない。

 ファニー・ファーカーと名乗る女が、魔法使いである自分の目から見てより脅威であったとしても、もう少し順序立ててゆっくりと、あの女の危険性を説明すべきだった。大きく溜息をついて、フレデリックは椅子にもたれ掛かる。


 グリューネと生活を共にするにあたって、実は懸念がひとつあった。それは、彼女が貴族から平民になることによって、点だ。


 確かに、貴族は何かと晩餐会だの式典だのと集まる機会は多い。しかし、所詮その場でグリューネを目にすることができるのは、ごく一握りの特権階級の者たちだけだ。どれだけ『妖精令嬢』が噂になろうとも、貴族の令嬢と直接会うことができる人間は限られるし、彼女に興味を持ったからといって、たやすく魔法使いが近付けるはずもない――どんなに倫理観が欠如した魔法使いであろうとも、一国の運営に携わるような貴族に手を出すのは相応のリスクを負わねばならなくなる――のである。そういう意味では、実家にいるときの彼女は自由と尊厳を引き換えに、安全を得られていたのかもしれない。


 だが、今はそうではない。彼女は出入りの容易な平民街の一角に住んでいて、日用品の買い出しに街へ外出もするし、娯楽のために図書館へも出向く。この町に入れるものなら誰でも、グリューネと直接会うことが可能だと言える。身体から草花の生えてくる『妖精令嬢』はただの噂話ではなく、実在する少女であることが知れてしまうのだ。


 先も彼女に説明したとおり――この国の魔法使いであれば、いい。レーヴライン王国は、天文台をはじめとして、全ての魔法研究機関において徹底した人道重視の規律が敷かれている。これはひとえに、自分たちの生存と権力が魔法使いによって脅かされることを過度に恐れた王侯貴族の保身によって作られた規律が、実に上手く作用した結果と言えた。

 だからこの国の魔法使いは、たとえ身体から植物が生えてくる特異な体質の少女に興味を持ったとしても、本人に研究の助力を願えるような関係でない限り、まずそれを研究しようとは考えない。


 だが外の魔法使いは、そうではない。人道や倫理などという言葉の死に絶えた、ひどい有様の研究が行われる場所がいくつもあることを知っている。そしてグリューネの体質の特異さは、そういった魔法使いの興味を惹くのに十分すぎるのだ。彼女のことを調べれば調べるほど、それが避けようのない事実であるという確証だけが次々と、浮かび上がってくる。


 だからなおのこと、可能な限り彼女をひとりで出歩かせたくないと考えていた。それが生活をしていく上で、不可能に近いことだと分かっていても。


 ――この状況、どうするか。


 フレデリックは思案する。今は、明らかにひとつ後手に回ってしまった。ファニー・ファーカーはある程度グリューネの情報を手に入れている。こちらもあの女が何者であるか、もう少し情報を得たいところではある。

 例えば、どういった魔法研究機関に所属しているか。魔法使いは、決して自分の理念に反する機関に所属はしない。逆に言えば、どの機関の者かが分かれば、得手としている魔法の傾向や、どういった思想で動いているのかといったことも推測しやすい。人の内面を知ることは、あらゆる局面において――最悪の展開になるにしろ、そうでないにしろ――有利に働くはずである。


 ただ、あの女が魔法使いであることを隠してこの国に入ってきたのであれば、あるいは機関に所属していない、根無し草である可能性も高い。そうであれば、情報を得る手立ては皆無と言ってもいい。


 ――思考が煮詰まってきた。フレデリックは一口水を飲もうと立ち上がり、部屋を出て階段を降りる。ひとつ下の階では、グリューネが自室で休んでいる。通りすがりに彼女の部屋の前で立ち止まり、声をかけようか悩んでから、止めた。今はきっと、そっとしておく方が良い。沈黙する扉に手を触れ、額を寄せた。


 自分の考えていることを完全に理解して欲しい、などとは望まない。それでも、彼女を守らなくてはならない。それは夫としての義務であり、今は同時に、個人的な願いでもある。


 あの子のことを、ただ夫婦という関係があるために傍にいる存在だとは、もう思ってはいない。――大切にしたい。恋ではなく、愛と呼ぶには作為がありすぎるとしても。あの子と自分の間に横たわる感情に少しくらいの違いがあったとしても。


「……おやすみ、グリューネ」


 きっともう聞こえてはいないだろうが、扉に向けてそう呟いて、フレデリックはリビングへ向かい再び階段を降りていった。


***


 馬鹿。わたくしの大馬鹿者。


 翌朝。目が覚めたグリューネは、意識が鮮明になっていの一番に、己を罵った。昨日のフレデリックへの自分の態度のせいである。

 確かに彼の言葉は厳しく、唐突で、有無を言わせない圧はあった。しかしそれは自分の身を案じていてくれているからであって、理由もなくあのような態度を取るような人ではない。彼がそうしたということは、それだけファニー・ファーカーという女が、危害を加えてくる可能性を危惧しているからなのだ。


 ――と、少し冷静になれば、これくらいのことは思いつけるのに。グリューネは、自身の心の弱さを恥じた。今も、フレデリックと顔を合わせるのが気まずくて、普段なら朝食を摂っている時間にも拘わらず、ベッドの上で悶々としながら転げている。彼は呆れているだろうか。はたまた嫌気が差したろうか。自虐的で後ろ向きな性質が顔を覗かせて、いっそう少女を臆病にさせていた。


 しばらくして、玄関の扉が閉まる音がした。フレデリックは、いつも通り天文台へ行ったのだろう。のろのろと起き上がり、階段を降りてリビングへ向かうと、無人の部屋のテーブルの上に、一人分の食事が置いてあった。フレデリックが、作って置いていってくれたのだろう。食事と一緒に、書き置きがある。


『妻へ。おはよう。朝食を用意しておいたので、起きたら食べてくれ。きちんと昼も摂るように』


 必要最低限の伝達事項の下には、このように続きがあった。


『昨日は、厳しい物言いをして悪かった。君のことを考えての発言だったことは、心に留めておいてほしい。君が気に入っていた菓子を買って帰るので、どうか夜には機嫌を直して、顔を見せてくれ』


 その端正な文字を指でなぞると、じわりと瞼が熱くなる心地がした。どうして。こんなに気遣ってくれる人のことを、疑ったりなんてしてしまったんだろう。彼が腹立たしいくらい誠実な人であることは、分かっていたことだろうに。それでもなお、夜空の星屑に目を凝らすような己の疑り深さに、ほとほと嫌気が差した。


 泣いていても仕方がない。昨日の失態は、無かったことにはできないのだから。紅茶を淹れて、用意して貰っていた食事に手をつける。

 フレデリックが帰ってきたら、謝ろう。申し訳なく思うなら、誠意をもってそれを示すしかない。今日は一日家の中で過ごして、安心させてあげよう。朝食を終えてから、グリューネは家中をぴかぴかに掃除をしたり、リネンを洗濯をしたり、借りてきた本を部屋で読んで過ごした。その間、ファニーのことを思い出した。


 彼女のことを、素敵な人だと思った。本当に彼女は魔法使いで、邪な思いがあって近付いてきたのだろうか? 例えばこの先同じように、笑顔で語りかけてくれる人がいたとして、そのたびに、疑い続けなければいけないのだろうか? ――その人が、自分を、害さない人かどうかということを。


 本を閉じて、息をつく。ベッドに身体を投げ出して、仰向けになって目を閉じた。


 受け入れてくれる人がいて、幸せな日々がある。それで自分のことを、少し好きになれたと思っていた。けれどやはり、自分に苦しい思いをさせるのはいつもいつも、自分自身だ。


「……やっぱり、」


 大嫌い。その声に応える者は、誰もいない。

 その苦悩に応えられる者もまた同様に、誰ひとりとして、いないのだから。


***


 身体から植物が生えてくるという特異体質を持つ少女――グリューネ・シェーンヴァルト。またの名を、『妖精令嬢』。

 シェーンヴァルト伯爵家の長女として生まれる。十五歳。家族構成は、父親であり現当主のドミニク。アンシャン共和国に遊学中の義兄ヴィルヘルム。義兄の母であるエルザは現在事実上の離縁状態にあり、邸宅から退いている。実母であるリーリエは既に他界しており、不明な点が多い。

 現在はレーヴライン王国随一の魔法研究機関『王立天文台シュテルンヴァーテ』・薬学科に在籍するフレデリック・ロバーツと結婚。どうやらシェーンヴァルト伯爵とロバーツ氏の間で何らかの取引があったとみられる――


 喫茶店カフェのテラス席で紅茶を飲みながら、紙の上に走り書きしたそれらを見返して、ファニー・ファーカーはひとつ頷き、舌舐めずりをした。


「……間違いなく、あの娘ですねえ」


 これは大変な情報ネタを見つけてしまったものだ。眉唾ものでしかない噂の人物は間違いなく存在している。それもこんな手の届くような場所に。事前にレーヴラインについて調べていたときは、平和ボケしたつまらない国だと思っていたが、まさかこのように魅力的なものがあるなんて。噂が首都ファウゼン――それも貴族間での噂が中心――に留まっていたものだから、ここへ来るまで知る由もなかった。


「うふふ。さて、どうしましょう……捕まえて研究するのも一興ですが……」


 だがそれよりも、あの娘をへ売り飛ばせば、かなりの儲けが見込めるはずだ。なにしろあんな特異な体質、観測されているこの世界の歴史上、ほかに例を見ない。

 たとえ魔法使いだって、人体から植物を生やすなんて芸当容易くはできない。一旦身体に種を埋め込んで、それを成長させるというなら可能だろう。しかし噂によればあの妖精令嬢は、ほんの僅かの間に身体中を覆うほどの草花を身体から生やすのだという。種を体内に持たずにこのようなことをしているのであれば、彼女はその都度。それがどれほど常軌を逸したことであるか、魔法使いなら理解できないはずはない。


 そう。彼女の夫である魔法使いフレデリックが、それを理解していないはずがないのだ。あの男もまた、。直感がそう告げている。入国の検問すら欺き通した偽装魔法――エーテル機関を感知されないようにする特殊な魔法――を、図書館でのあの僅かな邂逅で見破った。正直言えば、天文台のような生温い機関に所属している魔法使いなどに、見破られるとは思っていなかった。それくらい、この偽装魔法に絶対の自信があったのだ。


 どの国の、どの機関にも所属しない根無し草の魔法使いにとって、自らの素性を隠すことと、有益な情報を独占することは、重要な処世術のひとつである。記者として振る舞いながら世界を渡り、誰も知らないような情報を手に入れる。そのために創りあげた原型オリジナルの魔法。いわば魔法使いとしての矜持プライドでもある。それを易々と見破られて、引き下がるというのも癪な話だ。


「今日はいませんねえ、グリューネちゃん」


 街の往来を眺めながら、ファニーは呟く。正体をあの男に見破られている以上、既に警戒はされているはずだ。もう甘い紅茶とお菓子では、あの少女もついてきてはくれないだろう。どうやって警戒を解くか――あるいは、警戒する以上の興味を惹くことができるか。


「……まあ、なんとでもなるでしょう」


 何しろ相手はまだ子供だ。つけいる隙はいくらでもある。焦ることはないのだ。彼らはこの街の中で暮らしている以上、延々と閉じ籠もってはいられない。そのうちに接触する機会は訪れるはずだ。


 『妖精令嬢』を手に入れ、ついでにあの憎たらしい魔法使いに一泡吹かせてやる。なんと痛快だろう。その様を想像して、ファニーは微笑んだ。


 この女には確固たる理念や、信念などは存在しなかった。自由気ままな生活。不自由無い財力。望むものはただそれだけ。ただ、楽しければいいのだ。

 それがファニー・ファーカー。魔法使いとして生まれて、魔法使いとして生きることを否応無しに定められた――何の使命も持たない、女だった。

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