第2話 晩餐会

 その日の晩餐会は、いつもと少し様子が違うようだった。飽きるほど見てきたお馴染みの貴族たちに混じって見覚えのない人々がちらほらと見受けられる。グリューネは傍らの侍従に小声で訊ねた。


「あれは、どちらの家の方々?」

「彼らは『天文台』の魔法使いのようです」

「魔法使い?」


 この疑問は魔法使いとは何か、ではなく、何故ここに魔法使いがいるのか、というものである。


 ――魔法使い。その名の通り、『魔法』という不思議な力を行使する人種のことである。この世界の人間には皆、魔力という特殊なエネルギーが備わっている。その魔力を、様々な現象として取り出すことができる資質をもった人々を、魔法使いと呼ぶ。彼らは通常、各地に存在している魔法研究機関に所属し、国からの認可と資金援助を得て、各々の研究を行ったり、魔法を利用した事業を行ったりしている。これがおおよそ、一般に周知されている魔法使いへの認識だろう。


 このレーヴライン王国には『王立天文台シュテルンヴァーテ』という研究機関があり、今日ここに顔を出しているのは、そこの魔法使いである、ということらしい。そこでグリューネが何故、と思うのは、貴族はもっぱら魔法使いを目の敵にしている、ということもまた世間の共通認識だからである。


 貴族は特権階級であるが、戦乱が落ち着いた今の時代、かつてのような強力な私兵などは持っていない。対して魔法使いは、その気になれば様々な力を行使して、非魔法使いなど容易く制圧してしまえる力を有している。そうならないために国が厳しく管理しているのだが、貴族たちは自分たちの特権が及ばない存在である彼らを、内心では常に恐れている。そのはずなのだが。


 どうしたことだろうか、天文台の魔法使いたちと貴族たちとは随分親しげに談笑している。しかしその貴族たちの笑顔はどうにも上辺だけのもののように思えてならない。適当に挨拶回りを済ませてから、壁の花になって、それとなく周囲の会話に耳を澄ませてみた。


「……あれが天文台の魔法使いとやらか」

「なに、恐れるまでもない。まるで従順な犬のようではないか」

「さて、旨味のある投資だといいのだがね」


 漏れ聞こえた会話を総合すると、天文台の内部にも様々な派閥があり、研究資金の割り当てが乏しく苦しんでいる者が少なくないらしい。近頃貴族たちの間では、そういった魔法使いに出資して、その見返り――例えばその魔法使いが派閥内、ひいては機関内で大成するなど――がどれほどになるかを競うという、ある種のゲームが流行っているらしい。自分が出資した魔法使いが名を上げれば、得意気にその功績を他者に語ることができる。なるほど貴族が喜んでやることは、富か名誉かその二択だということだ。

 得心がいったグリューネは、途端にこの出来事に興味をなくして、その場から離れることにした。


「お嬢様、どちらへ?」

「散歩よ。ついてこなくていいわ」


 そう言うと、侍従は明らかにほっとしたように息をついた。ようやく解放されたと思っているのだろう。それはお互い様――足早にグリューネは広間を出た。

 

 招かれた屋敷の庭園は、思っていたよりも立派だった。散歩というのは適当な言い訳で、当初の計画通り、この屋敷の使用人を探して気分が優れないと言って部屋を借りるつもりでいたのだが、少しだけ本当に散歩をしてもいいだろうという気になり、外へ出る。


 月明かりに照らされた庭園は、屋敷の中とは打って変わって静かなものだった。庭師が丹念に手入れをしているのだろう。庭園の花たちはどれも状態が良く美しい。自分から生えてくる図々しいものでなければ、花を愛でることは嫌いではなかった。庭園を一周し、ガゼボの下で一休みすることにした。人々がひしめき合ってくだらない話をしている間に、この庭園の景色を独り占めするのは、なかなか良い気分だった。

 

 ――グリューネ。

 

 誰かに呼ばれた気がした。しかし辺りに人はいないし、ましてこの屋敷の中に進んで自分のことを探しに来る人間などいないのだ。しかし、空耳にしては鮮明に聞こえたような気もする。


 ざわざわと、風が辺りの草花を揺らす。夜風が冷たい。そろそろ中へ戻るほうがいいかもしれない。どこかから、視線を感じた気がした。


 どこか、遠く、遠く――あり得ないほどの、彼方から。

 

 ――

 

 不意に、心臓が強く脈打つ。嫌な予感が過った次の瞬間、ぞわりと何かが背中を這い登るような感覚とともに、首筋に激痛が走る。ぶちり、という嫌な音が、耳のすぐ後ろから聞こえた。グリューネは悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちる。すぐにこれが、発作だと分かった。時折起きる、激痛を伴った草花の成長だ。痛みの場所から、ずるずると何かが伸びてくる。ほどなく、それが新緑の蔓であることが知れた。


「っ……!」


 続いて頬からこめかみにかけても同様に、蔓が皮膚を破って生えてきた。生命力旺盛なそれは見る間に繁茂し、蕾を付けては花が咲き、やがて顔のほとんどがそれらに覆われてしまった。その次には、手首や足の甲、肌の露出した部分がぶちぶちと音を立て始めた。とりあえずどこかで休んで、晩餐会がお開きになった頃に、人目を憚りながら家に戻るしかない――痛む身体に鞭打って、這いつくばって庭園の茂みに向かおうとすると、すぐそばで悲鳴があがった。視線を上げると、連れ立って会場を抜けてきたのだろう、腕を組んでいるどこかの貴公子と令嬢が青ざめた顔でこちらを見ていた。


「な、なんだ……!?」

「もしかして、シェーンヴァルトの……『妖精令嬢』……!?」

「ひ……、こ、こんなの化け物じゃないか!」


 見世物じゃないわよ、と返す気力も無かった。痛くて呻いただけなのだが、彼らはそれだけで恐れ慄いて走り去って行った。意中の人の前だろうに、なんて情けない男だろう。そんな、いっそ楽観的な感想が思い浮かんだ。あるいは、それほどまでに、自分の姿は恐ろしいのかもしれない。自嘲気味に笑いながら、グリューネは庭園の茂みに隠れて座り込む。ドレスが汚れようが、そんなことはもうどうでも良い。脈打つような、痛みはひどくなる一方だった。

 

「――こんなところで、何をしているんだ」

 

 どれくらい時間が経ったのだろう。痛みで意識が朦朧としていたせいか、グリューネはすぐ傍まで人が近づいてきていることに気が付かなかった。薄目を開けると、そこには見覚えの無い男がいた。

 銀灰色の髪と、夜空の色をした無感情な瞳。彼はじっとこちらを見つめていたが、ふと頬から伸びている蔓が自在に蠢いているのを見るや、それを手に取った。あまりに突然だったため、グリューネはびくりと肩を震わせた。その蔓の一本一本に、今は感覚がある。急に身体に触れられたのと同義だ。


「っ不躾なひとね……触らないで……っ」

「これは驚いた。まさか神経が通っているのか」

 男はそう言って、感心したように頷いている。その暢気な様子に苛立ちが募った。

「ああ、もう……! 見ないで、触らないで……! あっちへ行ってったら!」


 両手で顔を覆って拒絶を示すと、彼の手に収まっていた蔓が機敏に動いて、その手から逃れた。


「なるほど。神経が通い、感覚があるということは、意のままに動かすこともできるのか。実に興味深い構造だ――ところで、痛むのか?」


 無論、男にこの感覚は分からないのだから、その質問は何ら不思議では無いのだが、筆舌に尽くしがたいほどひどく痛むうえに人に姿を見られ、さらには突然触られるという事態に、とうとうグリューネの苛立ちは頂点に達した。


「見ての通り、痛いに決まっているでしょう! 分かったら早く、どこかへ行って!」


 口にした本人ですら、思ったよりも大きな声が出たことに驚いていたのだが、男は眉ひとつ動かさずその叫びを聞き、さらにはひとつ頷いてこう返した。


「そうか。それなら、治療したほうが良いだろうな」


 治療――? 男の言葉に面食らったのも束の間、急に視点が高くなった。男が抱き上げたのである。呆けていると、男は淀みなく早足で歩き出し、屋敷の方へ向かっていく。


「ちょ……ちょ、ちょ、ちょっと……! あなた、いきなり何を……!」

「……? 歩くのが辛いだろう?」

「そ、そういうことじゃなく……!」


 痛みと動揺で、頭も舌も上手く回らない。だが、言いたいのはそういうことではない。されるがままに運ばれながら、グリューネはようやくその一言を口にした。


「……『化け物だ』と、言わないの?」


 男は足を止めて、視線を腕の中に落とした。

 彼が抱き上げているは、到底年端もいかない少女だとは思えない、花と緑に覆われた奇怪な物体だった。他人の目からそう見られていることを、少女は知っている。このまま衆目の前に姿を晒せば、どんな視線を向けられるのか、どんな声が上がるのか、少女は全て知っている。


「怯えて震えている少女が化け物に見えるほど、俺の目は節穴じゃない」


 グリューネは、そう言われてから初めて、自分が震えていることに気付いた。男は一度少女を降ろすと、羽織っていた上着を脱いだ。それを彼女のドレスの上にかけてやってから、改めて抱き上げて歩みを再開した。先程よりも、速度を落として。同じように、ゆっくりと付け足す。


「人の目が気になるなら目を閉じて、なんなら耳も塞いでいると良い。怯懦な奴らがあれこれ喚くのを、わざわざ聞いてやることはない」


 男が言う通り、目を閉じてみた。真っ暗だ。周りの景色も、視界に被さる草の蔓も、何も見えない。ただ自分を抱き上げて運んでいる、腕の温かさだけが感じられる。閉じた瞼の裏で、じわりと温かいものが滲んでいる。

 

 そうだ。本当は、いつだって怖かった。人の目が、人の声が。

 本当は、いつだって、言いたかった。

 恐れないでいてくれる目が、振り払わないでいてくれる手が、そこにあるのなら。

 

「――助けて」

 

 たった一言、そう言いたかったのだ。

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