妖精令嬢と識欲魔人

妖精令嬢と識欲魔人

一章 妖精令嬢

第1話 妖精令嬢

 ――妖精令嬢。

 シェーンヴァルト伯爵家の令嬢、グリューネは巷でそのように呼ばれていた。彼女には、常人ならざる特異な体質がある。身体から植物が生えてくるのである。その時々によって、彼女は多種多様な草花をその身に咲き誇らせるのだ。その噂は、おとぎ話に出てくる妖精のような、可憐な少女の姿を人々に想起させた。

 しかし――実際にはそのような、可愛らしいものでないことを、すぐに人々は知ることとなる。

 

 あるとき、社交界に現れたグリューネ・シェーンヴァルトの姿は、花が咲いていなくとも、異名に違わず妖精のような愛らしさだった。人々はその姿を目で追い、噂は本当なのだろうかと好奇の視線を向ける。幾人かの小さな貴公子が彼女をダンスに誘い、選ばれた栄誉ある少年が彼女の手を引いてしばらくしたとき、彼女は発作を起こしたのか、突然苦しそうにその場に膝をついて蹲った。慌てて抱き起こした少年は、そこで信じ難いものを目にしたのだ。


 手から、脚から、果てはうら若き乙女の顔の上だろうがお構い無く。ぶちぶちと無理矢理に皮膚を突き破って、令嬢の身体に花が咲いた。その様子は美しいというよりも、生々しいとか、毒々しいという表現の方が適当だった。恐るべき生命の躍動。まるで彼女を苗床にするかのように、見る間にその小さな身体は、花と蔓に覆われた。苦悶に悶える少女の上に、凄惨な美しさで咲き誇る花。その様子を見ていた人々は、神秘的というよりも、理解不能な現象への恐怖を募らせた。

 こうして『妖精令嬢』は、おぞましく、忌むべき令嬢の名となったのである。


 

 ――というのが、今日までの彼女の物語。

 妖精令嬢ことグリューネ・シェーンヴァルトは十五歳となっていた。花も恥じらう可憐な少女と言いたいところだが、実際のところ、花は恥じらったりなんてしない。むしろ厚顔無恥で、遠慮というものを知らない。グリューネはそう思っている。朝起きて鏡を覗き込んだ令嬢は、可憐な顔を苦渋に歪めた。


「……また、勝手に咲いているわ」


 鏡に映る、ゆったりとした寝間着姿の少女の首筋に、コインくらいの大きさの花が、並んで咲いていた。これは昨晩眠る前にはなかったはずのものである。一見すると、洒落たアクセサリーのように見えるかもしれないが、毎日のようにこうなることを想像してみて欲しい。起きている間も寝ている間も、己の意思に関係無く好き放題に草花が生えてくる――しかも苦痛を伴う――ことを。溜息をつきながら、グリューネはドレッサーに置いてある小さなナイフを手に取って、注意深くその刃を首筋に生えてきた花の根元に当てる。


「んっ……!」


 意を決して、刃を滑らせる。生えたばかりの花は柔らかいことを、経験上彼女は知っている。花をこそげ落とされた部分の皮膚は見る間に修復していって、ごく普通の綺麗な皮膚になる。

 厄介なことに、身体に芽吹いた草花は、その枝葉の末端に至るまで、まるで己の指先のように感覚が備わっているのである。だからグリューネは、身体から植物が生えてくる度に、植物が皮膚を突き破る痛みと、それを切り落とす痛みとに耐えなければならなかった。切り落とせばその痕はこのように不思議と綺麗に治ると分かっているから、そうせざるを得ないのだ。そうでなければ、人前に姿を晒すこともままならない。もっとも――


(わたくしがこのような化け物であることは、既に多くの人が知っているけれど)


 花を削ぎ落した部分の肌を撫でながら、暗澹とした気持ちで、彼女は朝の身支度を済ませていった。

 

 朝食の席の空気は、今日も重苦しい。テーブルの上には、美しく盛り付けられた豪勢な食事が用意されているが、それを心からおいしいと思ったことは、ほとんどなかった。グリューネの皿は、いつも父から離れた場所に用意されている。それも今更のことで、もはや寂しさや憤りを感じることもなかった。 


「おはようございます。お父様」

「……ああ」


 父であるシェーンヴァルト伯爵との仲は、良くなかった。貴族にとって、娘とは家族であると同時に――あるいはそれ以上に――権力を維持、あるいは拡大していく為の政略的なカードでもある。しかし妖精令嬢ことグリューネは、その特異な体質のために、縁談のひとつも舞い込んではこない。どんな貴族だって、発作を起こせば化け物のような姿になる娘を、花嫁にしたいとは思わないのだ。だから父からすると、「使えない」娘に心を砕くのは無駄なことなのである。表向きは耳障りの良いことを言うけれど、いつだって父は、この厄介な娘をどうやって家から追い出すかを考えている。唯一、腹違いの兄だけは家の中で優しくしてくれて、グリューネの扱いについて父に意見してくれたけれど、その兄が外国へ遊学へ行ってしまったので、庇ってくれる人は、今は誰もいないのである。


「お嬢様、本日の晩餐会の御召し物はいかがなさいますか」

「ああ……あったわね、そんなの……」


 朝食が済んでから、事務的に問いかけてきた侍従に令嬢は気だるげに返事をする。今日は父と共に、ある貴族の主催する晩餐会に出向かねばならなかった。本当なら父も、グリューネを伴いたくはないのだが、家に閉じ込めておくのも外聞が良くない。だから時々こうして公の場に連れていかれることになるのだ。


「なんだっていいわ。適当に出してちょうだい」

「かしこまりました」


 美しく装うことに、なんの意味も無いような気がした。この国の貴族であれば、シェーンヴァルト家の妖精令嬢のことは知っている。どれだけ着飾ったところで、遠巻きに奇異の目を向けられるだけなのだから、肩肘張るだけ労力の無駄だ。適当に顔見知りに挨拶をして、あとは適当な理由をつけて、空き部屋で休ませてもらえばいい。そう考えながら、侍従の出してきたドレスを適当に選んだ。その後、晩餐会までは特にこれといってすることがなかったので、読みかけだった小説の続きを進めることにした。


 これといって特徴のない素朴な平民の少女が、その人柄の良さからある貴族の子息に見初められ、様々な障害にぶつかりながらも愛情を育んでいくという、なんてことのない恋愛小説だ。グリューネは、退屈そうにページを捲る。正直言って、退屈な物語ではあった。出てくる人物がみな軒並み性格が良く真心に満ちていて、どうにも嘘っぽい――もちろん物語なので当然だ――からだ。もちろん、こんな優しい世界が存在するのならいいことだとは思うけれど、こんなのあり得ない、と反発する気持ちが燻らずにはいられない。


「どうしてこの主人公は、自分と恋仲にある男に言い寄ってくる女に対してこんなに弱気なの……わたくしだったら絶対ひっぱたいてしまうけど……」


 この小説の主人公と自分は対局の存在である――尖りすぎた特徴があり人柄が良くない貴族の娘だから――としているグリューネは、誰に言うでもなくぼそぼそとそんな批評を口にしてしまう。その後物語は、主人公とその相手の男が互いを思いやる姿に胸を打たれ、横槍を入れてきた女が身を引くという、やはり綺麗すぎる結末を迎えた。最初から最後まで、美しい虚構に満ちた物語だった。内容はともかく、読み終えた満足感に浸りながらベッドに横になって、ぼーっと天井を見つめた。


 虚構よりも、空虚な日々だった。貴族の娘として生を受け、いずれは家のために、どこかへ嫁がされるのだと思っていた。本の中の物語にはいくつもの壮大な冒険や劇的な恋愛があるけれど、そんなものとは少しの関わりもなく、つまらない人生を送るのだろうと思っていた。しかし、それさえもできないとなると、いよいよ己の存在する意味を見失ってきたのだ。


 自由に生きることはできないし、貴族の娘としての本分も、果たせない。

 ぷち、と耳の裏で小さな音がして、針で刺したような痛みがあった。すぐさま耳の裏から伸びてきた蔓を引き千切る。びりびりと痛みが走ったが、構わなかった。引き千切った蔓を部屋の床に投げ捨てて、自問する。

 

 ――どうして、わたくしは生きているのかしら。

 

 蹲りながら、頭の中で母のことを思い出していた。ずっと味方でいてくれた母のことを。花が生えてきて痛くて泣いていたら、いつも飛んできてくれた母のことを。可愛い娘だと言って抱きしめて、頭を撫でてくれた母のことを。ひとりぼっちの娘を置いて、病で亡くなってしまった、母のことを。


 こんなときはいつも、思うのだ。

 いっその事――死んでしまえば、お母様に会えるのに、と。

 

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