第53話 恋慕の情

 名前を呼ぶ声が聞こえ、体を起こし声の方を見てみると閉じていたはずの襖がほんの少しだけ開いている。

 その奥、闇の中に人影がちらりと見えた。

 なぜここにいるのかと顔を顰めそうになったが代わりに小さく息を吐いて立ち上がり、その襖を開けた。

 そこには妹と同じくらいの背丈の少女がいた。

 怖がらせてはいけないと思い、膝をついてにこりと微笑む。

 「小梅さん――」

 どうかしましたか?と尋ねようとしたが俺はその言葉を飲み込んだ。母親が死んだのだ。どうしたもこうしたもないだろう。

 茂平との会話を盗み聞いてしまっていたため、できることなら会いたくはなかったがこうなってしまった以上仕方がない。

 俺は手招きして小梅を部屋に招き入れた。

 大丈夫。妹だと思って接すればいいだけだ。

 お茶を用意してあげると小梅は子犬のように目を輝かせながら喉を鳴らした。

 日が日なので何を話せばいいのか迷っていると

 「あ、あの、御言様」

 小梅の声に俺は少しだけ身構える。

 大泣きされたり、やり場のない怒りをぶつけられるのはまだいい。だが茂平に話していた心の内を明かされたら何と返せばいいのか分からない。

 「御言様、その、えっと…、最期なので………うん、」

 もごもごと口を動かしていた小梅が何かを決心したように一つ、頷いた。薄闇の中でも分かるくらい赤く染まった顔が俺を見上げる。

 「私ずっと前から――

 その言葉の続きを聞きたくなくて反射的にすっと片足を後ろに下げると、小梅は口を薄く開いたまま黒曜石のような瞳で俺をじっと見た。

 その目に映った俺は何かに怯え焦っているような、そんな顔をしていた。それに気がついて、はっとした俺はすぐに笑顔を張り付けたがもう遅かった。

 小梅は濡れた子犬のようにしょぼんと顔を下げ、口を閉ざし、小さく震え始める。

 「――ふっ ――っ」

 声を押し殺して泣く少女を前に俺はどうしたらいいのか分からずただ立ち尽くした。妹のように大声で泣いてくれた方がまだ気が楽だったかもしれない。

 どうすればいいのだろうと黙って小梅を見ていると襖の開く音がした。

 見てみると闇の中には体の修復をしに川へ行っていた泥人形のお市が立っていた。

 お市は困った顔をしている俺と泣いている小梅を交互に見て、それから静かに部屋へ入り、とんとん、と小梅の肩を叩く。

 「――」

 お市は鼻を啜る小梅の背を撫でながら口をパクパクと動かして襖の方をを指差し、それから優しく手を引いて部屋の外へ小梅を連れ出した。

 とん とん とん という小さな足音が部屋から離れていくのを聞いて俺はホッと息を吐く。

 よかった。ほんとうに……

 未だ襖のそばに立っているお市に俺はぎこちなく微笑む。

 「ごめんね、ありがとう、お市さ――」

 

 ばちん!


 突然聞こえた大きな音と共にぶれた視界に目を丸くしていると、少し遅れてジンジンと左頬に焼けるような痛みがやってきた。

 何が起こったのか理解するよりも先に、いつのまにか正面に立っていたお市に突き飛ばされ尻餅をつく。そしてぽかんとしたままの俺をお市はキッと睨みつけるとタタタと走って部屋から出て行ってしまった。

 一人になった俺は頬を押さえたまま襖の向こうに広がる暗闇を眺める。

 あの泥人形、いつの間にあんな人間みたいな顔をするようになったのか…

 いや、今はそれではないだろう、と思考を振り払って立ち上がるが、この後どうすることが正解なのか分からず俺は途方に暮れた。

 告白を聞いてあげたらよかったのか?でもそれを聞いて、どう返せばいいんだ?

 「どうしたらよかったんだよ…」

 痛む頬を押さえながら俺はポツリ呟いた。

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