第51話 参の巫女

 ついに儀式の日になった。

 良心の呵責に苛まれた俺は壱の巫女や弍の巫女の時のように彼女らに声をかけ、話し相手になることをするどころか顔を見にいくことさえしなかった。

 参の巫女と肆の巫女、二人同時に儀式をすることは難しいということになり、二人の巫女の儀式は少しだけ間隔を空けて行われることになった。そうすればカミサマが次に巫女を求めるまでの日数を少し先延ばしにできるかもしれないという茂平の提案による結果だ。

 「というわけで今晩どちらかかが先に山の神の元へ行き、もう片方が次の満月の日に後を追うことになります」

 「そう…ですか」

 巫女がいる部屋の外、襖の後ろで俺は茂平と巫女たちが話す声に聞き耳を立てていた。

 彼女たちに合わせる顔のない俺はこうして日陰にいる物の怪のように何もすることなくじっと黙っておくことしかできない。

 「あ、あの…」

 今までずっと静かにしていた小梅が遠慮がちに茂平に問いかける。

 「その、御言様は…?私、一度でいいから御言様と二人で話してみたくて…」

 「あら、ふふ。茂平様、私からもお願いします。最期に…この子を御言様に会わせてはくださいませんか?」

 突然出てきた自分の名前に俺は肩をびくりと震わせた。

 「この子、実は御言様に恋心を抱いてまして」

 奥様の言葉に心臓がドクンと大きく跳ねる。

 これ以上聞いてはいけない。情を持ってはいけない。

 俺は静かに、だが素早くその場から逃げ出した。

 背後から「ちょ、ちょっと!言わないでよぉ〜」という小梅の恥ずかしそうな声が聞こえたが、俺には聞こえていない、何も聞いていないと自分に言い聞かせながら足早に立ち去った。


 俺は茂平に呼び戻されないように外へ出て、そのまま山に入る。

 自分でもよく分からないぐちゃぐちゃとした感情から逃げるように俺は早足で歩き続けた。

 ふと見覚えのある場所に来ていたことに気がついて足を止める。

 下を見下ろせば村が一望できる場所。

 俺があの雨の日に村の人を選別していた場所だ。あの時と同じように村を見下ろすと暴れ回っていた心がすうっと冷えて凪いだ。

 そうだ。俺は自分の欲のために村の人を手にかけることができるような冷徹なバケモノなのだ。

 目を閉じて、そしてゆっくりと開いたその赤い瞳はまるで巫女が流した血のようだった。




 「ぎ ぎゃーーーーーーーーっ!」


 満月の輝く暗闇に甲高い断末魔が響き渡る。

 「ぐぎぎぎぎっ や やまの かみは  ぐが あああああああ!」

 茂平に教えてもらったのであろう祈りの歌を歌おうとしていた小梅の母親の声が再び叫び声へと変わる。

 カミサマの描いた図の通りに作られた木の装置によってそれぞれ別々の方向へ引っ張られている両手両足と首からだろうか。ぶちっ ぶちっ と弾力のある何かが少しずつ千切れていく音がする。

 「がああああああああああ ぐ が あ み みごど  ざ  まああああああああああ!」

 見開かれた黒い瞳が俺の姿を捉えたが、俺は顔色ひとつ変えずに彼女の恐怖に染まった目を眺めていた。

 「たずけで だすげで だずげでーーーーー!!!みごどざまああああああああ!!!あ」

 その断末魔に少しだけ心がざわりと波を立てたが




 ゴギン




 嫌な音がした後、彼女の声がピタリと止まった。

 荒れそうになっていた波が静かに凪いでいく。




 ガガガガ




 静寂に包まれた暗闇には、奥様の手足と首の五か所に結ばれた綱を引っ張る木の装置が動く音と、ぶちぶち という音、それに交じって時々聞こえる ゴキッ という音だけが響き渡る。

 不快な音を聞きながら目の前で起こっていることをただ見つめていると ぶちんっ という大きな音とともに装置の動きが止まった。

 俺の隣にいた茂平が、手に持った錫杖を二度鳴らすと暗闇から村の男たちがぞろぞろと現れた。

 自分たちの手で巫女を送らなくてはならない残酷な儀式のため、参の巫女と肆の巫女、それぞれの儀式に参加する男たちは分けてある。

 男たちの中には恐怖で失神して倒れている者や、気がおかしくなったのかぶつぶつと独り言を話し続ける者もいた。

 ぎりぎり正気を保っている男たちはバラバラになった彼女の体を一つずつ、美しい布で丁寧にくるむと、それぞれに繋がっていた綱でその布が解けてしまわないようにしっかりと縛った。

 男たちが持った六つの塊を見て、俺は静かに指示を出す。

 「壱の巫女と弐の巫女と同じように、頭はカシラギとの境に。腕はテシロとの境に。足はアシヅキとの境に。胴は祠へ」

 俺の言葉に男たちは小さく頷くと、その塊を持って結界を張る準備をしに向かった。

 共に暗闇に残された茂平が俺に話しかける。

 「肆の巫女は…次の満月の時ですね」

 俺は何も言わずに、ただ目の前に広がる赤い水たまりに浮かぶ月を見つめていた。

 「…三郎太の所の一人娘ですね」

 俺から茂平の言葉への返事がない代わりに、山の木々を揺らす風の音が響き渡る。

 黙ったまま目の前を見つめ続ける俺に、茂平は小さく息を吐いて、それから意を決したように口を開いた。

 「御言。最期になるんですよ。彼女は…小梅さんはあなたのことを――」

 「知っている」

 絞り出すような俺の言葉に茂平は驚いた顔をした後、悲しそうにぐっと口を閉じ、再び開いた。

 「知って…いたんですか」

 「…知っている。でも…それだけだ」

 「………」

 茂平の言いたいことはわかる。会って言葉の一つでも、顔の一度でも見せてあげてほしいということだろう。彼女の最期の願いなのだ。だが…

 俺は小さく息を吐いて、家のある山のふもとの神社の方へ松明も持たずに歩き始める。

 今さら合わせる顔がどこにあるというのだろう。それにきっと、顔を見たら、言葉を交わせば、情が湧いてしまう。

 真っ白な髪が満月の青白い光に照らされて、夏の蒸し暑い夜に降ってきた雪のようにきらりと輝いた。


 どうすればよかったのだろう。俺の選択は間違っていたのだろうか。

 俺は夜道を歩きながら考える。

 誰かに答えを教えてもらいたいがそんなことができるのは全知全能の、本物の神くらいだろう。

 「ねえ、俺のしたことは間違ってる?」

 俺は束ねられた白銀の髪を掬って尋ねる。

 もしも俺の神様がいてくれたら答えを教えてくれたのだろうか。俺の全てに対して罰を与えてくれただろうか。

 凪いでいたはずの心がくしゃりと音を立てて小さくなった。

 「う  ううう」

 その場にしゃがみ込んで嗚咽を漏らす。

 「もう嫌だ。もう、逃げたいよ、ははうえ」

 心が完全に折れてしまわないように自分の肩を固く抱いて、それから大きく息を吸って立ち上がった。

 逃げてもいいと茂平は言ってくれた。だが俺が逃げてしまえば、今まで村のために命を捧げてきた巫女たちの全てが無駄になってしまう。

 「俺が…御言様が背負わないと。罪も苦しみも、全部」

 大丈夫。俺は村の皆を守る御言様なのだ。俺がどんなになろうとも、皆のことを…家族のことを守らなくてはならないのだ。

 「ふーっ ふ はは はははは」

 見送る人は笑わなくては。皆を心配させないためにも笑わなくては。

 「あーあ。月が綺麗だなぁ」

 空を仰ぎ見て俺はそう呟いた。

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