第50話 見え透いた嘘

 雨の中、俺は村長を連れて三郎太の家へ向かった。警戒心丸出しの俺とは違い村長は楽しそうに目を細めながら「自分が弱いのに守らなくてはならない家族がいるのは大変ですよね~」とか「私はお雪が無事であればそれでいいのですが御言様は茂平とお市と八千代の三人なので苦労も三倍でしょう?」とベラベラとよく喋っていたが、それを全て無視する俺に飽きたのか途中から何も言わなくなった。

 無言のままたどり着いた三郎太の家からは家族団欒の明るい声が漏れている。

 本当にこの選択を、このやり方を実行してしまっていいのだろうかと、今ならまだ逃げられるぞと俺の良心が囁く。

 戸を叩くのを躊躇う俺を見て村長は小さくため息をつき、「情けない奴だ」と低い声でボソリと呟いて代わりに戸を叩いた。

 「はい、ただ今」

 中から男の声がして戸が開く。

 「おやまあ、村長さんに御言様じゃないですか」

 「み、御言様!?お母様、私、変な格好じゃない?」

 顔を赤くしながら髪を整える小梅に母親がにこりと微笑む。

 「大丈夫。可愛い小梅よ」

 驚いた顔をした三郎太の背中越しに小梅と奥様がこちらを見ながら小声でこそこそと話しているのが聞こえたが、俺は気がついていないふりをして「今、いいですか?」と尋ねた。

 俺の様子がいつもと異なることに気がついたのか、三郎太が「どうぞ」と硬い表情をして俺たちを家の中に招き入れる。家の中にぴりりとした空気が流れたのを感じながら、俺と村長は三人家族と向かい合うようにして座った。

 「それで…どうかされたのですか?」

 三郎太の隣で不安げな瞳を俺たちに向けている小梅と奥様に目を向けてから俺は口を開いた。

 「今朝、カミサマからお告げがありました」

 俺の話を聞いた三人の表情が強張る。

 「ま まさか」

 動揺した様子の三郎太をちらりと見てから俺は続ける。

 「カミサマは巫女を二人、望まれています。そしてそのうちの一人として小梅さん、あなたが欲しいと仰られていました」

 フラっと倒れそうになった母親を真っ青な小梅が支える。

 今ですら自分の大切なものを守るためとはいえ、他人の大切なものを奪うことには抵抗を感じているが、ここまで言ってしまえばもう後戻りはできない。

 痛々しい様子の家族から目を逸らすように視線を下げて俺は続けた。

 「もう一人の巫女についてはまだ決まっていないのですが、それは籤で――」

 「御言様」

 奥様が俺の言葉を遮る。

 「御言様 少し  お時間を いただいても ?」

 「……分かりました。話が終わったら呼んでください」

 俺が立ち上がると隣にいた村長も立ち上がる。そのまま俺たちは家の外へ出た。

 ザアザアと激しく降る雨音のせいで家の中の話し声は聞こえないが、今はそれが救いだ。目を閉じて茂平と八千代とお市の顔を思い浮かべる。

 これでいいんだ。仕方のないことだ。彼らには運が悪かったと思ってもらうしか

 「御言様、御言様」

 名前を呼ばれて目を開けるとニヤニヤと笑う村長がこちらを見下ろしていた。俺はその顔をギロリと睨み返す。

 その時、背後の戸がカタリと音を立てて開いた。

 「………」

 生気の抜けた顔をした三郎太に促され俺たちは再び家に入る。

 「…御言様」

 虚な目をした奥様が床を見たまま口を開いた。

 「もう一人の巫女として私を出してください」

 思った通りになったのだが、俺の心は沈んだままだ。傷つき悲しむ権利など俺にはないというのに。

 「私も山の神様の元に…小梅と共に行かせてください。お願いします、お願いします」

 譫言のように「お願いします」と懇願し続ける奥様に俺は返事をすることができなかった。

 それを見かねたのか

 「分かりました。ではこの度の巫女は小梅さんと奥様ということで…」

 村長が頷きながらそう言うと、母親は「…ありがとうございます」と雨音に消えてしまいそうなほど小さな声で呟いた。

 「では私たちは巫女の儀式のために準備をしなくてはならないのでこれで失礼します。さ、御言様」

 村長に促され、俺も彼らに一礼して家を出る。

 やってしまったという気持ちと同じくらい、これで八千代を、お市を巫女として捧げなくて済むという安心感が俺の中を渦巻く。

 重々しく湿った空気がまとわりついて歩く足がひどく重たく感じられる。

 途中で足を止めた俺の方を村長がくるりと振り返った。

 「どうした?今更後悔しているのか?ん?」

 鋭い瞳に心臓を鷲掴みにされたような心地になったが、俺はぎゅっと唇を噛んで、それからゆっくりと息を吐いてから

 「後悔は……していません」

 することは許されない。

 俺の答えを聞いて村長はフッと鼻で笑うと

 「取り引きの条件、忘れるなよ」

 と吐き捨て去って行った。



 雨に濡れながら俺は一人でとぼとぼと歩き続ける。

 家に帰っても茂平に合わせる顔がない。だが、帰らないと心配させてしまう。

 石階段をのろのろと上りながらこれからのことを考えると、その場に倒れてしまいそうになるが俺は無理やり足を動かし続ける。

 家に着いた俺は帰宅したことが気付かれないように戸口からではなく、縁側から直接自室に入り、濡れて重たくなった着物を着替えた。

 雨に濡れた白銀の髪からぽたぽたと雫が流れ落ちるのを眺めていると誰かに袖を引っ張られた。

 ゆっくりとそちらに目をやると手拭いを持ったお市さんの黒く冷たい瞳が俺の赤い瞳を見上げている。

 気遣いまでできるようになったのか、と思いながら俺は手拭いを受け取って髪を拭いた。

 タタタとお市さんがどこかへ走っていくが、俺はそちらに目をやることもなく手拭いを被ったままぼーっと虚空を見つめる。

 しばらくすると

 「御言くん?」

 と心配そうな茂平の声が聞こえた。きっとお市さんが呼んできたのだろう。ここまで気を遣わないでほしかった。

 俺は小さくため息をついて頭に乗せたままの手拭いで顔を隠すようにしながら口を開く。

 「茂さん、巫女が決まりました。三郎太さんのところの奥様と小梅さんの二人です。村長が村の人には話をしてくれるそうです」

 「御言くん…?っ!まさか、あなた――」

 「カミサマから小梅さんを巫女として捧げるようにお告げがあったと伝えたら母親の方も娘と共に巫女になりたいと――」

 「御言」

 「なので彼女の意見を尊重しました。小梅さんの方もあちらで母親と一緒にいられるのでこれでよかったのだと思って―」

 「御言!」

 ズカズカと歩いてきた茂平に手拭いを勢いよく剥ぎ取られ、胸ぐらを掴まれた。

 そういえばこんな風に茂平が俺に対して声を荒げたり手をあげるのは初めてだ。

 大きな手が振り上げられたのが瞳に映り、あぁこれは叩かれるなぁ、と思ったが一向にその腕が振り下ろされることはない。代わりにぎゅっと締め付けられるような感覚が俺を包んだ。

 殴ってもらえた方が、罰してもらえた方が、お前はバケモノだと突き放してくれたら俺も完全に非常な人間になれたかもしれないのに。

 茂さんはまだ俺という災厄をその優しさで、愛で包み込んでくれるらしい。

 「……… ――――」

 茂平が耳元で何かを言ったが、雨音のせいでその言葉を掬い上げることはできなかった。

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