第49話 鬼にさえ

 「茂さん」

 彼の部屋の襖を静かに開くと起きたばかりでまだ眠そうな声の茂平が大きな欠伸をした。

 「おはようございます。どうかしましたか?」

 薄暗い朝の闇の中、互いの表情ははっきりとは見えないため、ひどい顔色であろう自分の姿を見られずにすむことに少しだけ安堵しつつ俺は努めて平静を装いながら口を開いた。

 「先ほどカミサマからお告げがありました」

 俺の言葉に茂平がハッと息を呑んだのが分かった。

 「それは…どんな?」

 「…巫女を二人捧げよと。それと…今回は……」

 言葉に詰まった俺が手に持った紙を渡すと、茂平は目を凝らしながらそれをじっと見つめる。

 「今回は、前にカミサマがされたように、それで、巫女の頭と四肢を千切って…供えて、結界を作るようにと……」

 途切れ途切れになる言葉をなんとか紡ぐ。茂平が手に持った紙が小さく、くしゃりと音を立てた。

 「………二人、ですか」

 茂平の重々しい声に俺は「はい」と返事を絞り出す。曇天のような沈黙の後、茂平は大きく息を吐いて、それから畳をトントンと叩いて正面に座るように俺に促した。

 「御言。あなたはどうしたいですか?」

 茂平の問いの意味が分からず俺は小さく首を傾げる。

 「それは…どういう…?」

 「八千代ちゃんももう巫女になることができる歳でしょう?もし村の中から公平に選出されるのなら、彼女が巫女に選ばれる可能性もあります」

 ぼんやりと輪郭の中、茂平の瞳が俺を捉える。

 「御言。妹を連れて、この村を…役目を捨てて逃げてもいいんですよ」

 思いがけない茂平の言葉に俺はぽかんと口を開いたまま固まっていた。

 「神から逃げるのは少々難しいかもしれませんが泥人形のお市を使えば、ほんのわずかですが時間を稼ぐことができるはずです」

 「で、でも……村の人たちは…?茂さんは?」

 「私たちは………」

 それ以上言葉を続けることもなく茂平は口を閉ざしたまま俺から顔を静かに逸らした。

 優しい茂さんはこれ以上、誰かを悲しませたくないのだろう。前に酔った茂平からこんな話を聞いたことがある。

 力のある自分の魂を使って神を封じた凄腕の術師がいたと。

 「茂さん…」

 きっと茂平は俺を逃した後にそれをしようというのだろう。自分の力ではそれがほんの数年の効果しか持たないと分かっていたとしても。

 俺のことを本物の家族のように育て、どんな辛いことがあろうと支えてくれた茂平。茂平が母上やみや姉、おねねのように自分の側からいなくなって、死後もあのカミサマに苦しめられ続け、跡形もなく砕け散ってしまうくらいなら――

 「茂さん。俺、逃げたりしないよ」

 俺の言葉に茂平が弾かれたように顔を上げる。

 茂さんを――家族を失うくらいなら他の顔見知りを失った方がまだマシだ。自分がバケモノのなった方がまだマシだ。

 「茂さん、今回の巫女の選出を俺に任せてくれませんか?」

 「御言くん?」

 「茂さんはその紙に描かれた図の物の準備をお願いします」

 「御言くん?あなた何を――」

 茂平の静止を聞くことなく、俺はその場を立ち、逃げるように外へ出た。

 


 小雨の降る曇り空の下を俺は一人歩く。朝になったというのに明るくならない空。 

 俺はもう、家族を、大切な人を失うわけにはいかない。

 山の中、村を一望できる場所から下を見下ろす。

 八千代の面倒を見てくれているお隣の老夫婦とその息子夫婦は除外。村長の所も今報復されるとまだこちらの準備が万全ではないため除外。みや姉の家もこの前巫女に出したばかりだから除外。

 俺は一軒一軒の家の家族構成と家庭の状況を総合しながら選別していく。

 あの家は今後の村の存続に多少影響をもたらすだろうから除外、あの家はよく俺たちに野菜のお裾分けに来るため生かしておけばこちらに利が残る。あの家は村長の次に発言権が大きいから除外。

 そうして残った一軒の家に俺は標的を絞った。

 彼女がいなくなれば八千代や村長の娘であるお雪も傷つくだろう。だが

 「村の……ために」

 本格的に降り出した雨の中、俺は山を下って村へ向かった。



 とんとん

 村についた俺はとある家の扉を叩く。

 中から女の子の「はぁい」という声がして戸が開いた。

 びしょ濡れになった俺を見て女の子が目を丸くしながら慌てた様子で着物の袖が濡れるのも構わず俺の手を引いて家に招き入れる。

 「どうしたんですか、御言様」

 驚いた顔をしているお雪に俺は完璧な笑顔で尋ねる。

 「村長と二人で話がしたいんですけど、呼んできてはもらえませんか?」

 俺の言葉にお雪は「はい!もちろん!」と返事をして奥の方へ走って行った。

 しばらくして戻って来たお雪に村長の部屋まで案内された俺はお雪に礼を言って「今から大切なお話をしないといけないから」と部屋に近づかないように頼んだ。

 一人になった俺は「失礼します」と村長の部屋の襖を開け中に入る。

 突然の、しかも早朝の訪問に村長は疑念の視線を俺にぶつけた。彼の横には日本刀が置かれており、ご丁寧に懐には短刀も忍ばせているようだった。

 「突然すみません」

 俺は間合いをとりながらゆっくりと座り、にこりと笑い村長と向かい合う。

 「どうしたのかな?突然の訪問なんて、こんな無礼をするような人間だったか?君は」

 村長の嫌味を笑顔で躱しつつ俺は部屋に注意を巡らせる。壁には術封じと術返しのお札が貼られており、見たことのない呪具もちらほら見受けられる。まだ今の俺では太刀打ち出来なさそうだが相手の手の内を垣間見れたのは大きな収穫だ。

 「実は今朝、カミサマからお告げがありまして」

 俺の言葉に村長の眉がぴくりと動く。

 「まさかお雪を巫女にしろと言うわけではないだろうな」

 刀を手にギロリと睨まれ恐怖で怯みそうになったが「まさか」と笑顔のまま首を横に振る。

 「村長、俺と取り引きしませんか?」

 「ほーう」

 村長は面白いものを見るように顎を少し突き出し話を続けるように促した。

 「今回カミサマからは巫女を二人捧げるようにと言われました。また籤で選出した場合、お雪さんが巫女の籤を引く可能性が高くなりますよね?そこで村長には今回お雪さんを巫女から除外することを条件の俺の手伝いをしていただきたいんです」

 「ほう。それで手伝いとは?」

 「簡単なことですよ。俺の言葉に頷くだけでいいんです」

 村長は首を傾げながら刀を再び畳の上に置いた。

 「村の存続などを考えた結果、この村から消えてもあまり支障のない家を選びました。三郎太さんの家です。あそこはあまり裕福ではないですし三郎太さん自身、よく奥様と喧嘩なさっています」

 ――それに

 「みや姉…弍の巫女が決まった時に奥様は娘である小梅さんが巫女になったら自分も後を追う、と言っていましたのでちょうど二人、巫女にすることができます」

 ――親子で山のカミサマのに行けるのでお告げで指名があったと言えば巫女になるのも承諾してもらえると思います。

 「どうです?」

 そう尋ねると村長は驚いた顔をして、はははは、と大声で笑った後ニヤリと笑って俺を見た。

 「随分と逞しくなられましたね、御言様」

 「ええ、おかげさまで」

 俺は冷や汗をかきながらも精一杯笑顔を返す。

 そんな俺を見て村長はふうっと息を吐くと「だがなぁ」と声を漏らした。

 「それではこちらに利が少ない。この先の巫女の選出でお雪を除外、そして今後の巫女の選出に私を混ぜてくれるというのならば…」

 ちらり、とこちらを見る冷たい目が俺を見つめる。

 「もちろん、その条件で構いませんよ」

 「ならば協力しようじゃないか。ようこそこちら側へ、御言様」

 ニタニタと笑うこの男を今すぐにでも殺してやりたくなったが、俺はそれを堪え、差し出された手を笑顔で握る。

 今は利用できるものはなんでも利用しなくては。

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