第46話 縛るもの

 次の日、泥人形である彼女がどのようなことができるのか確かめるために俺は小豆と共に外に出た。今日も相変わらず蒸し暑い良い天気だ。

 「お市さん、こっちに来て」

 泥人形である少女に向かって手招きすると、彼女は小豆と同じくらいの素早さで俺の元に走って来た。

 走る速さから教えないと…

 「小豆、お手伝いよろしく」

 「ワン!」

 小豆に繋いだ短い二本の縄の片方を泥人形に持たせ、俺はもう片方を握り小豆を挟んで反対側に立つ。

 「今から人間の歩く速さと走る速さを教えるから」

 そう言ってみるが泥人形は正面を向いたままぴくりとも動かない。

 先ほど呼んだ時にはきちんとこちらに来たから指示は理解しているはず…

 「じゃあ、始めるよ」

 いつも小豆を散歩する時よりも少し遅い速さで歩き始めると、小豆に引かれるようにして泥人形も歩き出す。

 そのまま家の敷地を一周して最初の地点に戻って来たら今度は走る練習。

 走りながらぐるっともう一周した後、今度は小豆の綱を手放して二人で並んで同じように敷地を回った。ぴたりと足音さえも揃えてくる泥人形。隣を人間が歩いているように目には映るので少々やりづらい。

 「うん。なら次は小豆と二人で歩いてみて」

 再び泥人形に小豆の手綱を握らせ、俺は彼女たちの後ろをついて歩く。きちんと教えた速さで歩く泥人形を見て、たまには小豆のお散歩をさせてみるのも良いかも、と思った。

 「それじゃあ次はお市さんだけで歩いてみて」

 俺の言葉に反応を示すことなく泥人形が歩き出す。速さも大丈夫。歩幅も大丈夫。

 人間と同じ速さで歩行することができるようになった泥人形に俺はほっとした。この調子でいけば人間っぽく振る舞うことができるようになるだろう。

 「次は…力加減かな。お市さん、これ折れる?」

 そう言って細い木の枝を一本渡すと、泥人形はそれを片手で最も容易くぽきりと折った。ならばと次は俺の手首と同じくらいの太さの薪を一本手渡す。

 両手で包むように握られた薪がミシミシ音を立てて破片を撒き散らしながら真っ二つになった。

 「…」

 ここまで怪力だと思っていなかった俺は引き気味に泥人形をじっと見つめて、それから泥人形の手首をできるだけ優しく握った。

 「お市さんが人間だったらこのくらいの力しかないからこれ以上強く握ったらだめだよ」

 泥人形は腕を掴む俺の手をじっと見つめ、そして俺の反対側の手首を握る。一瞬、自分の手も薪のようになるのではないかとヒヤリとしたが泥人形の手には先ほどまでの怪力はなく、代わりにか弱い少女の力加減がそこにあるだけであった。

 泥人形というのはこんなに物覚えがいいのか、と感心しつつ泥人形から手を離すと向こうも俺の手を離した。

 鏡のように動く少女の表情は相変わらず動かない。

 「お市さん、にーっ」

 笑顔を作って見せるが、泥人形は俺を真似することはなく無表情のまま冷たい瞳で俺を見ていた。

 「うーん。やっぱり動きしか真似できないのかな?」

 そのうち人間らしい表情も教えようと思っていたがこれはなかなか骨が折れそうだ。

 「とりあえず先に別のことから教えようかな」

 


 色々な道具の使い方やお辞儀などの礼儀作法を教えているとあっという間に鴉が山に帰る時間になってしまった。

 「よし、続きは明日…かな?」

 家に向かって歩き出すと泥人形も後ろを追いかけて来る。昨日とは違って人間の子供の速さで歩くため、泥人形は駆け足でついて来た。

 家に着くとちょうど晩御飯ができたところだった。昨日に引き続き疲れた顔をしている茂平に「ただいま」と声をかける。

 「茂さん、どうだった?」

 泥人形であるお市さんを人間として村に置いておくためには村の人の代表である村長の許可が必要だということで今朝から村長の家に行っていた茂平に俺は尋ねた。

 「それがですね…」

 茂平少し口ごもりながら村での出来事を話した。

 まず村に行くとやはり景丸が茂平の娘について皆に言いふらしていたらしく、村の老若男女の質問攻めにあったらしい。しかし昨日捏造した過去のあれこれのおかげで怪しまれることなくやり過ごすことができたと茂平は遠い目をして笑った。

 問題はここからだ。村長に娘であるお市さんの話をしたところ、意外なことに村長はすんなりこの村に住むことを許可してくれたらしい。しかしお市さんが茂平の力を受け継いでいると知った途端、村長はある条件を出してきたと言う。それは

 「その娘さんが七歳を過ぎてから、もし山の神が巫女をご所望されたらその子を巫女として出してくれ」

 という条件らしかった。

 俺は村長に対する怒りで気が狂いそうになるのを必死に抑えるように両手をわなわなと震わせる。村長は茂平の娘が泥人形であると知らない。それなのに村長と同じく一人の娘の父親である茂平に向かって平然とそのようなことを言ってのけたのだ。

 あの男、やはり早くに消すべきだ。

 ぎらりと光った赤い瞳に気がついた茂平が「仕方のないことですよ」と俺の肩に手を置きポンと叩く。

 「村の皆さんと関わりのない少女を巫女として出したいという気持ちもわかります。ましてや次は自分の身内かもしれないとなれば余計に」

 それに、と茂平が泥人形に目を向ける。

 「私自身、余所者でこの村に縁者がいるわけでもありません。厄介者である私を受け入れてくれたこの村には何らかの形で貢献しなくてはならないと思っていましたので……」

 少し俯いて影になった瞳を見て、茂平自身も村長の出した提案についていろいろと思うところがあることを察し、俺の怒りが急激に冷めていく。代わりに鋭く研がれた黒い感情がじわじわと広がるように現れる。

 茂さんも俺と同じで守りたいものがあるから逆らえないのだ。

 皆のためにも俺があの村長やカミサマをなんとかしなくては。

 茂平がじっと黙ったままの俺と視線を合わせるようにしゃがみ、頭の上に手を乗せる。

 「だからほら、そんな顔しないでください。幸いこの子は泥人形。人間のように心はありません」

 ――御言くん

 「泥人形にあまり情を持ってはいけませんよ。所詮は道具なんですから」

 道具だと思っているならどうして、と喉から出そうになる言葉を飲み込む。

 どうして茂さんはそんな悲しそうな…辛そうな顔をしているの?

 隅の方で動かず立っている泥人形が夕日に照らされ、俺たちに黒い幕を垂らした。

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