第45話 虚実の種
泥人形は表情ひとつ変えることなく俺たちの後ろを歩く。
俺よりも小さな子供の姿なので迷ったりせずについてくることができているか、時折後ろを確認しながら歩いたが、それは杞憂だった。
四、五歳の小さな姿では越えにくいであろう石の上にぴょんと手を使うこともなく飛び乗った泥人形を見て、生きている人間ではないのだから当たり前か、と俺は茂平の側を歩く。
家へ戻って来ると鳥居の方に人が立っていた。泥人形を見られてしまうとまずい、と俺と茂平は冷や汗をかく。
「ああ、茂平様に御言様!」
こちらに気がついてしまった男が釣竿と獲れたての魚を手に笑顔でこちらにやって来た。
俺は自分の背後に視線を向ける。幸運なことに泥人形の少女は大きな木の影になっている草むらの中に立っていて姿を確認し難い。
これは…俺たちの方に彼の気を引けばやり過ごせるかも
「こんにちは景丸さん!」
俺は焦りがばれないように満面の笑みを浮かべて男のもとへ駆け寄る。
「わあっ!大きな魚ですね!どこの川で釣ったんですか?」
茂平も少し遅れて「こんにちは、今日も暑いですね」と言いながら泥人形が見えないように男の前へ立ち、にこりと微笑んだ。
「ええ、暑いですね~。ほんと、茹蛸になりそうですよ」
あははと笑う大人二人の会話を遮るように俺は男の着物の袖を引っ張る。
「ね~景丸さん!その魚、どこで釣ったんですか?ね~!」
自分でも幼稚すぎる言動だと思いつつも恥を忍んで「ね〜ね〜」と男の持つ魚をじっと見ながら駄々っ子のように尋ねる。
男はへへっと笑うと先ほど俺たちが行った川とは逆方向の山の下の方を指差した。
「あっちにある山の近くの川でいつもみたいに釣りをしていたんですよ。そしたら今日はやけに沢山釣れてですね!これはきっと山の神様のお恵みだと思いまして、是非お供えしてもらおうと何匹か持って来たんですよ」
心底嬉しそうに笑う男の視線がちらりと茂平の後ろに動く。
あ
「ところであの子、見ない顔ですね。おーい!変な人じゃないからこっちにおいで!ほら、こんなに大きなお魚さん!」
泥人形に向かって魚を掲げながらニコニコと笑う男とは反対に俺と茂平は焦り出す。
「あ、えっと、あの子は…ね、茂さん」
「えっと…あ、ははは」
引き攣る顔を見合わせながら言い訳を探していると、なぜが泥人形がこちらに向かって走って来た。
どうしてこっちに来るんだ!と心の中で叫んだが、泥人形はそのまま俺と男の間に立ち、表情を変えることなく男の顔を見上げる。
「ん?」
目の前に立つ少女に違和感を抱いたのか、男は泥人形をじっと見て、それから冷や汗を拭う茂平を見て、そしてまた泥人形を見て首を傾げた。
どうする?どう言い訳しよう。隣の村から迷い込んできたと言えば何とかなるかもしれない…
「あ、景丸さん、えっと、この子は――」
「この子は私の娘です!」
その言葉を聞いた俺は目を丸くしながら茂平を見た。咄嗟に出た言葉だったのだろう、茂平は慌てて言葉を繋ぐ。
「こ、この子はちょっと、私に似て力の強い子でして…。七歳までは私の師匠の元に預けておく予定だったのですが、ほら、ここ最近色々と起こっているでしょう?なので私と御言くんの二人では少々心許ないので少しばかり予定より早いですが…これからは私が面倒を見ることにしたんですよ」
茂平の言葉に男は、ああ!と頷いた。
「通りで少し変わった空気を纏った子だなと思ったんですよ!茂平様の力を受け継いでいるのならそれもそうだ。確かにこの癖のある髪、茂平様にそっくりですね!」
そう言って頭を撫でようとした男の手を泥人形がするりと躱す。
男はちょっとだけ残念そうな顔をすると「初対面の人への警戒心も茂平様にそっくりですね」と言ってわははと楽しそうに笑った。
男が帰った後、俺はやっと安心することができた。きっとこの泥人形…茂平の娘については景丸さんが他の村の人にも言いふらしてくれるだろう。
一つ問題なのは
「茂さん、咄嗟にあんなこと言って大丈夫だったの?」
疲れ切った顔の茂平に俺は尋ねる。
泥人形を上手くやり過ごせたのは良かったのだが、茂平が実際には存在しない妹弟子と結婚していて、さらにその妹弟子こと茂平の妻とは娘が生まれてすぐに死別したということになってしまった。おそらくこの実際には存在しない茂平の悲しき過去も景丸によって広められてしまうだろう。
茂平は「まだ結婚すらしたことないんですけどね」と大きなため息をつくと頭をガシガシと掻いて勢いよく立ち上がり、部屋の隅で正座している泥人形の元へ向かった。
そしてその前に向かい合うようにして座り口を開く。
「いいですか?あなたは私の娘ということになりました。名前はお市で年齢は四歳です。言葉を発することはできますか?」
無言のままじっと茂平を見つめる泥人形。どうやら会話はできないらしい。
「ではあなたが話すことができないのは、そうですね…。母の死が傷になってしまったが故ということにしてやり過ごしましょう。御言くんもそれでよろしくお願いします」
「はい…」
俺は姿勢を全く崩さない泥人形をじっと見つめる。白い肌や感情のない黒い瞳のせいか、この泥人形は完全な人形になってしまってもう動かないのではないかと思ってしまう。
泥人形の茂平のように上手く表情や行動を人間に近づけて動くことができるのか心配だった。
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