第42話 夜半の夏

 茂平が旅に出てはや二ヶ月半、泥人形の茂平は思っていたよりも問題なく茂平として振る舞い続けた。ただ泥人形は毎日夜中になると家の近くを流れる川に向かい、形が崩れてしまわないように泥でカラダを補修するので、人に見られていないか周囲を警戒をするために付き添いをしなくてはならないのだけが少しばかり大変だ。

 その日も俺はいつものように泥人形の修復作業が終わるまで月を眺めながら川辺の石に腰掛けていた。長髪を揺らす夏の夜風が心地良い。

 「茂さん、いつ帰ってくるのかなぁ…」

 気が付けばそんな言葉を口にしていた。泥人形の茂平がくるりと俺の方を振り返り、半分泥のままの顔で困ったように微笑んだ。小豆や泥人形がいるおかげであまり寂しさを感じていなくても人と言葉を交わしたくなるのは俺がまだ子供だからだろうか。

 近頃は俺が村の方まで遊びに行くこともなく、村の人が家に来ることもないため少し退屈に感じていた。

 大きく欠伸をしてから足元の泥を手で掴む。粘土なので丸めてみると綺麗な泥団子が出来上がった。深い闇に染まった川にそれを大きく振りかぶって投げてみるとボチャンと音を立てて泥団子は見えなくなった。

 暇だな~

 足をぶらぶらと揺らしながら川とは反対側にある家の方を肩越しに見てみると一瞬、笠をかぶった誰かが立っているように見えた。目を擦ってもう一度見てみるが誰もいない。

 気のせいかと思って川の方へ目を戻すといつの間にか目の前に人が立っていた。ヒラヒラの付いた笠をかぶった背の高い男。

 「わっ!と…茂さんの師匠?」

 驚いて座っていた石から落ちそうになりながらそう尋ねると医者は「や、どうも」と言って俺の隣に腰掛けた。

 「最近どうです?面白いことがあったみたいですねぇ」

 自分の師匠に気がついていないかのように自分のカラダの修復を続ける泥人形の茂平を見ながら医者が尋ねる。

 面白いこと…?きっとあの夜やって来た奴との攻防について言っているのだろう。あの恐ろしい体験が面白いことだと言われた俺はあからさまにムッと顔を顰める。

 「どうせ知ってるんでしょ?」

 俺の問いに医者は笠の下で目を細めて俺を見た。

 「そりゃ知っていますよ。私の作った玩具、壊されちゃいましたし」

 「玩具?茂さんが持ってた数珠のことですか?」

 「そうそうそれです!せっかく私が駄々をこねるちっちゃな茂平のために作った玩具なのに」

 よよよ、と泣き真似をする医者に俺は苦笑いを浮かべる。

 「あれ…玩具のつもりだったんですね…」

 そう言うと医者は不思議そうに首を傾げた。

 「はて?あれが玩具以外の何に見えたのです?君、やはり面白いですねぇ」

 ――いやはや

 「うん。やはり君を見殺しにすることは惜しい」

 ぽかんと口を開いていると医者が立ち上がり俺の目の前に立った。背に浮かぶ月明かりのせいでその表情を窺い知ることはできない。

 「あ、あの」

 俺が口を開いたのとほぼ同時に医者は俺の頭上を手刀でヒュンと横に斬った。

 音すらも斬られたかのような沈黙の後、再び医者が俺の横によっこらと腰を下ろした。

 「えっと…」

 何をされたのか分からず困惑していると医者が足元の石を拾ってコロコロと掌で転がしながら口を開く。

 「奴の印を綺麗に消せていなかったので斬って消しただけですよぉ。これは茂平にはちょいと難しかったみたいですねぇ。あはは」

 そして楽しそうに笑うと、突然泥人形の茂平に向かって手に持っていた石を投げつけた。腹に穴の空いた泥人形は今やっと師匠である医者の姿を認識したかのような驚愕の表情を浮かべると、ベシャッと音を立てて跡形もなく崩れ去った。

 泥の山になってしまった泥人形を唖然としながら見つめていると医者が音もなく立ち上がり、一つの小さな壺を俺に渡してきた。

 「あんな脆いものではなくてそっちで作るといいですよぉ。次、食べ物を要求されたらそれをあげてみても面白いかもしれませんねぇ。ではでは」

 状況を理解できていない俺を放って去ろうとする医者を呼び止め尋ねる。

 「あの…これ、中に何が入っているんですか?」

 軽く振ってみると陶器のかけらがぶつかり合うような音がする小さな壺。紐で固く閉じられているせいで中を見ることさえできない。

 俺の問いに医者は少しだけ首を傾げ「ん?泥人形の材料ですが…?」と返す。

 答えになっているようななっていないような返答にもやもやしていると、医者は俺の心を読んだかのように「茂平に教えてもらうといいですよ。作り方、教えてもらうんでしょう?」と言って壺を指差した。

 確かにそれもそうだと思い、俺はもう一つの疑問を投げかける。

 「あの、前にヒトの子ひとり消えたところでって言ってましたよね?ならどうして俺のこと、印を消して助けてくれたんですか?」

 弟子である茂さんがどうなろうと構わないと言っていたのに。

 真剣な目をして尋ねた俺を笑うように笠についたヒラヒラの隙間から覗く口がにーっと三日月のようにつり上がった。

 そんなの決まっているじゃないですか、と医者が遠くの山を指差して笑う。

 「君を生かしておけばもっと面白いことが起こりそうなのでねぇ。君、十三歳になったらあそこへ行ってみなさい。きっといい物が見つかりますよぉ」

 指差された方向を見てみるがそこにはただ暗い山々が並んでいるだけで医者が言うがどの山のどの場所か分からない。

 「あの、どの山ですか?」

 医者の方へ視線を戻して尋ねてみたが、あの雨の日と同じように既にそこには誰もおらず、ただ夜闇が広がるだけであった。

 

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