第36話 月影さやかに

 「巫女様…」

 茂平が呼びに来た時には既に月が昇っていた。

 「はい、今参ります」

 そう言ったみや姉がゆっくりと立ち上がる。

 「ねえ、御言様。ありがとうね。あとは任せて ね」

 月明かりに照らされたみや姉の穏やかな表情が静かに俺を貫いた。優しく微笑むその顔には一欠片の曇りもない。

 心を決めてしまったのだな、と落胆とも悲嘆ともつかない形容し難い妙な感情が湧いて出て来たがそれを悟られぬよう、俺も同じように微笑んでみせた。

 「参りましょうか巫女様」

 茂平の呼びかけにみや姉が歩き出す。そして茂平の目の前で止まり

 「茂平様も今までお世話になりました。どうぞお身体にはお気をつけて――っ」

 ぐっ、と続く言葉を飲み込むように喉がなる。そのまま口を閉ざしたみや姉は茂平に向かって深々と頭を下げた。

 「……こちらこそ、ありがとうございました。

 その言葉を聞いたみや姉がパッと顔を上げる。今までに見たことのない少女のような笑顔を浮かべるみや姉を見て俺は気が付いた。

 あぁ、みや姉は茂さんのことを好いていたんだな

 茂平がみや姉の気持ちに気が付いていたのかは分からない。気がついていなければいいな、と俺は思った。だって、そうでなければこの別れは辛すぎる。

 俺は二人から目を逸らして外を見た。もうすぐ月が一番高い所に昇りそうだ。

 「御言くん」

 もう出発しなくてはいけないようだ。俺は茂平とみや姉の後ろをのろのろとついて行く。

 外に出ると壱の巫女の時と同じように村の男たちが儀式の用意をして待っていた。ただ一つ違ったのは男たちが泣いていたことだ。

 それはそうだろう。みや姉が幼い時から今までずっとその成長を見守って来た大人たちなのだ。自分の娘を巫女に出すような気持ちの者も大勢いるだろう。

 みや姉はそんな大人たち一人一人に頭を下げながらゆっくりと輿に乗り込んだ。それを見届け男たちが動き出す。静かな行列は青白い光に照らされながら祠への道を静々と進み始めた。



 「うっ おえっ」

 月明かりの届かない草むらの陰で自分の肩を抱き寄せる。

 からになった胃からはもう何も出てこない。

 口の中に残る気持ち悪さを洗い流すため、俺はおぼつかない足取りで井戸に向かった。

 水を汲み上げ口をゆすいでバシャバシャと顔を洗う。凪いだ水面に自分の青白い顔が映った。

 これはひどい

 生気のないその顔を見て俺は自嘲する。

 (「笑っ て」)

 体が引き裂かれる直前にこちらを見て苦痛を隠すように微笑みながらそう口を動かしたみや姉の顔が頭をよぎって俺は再びえずいた。

 ブチブチという嫌な音。鼻をつく匂い。そして流れ落ちる赤。

 弐の巫女であるみや姉の儀式も壱の巫女と同様に行われ、そして終わった。巫女の体は村を守る結界となり、魂はカミサマに捧げられた。

 目を瞑って呼吸を整えるように何度か大きく深呼吸する。

 (「笑って」)

 みや姉の青白い唇が再び俺に囁く。

 そうだ。送る側の人は…笑って見送らなくては

 俺は再び水面を覗き込み精一杯笑顔を作ってみるが

 「………はは…」

 いびつに歪んだ口から乾いた声が漏れた。

 「全然………笑えてないなぁ」

 白銀の髪が俺の顔に影を落とす。

 「練習……練習しないと」

 大きな空気の塊を吐き出してそう呟いた。

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