第34話 弐の巫女
どのくらい経ったのだろう。胸の痛みは治ってきたが頭がぼーっとする。
「御言くん?」
忘れ物でもしたのだろうか。一人で戻ってきた茂平が地面にうずくまる俺の元に駆け寄ってくる音がした。
返事をしなくてはと意識の上澄みでは思っているが、体も意識もぼんやりとしていてそれができない。
焦点の合わない瞳で地面を見ていると
「大丈夫ですか?」
茂平が俺の背に触れた瞬間、体が勝手にびくりと動いてコロンと横に倒れた。触れられた所がピリピリと痛む。
「御言くん!?」
弾かれたように俺から手を離した茂平が青い顔をしているのが視界にぼんやりと映った。
「―――!――――――?――――!」
焦った様子で何かを言っているが言葉が滲んで聞き取ることができない。
声に反応がないことに気がついたのか、それとも呪術によってこうなっていることに気がついたのか、はたまたその両方か。
意識の浅いところでぼんやりとそんなことを考えていると体がふわりと浮いた。
目に映る風景の高さからして抱きかかえられたのだろう。そのまま家の中に運ばれて畳の上に転がされた。
ドタドタと部屋を出入りしては何かを並べ置いていく茂平が俺の赤い瞳にちらちらと映る。
ああ、なんだか……
眠たいわけでもないのにだんだんと瞼が重くなってくる。
パシン!
突然、両頬に衝撃があった。閉じかけていた瞳に再び見慣れた景色が映し出される。
「――――!」
険しい顔をして俺の両頬を包む茂平が見えた。俺の目が開いていることを確認した茂平は手を離し、再びバタバタと走り出す。
しばらくすると今度はパタン パタンという音と共に部屋が暗くなった。おそらく襖を閉めたのだろう。
真っ暗な部屋に小さな赤い火が灯される。
「――――。――――――――」
目の前に来た茂平が俺の頭を撫でながら何か言った。薄暗い上に頭がぼーっとするため何と言われたのかは分からないが、なんとなく「すみません」というようなことを口にしているような気がする。
立ち上がった茂平が視界の隅へ消えていく。しんと静まり返った部屋には二つの小さな呼吸音。
「」
茂平がすうっと息を吸うのと同時に灯された火が大きく揺れた。
暗闇の中に少女が二人。彼女達の奥には山の神様の祠が見える。
「どうする?」
「どうしよう…」
少女達は小さな体を寄せ合い、震えながら祠の方へ顔を向けていた。
「私たちじゃ神様を止められないよ…」
「でもそれだとまた誰かが犠牲になっちゃう」
「でも――」
何か聞こえたのだろうか。二人の少女が同時に顔を上げ頭上を不安げに見つめる。そして
「どうしよう、次はみや姉ちゃんだよ」
「みや姉ちゃんって…三姉妹の次女の?」
「うん…」
「その人って私たちより大人なの?」
「うん…」
長い黒髪の少女が何かを考えるように目を瞑り、口を開いた。
「大人なら……神様のこと、止められるかも…」
その言葉にもう一人の少女が泣きそうな声で反論する。
「でもそれってみや姉ちゃんが私たちみたいになるってことだよ!?そんなの…そんなの……」
わっと泣き出してしまった少女の背中を長髪の少女が泣きそうになるのを堪えながら優しく撫でた。
「大丈夫。大丈夫。きっと―――が何とかしてくれる」
泣いている少女たちが可哀想になった俺は彼女たちに向かって歩き出す。自分がみんなのことを助けてあげる。だから泣かないで。そう声をかけたくて歩き続けるが彼女たちとの距離は縮まるどころかどんどん離れ、闇に包まれていく。
大丈夫。絶対に僕が―――
「御言様…」
柔らかい女性の声に俺は目を開ける。長く豊かな黒髪の間から、みや姉の心配そうな顔がこちらを覗き込んでいた。
「みや姉…?」
俺の言葉にみや姉の顔がパッと明るくなる。
「よかった!茂平様に用事があって来てみたら御言様が倒れたって聞いたから…。そうだ!いま茂平様を――」
そう言って腰を上げたみや姉の着物の袖を引っ張って引き留める。
「ねえ、みや姉」
俺の声にみや姉がくるりと振り返った。
「みや姉が…弐の巫女になったの?」
声が震えるのも構わずそう尋ねるとみや姉は驚いた顔をして、それから困った顔をして微笑んだ。
「ふふ。御言様には何でもお見通しなのね」
再び座ったみや姉が俺の目を見て、それから静かに頭を下げる。
「御言様、今までお世話になりました。最期まで、よろしくお願いいたします」
そう言ったみや姉の姿があの夜のタキと重なって俺はぼろぼろと涙を流しながら取り乱した。
「なんで…なんでみや姉が?他の…他の姉妹は…?」
小さな頃からよく面倒を見てくれていたみや姉。こんなことを言うのは良くないと分かっていてもつい口から漏れてしまう。
「みや姉じゃなくて他の姉妹じゃだめだったの?」
その言葉にみや姉は目を丸くして俺の額をツンと押した。
「御言様、だめよ、そんなこと言ったら」
眉間に皺を寄せたみや姉を見るのは初めてかもしれない。
黙ったまま泣き続ける俺を抱き寄せ、母がしてくれたように頭を撫でながら優しい声でみや姉は話し始めた。
「巫女になることは光栄なことなのよ。それにね、巫女になると言ったのは私なの」
驚いている俺の顔を見てみや姉が優しく微笑む。
「御言様だって妹の八千代ちゃんが大切でしょう?」
その言葉に俺はこくこくと頷いた。
「そうよね。私もお姉様や妹のことが大切なの。二人には生きていて欲しいの。だから私が巫女になるってお母様に言ったのよ」
それに…とみや姉は続ける。
「巫女になれば山の神様の所に行くことができるでしょう?そしたら私で巫女は最後にして他の方法で村を助けてくださいって直接お願いできるでしょ?ほら私、村の皆からしっかりものって言われてるから神様のお世話や言いつけ、全部こなすことができる気がするの」
俺の頬を拭いながらみや姉はにこりと笑った。
「御言様、どうする?私がいるからもう巫女は必要ないって山の神様が言ってくださったら。それで私のことをお嫁に欲しいなんて言ってくださったら」
キャっと笑って頬を両手で包むみや姉を見て俺もへなっと笑う。
あのカミサマが…バケモノがそんなことを言うはずがない。そう分かっていても真実を口にすることができなかった。
なんだかこのしっかり者のみや姉ならあのカミサマを元の神様に戻せるのではないかとそう思ってしまったからだ。
「みや姉」
俺は大きく息を吸ってみや姉に頭を下げる。
「皆のこと…カミサマのこと…お願いします」
目からこぼれた雫が握られた拳の上にポタポタと落ちた。
泣いてはいけない。泣きたいのはきっとみや姉の方なのだから。
そう思うが溢れる雫は止まることなく落ち続ける。
ふとみや姉が大きく息を吸った。
泣くのを我慢しているような、少し笑ったようなその音の後、
「ええ。みや姉に任せなさい」
そう言って俺の頭を撫でたみや姉の手は少し震えていた。
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