第31話 再び来たる

 それからどのようにして村に戻ったのかは覚えていない。

 気がついた時には母上の葬儀も終わり俺は一人、茂平の家にある自分の部屋の壁に寄りかかってぼーっとしていた。

 暖かな春の空には小鳥の楽しげな歌声が響いているが、その声は日陰に座る俺には届かない。

 ふと視界の端にヒラヒラと舞う鮮やかな黄色が映った。

 開け放たれた障子の向こうから飛んできた蝶は俺の足先にチョンととまると静かに羽を閉じた。あの日に捕まえた蝶と足先の蝶の姿が重なる。

 (「何度だって抱っこしてあげるわ。お歌も歌ってあげるし面白いお話だってしてあげる」)

 そう言って笑った母上の顔が鮮明に思い出される。

 「………」

 蝶は俺の足から飛び立つとヒラヒラと部屋の奥へ向かい、花瓶にさされた花にとまった。

 カラカラに乾いて茶色になった花。あの日、母上から貰った花だ。ほとんどは雷が落ちた時にぐちゃぐちゃになってしまったのだが無事だった何本かをみや姉が飾ってくれたのだ。

 楽しかったなぁ

 母上と妹の八千代の三人で笑い合った日々がとても遠くに感じる。

 八千代のことはお隣の老夫婦とその息子夫婦が面倒を見てくれるようになった。

 あの人たちなら安心だ。でもあまりたくさん妹に会いに行けば老夫婦たちに迷惑をかけてしまうだろう。

 俺は顔を外に向ける。あの日と同じような青い空。

 母上がいなくなってしまったというのに俺は妙に冷静だった。

 俺は壊れてしまったのだろうか?そんな考えが頭をよぎったが、違う!とその考えを振り払う。

 大丈夫。俺は母上がいなくても大丈夫。

 「何か……しよう」

 小さく呟いて鉛のように重たい体を無理やり動かし机の前に座り墨を磨る。

 そして筆を持ち紙を広げた。

 だが、いざ書こうとすると何故か手が動かない。

 仕方がないので手に筆を持ったままぼーっとしていると

 さらっ

 紙に何かを書く音がした。

 驚いて自分の手元を見てみるといつの間にか紙に自分の拙い字ではなく達筆で美しい字で『御言』と書かれていた。

 「誰が―――」

 そう呟いたのと同時に新たな文字が描かれていく。

 「は?」

 俺はその文字を書いている手を見た。

 「なんで?」

 今、紙に字を書いているのは紛れもなく自分の手だった。自分の意思に関係なく筆を持った右手が勝手に動いているのだ。

 自分の手なのに自分の手ではないという不思議な感覚にぎょっとしたまま固まるが、筆は止まることなく文字を記し続ける。

 『北より来たる疫病、人々を襲う』

 書かれた文字を見た俺は絶句した。

 疫病…あの日、カミサマが言っていた事と同じだ。ということは今、俺の手を使って字を書いているのは――

 『人の子捧げれば再び村は守られる』

 その文を記した後、手に自由が戻ってきた。俺はその手を強く握りしめる。拳の中で筆がバキッと音立てた。

 「ーーーーっ‼︎」

 声にならない怒りの叫びを上げる。

 怒りのままにその紙を掴んで破ろうとするが

 「―――っ!ふ フーーっ!フーーっ」

 このまま破って無かったことにしてしまったら八千代まで失うことになる

 「くそっ!」

 俺は湧いてくる怒りを抑え、しわがついたその紙を畳んで茂平のもとへ走った。

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