第28話 竹に雀

 青く高い空には雲ひとつない。

 手を繋いで隣を歩く母上がおもむろに口を開いた。

 「御言、茂平様のところでは楽しく過ごせている?」

 「うん!茂さんは毎日色々な話をしてくれるし…。昨日の夜はおっちょこちょいな天狗の話しだったよ!」

 無邪気に笑う俺を見て母上がふふっと笑う。

 「おっちょこちょいな天狗さんもいるのねぇ」

 そして俺の頭を撫で

 「あなたが優しくてしっかりした子に育っているようで母は安心です」

 俺はその言葉を聞いて少しだけ罪悪感を感じた。

 俺は優しい人ではないのに。本当に優しい人ならきっとあの時、タキとどこかに逃げてくれるだろうし。それにしっかりした人ならもっと別の方法で…誰も傷つかない方法を考えて村を救うだろう。

 だんだんと表情が曇っていく俺を母上がぎゅっと優しく抱きしめる。

 驚いた俺が口を開こうとすると

 「大丈夫よ」

 母上が先に話し出した。優しい声がふわりと俺を包み込む。

 「大丈夫。あなたはあなたの役目を果たしているだけなのだから。誇りを持っていいのよ」

 誇りを…

 いいのだろうか。俺は俺の役目を正しいものだと受け入れてしまっていいのだろうか。

 何も言えずに困った顔をしている俺を母上が突然ヒョイと抱き上げた。

 「は、母上!?」

 驚いた顔をした俺を見て母上が嬉しそうにコロコロと笑う。

 「ふふっ、重くなったわね~」

 「ははうえ~。俺はもう子供じゃないので一人で歩けます!」

 降ろしてもらおうと俺は少しだけもがいてみる。こうして母上に抱っこしてもらえるのはかなり久しぶりなので正直嬉しいが、誰かに見られていたら恥ずかしすぎる。

 「あらあら、まだ七つの子が何を言っているのかしら。子供のうちはたくさん甘えてもいいのよ?あなたは山の神様に選ばれた御言様である前に母の宝物であるただの普通の人の子供なんですから」

 むぅっと声を漏らした俺に母上が優しく微笑みかける。

 「今日くらいは御言様としてのお役目を忘れていいのよ、   。」

 久しぶりに呼ばれた俺の本当の名に心がじんわりと温かくなる。

 いいのだろうか。今日くらいは御言様じゃなくても。

 自分の中の『御言様』が「いつも頑張ってるんだし今日くらいはいいじゃないか」と言って笑った気がした。

 俺はぎこちなく母上の肩に頭を預ける。

 母上の体温と優しい匂いに包まれ、俺は自分がとても幼い子供になってしまったような気がした。いつもこうしてもらっている妹のことが少しだけ羨ましくなってしまう。

 「ははうえ」

 「なあに?」

 俺は口ごもった声で少しだけ甘えてみた。

 「ぎゅってして…?」

 「ふふっ、ぎゅーーーっ」

 母上は頬擦りしながら俺のことをギュッと抱きしめる。

 懐かしいその感覚に思わず泣きそうになったがここで泣いてしまったら『御言様』に戻れなくなってしまう気がした俺は気を逸らすために母上におねだりをしてみた。

 「母上、何かお話して?」

 俺のおねだりに母上は「いいわよ」と頷くと、昔、母上自身が体験したという不思議な話をしてくれた。

 「昔、あなたが生まれる前、まだ母上が母上になる前のこと。隣の隣の村での用事が終わって家に帰る途中の話。


 母は山道を通って村に帰ろうとしていたのだけれどその日はすごく雨が降っていて途中で道に迷ってしまったの。

 道は一本道だから迷うことはないと思っていたんだけれどね、霧が出ていたせいかしら。母は歩いても歩いても同じ道をずーっと行ったり来たりしていたの。

 そうしているとだんたんと空も暗くなって夜になってしまったの。

 暗くなるまでに村に着くことができると思っていた母は途方に暮れて真っ暗な山道で雨に濡れながら泣いていたわ。

 そしたらね、どこからか鴉と雀の鳴き声が聞こえたの。夜なのによ?母もびっくりしたわ。物の怪だったらどうしようって。

 母が怖くて泣いていたらね、急に後ろの方から声をかけられたの。

 「こんな夜にそんなところで何をしている?」って。

 声の方を見たらいつの間にか人が立っていたの。提灯を持った栗毛の髪の男の子だったわ。女の子みたいに綺麗な顔の子でね、母はついその子に見惚れてしまっていたの。

 そしたらその男の子はちょっと怒っちゃったみたいでね、「用がないなら早く帰れ」ってどこかに行こうとしたの。もちろん母は慌てて呼び止めたわ。

 道に迷ったって言ったら呆れた顔をされたけれど、山を出るところまでなら送ってあげるって言ってくれて。

 それから母はその男の子と一緒に夜の山道を歩いて行くことになったの。

 男の子は無言でスタスタと歩いて行くからちょっと怖かったんだけど、山の中に一人置いて行かれる方がもっと怖かったから頑張ってついて行ったの。

 途中で「あなたはこんな夜に何をしていたの?」とか「どこの村の子なの?」って訊いてもなかなか教えてくれなくてね。

 そうこうしているうちに山道から村に続く道に出たの。男の子は「それじゃあ」って言ってすぐに帰ろうとしたから母はお礼を言ってから最後に尋ねたの。

 「あなたの名前だけでも教えて欲しい」って。そしたら他は何も教えてくれなかったのに名前だけは教えてくれたの。「名前は朱雀。それと一言言わせてもらうが雨の中、しかもこんな夜更けに一人で出歩かない方がいい。貴方にも、お腹の子にも良くない」ってね。

 母はびっくりしたわ。だってお腹にあなたがいるなんてまだ知らなかったから。

 どうして分かったのか聞こうと思ったんだけれど男の子は既に元来た道を歩き始めていて追いかけるのは諦めたわ。

 その後、母は無事に家に着いたの。家に入る前に母はふと空を見上げたの。

 そしたら一羽の雀が母の上をぐるぐると飛んでいてね、母が家に着いたのを確認したみたいに一回だけ鳴いて山の方に飛んで行ったの。

 なんだか「もう一人で出歩くな」って言われたような気がしてね。

 それで母は思ったの。ああ、あの男の子は雀だったんだなぁって。

 子供の頃に怪我をした雀を助けてあげたことがあるからその雀の家族だったのかもね。

 それでしばらくしてからあの雀の男の子が言った通り、あなたが生まれたのよ。

 めでたし めでたし。


 あっ!ほら、着いたわよ」

 物語を子守唄代わりにうとうとしていた俺の背を母上がトントンと叩いた。

 俺は大きな欠伸をしてからその景色を見る。

 「わあ~っ!」

 そこにはたくさんの桜の木と黄色や白の花々が咲き乱れていた。

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