第24話 孤月が照らす

 「あ、あの」

 俺が声をかけると少女はハッとしたように着物の袖で目元を拭うと姿勢を正し、頭を下げた。

 「御言様、こんばんは」

 真っ白な美しい着物を着たタキは、きりっとした顔をすると俺の目をじっと見た。

 気まずさに耐えきれなくなった俺は配膳具をタキの前に置いてすぐに部屋から出ようとした。が、

 「待って!」

 呼び止められた俺は振り返る。泣きそうな顔をしたタキと目が合った。

 「え、えっと…今まではお父さんとお母さんとご飯を食べていたから……」

 寂しいのだろう。俺も茂さんが留守の間は一人で食事をしていたからその気持ちは痛いほどよく分かる。それにタキにとってはこれが最期の食事だ。

 襖を閉じてその場に座った俺を見てタキの顔が少しだけ明るくなった。

 「ねえ、もう少し近くにおいでよ。そんなに離れていたらお喋りしにくいよ」

 とんとんと畳を叩いたタキの傍に俺は座りなおす。

 タキは満足げに笑うと「いただきます!」と言って食事を始めた。

 一口ずつ味わって食べるようにゆっくりと口を動かすタキ。その横顔をじっと見つめているとタキがこちらに顔を向けてきた。

 黒い瞳に至近距離から見つめられた俺はタキから視線を逸らす。

 「ねえ、御言様」

 そう言うとタキは手にした箸を俺の口元に持ってくるとそれをグイっと口にねじ込んできた。

 野菜の苦みが口の中に広がる。

 「私これ苦手なの。あとこれも」

 続けざまに別の野菜が口に入ってくる。

 苦い

 渋い顔をしながら口に入れられた野菜をもぐもぐと咀嚼する俺を見たタキがクスクスと笑う。

 「私、家では苦手なものも我慢してちゃんと全部食べてたのよ?でも最期だから…」

 「いいでしょう?」と上目遣いで尋ねるタキに俺は仕方なく頷き返した。

 タキは「やった!」と言うと遠慮することもなく、親鳥がひな鳥にするように次々に俺の口に食べ物を放り込んでくる。

 「はい、これも」

 最後に残った食べ物を差し出すタキに俺は尋ねる。

 「これ、自分で食べなくていいの?」

 タキが俺に差し出していたのは小さいながらも甘くておいしい桃色の餅だった。

 俺の問いにタキは首を傾げると

 「私これ食べたことない。おいしいの?」

 と言って餅の匂いを嗅ぎ始めた。

 「おいしいよ。中にあんこが入ってて凄くもちもちしてる」

 「ふーん」

 俺の言葉を聞いたタキは少し躊躇しながらも餅を口に入れた。そしてしばらくもぐもぐと口を動かした後

 「美味しい!」

 目をキラキラさせながら満面の笑みを浮かべた。

 「こんなに美味しいものがあるなんて!」

 そう言うとタキはしゅんとして

 「もっといろいろ食べてみたかったなぁ」

 小さく呟いた。

 俺は何も言えずにタキの悲しそうな顔をただ見つめる。

 「あのね、御言様。私、本当は巫女になるの嫌なんだ」

 ちらりとこちらを見た縋るような瞳に俺の罪悪感が膨らんでいく。

 俺が不機嫌になったと思ったのか、タキは慌てたように「いや!とても大切な役目だってことは分かってるし山の神様にお仕えできるのは素晴らしいことだって思ってるよ!でも……」

 そう言って小さくため息をつくと外へ視線を向けた。

 月明りがうっすらと遠くの山々を照らしている。

 「あのね、私、お父さんとお母さんに売られたの」

 「売られた?」

 両親に?あんなに仲がよさそうだったのに。

 「そうよ。村長さんたちが家に来てね、巫女として私を出せば村に戻ってきてもいいって」

 村長が…

 つい表情が険しくなってしまう。だが俺には村長のその判断を否定することはできなかった。だってタキが巫女になってくれなかったら俺と仲のいい村人の誰かが犠牲にならなくてはいけなかったのだから。

 俺は無言のままタキから視線を外す。

 気まずい空気が薄闇を包み込んだ。

 「あ、でもね」

 重たい沈黙を振り払うようにタキがわざとらしく明るい声で話し出した。

 「怒ったりはしてないよ!私が巫女になればお父さんもお母さんも幸せになれるからむしろよかったな~って!でも、もう少しだけ…」

 俺の姿を映したタキの瞳が小さく揺れる。

 「私も生きてみたかったなぁ~って」

 にこっと細められたタキの瞳から大きな雫が落ちた。

 「だから、ねえ、御言様。私のこと、助けてよ」

 震えたタキの声に俺は思わず頷きそうになる。だがそれは許されないことだ。

「……ごめん」

 絞り出されたその言葉にタキは一瞬落胆したような顔をしたが

 「冗談だよ。言ってみただけ」

 と言って笑ってみせた。

 それでも俯いたまま黙っている俺の着物の袖をタキが遠慮がちに引っ張る。

 何だろうか?

 首を傾げているとタキが俺の手を握って自身の頭の上に乗せた。

 俺はそのままタキの頭を優しく撫でる。同年代の子の頭を撫でるのは何だか変な感じがするが、俺はいつも茂さんがしてくれるようになるべく優しく包み込むようにしてその黒髪を撫で続けた。

 月明りの中、小さな声が交互に響く。

 「御言様、お父さんとお母さんのことよろしくね」

 「うん」

 「美味しいもの、毎日じゃなくてもいいからお供えしてね」

 「うん」

 「私のこと、忘れないでね」

 「大丈夫。忘れないよ」

 「………御言様」 

 タキはゆっくりと半歩後ろに下がって姿勢を正すと俺の目をまっすぐに見つめ

 「ありがとうございました。最期まで、よろしくお願いいたします」

 と頭を下げた。

 タキが頭を上げるのとほぼ同時に襖がゆっくりと開けられた。

 「巫女様、そろそろ」

 部屋の外に広がる薄闇の中に立つ茂平がタキに声をかけた。

 タキが静かに立ち上がりゆっくりと歩き出す。

 茂平についてくるように目線で促された俺はタキの後ろをついて行く。

 外に出ると男たちが待っていた。

 大きな桶に入った餅や米、真っ白な反物などの神饌。そして巫女のための輿。

 傘持ちの男がタキを御輿まで連れて行く。

 男たちは皆、口を開くことなくタキの様子をただ静かに眺めていた。

 タキが輿に乗ったことを確認し、ゆっくりとそれを持ち上げる。屋根に付いた小さな鈴がちりんと小さく揺れた。

 男たちが歩き始める。静かな夜の闇に松明の明かりがちらちらと揺れ動き、行列の足音が鳴り響く。

 列の最後に俺はついて歩いた。

 今、タキはどんなことを考えているのだろうか。泣いていないだろうか。

 何とかして助けてあげたいと思っても俺にはそれができない。そんな勇気は持っていない。タキ一人の命で村の人々が助かるのだ。

 これは仕方がない事なんだ

 ギュっと手を握って歩き続ける。

 しばらくすると輿の鈴の音が止まった。

 視線を上げてみる。

 ああ、着いてしまった

 目の前にあるのは祠と広場。

 『来た 来た 食べ物 食べ物』

 祠の奥から神様の嬉しそうな声が響いた。

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