第19話 懺悔
「――くん!御言くん!」
「…う」
茂さん?
大丈夫だと言いたいがなぜか口が全く動かない。
瞼が重たくて開けられない。体が熱くて寒い。
「御言くん!すぐにお医者様を――――」
茂平の震えた声がだんだんと遠ざかっていく。
暗闇の中に誰かが見えた。
あれは…茂さんだ。どうやら誰かと話をしているらしい。
相手は…ヒラヒラの付いた笠をかぶっていて顔は良く見えない。声からして男の人のようだ。そばには大きな薬箱が置かれている。
(解熱の薬は――――――に――――――。傷の方は――――)
話の内容からして相手の男は医者のようだ。
医者は茂平に何かを渡して二言三言、言葉をかけてから立ち上がり、うなだれている彼の頭をぽんぽんと撫でて闇の中へ消えていった。
一人闇の中に残された茂平の背中が俺にはなぜかとても小さく見えた。
「―――っ!」
目を覚ますと最初に体中に激痛が走った。
自分の体のはずなのに他人の物のように全く動かない。
…茂さんは?
名前を呼ぼうとしたがなぜか声が出ない。
仕方がないので薄暗い部屋の天井を眺めながらあの時、何が起こったのか思い出してみる。
(長雨が続き、冷気が厳しくなって凶作がやってくる)
(あー。お腹が減ったなぁ。またアレを食べたい。あの美味な)
(食べたい)
(食べたい 食べたい)
(ヒトの子 食べたい)
ブワッと全身の毛が逆立ったような気がした。
恐怖で手が震えて呼吸が上手くできない。
誰か!茂さん!
声にならない叫び声をあげていると勢いよく部屋の襖が開けられた。
憔悴した空気を纏ったその人影が枕元に駆け寄ってくる。
ぼさぼさの髪に目の下のくま。
いつものしっかりとした身なりとは真逆な様子の茂平と目が合った。
とたんに茂平の両目からぼろぼろと涙があふれ出し始めた。
「よかった よかった!」
何度もそう言いながら茂平は俺の短くなった髪をを優しく撫で続けた。
それから四日が経った。
体の方は少しマシにはなったものの、神様の『食べたい』という声がぐるぐると頭の中に響き続けているせいで俺は碌に眠れない夜が続いていた。
いつものように闇に包まれた天井を眺めながらこの後村に訪れるであろう災厄を想像して震わせる。
早く 早く伝えないと
どくどくと心臓の脈打つ音がだんだんと大きくなる。
早く!
ふと部屋の隅の方に置かれた紙の束が目に入った。
あれは…
月明りを頼りに目を凝らしてその紙を見てみる。
五十音順に書かれた平仮名。文字の練習のお手本として茂平が書いてくれたものだ。
あれを使えば!
ゆっくりと布団から這いずり出る。
体の痛みに耐えながらもなんとかその紙を手に入れた俺はそれを口に咥えて、比較的痛みの少ない両手で床を押すようにして茂平の部屋まで這いずった。
茂平の部屋は静かだった。
夜中だから寝ているのかもしれない。
俺は閉じられた襖を軽く叩いてみた。
しばらくすると中からごそっと布の音がして襖が開いた。そして
「わっ!」
床にはいつくばっている俺を見た茂平が一歩後ろに飛びのいた。
「ど、どうしたんですか?どこか痛みますか?」
慌てた様子で俺を抱きかかえて自分の布団へ寝かせた茂平の足元に部屋から持ってきた紙を広げて置く。
それを見た茂平は俺が何をしたいのか察したようで舞良戸を開けて月明りが部屋に入るようにしてくれた。
月明りの中、俺と茂平は一枚の紙を挟んで向かい合う。
「では御言くん、いいですか?」
俺はその声に頷いて答える。
静かな夜の闇に声が響く。
「まず…あの日、御言くんを傷つけたのは……誰ですか?」
怒りのこもった声に俺は文字を指さして答える。
(か み)
「山の……神様ですか?」
茂平の声に困惑の色が混ざる。
それはそうだろう。茂さんを含めた村の人にとって山の神様は俺やおねねを、村人全員を救ってくれる心優しい存在なのだ。
神の狂気に触れていない茂平はなぜ神がこのような行動をとったのか全く理解できないようだった。
「なぜ、神は…あなたを傷つけたのですか?」
茂平の純粋な問いに俺は答える。
(お つ げ)
「お告げ?」
茂平が首を傾げた。
(あ め き よ う さ く)
「きようさく……凶作…ですか?雨で?」
茂平の目が大きく見開かれた。
雨によって凶作が訪れる。それはすなわち、茂平の晴れ祈願が何の意味もなさなかったということだ。
噛みしめられた茂平の唇からうめき声が漏れた。
「それを防ぐ方法については……何かおっしゃっていましたか?」
伝えても…大丈夫だろうか
俺は震える手で文字列を指し示す。
(た べ た い)
「食べたい…?この前の作物ではやはり不足――」
(ひ と の こ)
「え」
唐突に時間が止まったかのような沈黙が部屋になだれ込む。
目の前に座る茂平の乱れた静かな呼吸音に俺の後悔は泥のように広がっていった。
やはり伝えるべきではなかったかもしれない。やはり自分だけでどうにかするべきだったかもしれない。
茂平がどんな顔をしているのか、俺は自分の内側から溢れ出る後悔に頭を押さえられて見ることができなかった。
「そ――――そう ですか…」
硬く冷たい沈黙が静かに破られる。
「それで―――――御言くんは………何と 言ったのですか?」
俺はびくりと肩を揺らした。
言うのが怖い。
そう思ったが俺の手はゆっくりと動き出す。
(だ め だ)
何と言われるだろう。
神様に逆らうなんて!と怒られるだろうか。それともなぜ何もしなかったのかと失望されるだろうか。
恐怖で体が震える。茂平が怖いわけではない。ただ茂平にがっかりされるのが、見捨てられるのが怖かったのだ。
目の前に座る茂平が動いた。
俺は両手を胸元に抱いてギュッと目を閉じた。
「すみません――」
茂平の震えた、今にも消えてしまいそうな声が耳元で聞こえた。
気が付けば俺は茂平の胸に抱かれていた。
「すみません―――っ すみません」
何度も謝りながら泣く茂平につられるように俺も(「ごめんなさい ごめんなさい」)と自分の無力さに泣いた。
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