第18話 降っては流れる

 季節は山滴る梅雨になった。

 茂平の下で生活を始めた俺は初歩的な術を使えるほどには成長していた。そして厳しくも優しい師のおかげで幼いながらも礼儀作法や家事などの基本的なことも身につけることができていた。


 その日は珍しくよく晴れた日だった。

 最近は雨の日が続いており、村の大人たちが凶作になるのではないかと心配していたが今日のような日が続いてくれればおそらく大丈夫だろう。

 どうやら雨が続いているのは周辺の村々も同じらしく、茂平は晴れ祈願のためにあっちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しくしていて最近は家にいない。

 一方俺はというとさすがに子供一人で何日も家に居るというのはどうかという茂平の考えにより、日中は村一番のしっかり者のみや姉に縫物を習い、日が暮れてからは習ったことの復習や簡単なお札を作ったりして過ごしていた。


 「みや姉、できた!」

 その日もいつものようにみや姉に針仕事を習っていた俺は、三日かけてやっと完成した小さな布袋を顔の前に掲げて見せた。

 自分ではよくできていると思っていたが実際には縫い目も荒く、布にもしわが寄ってしまっておりどう見ても良い出来だとは言えないが

 「あら!さすが御言様!上手にできました!」

 そう言うとみや姉はニコニコしながら俺の頭を優しく撫でた。こうしてもらっているとまだ村が平和だった時に遊んでもらった時のことを思い出してしまう。

 俺が…守らないと


 タ

        ポタ

   ポタタ


 「あら、雨」

 みや姉と同じように外を見てみると草木が雨粒に打たれて軽い音を鳴らし始めていた。

 「嫌ねえ、最近雨ばっかり」

 不安そうな瞳を新緑に向けるみや姉を元気づけるように俺はぴょんっと立ち上がり

 「大丈夫だよ!」

 新緑を背にみや姉の前で胸を張ってみせた。

 「ほら、茂さんも今日中には帰って来るって言ってたし、いざとなったら俺が――」

 俺が神様にお願いしてみるから!

 そう続けようとしたがあの時の、あの赤く染まった神様を思い出して言葉に詰まった。

 

本当に?本当にあの神様に願ってもいいのだろうか?もし対価に捧げものを要求されたら―

 

「御言様?」

 みや姉の呼びかけにハッとした俺はぎこちない笑顔を返す。

 大丈夫。きっと何とかなる。だって、茂さんもいる。

 自分の心にそう言い聞かせてから今日作った布袋に手作りの木のお札を入れてみや姉に渡した。

 「雨、強くなりそうだから今のうちに帰ったほうがいいかも。あとこれ、母上に」

 布袋を受け取ったみや姉は再び俺の頭を撫でながら

 「分かったわ。これ、御言様が作ったって言ったらお母様もきっと喜ばれるわ」

 と言って柔らかな笑みを浮かべると「じゃあね」と帰って行った。

 


 みや姉が返ってしまい一人になった俺は紙と筆を引っ張り出すと、夢中になって手を動かした。

 簡単な呪術を跳ね返すためのお札、力のない物の怪を祓うためのお札、他にも安産祈願や家内安全のお札。

 早く力を、知識を身に付けないと

 その一心で筆を動かしていると

 『御言』

 声がした。

 途端に部屋に充満していた爽やかな新緑の匂いが消えた。

 さらりと後ろで一つに束ねている髪を撫でられたような気がして勢いよく振り返る。

 が、そこには何もいない。

 『御言』

 再び名前を呼ばれた俺は部屋全体に響くその声に体の震えを悟られないように、わざとらしいくらいに背筋をしゃんと伸ばして尋ねた。

 「神様?」

 返ってくる声はない。だが、代わりに膝に置いている手を何かに撫でられたような気がした。

 柔らかい布のような感触。

 やはり山の神様のようだ。

 「神様、なぜ返事をしてくださらないのですか?」

 その問いにもやはり返事はない。

 何かおかしい

 俺はたった今作ったばかりの物の怪祓いのお札に手を伸ばす。と、その手がふわりと見えない何かに包まれた。

 忘れるはずもない。俺の命を救ってくれたあの温かさ。

 「神様…」

 自分の手を包むその感触をそっと握り返してみると、その手を包む感触はするりと消えた。

 そして少しの沈黙の後、


 『御言、このままでは失ってしまうよ』


 失う?何を?誰を?

 体中から嫌な汗が滴る。

 「失うって…いったい何を――」

 『長雨が続き、冷気が厳しくなって凶作がやってくる』

 「え」

 長雨になって凶作になる。村の大人たちが心配していたことだ。それが現実になる?

 俺は神様のお告げに真っ青になりながらも尋ねた。

 「それを―――それを回避するためには…どうすれば…?」


 沈黙。


 沈黙。


 一向に返事が返ってくる気配がないことに焦りだけが募っていく。

 「あ、あの――」

 『………い』


 『食べたい』


  食べたい。食べたい?

 『あー。お腹が減ったなぁ。またを食べたい。あの美味な―』

 って…何だ?なんだ?

 『食べたい。食べたい。』

 俺を中心にぐるぐると回る『食べたい』の声。

 それが突然止まった。まるで俺の返事を待っているように。

 全身が恐怖でガタガタと震える。

 だめだ。それは、だめだ。だめだ。だめだだめだだめだ


 

 「だめだ」



 ガターン!

 大きな音がした。

 気が付けば俺は大雨の降る屋外に転がっていた。

 周りには筆や紙、そして壊れた明障子。

 何が起こったのか理解するより先に、何かに物凄い力で後ろ髪を引っ張られた。

 「――――っ⁉」

 そのまま一瞬だけ体が地面から離れ

 べしょっ

 地面に落ちた。

 体中の激痛に視界が歪む。目が回ってその場に吐いた。

 途切れ行く意識の中、カミサマの『ヒトの子 食べたい 食べたい』という声が最後まで雨音に混ざって聞こえていた。

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