第15話 青、赤。白、赤。

 『ウーーウウーウウウ』

 神様はゆっくりと地面に横たわる二つの捧げものに近づき、口を大きく開いてそれらに顔を近づける。

 しかしハッとしたような素振りをすると、それに抗うように上を向いた。

 こっくりこくりと鹿威しのように顔を上げたり、下げたり、上げ た  り、下 げ たり。

 だんだんと顔を近づけている時間が長くなる。口から流れ出る涎がぼたぼたと雨のように地面を濡らした。


 何とかして神様を正気に戻さないと!


 そう思い口を開くが、喉から漏れるのは荒い呼吸だけ。


 神様!だめ!かみさま!

 

 声にならない叫びは届かない。

 神様が大きく口を開け


 ガッ!


 源蔵の腹のあたりを咥え


 ベキ!   バキバキ!


 真っ二つにした。

 地面に落っこちた下半身を中心に赤い染みが広がっていく。


 くちゃ  バキッ  ぐちょ      ごくん


 咥えられていた上半身が、アオサギに食べられる魚のように、丸のみにされた。

 「――――――」

 恐怖や悲しみ。たくさんの感情が声にならない叫び声となって全身を蝕んでいく。

 源蔵を丸のみにした神様は幸せそうに鬣をふわふわと揺らすと、次は下半身を咥え同じように丸のみにした。

 赤い液体が滴る音がかすかに響く。

 一つ目の捧げものを食べ終わった神様は、真っ赤に染まった口元を舌でベロリと舐めて次は

 

 ガッ!

 「えっ?」


 おねねではなく、一番近くに立って歌っている男の首元にかじりついた。

 驚きの声を上げた首のない体が地面に向かって倒れるように傾き

 倒れることなくその場から消えた。

 神様の口から再び赤い雫が滴っている。

 歌っていた他の男たちも、俺も、村長ですら目を見開いて固まっている。

 一瞬の空白の後、

 「うわあぁぁあああ!」

 誰かが叫んだ。

 それを皮切りに空白は一瞬にして地獄へ様変わりした。

 「いやだあぁぁああ!死にたくないいいいい!」

 「申し訳ございません申し訳ございません申し訳ございません申し訳ございませんんん!」

 男たちの叫び声が青い空を埋め尽くす。


 半狂乱のまま広場から逃げようとする男。

 ばくん

 

 その場にしゃがみ込む男。

 ばくん


 地面に額をこすりつけて謝り続ける男。

 ばくん


 次々と消えていく男たちの代わりに、地面に赤い染みが広がっていく。

 それを見た村長はさすがにまずいと思ったのか、他の男たちが喰われている隙に広場から逃げ出した。

 残る生者はただひとり。

 俺は草むらの中でガチガチと歯を鳴らしながら隙間から様子をうかがう。

 そこには幸せそうに舌なめずりする神様、いや―――がいた。

 そいつは地面にできた赤い染みを名残惜しそうにペチャペチャと舐めると、満足したのか次はおねねの方にゆっくりと近づいていく。

 夢の中で…神様の隣で笑っていたおねねの顔が頭をよぎった。

 あの笑顔を、おねねを、神様を

 

 守らなければ!


 「う うわあああああぁぁぁぁぁあああああ!」

 震える足に力を込めて草むらからバケモノめがけて飛び出した。

 そのまま滑るようにして歩みを進めるその細い前足にしがみつく。

 震える体から前足が抜けないように両腕に力を籠める。

 足が重たくなったことに気が付いたのか神様がゆっくりとこちらを見下ろしてきた。

 真っ赤な顔が俺の赤い目を見下ろしている。

 

 ヒュッ


 冷たい視線に息が止まる。


 殺されるっ!


 俺はバケモノの足にしがみついたままギュッと目を閉じた。


 『ア アアアアアアァァァァあアアあアああああああああ‼』


 頭上からバケモノの苦しそうな、悲しそうな叫び声が降ってきて俺は思わず目を開けた。


 「か  かみ さま?」

 

 恐る恐る手を伸ばして、叫び声を上げるその朱い顔にそっと触れる。

 神様は叫ぶのを止めると、赤く染まった顔の周りの布を伸ばして自分の顔に触れるその小さく、傷一つない綺麗な手に触れようとして    触らず一歩離れた。

 『み こと』

 風に流されてしまいそうなほど小さく悲しげな声が名前を呼ぶ。

 『みこと…。みこと みことみこと!どうしよう 私は     人を。あぁっ なんてことをッ!』

 『ごめんなさい どうしよう ああ ああぁ ごめんなさい  ごめん なさい』

 ごめんなさい と狂ったように繰り返し呟きながら神様はフラフラと祠の方へ歩いていく。

 「まって!かみさま!神様!」

 俺は様子のおかしい神様をタタタと追いかける。

 神様の歩みが祠の一歩手前で止まる。

 そして振り返ることなく

 『私は わたし 門を とじ    。捧げもの 受け取ってしまった から。  願い  人の子の   願い 願い 願い 願い。みこと   約束約束 忘れるな。 願い 願い』

 そう言い残すとふわりと煙のように姿を消した。

 赤く染まった広場に残された俺はゆっくりと後ろを振り返る。

 そこに横たわった小さな肉塊。

 俺は他人の赤色に染められたその空っぽの塊の傍に座り込む。

 春の日差しがとても暖かかった。

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