第13話 神様のごちそう
村長の声に呼応するかのように吹いてきた冷たい風が、祠の後ろの谷から一気に駆け上がり、周囲の草木を激しく揺らす。
冬の海の荒波のような音とともに神様の鬣がざわざわと靡いているのを、俺は草陰から息を殺しながらただじっと見つめていた。
すぅっ
風はゆっくりと息を吐くようにその速度を落とし、やがて、止んだ。
俺は草むらの影から、嵐の前の空のように静かで恐ろしい空気を纏った神様へ視線を向ける。どくどくと自分の鼓動が五月蠅い。
『面をあげよ』
凛とした声が頭の中に響いた。
「な、何だ⁉」
突然のことに驚きの声をあげた男たちは、額に汗を浮かべながらキョロキョロと声の主を探しているようだ。やはり男たちには目の前にいる神様の姿は見えていないらしい。
慌てふためく男たちの中、ただ一人、村長だけはまっすぐに祠の方へ目を向けていた。
『何の用だ』
再び神様の声が響く。
恐怖に耐えられなくなったのか、何人かの男たちは短い悲鳴をあげたり、頭を抱えて地に伏せたりしている。
そんな彼らのことを気に掛ける素振りもせず、村長が口を開いた。
「あなた様は…山の神でございましょうか」
『ああ。そうだ。して、何の用だ』
神様の問いに村長はやや間をおいて
「実は、お願いしたいことがありまして。……勿論、供え物は持ってまいりました」
そう言って顎で後ろにいた男たちに合図を出す。
男たちは祠の前へ歩み出ると、そこに置かれた麻袋に包まれている二つの何かを広げ始めた。
「前にあなた様が空腹だと申されていたので、今回は作物などよりもっと満腹感を得られるものをと思い―――」
ごろ ごろん
麻袋から出されたそれが重たい音をたてて祠の前に曝された。しかし、こちらからだとそれは男たちの背に隠れてしまって俺には中のものが何なのか見えなかった。
「こちらをご用意いたしました。いえ、神は人の思いを食うと前に耳にしたことがありまして。汗水たらして育てた作物もそうなのですが、こちらの方がより多くの思いがこもっているのではないかと――――っ⁉」
言い終わらないうちに村長の体が びゅおん と音をたてて宙を舞った。
何が起こったのか分からず俺も男たちもポカンと口を開いたまま、見えない何かに吹き飛ばされてドサッと地面に落下した村長を目で追う。
地面に倒れこんで鈍痛にうめき声を漏らす村長のもとへ何人かの男たちが慌てた様子で駆け寄り、その体を支える。村長は眉にしわを寄せながらも男たちの手を借りて立ちあがると、祠の方を睨みつけながらフッと鼻で笑って見せた。
「お怒りになられましたかな?いやはや、お気に召さなかったとは…。しかしですねぇ、我々にはもうあなた様に捧げられるだけの食い物の余裕はないのですよ」
やれやれと大げさに首を横に振る村長。
確かに今年は神様の言っていた災厄のせいで作物もあまり収穫できていない。村の人たちが体調を崩して充分に世話をすることができていないせいでもあるのだろう。
なら
それなら、村長たちは何を捧げものとして持ってきたのだろう
神様がお腹いっぱいになるほどのもの。
大切に、大切に、育てられて村の人たちの思いがたくさん詰まったもの。
俺は村長の方からするりと視線を横へずらしていく。
《見てはいけない》と頭の中で警鐘が鳴り響くが、俺の目はそれを見ることを止めなかった。
祠の前のそれが俺の赤い瞳にはっきりと映る。
麻袋の上に置かれたそれは小さいものと大きいものの二つ。
一つは白い布。もう一つは鼠色の布。
鼠色の方は上の方が赤色に染まっていた。
(あ)
喉の奥から空気だけが小さく漏れた。
脳が揺さぶられたように視界がぐわん ぐわんと揺れ、全身がさあッと冷たくなる。早く眼を逸らしたいと思っていても、体が言うことを聞かない。
赤い瞳に映され続けるそれは俺の知る限り、確かにどんな作物なんかよりも絶対に、多くの人の思いがこもっているものだった。
俺の口は見慣れたそれの名前を自然と追いかける。
(お ? うさ ん ?)
ぱくぱくと口だけが勝手に動く。
何が起こっているのか分からず頭が真っ白になる。
いや
いやいや
そんなはずは
だって
えっ?
そんちょう?
『おい』
怒気を含んだ声が響く。
『お前たち……これが何だか、分かっているのだろうな』
気を失ってしまいそうなほど恐ろしい神様の圧を受けてもなお、村長はまっすぐと祠の方を見て
「それは勿論」
あっけらかんとした口調で
「それは、おねねとその兄の源蔵でございます」
と答えた。
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