第12話 山は枯れ、日は沈む
暖かな春の匂いが風と共に、白銀に輝く髪をさらさらと撫でながら通り過ぎていく。
「こんにちは!」
元気よく挨拶をして広場の中へと足を踏み入れる。
祠の上に立って青い空を見上げていた山の神様は俺の声に気が付くと、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
『おや、御言。今日はいい天気だね』
そう言いながら音もなくふわりと目の前に降りてきた神様を俺は見上げた。
顔の横から伸びた布が麗らかな春の日差しに照らされながら木漏れ日のように、ゆらゆらと優しく揺れている。
「日向ぼっこ、してたんですか?」
『そうだよ。晴れてよかったね。今日はあの子の晴れ舞台だからね』
俺は神様の言葉に少し微笑んで頷き、そして少し俯いた。
「…おねね、夜になったらここに連れてくるって茂さんが言ってました」
『うん。知っているよ』
「え?」
目を丸くしながら顔を上げると、目の前の朱い顔が不思議そうに首を傾げていた。
「神様、神社の話し合い聞いてたんですか?」
神様は俺の問いを聞いて、ふふっと優しい笑い声を漏らし、再び青い空を見上げた。
『この村のことなら何でも知っているよ。でも…門が開いたせいかな。今はこの山の下にある神社の話し声を聞くのがやっとなんだ。でも、たまに鳥や風がほんの少しだけ村の話し声を運んできてくれるからね…』
そう言った神様が少し寂しそうに見えた俺は
「なら!」
一歩前に踏み出して
「なら、僕が毎日、村でその日に何があったのか神様に教えます!」
小さな胸をめいいっぱい張って力強くそう言った。
神様は俺の言葉に驚いたのか、じっとこちらを見つめた後、嬉しそうに顔の横の布をひらひらと揺らした。
『ありがとう御言。ならお願いするね。毎日だよ。忘れないでね』
「――!はい!」
頼りにしてもらえることが嬉しくて、つい大きな声で返事をしてしまった。
にこにこと目を輝かせる俺を見た神様はもう一度『ありがとう』と笑うと布を伸ばし
ぎゅるん
風のように優しく、しかし、ものすごい速さで俺の体に布を巻きつけると、そのままひょいっと持ち上げ、広場の入口に生えている背の高い草むらの中へ飛び込んだ。
何が起こったのか分からずに唖然としていると、神様は俺をゆっくりと、静かに草むらの中に降ろし、長い首をさらに長く伸ばしてこの祠のある広場へと続く坂をじっと見下ろし始めた。
その視線には先ほどまでの柔らかな雰囲気は全く見当たらない。
強い警戒の色と怒りの色。
それを感じ取った俺も、息をひそめて草と草の隙間から坂の方をじっと見つめる。
『ち』
突然、頭上から聞いたことのないような、地を這うように低く冷たい声が降ってきた。
俺は上を見上げる。
『血の においだ』
声の主は朱い顔を坂の方へ向けたままそう呟いた。
「か 神様?」
雀の羽音のように小さく不安げな俺の声に神様は我に返ったのか、揺らしていた鬣をピタリと止め、朱い顔を近づけてきた。
『御言。何かおかしい。何か…こちらに近づいてくる』
「――――――」
「―――――――――――」
神様の言葉に重なるようにして遠くから微かに人の話し声のようなものが聞こえてきた。
俺は自分の着物の袖をぎゅっと握ってその場で息を殺す。
「――――ね」
「――――――――くれ―だろう」
「でも――――――」
だんだんと声が近づいてくる。
聞き慣れたその複数の声に俺は思わず立ち上がろうとした。
が、すぐに神様に上から押さえられてしまった。
『御言。誰が来ても、何があってもこの草むらから出てはいけないよ。彼らがいなくなるまで立ち上がったり、声を出すのもだめだよ。約束、できるね?』
優しくも力強い声に俺は口を噤んだまま大きく頷く。
『いい子だね』
そう言って俺の頭をふわりと撫でると、神様は俺を草むらに残して祠の前に移動し、再び声のする坂の方をじっと見つめ始めた。
俺も草の隙間から神様と同じように広場の入口を見つめる。
「でも、本当に大丈夫なんですよねぇ?」
少し怯えたような男の声が坂の方から聞こえてきた。
俺は男たちの会話を聞き逃さないようにじっと耳をすませる。
「ああ、大丈夫だ。心配するな。カシラギのとこのお偉いさんから聞いたんだ。間違いないさ」
「それに茂平もこの村に来たばかりの時にチラッと言っていただろう?神は一度人間からの捧げもの…願いの対価を受け取ってしまったらその対価にふさわしいだけの願いを叶えることを拒むことはできないってさぁ」
男たちの声が近づくにつれ ずるっ ずるっ と何か重たそうなものを引きずる音も聞こえてきた。
何……?なに?
まだ幼い俺には彼らの会話が何を意味するのか理解できなかった。
ただ、あの暖かくてお日様の匂いのする美しい神様と約束した通りに、草むらから一歩も出ず、一言も声も出さずに隠れていることしかできなかった。
ああ、それはあまりにも
後悔するにはすでに手遅れになってからしか気が付けないなんて。
あの時、ひょっこり草むらから出ていれば。何でもいいから声を出していれば。
「まあ、今更後悔しても仕方ないだろ」
坂を上ってきた男の一人がそう言った。
村長…?
俺は小指の先でちょいと草をどけて男たちの姿を確認する。
村長に加え他にも村の男が五人。
広場へ足を踏み入れた男たちは神様のいる祠の前に立つと ドサッ ドサッ と何かを地面に降ろした。
大きくて汚れた袋とそれよりも小さな袋。そして少しの食べ物。
どうしたんだろう…
神様の方を見てみると普段からは想像もつかないほどに鬣をゆらゆらと揺らして、遠くから見ても恐ろしくて足がすくんでしまうほどに明確な殺気を放っている姿が見えた。
俺は恐ろしさからか、男たちが何をするのか気になる好奇心からか、祠の方から目を離すことができなくなった。
そんな神様の姿が見えない男たちは捧げものを祠の前に置き、二、三歩後ろへ下がると地面へ膝をついて頭を下げ、口を開いた。
「我らが山の神よ!どうか我々の前にその神姿を現したまえ!」
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