第8話 交換っこ
ぴちゃ
ぴちゃっ
あいつらの足音が近づいてくる。
「――――――」
「――――――――」
「――」
声は怒っているような、嘲笑っているような、恐ろしい声で何かを言いながらこちらに近づいてくる。
ピタリと足音が止まった。
上から降り注ぐ視線に俺はガタガタと震えることしかできない。
さらっ
何かが裸足の足に触れた。
俺は少しだけ視線をずらしてそれを見た。
長い黒髪。その隙間からおねねと同じように顔の皮がなくなった女が、地面すれすれになるほどに首を傾けてこちらを覗き込んでいた。
「っ⁉︎」
目が合ってしまった。
落ち窪んだ剥き出しの眼がぐにゃーっと細められる。
「――――――――!――――――――!」
覗き込んでいた女がケタケタと笑いながら首をガクガクと揺らし、その長い黒髪を振り乱し始めた。
それに続くように他の女たちも首を揺らして笑い始める。
俺は恐怖で目を逸らすことさえできない。
「あ あぁ あは」
楽しそうに笑っている奴らを見ているとなぜかこちらも口の端が吊り上がってしまう。
なぜだろう。彼らを見ていると何だか…
「はは あはは あはっ」
どこからか楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「あはは ははは」
聞き慣れた声。そう、これは…
俺の…自分自身の声だ
そう分かった瞬間、自分の中で何かがガラガラと崩れた気がした。
途端に自分が何者なのか、どうしてここにいるのか、なぜこんなにも楽しく満たされたような気持ちになっているのか、全てが分からなくなった。
何も 分から ない。
「あはは あはははははっ!」
俺はただ訳も分からず目の前の女たちと同じようにケラケラと笑うだけのナニカになってしまった。
暗い洞窟の中に少年の高い笑い声がこだまする。
何が面白いのか全く理解できない。
だが、人の子にとってはこの状況、面白い事なのかもしれない。
前、村の子供たちが同じように他の子につられて笑っているのを見たことがある。
その時は観察していたこちらも何か…ぽかぽかとしたような気持ちになったものだが、今は……
『少し……不愉快だな』
まるで自分のために捧げられた供物を一口だけ山の動物に横取りされたかのような…そんなほんの少し、ムッとしてしまうような気持ちが体中を駆け巡る。
無意識に金銀に輝く鬣を小さくゆらりゆらと揺らしてしまっていたようだ。
どうにも自分には気に入らないことがあると鬣を揺らしてしまう癖があるらしい。
まあそんなことはどうでもいいのだが。
『さて』
この無礼者たち。どうしてやろうか。
私は少しだけ鬣を揺らして、しゅるしゅると朱い顔の横から伸びる布を少年に向かって伸ばした。
ケタケタと笑い続ける少年の体に淡く光る無数の布が巻き付いていく。
少年と同じように笑っていた顔のない女たちの声が止み、それに代わり空気を裂くような掠れた叫び声のようなものが薄暗い洞窟に響き渡る。
女たちは叫び声をあげながら少年をぐるぐると包み込んでいく布を剝ぎ取ろうと、爪を立ててそれをかきむしり始める。
だが布は多少破けはするものの、すぐに糸のようなもので繋ぎ合わされ元に戻ってしまうため彼女たちの抵抗は全くもって無意味だった。
やがて少年の体は布で出来た繭の中にすっぽり収まってしまった。
少年の笑い声もいつの間にか止んでいる。
淡く光る繭はそのままふわりと宙に浮かぶと、上に開いた小さな穴から洞窟の外に出て行った。
暗い洞窟には穴に向かって必死に手を伸ばす女たちの掠れた叫び声だけが響き渡っていた。
『御言』
頭の中に直接響き渡るような優しい声に呼ばれた俺はゆっくりと目を開ける。
乾いた土と草木の匂いが鼻孔をくすぐる。
暖かな風がさらりと白い髪を撫でた。
ここは…?
確か追い詰められた後、あの女たちが笑いだして…それから……
ぼーっとした頭で考えてみるが全く思い出せない。
一体何が――
『御言』
不意に視界の中に朱い面のような顔が映り込んできた。
その姿を見た俺の頭は一瞬で覚醒する。
見間違えるはずがない。
「か、神様!」
俺は慌てて起き上がると姿勢を正し、その崇高な姿を見上げた。
金銀に輝く鬣がゆらゆらと揺れていてとても美しい。
山の神様はゆっくりと俺に視線を合わせると鬣を揺らすのを止めた。
『大丈夫そうだね』
そう言った神様の言葉に俺はこくりと頷く。
そんな俺を見た神様は金銀に輝く尻尾をふわりと揺らした。
『さて、御言。これでお前の命を助けたのは二回目だ。お前からの礼として今回はそれ、もらうね』
神様が示した方向へ視線を向けると、草むらの中に小さな影が横たわっているのが見えた。
俺はその影に近づいて、うつぶせになっているその小さな体を仰向けになるようひっくり返し
「ひいっ!」
その場に尻もちをつきそうになった俺の背中を神様の柔らかな布がふわりと支える。
『洞窟の奥にいた子だよ。もう手遅れだったからね。仕方ないね。扉も完全に開いてしまっていたし』
「あ あああ お おね おねね?」
俺は顔のない小さな塊に縋りつく。
口元に耳を近づけてみると虫の声のように小さな呼吸音が聞こえた。
「あ お ねね おねねっ!」
おねねの手を握って精いっぱい呼びかけてみるが何の返事もない。
それどころか先ほどよりも呼吸の音が小さくなってきているような気がする。
「おねね!おねね!そんなっ!ダメだよ!源蔵さんも!村の人だってみんなおねねのことを心配して!」
目から零れた雫がおねねの白い手に落ちた。
「……――」
おねねの口が少し動いたような気がした俺はパッと顔を上げ、握った手を優しくさする。
「おねね!大丈夫だからね!今僕が―――」
「…――い」
今にも消えてしまいそうな声でおねねが何かを呟いた。
俺はその言葉を聞き逃してしまわないよう、おねねの口の動きに集中する。
「――い」
焦点の合っていないおねねの黒い瞳が一瞬だけ俺をまっすぐに見つめた。
そして
「い た い」
おねねは苦しそうにそう言うと、ごぷっと変な音をたてて口から黒い液体を吐き出した。
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