第7話 あの世この世
俺はおねねから逃げるように元来た道を全力で走る。
途中で滑って転んだりしたが構わず走り続ける。
「――――――」
「―――」
「――――――――――――」
後ろからあの声が追いかけてくる。
真っ暗な洞窟は行きよりも暗く、少し生暖かかった。
「うべっ!」
何かにつまずいて転んでしまった。
べちょべちょの土が着物について気持ちが悪い。
立ち上がろうとすると片足がピンッと引っ張られる感覚があった。
足に触れてみると草鞋が何かに引っかかっているようだ。
力いっぱい引っ張ってみるが取れる気配はない。
「―――」
背後に広がる暗闇から声が聞こえた。
追手の声は先ほどよりも近くなっている。
迷っている時間はない。
俺は草履から足を引っこ抜くと、再び走り出した。
「はぁ はあっ」
走りながら後ろを振り返ってみる。
暗闇の中にぼんやりと浮かんでいる白っぽい影が長い黒髪を振り乱しながら追いかけてきていた。
このまま走り続けても追いつかれる!
俺は茂平からもらった清めの塩を懐から取り出すと、それを全部、背後に広がる暗闇に向かって無我夢中で投げつけた。
「―――!」
「―――――――⁉」
背後の暗闇から驚いたような掠れ声が響く。
と同時に小さく じゅうぅ と火に水をかけたような音が聞こえた。
どうやら効果はあるらしい。
今のうちに逃げないと!
影が動きを止めたのを確認した俺は再び暗闇の中をがむしゃらに走り出した。
どれくらい走っただろうか。十分くらいかもしれないし一時間くらいかもしれない。
もう…走れない…
気を抜けばその場に膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
壁に手をついて大きく息を吐き、呼吸を整えてからまた歩き出す。
しばらくすると洞窟の奥に一筋の淡い朱色の光が見えた。
疲れ切っていた俺は吸い寄せられるかのようにふらふらとその光の近くまで歩いていく。
光の差し込む方から柔らかな草木の匂いのする風が吹いてきた。
俺は風をたどるかのように光の先へと目を向ける。
穴だ。
高い天井に開いた小さな穴から薄っすらと星が輝く朱い空が見える。
「っ!」
俺は無事に最初の場所に戻ってくることができたことに思わず頬を緩めたが、すぐに表情を曇らせた。
そうだった…
辿り着いたのはいいが、俺の伸長では到底あの穴から出ることはできない。
おまけにこの先は行き止まり。
俺には穴から出るか、先ほど逃げてきた暗闇へ行くかの二つの選択肢しか残されていなかった。
だが、暗闇にはあいつらがいる。
となると、穴の向こうの誰かに気が付いてもらい、引っ張り上げてもらうしかない。
俺は恐怖と寒さで震える肩を両手で抱きしめて、大きく息を吸い込み
「ははうえー!茂さーん!」
穴に向かって大声で叫んだ。
が、返事はない。
暗い洞窟には自分の声だけが虚しくこだまする。
そして再び訪れた静寂。
「あ ああ うぅぅ」
俺は絶望と孤独に涙目になりながら着物の袖をぎゅうぅっと握って再び大きく息を吸い込んだ。
「ははう――」
「――――――――――――!」
「――――――――――――――――!」
「――――――!」
自分の声に重なってあの声が聞こえた。
俺は短い悲鳴をあげて暗闇に目を向けてから、また天井の穴を見上げた。
は、早くここから出ないと!
「だ、だれかー!だれかーっ!」
大声で叫びながら、震える手で洞窟の壁をペタペタと触ってみる。
つるつるとした土と岩の壁の中に少しざらついた場所を見つけた。
ここなら滑らずに登れるかも!
俺は片っぽだけになった草履を脱ぎ棄てて壁の出っ張った部分に足を乗せる。
洞窟に流れる冷たい水のせいで冷え切って感覚が無くなってしまった手足でも慎重に登っていけば大丈夫だろう。
「だ、大丈夫。だいじょうぶ」
小さく呟いてから、ぐっと手足に力を入れて小さな体を上へ持ち上げる。
何とか出っ張りに乗ることができた。
よし!この調子で!
俺は気を引き締めながら次の出っ張りを探す。が、
「あ え そんな!」
次に手を置くための出っ張りがどこにも見つからない。
左手でペタペタと頭上の壁に触れてみるが、どこもかしこもつるつるとしている。
「ど どうしよう!どうしよう!」
冷や汗をだらだらとかきながら必死に頭上に手を伸ばす。
すぽっ
壁を触っていた指が小さな窪みに入った。
見上げてみると白くつやつやとした石に穴が開いていた。
やったぁ!
俺は落ちてしまわないよう、その穴にしっかりと指を入れ、体を上に―――
「うわあっ!」
べしゃっ
湿った地面に尻もちをついた。
上を見てみると先ほどまで掴んでいたはずの場所にぽっかりと穴が開いている。
そして手にはまだ石を掴んでいる感触が残っている。
俺はゆっくりと石を掴んでいるその手に視線を向け
「うわあっ!」
悲鳴を上げてそれを洞窟の奥へ投げ捨てた。
ころころと転がった白いそれは穴から差し込む光に照らされ、つやつやと輝いている。
二つのぽっかりと開いた穴と目が合った。
「あ あ 」
俺は両手をわなわなと震わせながら口をパクパクと動かす。
骨
それは人の骨だった。
大人の大きさの頭の骨。
「あ あ ああああああああああああああ!」
恐怖に耐えられなくなった俺は大声で叫びながら、頭を抱えてその場に丸くなる。
どうして壁の中に骨が?
前に落ちた人の骨?
てことは大人でも出られなかったってこと?
物の怪の仕業?
ならあの声たち、あの追いかけてくる物の怪たちが?
おねねは?
物の怪じゃなかったはず
どうして
どうして
どうして
どうして!
ぐるぐると頭の中を解決することのない疑問が浮かんでは通り過ぎていく。
「はぁ はぁ はぁ」
俺はガチガチと歯を鳴らしながら肩を激しく上下させる。
何とか落ち着こうとたくさん深呼吸をしているのに、全然息を吸っている感じがしない。
ぴちゃん
突然、暗闇に響いた湿った音に俺はびくりと肩を震わせ固まる。
「――――――」
顔を上げて確認せずとも分かる。
あいつらだ。
もう逃げられない。
俺はぎゅっと目をつぶり、さらに小さく、小さく身を縮こまらせた。
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